57 ヒュンケルVSミストバーン戦(3)

 

 鬼岩城の上部から落とされたヒュンケルは、どう贔屓目に見ても助かる状況ではなかった。むしろ確実に死ぬ高さである。

 しかし、ここで奇跡的な活躍を見せるのがマァムだ。仲間達を先んじて一人駆け出したマァムは、ものの見事に落下してきたヒュンケルを受け止めている。

 鬼岩城は全高145メートル。ヒュンケルが落とされた場所は頭頂部ではないとは言え、まず100メートル以下ということは有り得ないだろう。
 この高さを落下するのに、どれぐらいの時間がかかるのか……少し気になったので、調べて見た。

 ミストバーンはヒュンケルを投げ捨てるのではなく、そのまま自然に落としている。つまり、ヒュンケルに対してかかる加速度は単なる重力加速度のみで考えていいと言うことだ。

 計算しやすく高さを100メートル、地球の重力と同じ加速度がかかると仮定して計算した場合、落下時間は4.5秒、落下速度は時速159キロとの結果が出た(この計算は自由落下の自動計算式を提供して下さっているサイト様のソフトをお借りして出した数値である)

 この4.5秒ってのは、かなり早い。落下するスピードも、大リーガー級のプロ野球選手の投球並みの速度だ。しかも普通の野球ならば投げ始めの初速の方が早く、キャッチャーミット直前の終速の方が落ちるのに対し、上から降ってくるヒュンケルは加速度がついて終速の方が早くなっているはずだ。

 一般人なら、この速度で落ちてくる物体を目で追うことすらまず無理だ。あっと思ったら、すでに地べたに落下している速度である。ましてや反応するのは、もっと難しい。
 プロのスポーツ選手でさえ、この速度の投球を打つのは容易ではない。

 この場にいた勇者一行の中で、早さを身上とした武闘家のマァムのみが反応し、追いついたのも頷ける話だ。失礼ではあるが、老齢のバダックにそれだけの目の良さと反射神経があるとは思えないし、アキームもそこまで優れた戦士とは言えそうもない。チウは論外だ。クロコダインはパワータイプの戦士なだけに、素早さの数値は低めだ。

 たとえヒュンケルの落下を目で追えたとしても、自重の重いクロコダインではこのタイミングで飛び出しても間に合わなかったに違いない。
 同じ理由で、ポップも脱落する。

 能力的には空を飛べるポップが助ける方が合理的ではあるのだが、魔法は使えても魔法使いの肉体能力は一般人と同じだ。やはり、ここはマァムしか適任者がいなかった。

 衝撃度の計算はちょっと難しかったので試さなかったが(笑)、鎧を身につけたヒュンケルの体重や硬度を考えれば、同速度のバイクが突っ込んできたと思っても、差し支えはないだろう。

 事実、ヒュンケルを受け止めたことでマァムは両腕にひどいダメージを負っている様子だ。それどころか、重みを支えた身体全体――特に腰に強いダメージを受けた可能性も高い。
 だが、それでもマァムがヒュンケル救出を成し遂げたのには、俗に言う火事場の馬鹿力が発揮されたからに違いない。

 人間は普段は理性や防衛本能から力を抑えているが、緊急時に限ってそのセーブが解除される場合がある。

 火事の際、非力そうな老婆が一人でタンスを持ちだしただの、幼児が車にひかれそうになったのを見て母親がその車を引っ繰り返してしまっただの、信じがたいような実例はいくらでもある。

 緊急時に人間の限界を超える鍵となるのは、防衛本能、もしくは本人が最も強く意識している存在だ。

 前述の老婆の場合は、タンスを財産と考え固執したからこそ手放したくないと考えたのだろうし、母親の場合は言うまでもなく子供への強い愛情が同期に違いない。

 マァムの場合も、この母親の心境に近い。
 ヒュンケルを助けたい一心で、自分の身の危険や失敗した時のリスクも考えず飛び出したからこそ、彼を助けるのに間に合った。

 その感情が、我が子を守ろうとする母性愛じみた慈愛の心から生まれたのか、それともヒュンケルへ対する愛情から発生したものかは定かではないが、この時点でマァムがヒュンケルのために無償の愛情を注いだことは事実だ。

 このマァムの助けに、ヒュンケルはひどく驚いている。自分が助かったことに気づいたヒュンケルは、マァムへの感謝や命が助かったことへの安堵よりも先に、彼女の行動に驚き、非難じみた声を上げている。

『バ、バカな……っ!! な、なんて無茶を……!!』

 この言葉に、ヒュンケルの自己肯定の低さが見て取れる。
 こと、戦いにおいては自信過剰な程に自分を高く評価しているヒュンケルだが、それとは裏腹に彼は素の自分に対する評価が低い。

 パプニカでレオナの裁きを自分から求めた時もそうだったが、ヒュンケルは自分の命に価値を置いていない。だからこそ、それを助けるためにマァムが傷ついたのが割に合わないと考えている。

 この戦い至上主義の思考は、ヒュンケルが独力で身につけた考えとは言い切れない。
 子供が成長と共に自己形成を行う際、どんな形であれ必ず親兄弟の影響を大きく受けるものだ。ヒュンケルもまた、自己形成の際、育ての親達の影響を大きく受けたことは疑いようもない。

 ヒュンケルが親と認識するバルトス。
 最初の師だったアバン。
 そして、二番目の師だったミストバーン――彼が、最大の曲者だ。

 いつの間にかヒュンケルやマァムの背後に現れたミストバーンは、皮肉なことにヒュンケルの言葉をそのまま肯定する。

 ヒュンケルのような役立たずを助けるのは、無茶ではなく無益だと……これは言い方こそ違うが、戦力にならない自分に価値はないと見なすヒュンケルの言い分と基本的には同じだ。

 ヒュンケル自身は意識していないだろうが、ミストバーンとヒュンケルの間では、ヒュンケルに対する価値観が同一化している。これが偶然そうなったとは思いにくい。

 ここはやはり、育てる立場にあった師が少しずつヒュンケルの意識に分の価値観を植え付けたと見ていいだろう。
 言ってしまえば、これは一種の洗脳だ。

 ヒュンケルやマァムの背後という、絶対的に有利な位置を先取したにもかかわらず、ミストバーンは攻撃をしようとはしてしない。これは、ヒュンケルの命を奪うのが主目的ではないと言う意思の現れだ。

 無造作にヒュンケルを捨てたはずのミストバーンは、絶対に彼を殺したいと思う程にはその生死に固執していない。しかし、自分の与えた洗脳が確かに機能しているかどうか調べようと思える程度には、ヒュンケルの存在に固執している。

 ヒュンケルも拘りを持つ点と、興味を持たないことに対する淡泊さの極端さが目立つキャラだが、実はミストバーンもその特徴を持っている。
 さすがは闇の?がりとは言え師弟と言うべきか、彼等の間にも好みと相反しながらも強い絆が存在しているように思える。

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