『平和な村の片隅で ー中編ー』 |
「やあ、こんにちは、バランさん」 通りすがりにひょいと勝手に他人の庭を覗きこみ、気安く声をかけてきたのはすでにバランにとっても見覚えのできた男だった。初老と呼ぶにはいささか早すぎるが、壮年と呼ぶにはいささかくたびれた印象のその男は、この村の村長だ。 実際の年齢的にはジャンクとさして変わらないようだが、小さな村の村長という気苦労の多い役職が彼を老けさせたのか、見た目は大分年季が入っているように見える。 彼は斧を止めたバランの周囲に散らばる薪の量を見て、感心したような声を上げた。 「おや、もうこんなに沢山の薪を割ったとは、さすがだねえ。戦士様はやっぱり力が違う。私なら、これだけの量の薪を割ろうと思ったら、軽く三日……いや、五日はかかってしまうだろうよ。 などと、うんうんと一人頷く気のいい村長に、バランは苦笑を押し隠す。 だが、そんなことも知らずに無邪気に戦士と言えば力が強いと思い込んでいる素朴な村人の純朴さが、バランは嫌いではなかった。首に巻いたタオルで汗を拭きながら、バランは軽く声をかける。 「ああ、もうすぐ終わるところだ。よければ、午後からはあなたの家の薪を割ろうか?」 「え、いいのかい。そりゃあ、助かるよ! なにせ、最近腰が痛くって。だけどいいのかい、さしかけ小屋一杯に貯まっているんだけれど……」 「問題ない。それぐらいなら、夕暮れまでには終わるだろうしな」 「本当かい、そりゃあ助かるよ! 報酬ははずませてもらうから、是非お願いするよ、バランさん。 ひどく嬉しそうな顔をしながらもひとしきり息子の頼りなさを愚痴った後、村長は腰が悪いとは思えない颯爽とした足取りで去っていく。それを何となく見送ってから、バランはまた、薪割りに戻った。 バランがジャンクの家に世話になってから、もう半月あまりも過ぎただろうか。 身体が治っても、結局バランはランカークス村から出ては行かなかった。 ジャンクの話をよくよく聞いて判断したところ、バランの記憶と現在の日付には多少のずれがあった。バランが意識を失っていたのは、どうやら思ったよりも長い時間だったらしい。その間に世界はすっかり平和になり、勇者達はパプニカを拠点に世界の復興のために尽力していると聞いた。 なぜ自分が生きているのか、また、大魔宮で倒れてからランカークス村近くに落ちるまでの時間に何があったのかなど疑問は残るが、この村の平和な暮らしには不思議なぐらいに身に馴染む。 魔王軍の侵攻とも無縁だったこの村は、バランに対して警戒を抱くこともなかった。倒れている時の重傷さやその後の異様な回復っぷりを見ていればまた話は別だったかも知れないが、素朴な村人は突然、武器屋に居候を決め込んだよそ者を嫌がることはなかった。 ジャンクがなんと説明したのかは分からないが、どうやら彼等はバランを旅の戦士だと思っているようだ。バランの感覚で言えば流れ者の戦士など盗賊や強盗と大差ないと思うのだが、ランカークス村の人々は違っていた。 善良な村人達は、旅の戦士に極めて好意的だった。何でも、以前、村が強盗に襲われそうになった時に、旅の戦士が助けてくれたことがあったらしい。そのせいか、バランに対する態度は常に礼儀と憧れを備えたものであり、少々くすぐったく感じられるぐらいだ。 怪我が治ってからは、さすがにただ居候するのも申し訳ないと薪割りなどの力仕事を引き受けるようにしている。それを見かけた他の村人達も、こんな風に気さくに声をかけてくれるようになったのが、バランには嬉しく感じられる。 そう裕福な村ではないためか謝礼は決して多いとは言えなかったが、畑で取れた作物や野山で捕った獲物を添えてくれることも多く、そこそこの報酬にはなっている。 ジャンクが労働以外の謝礼を一切受け取ろうとしないため、手に入れた食糧は下宿代としてその妻に渡すという形に収まり、わずかながらとは言え収入は少しずつバランの手元に貯まっている。 その、ひどく地味な収入が、バーンによって無造作に与えられた金銀以上に誇らしく感じられる。 「バランさん、一休みなさってお茶でもいかがですか?」 控えめな声で優しく声をかけられ、薪割りの手を止めたバランは小さく頷き、それからこの態度では無礼ではないかと思い至って、付け加えた。 「頂戴しよう」 精一杯礼儀に気を配ったつもりだったが、それを聞いた女性――スティーヌはおかしそうにくすりと笑う。 「そんなにかしこまらなくても、よろしいのに」 ジャンクの妻であるスティーヌは、細身の女性だった。年相応の落ち着きを持つ穏やかな女性だが、彼女は存外、表情豊かだ。笑うと、一気に少女めいて見えて少しばかり驚かされる。 その顔は、バランの知っている魔法使いの少年とやはりよく似ている。最初にジャンクに会った時は、浮かべる表情や癖っ毛が父親似だと思ったが、全体的に見ればポップはどうやら母親似なのだろう。顔立ちや細身の体つきは、父親よりも遙かに母親によく似通っている。 「おーい、スティーヌ。お茶なら、オレにもくれ」 「はいはい」 ジャンクが声をかけるまでもなく、スティーヌはちゃんと二人分のカップや茶菓子を用意していた。 「おっ、今日のお茶は美味いな」 小さく割られた薪を薪置き場へとまとめる作業をしていたジャンクも手を止め、どっかりとその辺の岩に腰を下ろして機嫌よさげにお茶を飲む。 「ええ、この間ポップが持ってきたものなの。なんでも、カール王国のお茶だとか言っていたわ。このお菓子は、リンガイアの銘菓なんですって」 聞き覚えのある名を不意に聞いても、もう驚くこともない。だが、少しばかり心の奥が痛む。 「あぁ? なんだ、あのガキときたら、また世界中を飛び回っているってえのか? まったく、家にはろくすっぽ顔を出しやがらねえ癖してよ」 ジャンクは露骨に顔をしかめているが、遠慮なしに息子を貶すのがこの男の口癖だとすでに飲み込んだバランは、相槌を打たずに苦笑するにとどめる。 ポップは、瞬間移動呪文の使い手だ。 バランがこの村に来てから、ポップが戻ってきたことは一度もない。 「ふふっ、でも前に帰ってきてから大分経つし、そろそろ顔を出しに来る頃なんじゃないかしら?」 「はん、どうせ帰ってきたらきたで、大騒ぎしてまたすぐに飛び出していきやがるからな、あいつは。全く、幾つになっても落ち着きがねえぜ」 「そうね、まるで鉄砲玉みたい。そんなところは、誰かさんに似たのかもしれないわね」 ジャンクの悪態に笑顔でさらりと返し、スティーヌは買い物があるからとそのまま立ち去った。最初からそのつもりだったのが、自分の分の茶菓は用意せずに買い物籠を下げていた彼女の背が十分遠ざかるのを、バランは無言のまま待つ。 彼女の耳に入らないところで、ジャンクに話したいことがあったからだ。 「……つかぬ事を聞く様だが、いいだろうか?」 「ああ? 何だってんだ、改まって」 「あなたは――息子が旅に出るのを、止めようとは思わなかったのか?」 それは、バランがジャンクに対して一番聞きたかった質問ではない。だが、ずっと気になっていた疑問ではあった。 ポップが旅人の男を追いかけるように村を飛び出したのは、数年前――まだ、ポップが13才の時だったと村人達の噂で知った。 いくら素質に恵まれていたとしても、子供は子供だ。もし、バランがジャンクの立場だったとしたら、それこそ力ずくでも連れ戻そうとしたことだろう。ダイと初めて出会った時、迷いもなくそうしようとしたように。 その考え自体が間違っていたとは、バランは今も思ってはいない。 何よりも優先して、子を守る……それは子を持つ父親ならば持ってしかるべき考えだと思っている。 そこだけは、今も変えるつもりも譲るつもりない。だが、一風変わったこの人間の男が、どう考えるのか聞いてみたくなったまでの話だ。 「本当に、いきなりな話だな」 突然切り出された話に、ジャンクはいささか戸惑っている様子だった。だが、それでも首を捻り、顎を撫でながら答えを捻りだしてくれる。 「ふん、そりゃあ、オレだってそうしてやりたかったさ。って言うか、実際に止めたけどな。 思い切り顔をしかめて、ジャンクは不機嫌そうに唸る。 「けどよ、そこまでしてもあの馬鹿息子は止められなかったんだよ。あのクソガキは閉じ込めた部屋からこっそり抜け出て、そのまま家出しやがったんだ」 「それは……なかなか行動力のある子だな。気骨がある」 思わず、本心からの言葉がこぼれ落ちる。 半ば感心してポップの武勇伝を聞いていたバランだったが、ジャンクはとんでもないとばかりに手を大きく振って否定する。 「はん、んな大層なもんじゃねえって! あの馬鹿息子は、昔っから根気がないにも程のあるガキだったんだ。何かをやり始めても、ちゃんと最後までやり遂げられずに途中で放り出しちまうような半端な奴だったんだぜ。 だいたい、どうしてもやりたいことがあって家を出たいって言うのなら、まずは親を説得して出て行くのが筋ってもんだろう。それさえせず、逃げるように夜中に抜け出して家出しやがったんだぜ、あのガキは。 実の息子なだけに遠慮がないのか、ジャンクはポンポンと続けざまにポップを扱き下ろす。 「そうなのか? とても、そんな少年だとは思えなかったが」 バランは、ポップをよく知っているとは言えない。 だが、それでもポップの印象はバランの中に強く焼きついている。 ジャンクの語るポップの人物像は、バランの知る魔法使いの少年とは上手く重ならなかった。 だが、それが不思議とまでは思わない。 良くも悪くも、戦いは人の本質をむき出しにする。高潔な人格者が戦場では人の変わったような浅ましい振る舞いを見せたり、逆に臆病だと思っていた人間が思わぬ勇気を見せることもある――それが、戦場だ。 勇者と共に激戦をくぐり抜けた魔法使いの少年が、旅に出る前とは別人のように変わったとしても、何の不思議もない。バランは素直にそう納得できたのだが、ジャンクは今一つ、その辺を実感できない様子だった。 「こっちこそ、『そうなのか?』と聞き返したいところだぜ。 どうしようもなく不本意な決定事項を押しつけられたかのように、ぶつぶつと文句じみたことを言い続けていたジャンクは、ふと気がついたように茶を飲む手を止めた。 「――っていうか、あんた、ポップの野郎と会ったことがあるのか?」 ジャンクの口からぶつけられた直截な質問を、バランは僅かに頷くことで受け止めた。 それは、今更とも思える質問だった。 この無骨な武器屋は、お節介にも死に損ないの戦士を拾って助けておきながら、詮索は一切しなかった。 もし、聞こうと思うのならいくらでも機会はあったし、バランの素性につながる手がかりもあったはずだ。なにしろ、バランはジャンクに助けられた日に『ダイ』について尋ねたのだから。 僅かな会話からバランが、ジャンクが勇者ダイを個人的に知っていると察したように、ジャンクの方もバランとダイが何か関係があると気づいていたはずだ。 しかし、彼はそのことを一度も聞かなかった。 ジャンクやスティーヌの話では、ポップは数ヶ月に一度の割合でふらっと帰ってくるそうだが、手紙で連絡を取れば確実に顔を見せるという話だった。半月もあれば、パプニカ城に連絡を送るのは不可能ではなかったはずだ。 バランとしてはそれでもいいと思っていたが、結果として未だにダイもポップもこの村にはやってこない。 それが不満だという訳では無いが、物足りなさを覚えていたのも事実だ。あまりにも穏やかな日々が続くからこそ、乱してみたいという欲望も生まれる。澄み切った湖面にこそ、小石を投じてみたくもなるものだ。 「ああ。以前、対峙したことがある。――魔王軍と、勇者一行として、な」 「……!」 ただでさえ普段から険のあるジャンクの目つきが、より一層険しさを増したように見える。 (やはり、ただの田舎の武器屋ではなさそうだな) ジャンク本人は自分はただの武器屋の親父だと自称していたが、この反応はただ、武器を商品として売っているだけの商人の反応ではない。いざという時は武器を手に取り、自分自身が戦うことも厭わない、戦士の気構えが根柢にあるからこそだ。 いくら世界が平和になったとは言え、元魔王軍だと名乗る者が目の前に現れたのなら、一般市民は震え上がるだろう。魔王がいなくなったとしても怪物の脅威はまだ完全にはなくなっていないし、ましてや魔族が相手なら尚更だ。 しかし、ジャンクは驚きは見せたものの、怯えの色は感じられない。たとえそれが虚勢だったとしても、たいした精神力だとバランは称賛する。 「あんたが……魔王軍の一員だったっていうのか?」 尋ねる声も驚きに掠れてはいたが、震えてはいなかった。 「ああ。その通りだ。私の名は……魔王軍六将軍の一人、超竜軍団長バラン」 もう、とうに捨てたはずの身分を、バランは静かに名乗る。勇者と知り合いというのなら、この名の持つ意味が通じるはずだと思った。 「私が勇者一行と出会ったのは、戦場でだった。単に、戦っただけではない。私が、ポップを……あなたの息子を、殺したのだ」 ゆっくり、ゆっくりと、区切るようにバランはかつての己の犯した罪を告白する。 「こ、殺したって……あいつは、ちゃんと生きてやがる、ぜ?」 目だけではなく口もあんぐりを開け、反論らしく言葉を口にする。その反応から見て、ジャンクはその事実を今まで知らなかったらしい。 ならば、それをひた隠しにしていたポップにとっては悪いことをしたかも知れないとは思ったが、一度口にした言葉は取り消せないし、取り消す気もなかった。 「運良く、蘇生に成功しただけだ。彼が私との戦いの中で一度命を落としたのは、紛れもない事実だ。 その時、蘇生術を施したのもバラン自身だったが、それは敢えて口にはしなかった。ポップが生還したのは飽くまで本人の意思力によるものであり、バランがやったことはただの手助けに過ぎない。 結果としてポップが助かったとは言え、バランが殺意を持ってポップと戦い、彼を殺そうとした事実は変わらない。 「あなたの息子は……ポップは、勇敢な少年だった。 当時のことを思い出しながら、バランはふと自虐的な笑みを浮かべる。 事実、まだ未熟だったあの当時でさえ、バランはポップの魔法の腕前には舌を巻いたし、ギリギリの戦況下で見せた機転には驚かされた。本気で脅威を感じる相手だからこそ、手を抜いてあしらう余裕もなくなった。 「私は、手加減をしなかった。容赦なく攻撃を仕掛け、ポップを死に至らしめた。 バランは、謝罪はしなかった。するだけ、無駄だと思ったからだ。 もし、ジャンクが激昂してバランに攻撃を仕掛けてきても、避ける気はなかった。 強張った表情を浮かべ、バランを睨みつけるような勢いで見ているジャンクの心境は、正直量りかねた。 「今の話を聞いた上で、もう一度聞きたい。もしも……」 そう言いかけて、一度言葉に詰まるのは、それが『もしも』の話ではなかったと知っているせいだ。 「もしも――戦いの中で息子が命を落とす危険があると知っていたとしても、息子の旅立ちを引き留めなかったのか?」 バランの口調は、この村で日常生活を送っていた時と同様に、穏やかで淡々としたものだった。そんな風にバランが声をかける度に、ジャンクは気安い口調で返事をするのが常だった。 だが、その問いに対しては、ジャンクはすぐには応えない。 |