82 敗戦処理(2) |
パプニカに戻ったポップとクロコダインは、レオナや負傷兵も含めた勇者一行らの前で、ダイのことを報告している。 ここで注目したいのが、クロコダインの立ち位置がポップ側ではなく、聴衆側にあることだ。救援に出かけたクロコダインならば、ポップと同じ立場で報告を行ってもよいように思えるのだが、彼は第三者的立場に留まっている。 それが、ポップの意志か、クロコダインの意志かは分からないが、個人的には前者のように思える。 ダイが行方不明になったことに責任を感じるからこそ、ポップが自分自身で事態を飾らずにありのままに話し、その結果、正義感が突出して強いチウが怒りまくるという結果に結びついたのではないだろうか。 激昂するチウに殴られても、ポップは抵抗するそぶりすら見せない。そうされて当然だとばかりに、身を庇いもせず立ち尽くしているのだ。 この時のポップが、罰を求めているからだ。 本来のポップならば、もっと余裕のある報告ができたはずだ。 根拠などなくても、ダイがまだ生きていると話し、彼を捜索するための手段への相談と繋げるのが最善だったはずだ。 だが、この時のポップは、戦いやこの先のことよりも、自分の失敗が招いた災厄を身に染みて味わっている。 チウに責められても言い返すどころか、抗弁すらせず、謝罪しかしないポップは、未来を見てはいない。自分のしでかした失敗に、すっかり打ちのめされてしまっているのだ。 心に傷を負った時や、強い罪悪感を抱く時、人間は時として他人から与えられる罰に心が慰めを見いだす時がある。 他者から責められることに救いを感じるとは不思議なものだが、自分で自分を責めることほど、辛い罰はない。また、己の過ちや未熟さを認め、自分が本当に正しかったのかどうか、自分に問い続けるのも辛い作業だ。 そのため、心が弱った人間は自分の弱さと向き合うことが出来ず、結論のみを求めるようになる。 この時のポップの結論は、『自分が悪い』だった。 一度、その思考ルーチンに陥った人間は、なかなかそこから抜け出せなくなることが多い。 現状が不幸なのは分かりきっているのに、その原因を探して悩むよりも、思考を放棄して『自分が悪いからこうなったのだ』と思い込んでしまう。 この時のポップも、そうだ。 無茶な行動の代償として、ポップは敵陣営についての情報を得たし、自身はちゃんと生還してきたのだから。 しかし、この時、この場にいるメンバーの中でそれを重視している者はいない。この中で最も発言権の強いレオナも、俯いて沈黙するのが精一杯だ。 ポップに最も近い仲間であるはずのマァムでさえ、ポップを責めるチウにこう言っているのだ。 マァム「やっ、やめなさい、チウ!! やりすぎよっ!!」 ごく素直に聞くのなら、暴力がすぎると止めているだけの台詞だ。だが、穿って聞くのであれば、マァムは「やりすぎ」だと止めてはいるが、チウに「やってはいけない」とも、「やめて欲しい」とも言っていない。 つまり、暴力を否定はしていても、ポップへ対する非難自体を間違っているとは言っていないのだ。事実、マァムはポップを一方的に庇ってはいない。 まあ、過去を持つヒュンケルの件と、ポップが勝手に飛び出した件では、同じに扱えるわけはないし、誰に味方をするかはマァム自身の自由だ。 むしろ、付き合いの長さとは無関係に、ポップとチウ、両方を同じ仲間と捉えて公平に扱っていると言える。彼女はどこまでも公平な少女だ。 クロコダインも、この場ではポップに何も口出ししていない。それは、彼を庇うべき対象として見ていないからこそだ。ポップを一人前の男と認めているからこそ、泣いている時は肩を貸しても、その後は自分のことは自分で出来るだろうと見なし、見守っているスタンスを取っている。 この見守るスタイルは、他のメンバーにしても同じだ。 だが、それでもそれをポップの非難としてぶつけないのは、レオナやマァム達の理性と、ポップへの評価を証明している。兵士達でさえ、ポップを責める者は誰もいないのはたいしてものだ。 しかし、無言となって現れる評価は、本人には伝わりにくい。この場合は、むしろ責めずに口をつぐんでいるのはレオナ達の思いやりなのだが、それは多分、ポップには伝わっていない。 唯一、口や行動に出しているチウの意見こそが、まるでこの場の総意のようにさえ思えてしまったはずだ。
|