25 ダイVSザムザ戦(12)

 闇雲に生体牢獄を殴り続けていたマァムを止めたのは、ゴースト君だ。
 彼は、彼女にそのやり方では駄目だと諭している。この危機を脱出できるのはマァムだけだと示唆し、修行で得た力を正しく発揮するようにと優しく言い聞かせている。

 その言い方を聞いて、マァムは相手の正体に気づいた素振りを見せている。
 この時点では明かされてはいないが、ストーリーを先走って暴露するならば、ゴースト君の正体はブロキーナ老師……マァムとチウが師事していた拳法の達人だ。さらにぶっちゃけるのならば、彼は先代勇者であるアバン一行に加わった武闘家でもある。

 彼は二人の弟子が気になって、ついてきたようだ。
 しかし、単に大会を見学するだけでなく、ちゃっかりと自分自身も選手として大会に参加している辺り、なかなかお茶目な性格のようだ。正体を隠して弟子を驚かせたいと言う発想の他に、密かに弟子と対戦してみたいと言う考えもあったのだろう。

 弟子の目を気にしてか、ゴースト君は大会の最中には実力を出していない。
 彼の試合ぶりは直接は描写されていないが、彼を紹介するアナウンスで『強いのか弱いのか全く分からない』と言われているところを見ると、ブロキーナは真の実力を見せずに勝ち残ったと推測出来る。

 言うまでもなく、手加減したまま勝ち残るなどとは相当な実力がなければできることではない。
 だが、ブロキーナにとっては予想外なことに、大会の最中に魔王軍がいきなり戦いを挑んでくると言うアクシデントが発生した。

 ブロキーナが後に見せた実力から察するに、ここで正体を露わして魔王軍と戦うことも決して不可能ではなかったはずだ。

 しかし、前項でも書いた通り、ブロキーナことゴースト君は全く行動しようとしない。自分で戦うよりも、若い世代の実力を見定めたいという気持ちが強いようだ。

 ブロキーナは弟子であるマァムだけでなく、他のメンバーの動向にもちゃんと注目している。決勝進出者達の諦めの早さを見て、彼等ではこの危機は乗り越えられないと考えたのだろう。

 が、ブロキーナ自身は危機感をほとんど覚えていないようだ。
 ゴースト君の余裕には、いざとなれば自分が戦って敵を倒せるという自信があるように思える。さすがは先代勇者一行の一員と言うべきか。
 だからこそ、ゴースト君は行動を助言のみにとどめ見学に徹している。

 マァムがブロキーナの正体に気づいた直後、生体牢獄内に痺れガスが流し込まれ檻内にいたメンバーが一気に行動不能へと追い込まれてしまうが、この時さえ彼は見守っているだけだ。

 まあ、この痺れガスが身体は動けなくなるが意識はしっかりと残るものであり、命に別状がないと分かっていたせいかもしれないが。

 しかし、余談ではあるが、実験動物を移動させる際に大人しくさせるだけなら、眠りガスで眠らせてやればいいものを、意識は残し、なおかつ呼吸の苦しさを感じながらも身動きできない状態を強いる痺れガスを用意するとは、ずいぶんと悪辣な対応だ。

 この仕組みがザムザの趣味か、ザボエラの趣味かは定かではないが、まさに人を人と思っていないからこそ取れる非情さと言えるだろう。

 だが、この痺れガスにマァムは平然と堪えている。
 他のメンバーが咳き込みながら蹲っているのに対し、マァムとゴースト君のみが普通に立っている。

 身体から微弱な回復魔法の膜を放出し、それをバリヤー代わりとして周囲の毒素を受けないと説明されているが、これは面白い解釈だ。DQでは毒を受けた場合に解毒する魔法はあれど、予め毒を防御する魔法は存在していない。

 が、毒の沼地やダメージを与える床から身を守るトラマナと言う魔法は存在するので、この時の回復魔法の応用術はトラマナの変形と判断して良さそうだ。

 この術の効果を、ゴースト君は疑問を感じている決勝進出者達に説明している。精神的な意味でも肉体的な意味でも戦力外の彼等には別に教える必要はないのだが、ブロキーナは彼等に対しても公平なようだ。

 積極的に助けはしないが、役に立たないと見切りをつけるでもなく見守っている。その上で、彼等にも状況判断の大切さをさりげなく教えているのである。

 この時点で回復魔法の応用術に対しての知識がなかったとしても、マァムをよくよく観察してみれば、彼女の周囲に魔法の光は目視できる。その観察力があれば、彼女やゴースト君と倒れているメンバーの差に気がつき、真相を推理する手助けになるかもしれない。

 もし、この場にいたのがポップなら、彼は知識はなかったとしても観察から推理へと発展させて真相に近い考えを得たのではないかと思える。

 周囲をよく観察する力と言うのは、時として単なる腕っ節以上に有効だ。特に、魔王軍のような未知の存在と戦うのであれば冷静な観察眼は非常に役に立つ素養だろう。

 武闘家という職業でありながら、ブロキーナの冷静さや的確な判断力などの知性面がさりげなく示されたシーンである。

 一方、マァムは師の忠告のおかげで冷静さを取り戻している。
 無闇に攻撃しても効き目がないこと、だが、この檻も生命体であることを再確認し、師から教わった武神流の奥義を使う決心を固めるのである。

 マァムは両手の手袋を外し、気合いを込めて光を纏った拳を生体牢獄へと叩きつけている。
 閃華裂光拳――これは過剰回復魔法(マホイミ)を元にした技だと解説されている。

 通常の回復魔法が相手の生体機能を促進し、回復を促すのに対し、過剰に回復をさせることで生体組織を破壊してしまう効力を持つのがマホイミだ。ただ、マホイミは通常の回復魔法よりも多量の魔法力を消費するためか、すでに廃れた魔法だと言う設定になっている。

 だが、ブロキーナ老師は自身の武神流拳法と回復魔法を組み合わせ、少ない魔法力の消費でマホイミと同等の威力を持つ奥義、閃華裂光拳を編み出した。
 ただ、ブロキーナ自身はこの技を後世に伝えたいとは思っていなかったようだ。

 しかし、この技を恐ろしいと感じることのできるマァムを信頼し、彼女にこの技を伝えてもいいと考えている。
 実にいいシーンではあるが、このブロキーナのマァムへの信頼についてはやや疑問が感じられるところだ。

 マァムがブロキーナの元で修行したのは、公式パーフェクトブックによると二週間。
 弟子の性質を全て見切るにしては、短すぎる時間だ。

 しかし、弟子への信頼度を底上げしているのが、アバンの存在だ。ブロキーナ本人が、アバンがマァムを信頼して魔弾銃を与えたように、自分もマァムを信じると発言している。

 この発言から感じ取れるのは、マァム以上のアバンへの信頼の強さだ。
 マトリフにも言えることだが、彼等はアバンの弟子達の正義感や倫理感については大きな信頼を寄せている。

 例えば、銃の扱いを初心者に教える時は、まずは銃の恐ろしさを教えるのが基本だ。

 それが命を奪う武器であること、だからこそ決して人には向けてはいけないと教えた上で、それでも身を守る必要があるのなら躊躇わずに銃を引くようにと、順を追って教えていく。

 武道などでもそうだが、高い攻撃力を与える際には、その攻撃を無闇に震わないように精神面も磨かせ、抑止力も身に備え付けさせるのが理想だ。が、実際には力のみを優先して短慮に走る者が多いからこそ、習得に制限をつけたり、悪用した際の罰則を定めておくなどの手段をとることになる。

 だが、ブロキーナはマァムにはほぼ無条件と言っていい程にあっさりと、致死効力を持つ技を授けている。

 マァムの回答や反応が模範的だったのも事実だが、アバンの教えを受けていたことこそがブロキーナにとって大きな判断材料になったことは否めないだろう。

 また、マァムの父母が先代勇者一行の僧侶と戦士だった事実を考えれば、彼等への信頼もその判断に上乗せされている気がしてならない。物語終盤でブロキーナがマァムの父母への思い出について語るシーンを見てからこのシーンを読み返すと、先代勇者一行の絆が感じられて尚更趣深いものがある。

 

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