90 魔王軍の情勢(17)

 今度は、魔王軍の方に視点を移そう。
 ポップがクロコダインと合流した頃――ハドラーが水面に出現している。泳いで浮かんできたのではなく、明らかに魔力的な力により、直立した姿勢のまままるで見えないエレベーターで移動したかのように、垂直に海上に浮かび上がっている。

 その姿には、何の傷も見当たらない。ダイの攻撃を食らった直後は全身が黒焦げになっていたのに、それさえも完治している。驚くべき回復能力だ。

 しかし、それを見たミストバーンは全く驚いた素振りも見せていない。もっとも、彼はハドラーを探しさえしなかったのだが。

 ポップが積極的にダイを探そうとしたのとは対照的に、ミストバーンはわざわざハドラーを探そうとは思いもしなかったようだ。生還したハドラーに対して投げかけた言葉も『…………やったか?』との一言だけ。

 ハドラーの無事以上に、ダイの生死を問うているのである。
 まあ、これはミストバーンの立場を考えれば頷ける話だ。ミストバーンにとって、ハドラーは主君の手駒の一つであり、ダイは主君の敵なのだから。

 しかもハドラーは度重なる失態により、バーンから粛正される寸前の状態だった。
 この時点でのハドラーは、魔王軍にとって決して失えない手駒ではないのである。

 ほんの少し前のハドラーなら、それを承知しているからこそ、ここで自分の手柄を喧伝し、保身を図ったことだろう。

 だが、ハドラーは明らかに変わった。
 浮上した際も目の前にいるミストバーンよりも、後方に見える風景――おそらくは死の大地に注視している。静まりかえったそこにはすでに誰の気配も感じられないが、ハドラーはまるでそこにダイがいるかのように気にしているのが興味深い。

 ミストバーンに問われて、ハドラーはダイを倒せなかったことを正直に暴露している。

 しかし、そこにはかつてのような悔しさや僻みの感情は微塵も感じられない。以前のハドラーは己の敗北を容易には認められず、感情的に喚き散らす傾向があったが、超魔ハドラーは己の敗北を認め、敵の強さを正確に見極めている。

 ダイが土壇場で攻撃に転じ、己の最大必殺技でハドラーの必殺技を相殺したセンスを称賛すらしている。さらにはダイのその技に、父であるバランの面影を見いだし、親子のつながりを感じ取っているのだ。

 超魔生物化して以来、肉体や精神力の強化が際立つハドラーだが、思考力が格段に上昇していることにも注目したい。

 単に相手の強さを分析するだけにとどまらず、相手の心情にまで思いを巡らせている――これは、以前よりも一段深い段階の洞察力を得たと言うことだ。外からは目立ちにくい長所だが、洞察力は戦いの場に置いて強力な武器となるものだ。

 敵の思考を読めると言うことは、敵がどのように動くか正確に予想できるということだ。そして、敵の動きが分かるのなら、それに対応して動くことが可能になる。
 これは、戦いの場に置いては大きなアドバンデージになる。

 これまで傲慢なまでに己の強さを誇り、力押ししてきた魔王が、細心さを身につけたのだ。
 そして、その上でハドラーはダイの生存を祈っている。

『死ぬなよ、ダイ! この程度で死なれては、この身を魔獣に変えた甲斐がないぞ!!』

 ハドラーにしてみれば、この時のダイとの決着は不本意だったのだろう。
 確かに、ダイは全力で戦った。だが、彼が万全の体調でなかったことに、ハドラーは気づいている。

 さすがに鬼岩城のことまで知っていたとは思えないが、竜闘気を途中から使えなくなった点や、キルバーンやミストバーンと相対していたことから見て、前になんらかの戦いがあったと察していたに違いない。

 それでも手を抜かずに戦うことが、強敵と認めたアバンの使徒への礼儀だと言わんばかりに全力で戦ったハドラーだが、このような形での決着は望んでいなかったのだろう。

 相打ちだったとは言え、結果的に無傷で生き延びた自分の勝利だと考えることも出来たはずなのに、ハドラーには微塵もそんな考えはなかった。さらに言うのなら、決闘を邪魔したはずのポップへの不満も口にしていない。

 以前のハドラーならば、自分の邪魔をした者に対しては理不尽とも言える怒りをぶつけるのが常だったが、もはやそんな些事に目くじらを立てることもない。

 ハドラーが求めている物は、自分で納得できる形での勝利――ただ、それだけなのだとよく分かるシーンである。
 

 

 

91に進む
 ☆89に戻る
九章目次4に戻る
解析目次に戻る

inserted by FC2 system