28 ダイVSザムザ戦(15)

 

 さて、ここでザムザ視点に移してみよう。
 生体牢獄から出てきたマァムを見て、ザムザが真っ先に感じている感情は驚きだ。

 生体牢獄を壊されるというのは、明らかにザムザにとっては想定外だったのだろう。それだけ生体牢獄に自信を持っていたのだろうが、この時の彼の対応は不手際が目立つ。

 なにせ、せっかく捕まえた実験動物が檻から出てきてしまったのに、なんの対処も取ろうとしていない。本来ならば、即座に実験動物を捕獲し直すか、あるいは諦めて撤退するかを選択すべきだ。

 この時、ザムザはチウを踏んづけたままだが、本人自身がネズミなど実験動物にもならないゴミと言っているのだから、放置してさっさと次の行動に移るべきだ。

 だが、ザムザにはその辺の融通がどうも利かない。
 ザムザは実験動物を実際に世話をしたり、捕獲をしたりという点では不得手なように見える。

 研究者は、主に文献やデータを中心に研究したがるタイプと、実際に研究対象物に対して動くことを好む、所謂フィールドワークタイプに二分されるが、ザムザは明らかに前者だろう。

 フィールドワークタイプの研究者は、生き物が思い通りに動かないことを実体験として承知している。だからこそ、これ以上は危険だというラインを心得ているし、不測の事態に対して臨機応変に対応しようとする。
 と言うよりも、そうしなければ急変する事態についていけないことを知っている。

 だが、机上で書物やデータを相手に研究をしていれば、その辺の機微を理解できなくても無理はあるまい。書物やデータは、変化などしないのだから。

 事実、この戦いでザムザは明らかに引き際を見失っている。
 実験動物の捕獲に成功した時点、ダイを呑み込んだ時点、ポップから攻撃を受けて呼吸困難に陥った時点と、引き上げるべきポイントは幾度もあった。

 だが、一度始めた実験に拘るザムザには、撤退という選択肢がない。
 この辺も、実戦不足が窺える点だ。
 ザムザの父であるザボエラも戦いには不向きなタイプではあるが、彼には状況的に応じて素早く撤退するだけの分別があった。が、ザムザにはそれがない。

 状況の変化以上に超魔生物の実戦実験に拘っているのが、一目瞭然だ。
 この時点ですでに当初の目的だったはずの実験体捕獲よりも、超魔生物の力を思う存分ふるう方向に思考が行ってしまっている。

 その証拠に、ザムザはマァムの態度が気にいらないからと、即座に彼女の破棄を決定している。そこには、一瞬の躊躇もない。

 研究者の視点から見れば、並の人間以上の体力や技量を見せたマァムは実験体として優秀だろうし、また、魔王軍から見れば勇者一行の一員を捕獲するなり排除するのは有益なはずだ。

 つまり、最初にザムザが言った通り実験体捕獲という目的からして見ればマァムは価値のある獲物と言えるし、また、魔王軍全体に出された勇者抹殺の命令を重視しているのなら、体内にダイを呑み込んだ今こそがチャンスだ。

 しかし、即刻マァムを処分しようと考えたザムザの目的はそのどちらでもない。
 ザムザの真の目的は、強さの追求でも研究の完成でもない。
 ザムザが最も強く望んでいるのは、父親から認められたいと言う欲求だ。 

 だが、残念なことにと言うべきか、彼の父親であるザボエラは息子に限らず人を認めるようなタイプではない。自分以外の者は全て利用すればいいとばかりに自己中心的な男だ、たとえ我が子であっても褒めて伸ばすタイプとは思えない。

 実際、ザムザの回想の中でもザボエラは息子に対して冷淡な態度を隠そうともしていない。

 息子を自分の前に跪かせ、優秀な人材となって自分の役に立てろと命じている。ザボエラがまともな親子関係を築いていないのは、疑いようもない。しかも、役に立たなければおまえはゴミだとさえ言い切っている。

 そこには、息子だからこそ敢えて厳しい鞭を振るうという特別待遇すら感じられない。

 ザムザの教育方針は、罰則重視のようだ。役に立たなければ即座に見捨てるとばかりに振る舞うザボエラは、飴と鞭ならぬ、ただただ鞭のみを振るう傲慢な支配者だ。

 しかし、そんな父親に対して、ザムザはひどく従順だ。
 口答えをするどころか、見捨てられるのが恐ろしくてたまらないとばかりに、父親に従っている。

 傍目から見れば不思議に思える関係だが、幼い頃に虐待を受けた子には珍しくない反応だ。人間、動物を問わずに十分な愛を与えられずに成長した者は、性格に歪みを生じる場合が多い。幼い頃に与えられなかった愛をひたすら求めてか、少し間違った方向で損なわれたものを求め続けるのである。

 いい例が、ヒュンケルだ。
 魔王軍時代の彼はアバンを失った後、正義や人間に対して非常に攻撃的になると言う方向性で、自分を認めてもらいたいと言う欲求を発散しようとした。

 だが、ザムザの承認対象は父親に限られている。
 フレイザードのように、自分の産みの親であるハドラーにではなく、周囲に認められたいとは考えていない。

 だからこそ、ザムザはダイや勇者一行を倒すことには固執していない。父親が発案した超魔生物の完成の方が、よほど優先順位が高いのである。
 それを考えれば、ザムザが自分に攻撃してきたチウやマァムにあれ程腹を立てたのも理解できる。

 ザムザにしてみれば、超魔生物は最強の存在でなければならない。それを少しでも否定する存在は、彼にとっては問答無用に敵なのである。

 この考えが根柢にあるからこそ、ザムザはマァムの閃華裂光拳の攻撃に対してムキになった。超魔生物の回復を無効化し、確実にダメージを与えてくる攻撃だと即座に理解したくせに、ザムザは引き下がるどころか超魔生物は無敵だと雄叫びを上げながら攻撃を仕掛けている。

 冷静に見るのならば、ここがザムザの絶好の撤退どころだった。
 超魔生物の肝は、無尽蔵の再生力にある。

 戦闘にかけてはてんで素人なザムザが竜の騎士であるダイを圧倒できたのは、どんな攻撃を受けてもそれ以上の早さで回復できていたからにすぎない。 その長所を無効化する技を相手が使ってくるのであれば、無理な戦闘をしても意味はない。元々、ザムザの目的は戦いではなく捕虜の獲得だ。

 超魔生物はなんといってもまだ未完成の研究であり、改良の余地はまだまだある。

 また、ザボエラは自分の研究に固執するタイプではない。
 物語後半で大胆な研究方針変更をしているザボエラは、研究そのものよりも研究成果によって得られるものを重視する。研究途中で、致命的な欠点が発覚したのならば方針変更するのは、苦にならないだろう。

 だが、ザムザにとっては軽々しく方針変更はできない。
 すでに自分自身の身体を改造したザムザは、超魔生物の強さや有効性をどうしても立証したいと考えている。

 彼にとっては、超魔生物が認められることと、自分が父親に認められることは同義なのだ。
 諦められるはずがない。

 マァムの閃華裂光拳を織り交ぜた攻撃に、ザムザはほぼ一方的にやられているが、それでも逃げようともせずに勝ちに拘っている。

 この時、ザムザはマァムの閃華裂光拳の本質にいち早く気がついている。
 拳からは光と共に閃華裂光拳を放てるが、蹴りやエルボーは通常攻撃のままだと判断したのだから、彼の観察力や判断力は確かだ。そして、口から特殊な皮膜粘膜を吐き出し、マァムの拳を封じている。

 この粘膜はどうやら魔法を遮る効果があるらしく、手についている間は魔法を放てないようだ。しかも、ガムのようにベタベタと手にまとわりつき、容易に外せない。

 マァムから最大の攻撃手段を奪ったザムザは、執拗なまでに彼女を狙う。
 ダイが腹から出て自由の身になったことも知っているはずだし、ポップやチウがまだ生存していることも知っているはずなのに、ザムザは彼等には全く注意を払っていない。

 超魔生物に拘るザムザにとって、超魔生物を非難したマァムこそが敵だ。自分を貶した敵が、無様に足掻く姿を見てザムザはさぞ溜飲を下げたことだろう。劣勢ながらも足掻くマァムを見て、ザムザはその努力を嘲笑い、ゴミクズ同然のくせにと見下している。

 だが、この何気ない言葉がザムザにとっては盛大なブーメランになった。
 実験動物をゴミ扱いするザムザに憤り、生命の大切さえを必死に訴えるマァムは、ほぼオウム返しに悪口を言い返している。

マァム『それが分からないとしたら……あんたこそ、本当のゴミよっ!!』

 マァム自身は意識していなかっただろうこの一言は、ものの見事にザムザのコンプレックスを貫いた。

 実の父親に知識不足や実力不足を常に突きつけられ、役に立たなければゴミだと言われ続けたザムザにとって、ゴミという言葉ほど堪えるものはない。

 だいたいのところ、人は自分が言われたくない言葉こそを悪口として他人に放つものだ。それをまともに跳ね返され、自分が傷ついても自業自得と言うものだが、激昂したザムザはそう考えない。

 自分はゴミじゃないと激しく主張し、今なら六団長も務まるとマァムに対して言いつのっているが、本来、彼がそう主張したい相手は彼女ではあるまい。

 父親であるザボエラに言いたいのに言えない本音を、ザムザはマァムに八つ当たり的にぶつけ、攻撃している。戦闘そっちのけで感情に振り回されているザムザは、ダイやポップ達の行動に気を配るどころではなかった。
 そして、それこそが彼の敗因になるのである。

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