『泥まみれの天使』
 

「おまえを見てるとつくづく思うよ。
 ……ほんっと、こんな女は世界中探したって二人といねえだろうな、ってよ」

 しみじみとした実感を込めて呟くポップの目は、マァムをじっと見つめていた。
 他の人には目もくれず、彼女一人だけを。

「惚れ惚れするっつーか。
 あ、元々おれはおまえに惚れてるんだし、惚れ直すって言った方が正解かぁ?」

 ややからかいめいているものの、それは聞きようによっては熱烈な告白とも、惚気とも聞こえるだろう。
 しかしその言葉を聞きとがめたマァムは、眉を釣り上げる。

「うるさいわねっ! もう、こんな時にふざけないでよっ、こっちは忙しいんだから!!」

 苛立たしげに怒鳴りながらずかずかと進んでいったマァムは、一抱えもある大岩を軽々と持ち上げる。大の男でさえ持てあましそうな重量のある岩だったが、マァムの手にかかるとまるで張りぼてのようだ。

 いささか年配の男達が同じぐらいの大きさの岩を二人がかりで持ち上げたり、転がしたりしながら運ぶ中で、マァムだけは一人で大岩を抱えて運んでいた。

 崖崩れで塞がれた道から岩や土砂を取り除くのは、とてつもない重労働だ。ただでさえ岩は重い物だが、泥の重さは想像以上だ。たっぷりと水を含んだ泥は、重いばかりでなく足場を悪くして作業効率を下げる。

 大の男でも音を上げたくなるきつい作業だが、マァムは全く怯む様子も見せない。
 泥だらけになりながら、力仕事に全力を尽くしている。

 その表情がいささかきつく見えるのは、主にポップに対する怒りのせいだろう。
 生真面目な彼女はポップがからかっていると思って、一人でぷんぷんしているが――今の言葉には、冗談に紛らわせたポップの本音が混じっている。

「ふざけてなんか、いねえんだけどな」

 小さく呟いた、その独り言は誰の耳にも届かない。
 忙しく働いているマァムは、すでにポップから離れた場所に行ってしまったし、土砂崩れ直後の現場の忙しさは戦場だ。
 誰もが忙しく立ち働くのに精一杯で、他人に構う暇などない。

「おっしゃあっ、持ち上げるぞいっ!!」
 
「ああ、待て待て、ゆっくり、ゆっくりと頼むぞ、焦ると腰を痛めるからのうっ!」

 嗄れた老人の声が何度となく響き渡る。年齢的に力仕事には向かないかと思えるとは言え、この現場にいるのはマァムを除けば全員が男だった。
 世間一般的な常識から言うと、男の役割と思われがちな分野はあるものだ。

 他者を助けて戦う勇者だの戦士と言う職業などは、まさに典型的な男の仕事だ。実際には肉体派の女性というのは少数とはいえ決して皆無ではないが、それでも一般的に戦士といえば普通は男を連想するものだ。

 それと同じように、力仕事と言うのも普通なら男の仕事に分類されるだろう。
 基本的に男性よりも女性の方が力が強いせいもあるが、男性の方が汚れや傷に対して鈍感になれると言うのも理由の一つになるかもしれない。

 たとえそれだけの腕力があったとしても、女性は服や身体が汚れる様な作業をするのを苦手とする傾向がある。泥に汚れるのも全く厭わず、せっせと力仕事に精を出せる女性は皆無とは言わなくとも、そう多くはあるまい。
 だが――マァムは紛れもなく、その少数派の女性だった。

 その上、彼女はこの上なく慈悲深い。
 マァムは必死になって土砂崩れの後片付けに精を出しているが、本来ならこの作業はやる必要さえなかった。

 なにしろ、ここはマァムの村ではない。
 ポップやメルルの故郷でも何でもない、ただの通りすがりの田舎の村だ。たまたま通りかかった時に土砂崩れが発生していて、道が塞がれていた――それだけの話だ。

 その場合、旅人が取る道は二つだ。
 一つは、遠回りになってもいいから迂回して進む道を選ぶこと。そしてもう一つは、長逗留を覚悟して土砂崩れの復旧を待つことだ。

 ポップが土砂崩れの話を聞いた時、迂回することを真っ先に考えた。
 言っては悪いが、ポップにとってこの村は見知らぬ村に過ぎない。大雨による土砂崩れの被害には同情するが、だからと言ってそれを助ける義理も、義務もない。

 旅を急ぐ身としては、とっとと迂回して先に進みたいところだ。
 後で聞いたところによると、メルルは逗留を進言するつもりだったという。山に分け入って無理矢理獣道を歩くよりも街道沿いに進んだ方が、多少時間がかかっても安全な上に確実だと考えたらしい。

 しかし、土砂崩れの話を聞いたマァムは、間を置かずに宿屋を飛び出していった。慌てふためく村人達よりも早く事故現場に駆けつけ、怪我人の有無を確かめた後で自ら協力すると申し出たらしい。
 旅の連れである、ポップやメルルに相談するより早い行動だった。

 二人が慌てて後を追い、土砂崩れの現場に辿り着いた時にはもう、マァムは率先して土砂を取り除くために働いていた。見も知らぬ通りすがりの村の人のために、それこそ泥だらけになって働き出したマァムを止める言葉など、二人にはなかった――。






「わぁ……っ、痛いのがなくなったよ!! お姉ちゃん、ありがとう……!」

 まだ幼い男の子が目を輝かせてそう言う傍らで、その両親と思しき男女が頭を深々と下げてメルルに礼を述べているのが見える。あまりにも大袈裟すぎる感謝に、メルルはかえって恐縮しているようだった。

 メルルが使っているのはただの初級回復呪文に過ぎないのだが、田舎の村では魔法の使い手など全くいない場合も多い。そのせいもあってか、今のメルルはちょっとした女神様扱いだ。

 ポップも薬学の知識や自前の薬草を使って怪我人の治療に当たっているのだが、やはり魔法と言う分かりやすい力に、人は惹きつけられるようだ。村人達の目は、泥まみれでせっせと力仕事に精を出すマァムよりも、回復魔法で人々を癒やすメルルに向きがちだった。

 だが、そんな中でもポップは、やはりマァムを見つめていた。村人にもてはやされることもなく、泥にまみれて働いているマァムの背中は、こんな時でもしゃんと姿勢良く伸びていた。

(あいつ、バカだよなぁ)

 マァムは、回復魔法も使える。
 今は武闘家に転職したとはいえ、元は僧侶戦士だったのだ。ごく初歩の回復魔法しか使えないメルルよりも、マァムの方が回復魔法は得意だ。

 メルルがそうしている様に、マァムもまた回復魔法をかけて人を癒やすことができる。そうした方がずっと楽だろうし、また、人から感謝もされたはずだ。
 実際、今、メルルがそうやって村人からの感謝の念を一身に受けているように。

 だが、マァムはそうはしなかった。
 病人や怪我人の手当てはメルルとポップに任せ、自分は率先して土砂崩れの後片付けを引き受けている。男手が足りず、老人や女子供ばかりしかいない村人を案じ、頼まれもしないのに率先して力仕事を行うマァムの考えに、ポップは決して賛成したわけではない。

(……ホント、バカだよなぁ。こんなもの、おれに任せればすぐに片付けてやれるのに)

 自惚れではなく、ポップには事実それだけの力がある。
 ほんの少し、封印を弱めてもらえばそれで十分だ。
 使う気になりさえすれば、それこそ山一つ消し飛ばすことも可能な魔法の使えるポップには、道を塞ぐ土砂を吹き飛ばすなど簡単だ。

 まあ、そこまでやる気がなかったとしても、ポップは幾つもの種類の魔法を使える。それらの魔法を上手く組み合わせて使えば、この程度の土砂崩れの撤去は不可能ではない。

 別にポップ一人でも、土砂の大半を取り除ける自信はある。怪我人の治療や回復も、メルルに任せるよりもポップが魔法を使った方がずっと効率がいい。
 それはマァムも知っているはずだが――彼女は、ポップの手助けの申し出を拒絶した。

 このぐらいの土砂なら半日もあれば取り除けるし、幸いにも重傷者はいなかったのだから横着して魔法を使うことなんてないと強く言いきった彼女は、その言葉通りに自分から率先して作業に取り掛かっている。
 マァムにとっては何の得にもならず、また、何の義理もないことだと言うのに。

 それに、そんなマァムをこの村の人々も最初から歓迎したわけではなかった。
 田舎の村であればあるほど、村人は常識や慣習に縛られやすくなる。
 力仕事は男がやる物だと言う固定観念を持つ村人達は、最初から諦めていた。

 若い男などほとんどいない村なだけに、土砂崩れを見て何かをしようとする村人はいなかった。年老いた老人達は力仕事には自信を無くしていたし、体力はあっても女達は最初から泥にまみれた重労働をしようとは考えさえしなかった。

 男の方だって、女にそんな仕事をさせたいとは思わないものだ。女性を庇うのは、男にとっては一種のステータスだ。よほどの根性無しな男でもない限り、女性に力仕事を押しつけて知らん顔はできないだろうし、人によっては男のプライドを傷つけられたなどと考える者さえいるだろう。

 結果、老人と女子供しかいないこの村の人々は、降って湧いた災難を嘆きつつ、諦観を選ぼうとしていた。
 定期的に辺境の村を巡回する衛士が来るまで、不自由を我慢しながら凌ごうと……いや、堪え凌ぐしか道はないと諦め半分に選びかけた村人達の前に、突然現れたのがマァムだった。

(できりゃ、それも見てみたかったな)

 つい、にやりとした笑いがポップの口元に浮かぶ。
 マァムは根は優しいが、非常に気の強い娘でもある。

 正義を信じる彼女は、自分が正しいと思ったことをする時には、容赦をしない。ポップなど、初対面の時から叱り飛ばされたものだ。たとえ相手が何人いようと、また、自分よりも年上であったとしても、容赦するようなマァムではない。

 何もしないまま諦めようとした村人に、マァムが何と言ったか想像はつくが、それでも実際に聞いてみたかったなとポップは思ってしまう。
 初動で後れを取った分、いいところを見逃してしまった気もするが、その後の結果はポップも知っている。 

 最初はマァムに驚き、目を見張るばかりだったであろう周囲の人々も、今は違う。一時も休む間を置かず、骨身を惜しまずにきびきびと動くマァムに釣られたように、全力で作業に取りかかっている。

 最初は『ワシがもう十歳も若ければのう……』などと元気なくぼやいていた老人達は、今は年を忘れたかのようにせっせと働いている。最初は何をしていいのか分からないとばかりに戸惑っていた村の女達も、働き出した老人達を見て動き出した。

 力がないなら、ないなりに動けばいいとばかりに、僅かながらでも土砂を運んだり、作業で汚れた服の替えや身体を拭くためのタオルを用意したりし始めた。炊き出しを思いついた者がいたのか、先程から美味しそうなスープの匂いも漂い始めている。

 まだ土砂は取り除かれきってはいないが、村の雰囲気は大きく変わっていた。

 最初にポップ達が訪れた時の、どこか辛気くさい村ではなくなった。
 マァムの真剣さに釣られるように、いつの間にか村人一丸となって働き出した村には、祭りにも似た活気すら感じられた――。






 元々薄暗かった空が本格的に暗くなり始め、やっと雨が弱まり始めた頃になって、ようやく土砂の片付けに一段落がついた。

 小規模な土砂崩れだったのが幸いしたのか、なんとか人や馬が通れる程度には片づけられた。もちろん、まだ泥の汚れの掃除やら壊れた柵の補修など、やることはまだまだ沢山あるが、復旧の目処は立ったと言っていい。
 そのせいか、村人達の表情は明るかった。

 その明るさは単に作業の完遂を喜んでいるだけでなく、自分達でもやればできるのだと言う、自信や達成感も少なからずあるのだろう。そんな村人達と何か話しているマァムもまた、笑顔だった。

 全身泥まみれになっているのに、そんなことなど気にもしていないような笑顔を振りまくマァムを、ポップは見ていた。
 と、そのマァムとポップの目が合う。
 かと思うと、マァムは急につかつかとポップの方にやってきた。

「なによ、ポップ。さっきから人の顔をじろじろと見て!」

(……なんだってこいつ、おれにはこう、当たりがきついんだろうな〜)

 少し怒ったような険のある言い方も、きつい目つきもさっきまでとは全然違う。見知らぬ村人との差のある扱いに少しばかり癪に障る気持ちはあったが、それ以上に強いのは優越感の方だ。

 別に怒鳴られるのが好きなわけではないが、マァムが自分には遠慮なしに接してくるのだと、ポップは知っている。言うなれば、これも一種の特別扱いだ。

 それに、今、マァムは言った。
 さっきから人の顔をじろじろと見て、と――それは、言い換えればマァムもまた、ポップの方を見ていた証拠だ。

 そう思えば、どうしても顔がにやけてしまう。が、ポップのその表情がマァムの誤解を生んだらしい。

「なによ、ニヤニヤしちゃって! 私の顔に何かついているのとでも言うの?」

 女の子にしては少し太めの、キリッとした眉がさらにつり上がる。そろそろ本気で怒り出しそうだなと思いながら、ポップはあえて暢気な口調で言ってのけた。

「ああ、そうだよ」

「え?」

 まさか肯定されるとは思わなかったのか、マァムがきょとんとした表情を浮かべる。少し、見開いた目がわずかに彼女を幼く見せるのを楽しみながら、ポップは自分のほっぺたを軽くつついて言った。

「泥、ついてるぜ、マァム」

「えっ、やだっ、もう、早く言ってよ!」

 急に慌てるマァムの姿も、ポップは十分に楽しんだ。
 服などもう、土色に変色していない所を探す方が大変なレベルで泥まみれで、髪まで泥まみれになっていると言うのに、それでも顔が泥で汚れるのを嫌がるところは、やっぱり女の子だ。

 慌てて顔を拭こうとして、その手が泥まみれなのに今更気がついて、どうしていいのか迷うような表情を見せるマァムから目を離さないまま、ポップはゆっくりと手を伸ばして彼女の頬に触れる。
 雨の中作業していたせいで、それは少し冷たく感じられた。

(なあ、マァム。おまえはホントに――すげえ女だよ)

 声に出さずにそう思いながら、ポップは丁寧にマァムの頬の泥を拭い去った――。

               END 

 
 

《後書き》

 ポップ、マァム、メルルの三人旅でのちょっとした人助けのお話です♪
 この三人だと、人助けに熱心なのはやはりマァムだと思うんですよ。メルルは人を助けたいとは思っても、踏ん切りをつけるのに時間がかかりそうだし、実作業は不慣れっぽい気が。

 ポップは人助けよりも、ダイを探したい気持ちの方が強いでしょうしね。
 で、マァムはいざ人助けともなれば、力仕事に精を出しそうなイメージがあります。

 レオナのようにテキパキと指示を出して人を救ったり、その気にさせる言葉を言うのではなく、真っ先に力仕事に乗り出して働きそうなんじゃないかと思っています。


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