『酒と太陽と少年』
  

「む……」

 ロン・ベルクが起きたのは、すでに太陽が中天に昇った後だった。
 いい年齢をした男が真っ昼間まで寝呆けているなど、普通ならば許されないだろうがここにいるのは並の男ではなかった。と言うよりも、そもそも人間でさえない。

 青い肌に尖った大きな耳が、彼が魔族だと示している。
 人間と違い、頻繁に食糧を摂取する必要のない魔族は、そもそも人間のようにその日の糧を得るために必死に働く必要がない。

 種族によって差異はあるとは言え、人間ほどの頻度で食事を取らないのは代わりがない。下級魔族ならばまだしも上級魔族ならば生存のためのエネルギーを温存できるので、条件さえ整えば数十年から数百年の間飲食を断っても平気なくらいだ。

 戦いの絶え間ない魔界ならばともかく、平和な地上では戦いによってエネルギーを消費することもない。
 以前、バーンに仕えていた時代に褒美として膨大なエネルギーを授けられたロン・ベルクは、このまま食を断っていたとしても百年程は困ることもない。

 彼にとっては、食事も酒と同じ嗜好品に過ぎない。あればそれなりに楽しめるし生活も潤うが、無かったとしても特に困りもしない。
 生きるために稼ぐ必要もないだけに、ロン・ベルクの毎日は至って暢気なものだ。

 気の向いた時にだけ、遊び半分で手抜きの武器を作る程度の仕事しかしないし、起きたくなったら起き、眠りたくなったら眠るという自由気ままにも程のある毎日を送っている。

 用のない日は特に何をするでもなく、酒を飲んで過ごすことが多い。
 今日もそのつもりで寝起きに真っ先に手近の酒瓶に手を伸ばしたのだが、生憎と酒が切れていた。
 軽く舌打ちをした時、その音は聞こえてきた。

 ドォオオンッ!!

 瞬間移動呪文の着地音とすぐに分かったが、いつもよりも派手めな音だった。
 そして、その音から間を置かずにロン・ベルク宅の扉が開かれる。

「先生、お邪魔します」

 ノックもせずに慣れた素振りで、だがそのくせ妙に礼儀正しくきっちりと挨拶をしながら入ってきたのは、ノヴァだった。見慣れた弟子の姿を目にして、ロン・ベルクは僅かに首を傾げる。

「おまえ、今週は来ないはずじゃなかったのか?」

 ロン・ベルクの弟子ではあるが、ノヴァは祖国リンガイアでは北の勇者と呼ばれる救国の英雄の一人だ。最年少の将軍でもある彼の日常は、多忙の一言に尽きる。

 休日を利用してちょくちょくロン・ベルク宅を訪れてはいるものの、どうしても仕事が忙しい時は来られない時もある。几帳面な彼は、そんな時には予め今週は都合が悪いと報告するのが常だった。

「ええ、そのつもりだったのですが、運良く休暇をもらえましたので押しかけてきちゃいました。いけませんでしたか?」

「いや、別に構わんが」

 別に、ロン・ベルクとしては弟子の訪問に文句はない。と言うよりも、報告すら必要ないと思っている。

 だが、ノヴァは妙に律儀というか、いちいちロン・ベルクに次はいつに来る予定だの、必要な物はないかだの、その時に持参する物の予定などを細かく言ってくる。聞くともなしに聞いたその予定を、ロン・ベルクはぼんやりとだが覚えていた。

 ロン・ベルクの記憶が確かならば、ノヴァはロモス王国へ外交使節の用事があったはずだった。普段ならともかく、他国に滞在中の時には移動呪文で勝手に国外に出掛けるのは不敬だからと、用事が済むまではここには来られないと残念そうに言っていた。

 生真面目な彼らしくないなと不思議に思ったロン・ベルクだったが、その疑問はすぐに掻き消された。

「あ、そうだ。つまらない物ですが、これ、お土産です」

 そう言いながら、どんと音を立てて数本の酒瓶がテーブルの上に乗せられる。

「ほう……いい酒のようだな」

 根っからの酒好きのロン・ベルクは、思わずその目を細める。
 酒好きにしてみれば、ラベルの凝り方や書かれた年号から見るだけでもその酒の善し悪しは推測出来る。

「ええ、それは保証つきですよ。遠慮せずにどうぞ」

 ノヴァはよほど機嫌がいいのかニコニコと笑いながら、酒を勧めてきた。
 
「おまえがそんなことを言うとは、珍しいな」
 
 ノヴァは若いのに真面目と言うべきか、それとも若いからこそ潔癖と言うべきなのか、師であるロン・ベルクが酒を飲んでぐうたらしているのを快くは思っていない。

 酒を手土産にするどころか、古女房よろしく飲み過ぎだと窘めたり、取り上げるすることもある。と言うよりも、そっちの方が遙かに多い。
 普段とは違うその態度に、ロン・ベルクは僅かに眉を顰めた。

「え、そうですか? ま、まあ、たまにはいいじゃないですか、せっかく頂いた物だし。
 あ、そうそう、何かつまみでも持ってきますね」

 少々慌てたようにそう言うと、ノヴァはそのまま台所の方へと行ってしまう。
 それを見送りながら、ロン・ベルクはとりあえず酒瓶の封を切った。グラスも使わず、そのままぐい飲みするのが彼の流儀だ。

(ほう……いい酒じゃないか)

 飲んだ途端、喉にかっと火がつくように感じる程、強い酒だった。普通の人ならば持てあましそうな代物だったが、酒に強いロン・ベルクにとっては度数が強い辛口の酒は大好物だ。

 むしろ、強ければ強いほど、好ましい。
 いい気分になって酒を煽っていると、台所の方からいい匂いが漂ってきた。その匂いの正体を当てるよりも早く、ノヴァがつまみを手にこちらに戻ってくる。

「さあ、どうぞ、先生。どんどん持ってきますから、まずはこれを食べてみて下さい!」

 そう言って彼が差し出したのは、焼き鳥だった。
 小さな鶏肉と野菜が交互に串に刺されたそれは、食べてみるとピリッと塩胡椒がきいていて、些か味が濃い様に思える。

 だが、それは酒と一緒に味わうにはちょうどいい塩加減だった。焼き加減も申し分なく、火を通しすぎていない鶏肉は柔らかく汁気たっぷりで、野菜は歯ごたえと甘みを感じさせる絶妙さだ。

「ほう、今日は生焼けじゃないんだな」

「そんなわけないじゃないですか。これぐらい、ボクだってできますよ」

「そうか? 肉料理を黒焦げにするのが、リンガイア風かと思っていたがな」

 軽くからかいながらも、ロン・ベルクは意外に思う。
 最近でこそ多少はマシになってきたとは言え、お坊ちゃん育ちのノヴァは家事を得意にはしていない。と言うよりも、世の大半の男がそうであるように家事は女の仕事と悪気なく思い込んでいて、壊滅的なまでに家事が下手だった。

 元々、名家の生まれなだけに家事は使用人が行っていたせいもあり、ノヴァは最初の頃はひどく家事を苦手としていた。まあ、やった経験もなければ意欲もなかったのだから、当然と言えば当然だろう。

 ロン・ベルクの家に出入りするようになってから初めて家事に挑戦しはじめたノヴァは、最初の頃はそれこそお茶の一杯を入れるのも失敗する有様だった。

 だが、そんな惨憺たる実力でありながら、師の身の回りの世話をするのも弟子の役割だと主張するノヴァは、何度失敗しても懲りずに料理を初めとした家事に挑戦してきた。

 その努力が実を結んでか、最近はそこそこは食べられる料理を作れるようになったし、掃除をしてもかえって散らかすなんて悲劇も起こらなくなってきたが、それはせいぜい中の下程度と言うべきか。努力の結果一通り家事はできるようになったとは言え、人には向き、不向きはある。

 ノヴァの現在の料理の腕前は可もなく不可もなくと言った程度だと思っていただけに、今日の料理の美味さは驚きだった。

 まだ焼き鳥を焼いているノヴァは、ロン・ベルクの酒の進み具合に合わせてか違うつまみも運んできた。 

 刻んだ野菜の盛り合わせと見えたそれは、食べるとさっぱりとした塩味だった。サラダなどと違い、ドレッシングを使っていないゴロッとした野菜は、一見切り方も雑な様に見える。

 だが、酒を飲みながらつまむのにはちょうどいい大きさだった。
 しかもただ切っているだけと見せかけて、よく見るとそれらの野菜には細かな刻みが目立たないように入っていた。その刻み目のおかげで、塩が中心部分にまで味をつけている。

 単純な塩味だけなのが、かえって美味だった。鶏肉を食べて油っぽくなった舌の感覚を戻し、尚更酒を上手く感じさせる。

「どうですか、先生?」

「うむ、いけるな」

 正直な感想を言った後で、ロン・ベルクは歯でぐいっと焼き鳥を串から噛みちぎりながら疑問を口にする。

「こんな乙な料理、いつの間に覚えたんだ?」

「えっと、この間、アバンせ……アバン様にお目にかかった時に、教えて頂いたんです」

 少しばかり詰まってからそう答えた弟子を見てから、ロン・ベルクは納得したように頷いた。

「なるほど――大勇者が料理上手だとは噂で聞いたが、どうやら掛け値無しだったみたいだな」

 ロン・ベルクは、アバンと個人的な面識はほとんどない。
 だが、ノヴァやポップ、ダイなどを通じてアバンの話を聞くことはあったし、魔族ならではの伝手から知った魔王軍側に流れていた大勇者の噂なら耳にしたことはある。

 勇者としては珍しいというかそもそも男性として珍しいことだが、アバンは家事全般が趣味であり、本職並みの腕前だと聞いた時は驚いたと言うよりは呆れたものだ。意外すぎて何となく覚えていた噂を思い出しながら、前に弟子から聞いた話と合わせて思い出す。

「ああ、そう言えばこの間はカールに行ったとか言っていたな」

「え、ええ、そうなんですよ! カールはやっぱり寒いですね、この時期でもまだ雪が残っていて驚きましたよ」

 そう話しながら、ノヴァは忙しく台所へと戻っていく。その背中を見ながら、ロン・ベルクはひっそりと笑った。

「……そうか。そう言えば、この辺では雪はそれ程は積もらないようだな」

 そうみたいですね、と気のない様子で頷いてから、ノヴァはふと思い出したように聞いてきた。

「そう言えば、先生の故郷では雪は降らないんですか?」

 台所で何か作業しているらしいノヴァの声だけの質問に、ロン・ベルクは酒をぐい飲みし、答える。

「そうだな……魔界では、雪はほとんど降らない方だな。地域にもよるが、魔界では元々地熱が高い場所の方が多いからな。
 元々、雨でさえまれにしか降らないんだ、雪はさらに珍しいに決まっている」

 答えながら、ロン・ベルクはふと若い頃の記憶を思い出す。
 あまりにも古すぎて今となっては場所も定かではないが、ロン・ベルクが生まれて初めて雪を見たのは戦場でのことだった。血に染まった大地を清めるがごとく、雪片が舞うのを呆然と見上げていたのは幾つの頃だったのだろう?

 思い出そうとしてみたが、ロン・ベルクはすぐにその努力を放棄する。いずれにせよ今となってはどうでもいい話だし、質問者が聞きたいのもそんな点ではあるまい。

「もっとも、一つだけ利点はある。魔界では雨と違って、雪はほぼ無害だ。
 魔界の雨は酸や毒混じりのものが多いが、雪になる時点でそれらの成分がとんでしまうのか、無害になる。
 雪を溶かすことが、魔界で最も安全確実な水の確保方法になるというわけだ」

「へえ、それは面白い話ですね」 

 興味を引かれたのか、ノヴァの相槌にはさっきまでの世間話とは段違いの熱意が感じられた。なにやら、また新しいつまみらしき物を載せたトレイを持っていそいそと戻ってきたノヴァの目は、やけにキラキラと輝いている。

「ところで……おまえさんは氷系魔法は不得手だったっけかな?」

「や、やだなぁ、先生、ボクの得意魔法はマヒャドですよ。伊達に北の勇者と呼ばれていませんから」

 いささか得意げにそう言ってのけるノヴァは、いつもよりも子供っぽく見えた。

「……ああ、そうだったかな?
 ところで、そいつはいったい何なんだ?」

 ノヴァが新しく持ってきた小皿には、まだぶつぶつと溶岩のように泡を立てているチーズがかけられていた。よく見れば、それは小さく切ったジャガイモとソーセージにチーズをかけてオーブンで軽く焼いたものらしい。

 単純な料理だが、チーズの濃厚さがジャガイモのほくほく感とソーセージの塩っ気とよく辛み、適度に振りかけられた胡椒がぴりっとしたアクセントを付け加えている。

 酒のつまみに相応しい塩辛さと、男性の腹をも満足させる食べ応えを併せ持った逸品に、思わず酒も進む。
 そして、酒が進めば口も軽くなる物だとばかりに、ロン・ベルクは軽い口調で話し出した。

「雪が世界に大きな影響を与えるのは、むしろ妖精界の方だろうな。あの世界では、女王の精神状態が世界の形に大きな影響を与える。

 女王が喜びに満ちていれば春の気候に包まれ続けるが、彼女のが悲しみに陥れば世界ごと氷と雪に覆われることになる。妖精界の四季は、女王の心の持ちよう次第と言うわけだ」

「へえ……。妖精界ってのも、面白そうですね。でも、ボクはやっぱり魔界の方が――先生の故郷の話の方が気になりますよ。
 もっと、教えて下さい」

 目を輝かせ、熱心に教えをせがむその姿は、ノヴァが弟子になりたいと言ってきた日のことを思い出させた。他の誰でもなく、ロン・ベルクの教えを受けたいと真正面から頼み込んできた少年の純粋さを思い出しながら、魔界の名工は口元に不敵な笑みを浮かべる。

 ゴトリと音を立てて酒瓶を置き、ロン・ベルクは身を乗り出してくる少年に向き直った。そして、熱した鉄に最も効果的な一撃を与える時のように、狙い澄ました一撃を放つ。

「上手い酒とつまみに免じて少しだけサービスしてやったが、これ以上はお断りだな――ポップ」

 それを聞いた途端、目の前にいた『ノヴァ』は、凍りついたように固まった――。






「……ちぇっ」

 しばらくの沈黙の後、小さな舌打ちと共に煙がぶわっと巻き起こる。それが、変身魔法を施行する際に発生する疑似煙だと知っているロン・ベルクは特に驚きもしなかった。

 一時、部屋全体を隠すほどの煙が立ちこめたが、普通の煙と違って臭いもなければすぐに薄れて消えてしまう。薄れゆく煙の中で、微かに見える少年の姿は大きさはたいして変化しなかった。

 が、ついさっきまでは淡い水色だった髪の毛が漆黒に変わる。その時には、すでにロン・ベルクの目の前にいたのは自分の弟子ではなかった。

「ほう、とぼけなかったのは感心だな。もっと悪足掻きをするかと思ったが」

「バレてるんだったら、そんなの意味ねえだろ。それにしても人が悪いな。気がついてたのに、知らん顔してるなんて趣味が悪いぜ」

 ロン・ベルクが悪いとばかりに睨みつけふて腐れたようにそう言ったのは、ノヴァなどではなくポップだった。
 年や背格好は似ていても、口の利き方や態度、性格はまるっきり違うなと思いつつも、ロン・ベルクは軽くからかう。

「はっ、知り合いを魔法で騙くらかそうとしたおまえには言われたくはないな」

 特に、強く非難したつもりもなかったが、その言葉はポップにとっては痛い点を突いていたらしい。一瞬、悪戯がバレた子供のような気弱な表情になったが、すぐにそれを打ち消す負けん気の強さが顔を覗かせる。

「人聞きが悪いこと、言うなよな! 別に騙そうとなんかしてねえだろ、ただ、ちょっと聞きたい話があったからノヴァの姿を借りただけじゃないか!!」

 理屈にもなっていない屁理屈を捏ね、自分は悪くないとばかりにそう言ってのけるポップに、ロン・ベルクは苦笑するだけで済ましてやる。

「……いつ、分かったんだよ?」

「ルーラや料理だけでも怪しすぎたが、確信したのは雪の話だな」

 ポップの問いかけに、ロン・ベルクはあっさりと答えを空かす。

「あいつの故郷は、リンガイア……カールよりもさらに北方にある。カールの雪の量で驚くわけがあるまい」

 違和感に一つ気がつけば、正解に辿り着くのは簡単な話だった。

「まあ、なかなかいい線はいっていたけどな……」

 そこは本心からの称賛をこめて、ロン・ベルクはポップの努力を評価はする。
 変身魔法は、魔法力だけでなく術者の演技力が必要とされる術だ。外見は魔法の力でいくらでも変えられても、内面まではコピーすることはできない。本人らしく見えるように振る舞うのには、術者の演技力にかかっている。

 その意味では、ポップはかなり健闘したと言える。
 だが、だからといって騙されてやるわけにはいかない。

「しかし、オレは騙されない。奇襲は一度目が、一番成功率が高いのは知っているだろう? それに失敗した以上、二度以降も同じ手は食わないさ。いい加減に諦めることだな」

 淡々とそう告げて、ロン・ベルクは再び酒瓶を手に取った。
 これが自分の弟子だと言うのなら、悪戯を咎めて叱ってやるのも師匠の役割だろうが、ロン・ベルクにとってポップは弟子でも何でもない。

 親を呼び出して叱ってもらうのも手だが、そこまでする必要性も感じなかった。
 だいたい、叱るまでもないことだ。

(おそらく……こいつには、どんな罰よりもこの失敗の方が堪えるだろうからな――)

 ポップは、魔界の情報を欲している。
 それこそ、喉から手が出るほど欲しいはずだ。
 行方不明となった勇者ダイを誰よりも熱心に探すポップは、いつからか魔界について詳しく聞きたがるようになった。

 実際に魔界で暮らしていたロン・ベルクに対しては特に熱心で、ほとんど脅迫やら尋問じみた質問をずいぶんとぶつけられたものだ。
 その度にとぼけたり、断ったりしてはぐらかしてきたが、ポップは諦めというものを知らない少年だ。

「くっそぉ〜、もっと強い酒でも持ってくりゃよかった!! 自白剤でもありゃあよかったのにさ、師匠ってばそーゆーのは持ってないとか抜かしやがるし」

 ぶつぶつと何やら不穏な文句を言っているポップは、全く反省した様子もない。

(どうやら、同情する必要はないようだな)

 内心呆れつつも、ポップのその逞しさにロン・ベルクはなんとなく安堵する気分を味わう。

 ポップに魔界の情報を与えないのは、意地悪でも何でもない。
 むしろ、彼の身を案じるからこその親切なのだが、それでもそれだけが唯一の望みとばかりに必死に頼み込んでくる少年の願いを無碍に断る立場というのは、心地よいものではない。

 しょんぼりとしょげられてしまうと心理的にきついものがあるが、こんな風に憎まれ口を叩かれている方がよほど安心できると言うものだ。ひとしきり不満を吐き出したポップは、早くも気分を切り替えたのかクルリと踵を返す。

「おいおい、もう帰るのか? 酒の相手をしろとまでは言わないが、せめて酌ぐらいしていったらどうだ?」

 からかい半分に声をかけると、ポップはあかんべをして言い返す。

「だーれが! 情報を教えてくれないんなら、これ以上サービスなんかしてやるもんか! だいたいこんなところにいつまでもいたら、いつクソ親父がくるか分かったもんじゃねえし!」

 勝手に押しかけてきて置いてずいぶんな言い草だなと思いながらも、ロン・ベルクはポップを咎めなかった。ぷんぷんに怒って出て行きかけたポップだったが、すぐにでも飛び出ると思った魔法使いの少年は出口のところで足を止めた。

「それにしても、あんた、さっきからノヴァのこと全然聞かないけどさ。……あいつのことが心配じゃないのかよ?」

 はっきりとした非難の感じられる視線を、ロン・ベルクは少しばかり意外に思う。
 だが、即答できる問いだった。

「全然。心配などしていないさ」

 正直に答えたのだが、どうやらこの返答はポップのお気に召さなかったらしい。

「あー、そうかよ、この薄情者っ。全く、ノヴァの奴もこんな冷血師匠によく弟子入りしてられるよなっ」

 ひとしきり文句を言いながら、外に飛び出たポップはそのまま空へを飛び上がった。光の軌跡となった魔法使いの少年は、一瞬で南西の方角――ロモス王国の方へと消えていく。
 それを、ロン・ベルクは無言のまま見送った。
 
 ポップの非難も、まあ、分からないでもない。
 変身魔法は、自分自身の姿を一時的に変化させて他人になりすます術だ。

 当然のことながら偽物にとって、本物の存在は邪魔になる。古来より、変身魔法での入れ替わりが行われる際、本物は邪魔をできないように閉じ込められたり、最悪の場合は殺されたりするものだ。

 そんなことはロン・ベルクも百も承知だったし、もし、ノヴァに化けた相手が正体不明だったのなら、もっと警戒もしただろう。
 だが、相手がポップだと分かっているのなら、そんな心配をするだけバカバカしいというものだ。

(相変わらず、自分を分かっていない奴だな)

 もう、姿の見えなくなってしまった魔法使いの少年を思い浮かべながら、ロン・ベルクは一人、思う。

 ノヴァ自身は、北の勇者という名前を気に入ってはいない。
 いつだったか、自分にはまだ過ぎた名前だと自嘲気味に零していたのも知っている。昔はどうだったのか知らないが、今のノヴァは北の勇者と名乗る時には多少のためらいを見せるのが常だ。

 だが、さっき――ノヴァに化けたポップは、得意げに北の勇者だと名乗って見せた。
 まるで、自分のことの様に、誇らしげに。

 そもそもノヴァに化けていた間も、彼は驚く程本物そっくりに見えた。口調や態度をあそこまでよく似せられるのは、普段からよほどよく相手に親しみ、相手を知っていなければ不可能だ。

 本性を現してからはロン・ベルクに遠慮なしの文句やら不満を叩きつけたポップだったが、ノヴァでいる間は一貫して敬語を使い、態度にも気を遣っていた。

 本人は、自覚はしていなかったかも知れない。
 だが、ノヴァにとって不利益にならないように振る舞い、目的を果たせなかった後も潔く正体を白状したし、決してノヴァに不利になる振る舞いは取らなかった。

 魔界の話を聞けなかったこと以上に、ロン・ベルクがノヴァの心配をしないのを不満に感じ、文句を言ってきたポップは本人が思っている以上のお人好しだ。
 そんな相手が、ノヴァに何か危害を加えるだなんて有り得ない。

 だからこそ、ロン・ベルクはノヴァについては何一つ心配してはいなかった。どうせポップに丸め込まれて婉曲的な協力をする気になったか、でなければ何も知らないまま利用されたか……まあ、どちらにせよ実害はあるまい。

 ついでに、ロン・ベルクはポップの心配をする気もなかった。
 友人の息子と言うこともあり、以前にも魔界に関わる危険さを忠告したが、それを聞き流して好き放題に行動するあの頑固者を心配したところで、どうにもなるまい。さすがに実の親でも扱いに手こずるだけのことのある、放蕩息子だ。

 だから、ロン・ベルクが心配した相手はここにはいない少年だった。
 眩い太陽の輝く青空を、ロン・ベルクは酒瓶越しに見上げる。酒の瓶に透かして見る空は、水面のように揺らめいて見えた。

「まったく……、おまえさんがいなくなってからと言うものの、ずっとあの調子だ。いい加減で戻ってきてやったらどうだ?」

 独り言のように呟いた勇者への文句に、もちろん、返事などない。
 勇者がいなくなった日と同じ様に、空はどこまでも青く、太陽は眩しいほどに輝いていた――。   END 

 

《後書き》

 魔界編のお話で『少し、重たい秘密』の後辺りの話です♪ 
 実はレストアを書いた頃から、ポップがノヴァの振りをしてロン・ベルクを騙して魔界の話を聞くという話を考えていたんですよ〜。実際には、騙せずにすぐにバレちゃってますけど(笑)

 ロン・ベルクは積極的な協力はしてくれませんが、心情的には人間に思いっきり肩入れしてくれている人だと思っています。行方不明になったダイのことも密かに心配し、戻ってくることを望んでくれていたんじゃないかと希望していますv


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