『バンダナをしまう日 ー後編ー』
  

「ふぅん。それでてめえは、よそ様の大事な娘さんを孕ましておきながら、うちにも連絡を入れず、あまつさえマァムさんの実家にも連絡もせず、しかも身重なマァムさんをアバン様に預けっぱなしで半年近くもどこぞをうろついていたっていたわけか」

 と、皮肉たっぷりに言ってのけたジャンクの目は、到底息子に向けるそれではない。控えめに言っても、差し違えてでも相手を殺してやると言わんばかりの殺気に満ちあふれたものだった。
 ただでさえ苦手としている父親から、真っ向からの非難の眼差しを浴びせられたポップは、今にも逃げ出しそうな情けない表情をしている。久しぶりに実家の居間に家族で顔を合わせたというのに、くつろぐどころか針のむしろにでも座らされているかのようなように落ち着きがない。

 むしろ、今日、ここに初めて来たダイや、姑と一緒にダイのおむつを替えるのに夢中になっているマァムの方が遙かにくつろいでいる。助けを求めるようにポップが視線をそちらに向けても、妻も母親も赤ん坊の世話に夢中でそんな密かな救援要請などにはまるで気づいた様子もない。

「い、いや、その、それにゃあ訳があって……」

 仕方が無く自力で言い訳しようとしたポップだったが、ジャンクの腹の虫はまだまだ収まっていなかった。

「しかも、だ! やっとマァムさんの出産に立ち会ったかと思ったら、その直後にまた気楽な一人旅に飛び出してまたまた半年近くうろつき回っていたとは、いいご身分だな、ええっ!?」

「そ、そりゃ、一言で言っちまえばそうだけどよ〜」 

 そう反論する声がどうしても尻つぼみになるのは、それが事実だと自分でもよく分かっているせいだ。
 枝葉末節を取り除いてしまえば、ジャンクが今言ったことは確かに事実だ。

「ああっ、なんだぁっ!? てめえが妻と子供をほったらかして、合計で一年近くもフラフラしてたのは事実だろうがっ。
 さっき訳があるとか抜かしてやがったが、納得できる理由がちゃんとあるってんなら言ってみやがれ!!」

 真正面からそう言われ、ポップは思わずグッと詰まる。
 理由は、あった。
 ちゃんと説明できるものなら説明したい、立派な理由が。
 だが、とてもそれは言えるような事情ではない。

 マァムの妊娠が発覚した時は、すでに三ヶ月を過ぎていた。言い訳に聞こえるかも知れないが、マァムからその事実を聞くと同時にポップは彼女を連れてネイル村に行こうと思ったのだ。

 マァムは母一人、子一人の家で育っただけに、母親との繋がりは深い。それだけに結婚の報告もきちんとしたいだろうし、出産には実の母親の手助けが一番だと思った。

 その際、自分の父や母への挨拶は後回しにしてもいいからマァムをネイル村へ連れ帰るつもりだったのだが、それに反対したのはアバンだった。

 ただでさえ妊娠初期にもかかわらず長旅をしたマァムが、さらに動き回るのは感心しないと言いだしたのだ。せめて安定期になるまでカール城に留まるようにと、フローラ共々に強く勧められては断り切れなかった。

 二人にとって、アバンは尊敬してやまない師だ。
 アバンが心からマァムを心配して言ってくれているのはよく分かったし、妊娠の先輩であるフローラの言葉の威力も大きかった。

 カール王国の医療水準は世界でもトップレベルだし、なんだかんだ言って初の妊娠に不安を感じているマァムのために、信頼できる人が側にいてくれるのは心強い。

 そう思ってカールに滞在したのに……まさか、あんな事件が起こるだなんて予想できるはずもなかった。

(まさか、マァムがアバン先生の愛人と思われて隠し子疑惑が巻き起こるだなんてよっ)

 思い返すだけで馬鹿馬鹿しく、しかも腹立たしいが、アバンへの反感を持っていた貴族達は陰湿だった。

 根も葉もない噂を巧妙に操り、ここぞとばかりに反乱分子達を煽って王室への不信感や不満を頻発させた。アバンに言わせれば、今回は少しばかり過激とは言えよくあることだし、数年かけてゆっくりと相手勢力を削るから心配は要らないとのことだった。

 が、ポップにしてみれば我慢できるわけがない。
 その陰謀への対処や反乱分子達を叩くのに、半年近くかかったのである。

 アバンやフローラはなにもポップが直接動かなくてもいいと止めてくれたが、師と弟子で不倫をしているという不名誉な噂だけでも我慢できないのに、庶子を疎んじてマァムのお腹の子を流させようとしている一派がいると聞いて、じっとしてなどいられなかった。

 知略を駆使して策を弄し、魔法力を惜しまずに力尽くで過激派の基地を一つずつ潰し、反対派を徹底して叩いたことに後悔などしていない。どちらかと言えば、もっともっと思い切りやっておきたかったと思うぐらいだ。

 が、そんな事情を親に言うのは憚られる。
 と言うよりも、マァムの耳には絶対に入れたくない。

 正義感の強いマァムにとって、不倫だの隠し子だのという疑惑を持たれていたと知るのは、いい気持ちがするはずがないだろう。アバンとフローラが万全を尽くして情報規制をしてくれたおかげで、マァムは未だにその事実を知らないでいる。

 ならば、彼女にはそのままでいて欲しい。
 それに、それとは別の理由で話したくない訳があった。

 ジャンクとスティーヌを信頼していないわけではないが、マァムの知らないところで彼女を守るために戦っていたことを知られるのは、何となく気恥ずかしい。

 結局ちゃんと説明できずに、うじうじと黙り込んでいるポップに対して、ジャンクが勝ち誇った様に言う。

「はん、どうせまたダイ君の情報が入ったからと言って、後先考えずに飛び出したんだろうが! てめえも一家の主になったんなら、少しは妻や子のことも考えて行動しろや!!」

 ――仰る通りです、とポップとしてはひたすら頭を下げるしかない。
 そちらの方こそ、言い訳のしようもない。
 出産前の半年はマァムとお腹の子のために忙しくなったのだが、出産後に旅に出たのはまさにジャンクの言った通りなのだから

 勇者ダイの情報。
 めったに手に入らない上に、今まで一度も的中した試しがなかったが、それでもポップはその手の情報を聞いて躊躇ったことなど一度も無かった。

 結果から言えば今回の情報も空振りであり、うっかりと妖精界に行ってしまったせいで主観的には半日ほどの滞在がなんと人間界では半年経っちゃっていたという笑えない事態が発生してしまった。

(ラーハルトの野郎、ろくでもない情報をもってきやがって……っ)

 ここにはいない半魔族を心の中でこっそり呪いつつ、ポップは開き直ったというか、半ばふて腐れたような口調で言う。

「だーかーらー、反省してるってば〜。
 悪いと思ったからこそ、こうやって孫の顔を見せに実家に戻ってきたのに、そんなに文句ばっかり言うことねえだろ?」

「これが文句を言わずにいられるかっ!? てめえも本当にいつまで経っても腰の落ち着かねえ野郎だな、ちったぁ。それで、結婚したいだなんてよくもまあ言えたもんだ」

「だからさ、オレも今度ばっかりは反省したんだって。そろそろちゃんと家を持とうと思ってさ」

 まだまだ文句が言い足りなさそうなジャンクだったが、ポップのその言葉を聞いて僅かに眉を寄せる。
 頑固親父の雷が止まったことで、ポップはかえって居心地が悪そうな顔を見せた物の、それでもはっきりと言い切った。

「これから、マァムとダイを連れてネイル村に行こうと思うんだ。詳しいことはレイラさんや長老さんと相談してからになるけど、あの村に家を建てようと思っている」

 その話を聞いて、驚きを見せたのはジャンクではなくスティーヌだった。さっきまでダイしか見てないと思っていたのに、今の話を聞いてこちらにやってくる。

「ポップ、それは本気なの?」

 そう問いかけるスティーヌの声は、不安げだった。
 ランカークス村では――いや、この村だけに限らないだろうが、長男は家を継ぐのが一般的だ。

 結婚した場合、嫁を連れて故郷に戻って家業を継ぐ……それは、一般常識とさえ言えるぐらい当たり前の話だ。ポップの両親にもその思いがあって当然だろう。ポップ自身でさえ、以前は漠然とそんなことを考えていたのだから。

 きちんと後を継ぐと言ったことなどないが、武器屋を継ぐ気は無いと宣言したこともない。親の期待を裏切ったと非難されても、文句は言えない状況だ。
 だが、ジャンクは妻を目線で制して、息子に向き直った。

「おい、ポップ。それはちゃんとマァムさんと話し合って決めたのか?」

 さっきまでと違ってひどく静かな声に、ポップが怯まなかったと言えば嘘になる。ジャンクは常にポップを怒鳴り散らし、容赦の無い鉄拳制裁をふるう怖い父親だが、時としてこんな風に妙に静かに振る舞う時がある。

 が、ポップの経験上、そんな時の方がタチが悪い。
 嵐の前の静けさと言うべきか、ちょっと油断した隙にとんでもない実力行使型の説教を喰らわされたりする。それを思えば内心ビクビクするものがあったが、もうポップは子供ではない。

 妻と子を連れてきて結婚の報告をしている男が、これぐらいで怯んでどうすると自分を鼓舞し、胸を張って言い返す。

「ああ、マァムとはよーく話し合ったよ。その結果、決めたんだ」

 その話が、めちゃくちゃ難航したことは黙っておく。
 実際、マァムとの話し合いは揉めまくった。
 ポップの仕事の都合を優先するのなら、どこかの王宮に住み着いた方が効率がいい。

 元々、どこの王宮でもポップの正式な仕官を求めており、好待遇を約束している。ポップが望めば世界各国のどこの王宮内に住むこともできれば、王都の一等地に豪邸を構えることもできる。

 だが、ポップは一国に縛られるつもりは最初からなかった。
 マァムが望むのなら別だが、彼女が生まれ育った小さな村を心から愛しているのは知っていた。
 ならば、その村で暮らすのもいい。

 最初、マァムはポップの仕事やダイ捜索のことを考えれば、ロモスの辺鄙な田舎村にすぎないネイル村に住むのは不利になるのではないかと心配してくれた。

 しかし、ポップはその心配を一笑した。
 瞬間移動呪文の使い手のポップにとって、家の場所など通勤にはなんの障害にもならない。それならばマァムが一番安心できる場所で、暮らしたいと思った。

 だが――それは、ポップの実家からは離れて暮らすという選択に繋がる。
 家出して以来、ほとんど実家に帰らなかったポップを案じたのか、マァムはこの機会にランカークス村で暮らした方がいいのではないかと提案してきた。

 互いに互いの家族を思い、相手の故郷で暮らした方がいいのではないかという話し合いは、思いっきり揉めまくった。ここだけの話だが、勢い余って片方の手が出てしまい壁を粉砕してしまって大騒動になったりもした。

 が、最終的にはその話し合いは、求婚の時と同様に土下座しまくったポップの泣き落としがギリギリでの勝利を収めた。

「ああ、もちろんだよ。マァムも納得してくれた」

 そう言いながらちらっとマァムに目をやると、ダイを抱いた彼女は呆れた様な顔でこちらを見ている。
 正確に言うのならば、マァムがしてくれたのは納得ではない。暫定的な妥協だった。

 もし、ポップの両親がこの件に反対するようなら、もう一度話し合いましょうと宣言されている。ジャンクの対応次第によっては、また修羅場が発生するのかとの恐れを感じつつ、ポップは彼の反応を待つ。

 と、ジャンクは武器屋とは到底思えない山賊じみた面構えで、ギロリとポップを一瞥した。

「はん、オレはてめえを跡取りにしようだなんて馬鹿げた夢なんざ、とっくの昔に捨てたからな」

 そりゃ、賢明なことで――との憎まれ口は、辛うじて飲み込んだ。
 反射的に文句を言いたい気分は山々だったが、突き放したようなジャンクの言葉の意味をポップはこの時点で薄々察したからこそ、沈黙して父親の言葉を最後まで聞く。

「もし、てめえが今から武器屋を継がせてくれと言ってきたって、てめえみたいなちゃらんぽらん野郎にこの店はやれねえよ。
 そう言うわけだから……てめえはてめえで、勝手にやりな。どこでも、好きなところに住み着くがいいや」

 捻くれていて、素直ではないが、それはポップの意見を全面的に後押しする発言に他ならない。
 後を継ぐことなど気にしなくてもいいから、好きにしろ、と――。

 夫の意見を聞いて、スティーヌはふと寂しげな表情を浮かべたものの、頷くのが見えた。

「あ……」

 両親の許しを得て、ポップはもちろん、マァムの表情にも安堵の色が浮かぶ。ホッとした様にポップに寄り添ったマァムが、生真面目にポップの両親に向かって頭を下げようとした。

「あの、ありがとうございます。私達のわがままを、受け入れて下さって……」

「いいえ、わがままなんかじゃないわ。そうね、よく考えたらきっとそれが一番いいのよね。ポップはきっとこれからも留守がちになるでしょうし、それだったらマァムさんの実家に近い方がなにかと心強いもの」

 そんな会話から始まったマァムとスティーヌの話は、すぐにおむつの作り方だとか、よい離乳食の作り方だの、男には今一歩関心の持てない話題へとズレていく。
 しかも、二人とも凄く話がのってしまって楽しそうだ。

 嫁姑問題などという、聞くからに恐ろしい女の戦いが繰り広げられるよりははるかにマシとは言え、ポップやジャンクにしてみれば少々手持ち無沙汰になってしまう。

(あー、早く飯食いたいんだけどな、腹へったし)

 などと、気の抜けたことを考え始めたポップだったが、いきなり頭をくいっと引っ張られる感覚があった。

「へ?」

 頭を傾けたままそっちを見たポップは、自分のバンダナの端を掴んでいる赤ん坊を見つけた。
 目が合った途端、ダイは嬉しそうに笑う。

「あーっ」

「って、ダイッ、てめっ、なに食ってやがる……ッ、って、バンダナを食うなぁ〜ッ!?」

 ポップが騒ぎ出したことで、やっとマァムも何が起こったかを把握したらしい。

「え、ええっ、ちょっと、ちょっと、ダメよ、ダイ! それはペッしなさいっ、汚いからっ」

「えっ、マァム、そりゃねえだろ、汚なくねえって、これ、ちゃんと洗ってるって! って、どっちかって言うとダイが汚してるんじゃねえかっ、うわぁああっ、涎だらけになるぅううっ!?」

「ダイ、ダイ、ね、お願い、いい子だから、あーんってして」

 ポップとマァムがなんとかダイを宥めて口を開けさせようとするが、小さな子供というものは親の思い通りになんかなってくれない。ましてや、新米のパパとママは手際が悪すぎる。

 ワタワタと慌てるばかりで適切な行動などとれない親を見てむしろ遊んでくれていると思ったのか、ダイは余計にご機嫌になってバンダナをしっかりと噛んだ上で両手で握り込み、引っ張りまくる。

 赤ん坊の力とは言え、なまじ頭にくくりつけてあるバンダナなだけに引っ張られると意外とダメージがある。マァムがダイを抱えたままなせいもあって、ポップは二人がかりで頭のバンダナを引っ張り回されている様な有様で、目を回す寸前だった。

 そんな親子のやりとりに対して、ジャンクもどうしていいのか分からないとばかりにオロオロしているしかできない。
 だが、スティーヌは違った。

「あらあら、大騒ぎね」
 
 さすがに一児を育てあげた経験を持つ主婦は、強かった。
 全く慌てる様子もなく、くすりと笑った後、スティーヌはその笑顔のまま子供の目の前に人差し指を突き出して、つんとほっぺたをつつく。

「あー?」

 新しい刺激に、赤ん坊は興味を引かれたらしい。
 目をきょとりと見張って、新たに出現した指を掴もうと小さい手を伸ばす。
だが、その手が触れる寸前にスティーヌは指を軽く振った。掴もうとした途端に逃げてしまったのが不満とばかりに、赤ん坊はさらに指を追う。

「ぅーっ、うー、あー」

 半ば丸まった指で懸命に追いかける赤ん坊の手を、スティーヌは白くて細い指を振り回しながら器用に避ける。まるで子猫をじゃらしているようなその動きにつられたのか、指を追いかけることに夢中になった赤ん坊の口から、ポロリとバンダナの端がこぼれるまで時間はかからなかった。

 それを見届けてから、スティーヌはわざと手の動きを緩める。
 チャンスとばかりに両手でしっかりとその指を握り占めたダイは、今度は嬉しそうな声で喝采をあげる。

「あうーっ!」

「わぁ、すごいわね、捕まっちゃった。えらい子ね、いい子、いい子」

 褒められ、頭をなでなでしてもらったダイはご機嫌で、もうバンダナのことは忘れてしまったらしい。スティーヌに気を取られた隙にようやく奪い返したものの、端の方はべたべたに濡れてしまったバンダナを見て、ポップは世にも情けない顔をしていた。

「うへ、これ、洗ったばっかりだったのによ〜」

「仕方がないわよ、子供が小さい内は、髪飾りやペンダントには気をつけた方がいいわ。すぐ引っ張られてしまうし、何でも口に入れてしまうから。特にポップは気をつけた方がいいわね。
 この子、歯が生え始めたばかりなんでしょ?」

「え、ええ、そうですけど……何で分かるんですか?」

 やっと大人しくなった我が子を抱いたマァムが、驚いたように目を見張る。

「ポップが小さかった頃と同じだもの。歯が生え始めたばかりの頃は、なんでもかじってみたがるし、口に入れてみたくなるものなのよ。
 この子……だいたい、生後半年ぐらいでしょ」

 見事に当てられて、マァムの驚きはますます深くなる。
 赤ん坊を見慣れた人間ならば、首の据わり具合や抱かれる時の姿勢からだいたいの月齢を計れるものだが、これが初めての子育てであるマァムにはまだそこまでの見る目など無い。

 それだけに、マァムのスティーヌを見つめる目に尊敬が溢れる。だが、スティーヌはこともなげに笑って、両手を広げた。

「ねえ、よければその子を私にも抱かせてもらえないかしら? どうか、おばあちゃんにも孫を抱っこさせてちょうだい」

 祖母と呼ぶにはあまりにも若々しく見える義母からのお願いを、マァムは二つ返事で快諾した。

「ええ、是非! と言うより、こちらからお願いしようと思って、この子を連れてきたんです。
 さ、ダイ」

「あー?」

 母親から祖母へと受け渡されて、ダイは戸惑うように目をぱちくりさせる。だが、慣れた手付きでゆっくりと揺らされると、気に入ったのか嬉しそうな声を上げた。

「まあ、可愛いこと。いい子ねえ〜。
 ねえ、あなたも抱っこしてあげたら?」

 ひとしきりあやした後、スティーヌはジャンクに向かってそう話しかけたが、その途端、彼は飛び上がらんばかりに驚いた。

「えぇえええっ、オ、オレがかっ!?」

「そうよ、あなただって孫を抱っこしてあげたいでしょ。おじいちゃんなんだしね」

「お、おじいちゃん、かよ、オレが」

 何とも情けなさそうな顔をした後で、ジャンクはおっかなびっくりといった様子でダイに向かって手を伸ばした。

 武器職人のジャンクは、熱した鉄を前にしても至って落ち着いてそれを扱える男だが、相手が赤ん坊だと勝手が違うらしい。普段、武器を扱う時よりもよほど慎重に、至極丁寧にダイを抱きとる。

「あー?」

 さっきスティーヌに抱かれた時と同じように、ダイの目がくるりと周囲を見回す。その間、ジャンクは息も止めてじっと見つめていたのだが――目が合った途端、ダイの顔がくしゃくしゃっと歪む。

 ぷるぷるっと口を歪めたかと思うと、小さな赤ん坊はいきなり大声で泣き出した。その小さな身体から信じられないような大きな声で泣き、身を仰け反らせるダイに、ジャンクは今日一番のおたつきっぷりを見せる。

「おっ、おいっ、おいっ!? な、泣き出したぞっ、この子っ!? どっ、どうすりゃいいんだっ!?」

「心配要らないわ、あなた。多分、これは人見知りね、そろそろそんな頃なのよ」

「そっ、そんな頃って、これっていつ終わるんだっ!? 明日か!? 明後日か!?」

「まあ、あなたったら。そんなに泣きっぱなしだったら、子供の喉がつぶれちゃうわよ」

 慌てふためくジャンクに対して、スティーヌは全く動じた様子もみせずにおかしそうに笑っている。

 いつもいつもふんぞり返っているような印象の父親の狼狽っぷりに、いつものポップならばここぞとばかりにからかうところだが、今日ばかりはそうも行かなかった。

 泣いているダイをジャンクの腕から抱き上げたスティーヌが、ぽんとポップの腕に預けなおしたからだ。

「えっ、ええっ!? えーっ!? これっ、どうすりゃいいんだよっ!?」

 文字通り泣く子を抱え込んで、ポップもまた慌てふためく辺りが親子と言うべきか。赤ん坊を抱えるポップの手付きときたら、ジャンクと大差が無いぐらい危なっかしげで不慣れな雰囲気が強い。

 だが、ダイの反応はさっきと違っていた。
 ジャンクに抱かれた時は、すぐにでも逃げたいとばかりに身体を思いっきり反らしたり、小さな手でジャンクの胸板を押しやろうと暴れていたのに、ポップの腕に収まったダイは、まだうーうーと泣きながらもしっかりとポップにすがりつく。

 そのまま胸元に顔をすりすりと擦りつけてきたダイの泣き声は、目に見えて小さくなっていく。ポップ本人は呆然と突っ立っているだけなのだが、赤ん坊はやがて落ち着いたのか泣くのを止めた。
 それを見て、真っ先に微笑んだのはスティーヌだった。

「あらあら、その子ったらお父さんに懐いてるみたいね。人見知りの強い子だと、母親以外は全部嫌って泣くこともあるのよ。
 ポップ、あなたは運がいいみたいね。父親でも、泣かれることってあるのよ」

「そ、そうなのかよ?」

「ええ、現にポップがそうだったもの。2才ぐらいになるまでは、お父さんに抱っこされる度に火がついたように泣き出して、手に負えなかったんだから」

「いっ!?」

 思いもかけない暴露話に、ポップはその場で硬直する。
 もう、自分では覚えてもいない頃の赤ん坊の頃の話を母親に暴露されるほど、息子として気まずいことはない。しかも、この場に惚れた女性がいるのならば尚更だ。

 少しばかり恨みがましげに母親を見やるポップだったが、スティーヌはそれに気づいていながら素知らぬ顔のまま、しみじみと言った。

「この子、やっぱりポップの子ね。変なところがそっくりだわ」






「ポップ、ダイは?」

 ノックをせずに小声でそう言ってから、マァムはポップの部屋に入る。
 武器屋の二階にあるポップの部屋は、彼が実家に泊まる際は必ず使う部屋だ。いつ、どんな時に帰っても綺麗に片づき、ベッドも日向のよい匂いを漂わせている。

 ダイがそろそろ眠そうだからと、ポップは先にこの部屋に戻ったが、食事の後、マァムはスティーヌを手伝って後片付けをしていた。その後も、つい女同士の話が弾んでしまって、思ったよりも時間が経ってしまった。

 うっかりと赤ん坊のことを放置してしまったと焦って上がってきたが、ダイは泣くどころか気持ちよさそうに眠っていた。

「ふふ、ダイったらポップにしがみついたまま寝ちゃったのね」

「まあな。あれから、こいつ、全然離れねえんだもん」

 そうぼやくポップは、いささかげっそりした様子だった。
 マァムの見た限り、ダイはポップに対してはやたらとご機嫌でぐずることもないし、実際に鳴き声が聞こえなかったとことを見ると、寝かしつけるのにも苦労はしなかったと思える。

 だが、慣れぬ子守りには、さすがに疲れたらしい。
 疲れ切った顔で、それでもポップは自分にしがみつく子供を無理に離させようとはしなかった。

「それにしても驚いたよ。こんなにちびっこいのに、もう親とそうじゃない人の区別がつくもんなんだな」

 ダイが生まれてからすぐ旅立ったせいで、ポップはまだろくすっぽ自分の赤ん坊を抱いたこともない。だが、それにも関わらずポップに懐いてくれたのは、血のつながりという物なのか。

 じっと、我が子を見つめるポップをしばらく見た後、マァムは思い出したようにポケットからバンダナを取り出した。

「あ、ポップ、これ、洗っておいたわ。つけるでしょ?」

 そう言って、マァムは慣れた手付きでポップの頭へ手を伸ばそうとする。が、ポップは首を横に振った。

「いいや、やめとくよ。マァム、それ、しまっておいてくれないか?」

「え……だって、あんなに気に入っていたのに……」

 不満そうと言うよりは、不安そうに聞こえるその言葉に、ポップは思わず笑っていた。

「いいんだよ。そいつは、もうオレには必要がないから」

 5才の頃からずっと身につけていたバンダナは、ポップにとっては宝物だった。

 勇者の持ち物だったと教わったが、その伝承が真実なのかどうかはポップにとってはどうでもいい。だが、バンダナを身につけると自分が勇者になったような気がして、ちょっぴり勇気が出た。 

 それに――このバンダナには、もう一つ思い出がある。
 記憶を失ったダイとの間を繋ぐ、忘れがたい思い出。それを強く心に刻んでいたからこそ、ポップは尚更バンダナに固執していたところがある。

 各国共通の宮廷魔道士として、あちこちの王宮に行くようになってからというものの、衣装は整えてもポップはバンダナだけは頑なに手放さなかった。見た目が悪いとさんざん注意されても、盛装の場でもポップの頭上を飾っていたのは宝冠ではなく古びた黄色い布きれだった。

 その拘りを知っているせいか、マァムはどこか気遣うような目でポップを見つめている。
 だが、ポップはもう一度首を横に振った。

「本当に、もういいんだって」

 決して忘れない思い出なら、手元に置かなくても何の変わりもない。そう思えるようになったからこそ、笑って宝物をしまうことができる。

 かつて、ポップの父親のジャンクがそうしてくれたように、息子のために宝物を手放すぐらいなんてことはない。
 なぜなら、それ以上の宝物をすでにポップは手にしているのだから。

「こいつ、やんちゃそうだからなぁ。なんか、うーんと手がかかるって言うか、振り回されそうな予感がするぜ」

 そう言いながら、ポップはダイの頭をいささか乱暴に、だが起こさない程度に優しく撫でる。

 赤ん坊のせいか、妙にふにゃふにゃした手触りのその頭は、ポップの記憶の中の黒髪の頭とは撫で心地が違う。
 だが、それでもその手触りは心地よく、どこか懐かしさを誘う物だった。
 そんなポップとダイを見つめるマァムの目は、ひどく優しい。

「スティーヌさん……ううん、お義母さんはこの子がポップの小さな頃にそっくりだって言ってたわよ」

 そう言って、マァムは少しばかり悪戯っぽい笑顔を浮かべた――。                  END

 

《後書き》

 すごく久々のちびダイシリーズ、ポップとマァムがジャンクに結婚の許しをもらう談です♪ と言うよりも、赤ん坊の抱っこを巡って、大人達が大騒ぎする話を書きたかっただけなのですが(笑)

 全然子育てに慣れていない、新米パパママっぷりは書いてて楽しかったです。

 ところでダイ大世界では成人年齢や結婚適齢期が何才だか分からないのですが、うちのサイトでは基本的に17、8才で成人というか、就労可能年齢、女性は成人してから20代前半が適齢期、男性は二十代半ばから三十代前半が適齢期と見なすことにしています♪

 女性の婚期が早いのは出産の都合上若い方が有利なためであり、男性の婚期がやや遅めなのは結婚に相応しい経済力を身につけるためですね。

 時代や国、風習によって差はありますが、基本的に男性の方が婚期が遅いのが普通です。
 多額な結納金が必須な国だと、妻が十代半ば、夫が4、50代という組み合わせもざらだったりするから、それはそれで大変そうですね。


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