61 ヒュンケルVSミストバーン戦(6) |
面白いことに彼が手を離した時には、顔から漏れていた暗黒闘気が停止したのみならず、確かに切れていたはずの長衣の傷までなくなっていた。ミストバーンの着ている服が普通の服ではなく、彼の肉体も普通の物ではないと悟ることのできるシーンだ。 そして、ミストバーンが冷静さを取り戻したのと同じタイミングで、シャドーが戻ってきて王達の居場所を告げている。 ミストバーンはこのシャドーに対して「我が分身シャドー」と呼びかけているが、彼らは別に一心同体というわけではなさそうだ。ハドラーとその分身体であるフレイザードのように、主従関係を持ちながらも別個体として行動しているようである。 このシャドーは喋っていることから見て自分の意思はあるようだが、行動は恐ろしいほど優柔不断で、自主性が見受けられない。 まず、シャドーはベンガーナ王の影に潜んでいたのだが、世界の王達が一堂に集まったのは鬼岩城が攻めてくる前のことだ。つまり、王達の居場所を探るのが第一目的だったとしたら、もっと早くにミストバーンに報告すればよかったはずだ。 ベンガーナ王、もしくは他の王の暗殺を企んでいたのかとも思ったが、それもかなり疑問がある。ベンガーナ王は一応は武器を帯びていたとはいえ、アキーム将軍が出陣した後は護衛もいない状態だった。 だが、シャドーが動いたのはメルルに発見され、攻撃されてからのことだ。 その上、ミストバーンへの報告もまた、ひどいものだ。 その後も、鬼岩城を操って王達を殺すようにとミストバーンに命じられてから、その通りに動いている。 しかし、シャドーはミストバーンと同じように瞬間移動の能力も持ち、鬼岩城の動かし方も心得ていたのだから、もっと早く行動していても良さそうなものである。 ミストバーンがヒュンケルと戦い始めた段階で、すでに鬼岩城が動きを止めていたのは見えていたはずだ。ならば、その段階でミストバーンに何かがあったと察して、代理として動くのが有能な部下という気もするが、このシャドーにはそんな気の利かし方は一切しない。 判断力がとことん乏しいのか、あるいはミストバーンの命令で自己判断を封じられているのかは定かではないが、いずれにせよフレイザードなどと違って野心や個性の感じられない敵ではある。 それとは逆に、ミストバーンの自分勝手さは相当なものだ。 ミストバーンはこの時点ですでに勇者一行全員に対して闘魔滅砕陣を仕掛けているのにもかかわらず、ヒュンケルに対してさらに闘魔傀儡掌を上掛けしている。 ここで面白いのが、ヒュンケルの反論だ。 『なぜ、オレにだけそこまでこだわる……? ミストバーンがヒュンケルを特別視していることは事実ではあるが、よくもまあ、ここまで高く自己評価をできるものである。 ヒュンケルは己の過去を悔いているせいで、自分という存在を軽んじている。だが、彼が軽んじているのはあくまで自分の人間性であり、自分の実力に対しては評価が高い。 それも、ある意味では無理もない話だ。 ならば、捨てた存在……自分の人間性などをマイナスと捉える分、それを対価に得た戦闘力がプラスになっていなければ気が済まないのだろう。 ミストバーンが空の技を重視しているのであれば、まだ完全に空の技を会得しきっていないヒュンケルよりも、すでにアバンストラッシュを使いこなしているダイの存在を許すはずがないのだが、そこはスルーして自分が特別だと考える思考が先に出てしまう。 この思考は、自我と自惚れが強く目覚める思春期に発生しがちな考え方だ。 実際には男子の方を見ているのではなく、単にそちらに彼女の興味を引くものがある可能性もあるだろうが、人間とは得てして真実以上に信じたいと思うことを優先してしまうものである。 ヒュンケルもまた、ミストバーンが自分を簡単に殺そうとした事実よりも、ミストバーンがヒュンケルに拘って行動している理由を優先して探してしまっている。 自分がミストバーンに歯牙にもかけられない存在ではなく、ミストバーンが自分に注目し、だからこそ殺そうとしていると考えることで自己を保ちたいのかもしれない。 それが強く感じられるのが、ヒュンケルの後半の台詞だ。 ヒュンケルはミストバーンの素顔には秘密があると、前々から考えていたのは間違いないだろうが、それはまだ推論にすぎないのだろう。『気づきそう』と未来形で語っているぐらいだ、確信を持って断言できていないのは目に見えている。 そんなあやふやな仮定であっても、ミストバーンとの交渉次第では何らかの取引材料になったかもしれない。 ヒュンケルは自分だけが知っているミストバーンの情報を、自分という価値を相手に認めさせるために使った。言葉回しは理性的なように見えても、これでは感情のままに口喧嘩しているのと大差はない。 ヒュンケルのこの言葉はミストバーンの怒りを煽り、攻撃を強めただけに過ぎない。 |