『バンダナをしまう日 ー前編ー』
  
 

「おーい、親父ー、いるかぁ?」

 それは、とある日の夕方のことだった。
 ランカークス村という辺鄙な田舎でたった一軒っきりの武器屋に、思わぬ珍客が舞い込んできたのは。

 ろくに客も来ない武器屋なだけに、この店の閉店は極めて早い。だいたい武器屋とは言え、こんな田舎の武器屋では武器を求める客などほとんど来ない。せいぜい稀に訪れる旅人が武器を買う程度で、武器を扱うよりも、村人に頼まれて農耕具の修繕をすることの方が多いぐらいだ。

 村人にせよ、旅人にせよ、この武器屋にやってくる客はほぼ日のある時間帯に限られている。

 そのため夕方になれば、もう客など来ないだろうと見切りをつけて早々と店じまいをするのが十年来の習慣だった。その声が聞こえてきたのも、ちょうどそろそろ店を閉めようかと考え始めた頃だった。

 まるで、そのタイミングを見計らったかのように店先から聞こえてきたその声に、店主のジャンクは一瞬緩みかけた頬を引き締めて意図的にしかめっ面を作った。

「いるに決まっているだろうが、馬鹿息子が! ったく、てめえときたら今度はどこをふらついてきやがったんだ?」

 店の入り口から、顔だけひょっこりと覗かせているのは紛れもなくポップだった。いつもと同じ様に黄色いバンダナを揺らしつつ、愛想笑いらしきものを浮かべている。

 そんな息子をいかにも不機嫌そうな体で怒鳴りながらも、ジャンクは心の奥ではホッとしていた。

 親にとって、何歳になっても子供は子供だ。
 もうとっくに成人して一人前の男になったとは言え、やはり子供を心配しない親はいない。

 世間では大魔道士と呼ばれ、勇者一行の魔法使いとして高い実力を誇り各国の王からの信頼も厚いポップだが、親であるジャンクの目から見ればまだまだ子供だ。

 無謀にも見知らぬ旅人を追いかけて家出した少年時の印象が、今も抜けきらない。

 各国の王達の手助けをしていると言えば聞こえはいいが、一箇所に居を構えずに世界各国を落ち着きなくうろつき回り、どこかに留まっているよりも旅をしている時間の方が長い息子の日常が気にならないわけがない。

 もっとも心配をしている親心も知らず、瞬間移動呪文を使えるポップはいつだって気ままに世界を飛び回り、実家には時折顔を出す程度だ。13才で家出をして以来、ポップが長く家に留まった試しなどほとんどない。

 それは成人してからでも変わらず、行く先も言わずにフラッと旅に出たかと思えば、数ヶ月も連絡も取れないなんてこともざらだ。

 今回もそのパターンで、半年あまりポップは顔を見せるどころか一度も連絡もよこさなかった。さすがに今回は長すぎるのではないかと、しばらく前からスティーヌがずっと気を揉んでいたし、ジャンクにしても内心は思うところがないでもなかった。

 だがそんな親心も知らず、ポップときたらまるで夕ご飯に少し遅れてしまった程度の気軽さで、ヘラヘラと笑っている。

「あー、それは悪かったけど、オレもここんとこちょっと忙しくってさぁ〜」

「ふん、また自分から面倒ごとに首を突っ込みでもしたんだろ」

 容赦なく、ジャンクはぴしゃっと言い切る。
 親なだけに、息子のお節介な気質と調子ののりやすさは良く知っている。事件に遭遇でもしたら、危険を恐れて遠ざかるどころか自分から積極的に関わってなんとかしようとする無鉄砲さが、ポップにはある。

 それが全面的に悪いとは言わないが、親としては少々心配な点ではある。
 たとえそれが国や世界を救う立派な行動だったとしても、我が子がそのために危険を犯すのを喜ぶ親はいまい。息子の無茶さを良く知っているからこそ、ジャンクは詳しい話を聞こうとまでは思わなかった。

「まあ、それはいい。帰ってきたんなら、いつまでもそんなとこにいないで中に入りやがれ」

 ぶっきらぼうではあったが、それはポップが話したくないことは特に聞かないし、無条件で帰宅を受け入れるという意思表示に他ならない。いつものポップならば、ジャンクがそう言えば気が変わらないうちにさっさと応じる。

 しかし、今日はなぜか入り口付近でもじもじしているばかりで入ってこようとはしなかった。

「あー、それが実は……。あのさー、今日はちょっと大事な話があってさぁ……」

 などと、言いにくそうに言葉を濁すポップのらしくなさに、ジャンクは呆れずにはいられなかった。

(こいつは、何をためらってやがるんだ?)

 もし、これが家出前――もしくは家出中だった子供の頃ならば、何か悪戯をしでかしたのかと思い、まずは一発ぶん殴っておいてから叱りつけるところである。

 まあ、さすがに大人になった今は問答無用でそんな扱いをするつもりはないが、ポップの話次第では話が違ってくる。もしかすると、久々に重労働をする羽目になるかもなと思いながら、ジャンクは再度ポップを促した。

「何の話だか知らねえが、とにかく入ってきな。そんな場所じゃ、話もしにくいだろ」

 ついでに、殴ろうにも手が届かないしな――とは、心の中だけで付け加えた言葉だった。

「あ、ああ……、じゃ、えっと、……ただいま。おい、おまえも入れよ」

 後半は後ろに向かって言うポップに、ジャンクはおやと思う。
 ポップに続いて店に入ってきたのは、見覚えのある相手だった。

 淡い赤毛の、闊達な印象の少女――いや、もう若い娘と言うべきか。髪をアップに結い上げているせいかずいぶんと大人びた印象を与えるが、それはマァムだった。

 普段着のままのポップに対して、マントでかっちりと身を包むというやけに厳重な旅装束姿のマァムは、いつになく硬い表情をしている。

「お、お邪魔します」

 初対面でも無いのにやけに緊張した素振りを見て、ピンとくるものがあった。

(ははぁ、これはもしかして……)

 子供だ子供だと思っていたポップも、もう19才になる。そして、ジャンクの記憶に間違いが無ければ、マァムはその一つ上の20才だ。その年齢の男女が、改まった態度で親に揃って挨拶に来るともなれば、用件はすぐに察せるというものだ。

 二人が2年ほど前から恋仲になったとの話は、スティーヌを通して聞いている。

 正直、それがジャンクには少しばかり面白くなかったのだが。これが母子ならばまだ話は分かる、仲の良い母子が父親に内緒で恋愛や結婚の相談をこっそりとしているという図は、父として少々寂しさは感じるものの納得できる話だ。

 こっそり打ち明けるのならば、ジャンクも若い頃は母親似の娘の誕生を望まないでもなかった。世の大半の父親がそうであるように、ジャンクも自分の娘という存在に無闇な憧れやらドリームを抱いている一人だったのだから。

 が、娘ならばともかく息子がそうしていると言うのは、今一歩納得できないものがある。いくらポップがどちらかと言えば母親似で、しかも男のくせにひょろひょろしているからと言って、彼はれっきとした息子だ。

 そこは男同士、酒でも酌み交わしながら腹を割って父親に打ち明けるべきではないかとちょっとばかり不機嫌になったりもしたが、まあ、それはもういい。

 とにかく肝心なことは、ポップとマァムが遊びなどではなく、結婚を前提にして付き合っているという事実だ。

 年の割に童顔で、なおかつ実際に年下のポップが少々頼りなく見える気はするが、交際期間から言ってもそろそろ結婚を考えてもおかしくない年齢と言えるだろう。

 そんな年齢の若い恋人達が、緊張した面持ちで親の家に来ると言うことは、結婚話を進める気になったのかとジャンクは一瞬、感慨深く思う。

(ガキだ、ガキだと思っていたが、もうそんな年になったのか)

 そう思いながら、ジャンクは目立たない程度に姿勢を正す。
 ジャンクには、昔から心に決めていたことがあった。

 それこそポップが小さな頃から……いや、産まれる前から思っていたことだ。もし自分に子ができて、いつか結婚したいと言ってきたのなら、頭ごなしに反対せずに話を聞いてやろう、と。

 昔、親に頭ごなしに結婚に反対され、スティーヌと共に駆け落ち同然に国を捨てた過去を持つジャンクは、我が子に対して同じ轍を踏む気はない。
 もちろんどんな相手でも無条件で賛成するとは言えないが、それでもできる限り寛大に話を聞いてから、理性的に対応しよう――それは、ジャンクがずっと前に決めていたことだった。

 ポップがどんな話をしても、また、それが無茶な話だとしても、落ち着いて話を聞いてやろう……そう思っていたジャンクだったが、その決意は瞬き数度と持たなかった。

 マァムが完全に店に入ってきた途端、ジャンクの口がかくんと大きく開かれる。

「あーあー?」

 今度聞こえてきたのは、やけに可愛らしい声だった。
 マァムの胸元にしっかりと抱きしめられた赤ん坊が、少しもじっとすることなく周囲を忙しく見回そうとして藻掻いている。

「いい子にしててね、あっ、そんなに仰け反っちゃ危ないわ」

 身体が柔らかく、ぐにゃぐにゃと収まりなく動き続ける赤ん坊を抑えるのは難しいのか、マァムはかなり苦労している様子だった。ジャンクに挨拶するどころではなくなったマァムにではなく、彼女のすぐ側でオロオロしているだけのポップに向かって、ジャンクは低い声で尋ねた。

「おい……、その子はもしかしておまえらの子か?」

「ああ、そうだよ」

 頷くポップの言葉を聞くまでもなく、分かっていたことだった。
 ひっきりなしに動いている赤ん坊の髪の色は、黒々としているのだから。一瞬目を閉じ、ジャンクはちょいちょいとポップに手招きする。

「ん? なんだよ、親父」

 そう言って自分に近寄ってきた息子を、ジャンクは渾身の力を込めてぶん殴った――!!

「ポッ、ポップ!?」

 焦ったような叫びを上げたのはマァムの目の前で、ポップは見事に壁に叩きつけられる。
 が、彼は間を置かずにすぐに立ち上がった。

「いってぇえええっ!? なんだよ、なんだっていきなり殴るんだよっ!?」

 文句を言うために再び自分にノコノコ近づいてきた馬鹿息子を、ジャンクは太い腕でがっしりと捕まえた。

「これが殴らずにいられるかっ!! こんのバカ息子がぁ……っ、嫁入り前の娘さんになんてことしやがったんだっ!? オレはてめえを、よそ様の娘さんを孕ませるような無責任野郎に育てた覚えはねぇぞっ!」

「ちょっ、ちょっと待てッ、親父っ!? いや、待ってくれよ、これには訳がっ!」

 襟首を締め上げるように持ち上げられ、ポップが焦ったように弁解を始めるが、もちろんそんな言葉など聞くつもりはない。
 長年、思っていた子供の結婚への理解や決意もぶっ飛ばす怒りのまま、ジャンクは力任せに息子を揺さぶった。

「やかましいっ!! どんな理由があったからって、許せることと許せねえことがあるだろうがっ。
 しかもてめえ、産まれる前に話を通しに来るってんならまだしも、もうガキができているだとっ!? 男のくせに責任を取る気もねえのか、てめえはっ」

「いや、あるって!! ある、ある、ありまくりだっつーのっ。ただ、これにはちょっとした事情があって……っ」

「その言い方のどこに誠意があるっつーんだっ!! 事情って、てめえ……まさかとは思うが、マァムさんを無理矢理手籠めにしたとか言うんじゃないだろうな……っ?」

 考えられる中で最悪の事情を思わず口にしてしまったジャンクだが、思わぬ所から反論が上がった。

「違います、おじさんっ!! ポップは無理矢理なんて、そんなことしてませんっ! むしろ、私が押し倒したんですからっ!!」

「「へ?」」

 意表を突かれて、思わずそっちを向いたポップとジャンクの間抜けな顔は、面白いぐらいにそっくりだった。
 さすがは親子と言うべきか。

「あ……っ」

 ポップを庇おうと夢中で叫んだものの、今になってから恥ずかしさがこみ上げたのかマァムの顔が真っ赤に染まる。それに負けるとも劣らないぐらい、ポップの顔も赤くなっていた。

 予想外の爆弾発言に毒気を抜かれて動きを止めた親子に対して、穏やかな声がおっとりとかけられる。

「ふふっ、その話は面白そうね、後でゆっくりと聞きたいわ」

 そう話しかけてきたのは、スティーヌだった。
 ポップによく似た面差しながらずっと穏やかな印象を持つ彼女は、料理の途中だったのかエプロンで手を拭いながら店の中に入ってくる。

「でも、今はまず先に中に入った方がいいんじゃないのかしら。そろそろ夕ご飯の時間だしね。
 いつまでもこんな所にいたんじゃ、赤ちゃんが可哀想よ」
 
 未だにつかみ合っているポップとジャンクを素通りして、スティーヌはマァムの背に手を当てて優しく促す。

「さ、遠慮なんかしないで中に入ってちょうだい。あなた達の子ってことは、私達の孫よね。嬉しいわ、よく顔を見せて」

 そう声をかけながら赤ん坊の顔を覗きこんだスティーヌの顔に、軽い驚きが浮かぶ。
 妻につられて同じくそちらを見たジャンクもまた、小さく息を飲んだ。

 普通なら赤ん坊の顔というのは、あまり個性がはっきりしない。ぶっちゃけて言ってしまうのなら、生まれたての赤ん坊はほとんどが猿に似ている程度の物だ。

 まだ面差しがはっきりと定まっていない赤ん坊の顔を見て、血縁者の面影を見いだして似ていると思うのは、身内の人間の贔屓目である場合がほとんどだ。

 だが、今、目の前にいる赤ん坊は明らかにそうではなかった。
 髪の色合いと、奔放な癖ッ毛のせいでてっきり父親似かと思った赤ん坊だったが、間近で顔をまじまじと見て、初めて気がついた。

 まだほんの乳飲み子なのに、その子の顔は今でも忘れられない少年の顔にひどく似通っている。

 かつて、たった12才で世界を救った小さな勇者。未だに地上に戻ってこない竜の子に驚く程よく似た赤ん坊に、ジャンクもスティーヌも驚きが先に立ってすぐには言葉がでなかった。
 と、それに気がついたのか、ポップが苦笑交じりに言う。

「やっぱ、あいつに似てると思う?
 こいつはさ、オレ達の息子でダイって言うんだ」

 そう言いながら、ポップは軽く赤ん坊の頭を叩くように撫でる。無造作な扱いだが、赤ん坊はそうされるのが嬉しいとばかりに無邪気にきゃっきゃとはしゃいでいた。

 若夫婦が小さな赤ん坊を慈しむその光景は見るからに微笑ましく、平和な光景だったが、ジャンクも、そしてスティーヌも見逃さなかった。
 ポップが『あいつ』と言った時に一瞬だけ浮かべた、寂しそうな表情を。

 世界が平和になってからずいぶん経つのに、未だに戻ってこない勇者をポップが探し続けているのを、ジャンクもスティーヌも承知している。すでに世間の人々は勇者のことなど忘れかけているというのに、ポップだけはまだ勇者の捜索を諦めてはいない。

 ポップが未だに旅を続けているのは、いなくなった親友を求めているからだと、ジャンクもスティーヌも嫌と言う程知り抜いている。もちろん、それはポップのすぐ側に寄りそうマァムも知っているはずだった。

 だが、彼女は何の不満もないかのように、幸せそうな表情で赤ん坊を抱いている。
 だからこそ、ジャンクはなぜその名を名付けたかとは聞かなかった。

「ふん……いい名前じゃねえか。強くなりそうだな、おまえとは違ってよ」

「あー、なんだよ、その言い草はよ!」

 憎まれ口を叩くジャンクに、ポップが噛みついたりするものだから、再び親子喧嘩が勃発しそうな気配が漂うが、そのやりとりのおかげで雰囲気がぐっと明るくなったのは確かだった。

 それを見て取ってから、スティーヌは争う旦那と息子など放って置いてマァムを優しく促す。

「さ、マァムさんは気にせずに中へどうぞ。二人ならお店の片付けをしてくれるから、放って置いていいわよ。
 いつまでも赤ちゃんを抱っこしていると、疲れるでしょう?」

 優しい気遣いに、マァムはどこか安堵した表情を見せる。いかに並の女性離れした体力を誇る彼女でも、子育てでは勝手が違う。使う体力が違うというか、疲れるものなのである。

「あ……はい、お邪魔します」

 軽く頭を下げて挨拶しようとするマァムを、スティーヌは微笑みながら制止した。

「いいえ、それは違うわ。あなたは私達の息子のお嫁さんになってくれたのだもの。
 だから……お帰りなさい、マァムさん」
                                                                               《続く》 

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