『レオナの初風呂体験記! 2』 |
「ふう、やれやれ。おーい、ポップ君、言われたものは揃えたがこれでいいのかの?」 と、汗を拭きながら声をかけてきたのは、バダックだった。彼は庭仕事に使う小さな荷車を引っ張りつつ、どっこいしょとかけ声をかけながらポップの側に止める。 「あー、こんなもんでいいと思うよ、多分」 荷車に所狭しと詰め込まれているのは、幾つもの石だった。もっとも、石と言うよりも大きさ的に岩と言った方がいいのかもしれない。それぞれが人の頭ほどもあるようなゴロッとした石が複数詰め込まれているのを見て、ポップは思わず申し訳ない気分になってしまう。 「悪いな、じいさん。これ、重かっただろ?」 なにせ、ものが石だ。 が、至って陽気なこの兵士は、ポップの気遣いなど無用とばかりに声を上げて笑った。 「なぁに、これっくらいたいしたことはないわい! こう見えてもワシは、若い頃はパプニカ一の怪力無双と言われたこともあるんじゃぞ、がはははっ」 「へー、そうだったとはね……」 文字通り、重い荷物を持ってきてくれた恩義として、以前はパプニカ一の剣豪だとか、発明家だったんじゃないかと言うツッコミは抑え、曖昧に苦笑する程度に控える。 (ま、この調子なら本気で大丈夫そうだよな、このじいさんは) などと思っていると、今度は後方の小屋からアポロが顔を出してポップを呼ぶ。 「ポップ君、君の言った通りに物置を片付けたけど、これでいいのかな?」 手招かれるままに物置に入ってみると、中は見違えるほどこざっぱりとしていた。 とりとめもなく雑多に詰め込まれていた品物が綺麗になくなり、がらんとしている。木製の粗末なベンチが二つ、向かい合う形で置いてあるだけの小屋を見て、ポップは頷いた。 「おー、上等、上等。悪いね、アポロさん。忙しいってえのに、こんな雑用を頼んじゃってさ」 アポロにこの用事を頼むのは、バダックとは違う意味で後ろめたいというか申し訳ない感が強かった。 本来なら三賢者のアポロは文官の最高トップであり、間違っても小屋の掃除やら片付けなんて雑用をする立場ではない。しかし、人の良さで知られたこの好青年は、何の屈託もなく爽やかに笑う。 「とんでもない、これぐらいお安いご用だよ。何と言っても、これは姫の望みなのだからね」 パプニカ王家に仕える者ならば当然だとばかりに、アポロは控えめに胸を張る。 常にパプニカ王家の者を守るのが三賢者の役割であり、その任務に誇りを抱いている彼に迷いはない。誇らしげな顔を見せたアポロだったが、不意にその顔に照れくさそうな笑顔が浮かぶ。 「そ、それに……今回の件は、マリンも楽しみにしていたしね。エイミも、そんなことを言っていたし」 普段は年齢以上に落ち着き払った態度を見せるアポロだが、ちょっと照れくさそうなその顔は年相応の若者にすぎない。分かりやすくそわそわしているアポロに、ポップは思わず肩をすくめた。 (あー……、そりゃ、ごちそうさまで) 仕事上は公私の区別をつけて礼儀正しい態度をとっているから忘れがちだが、アポロとマリンは恋人同士だ。恋人のためともなれば、そりゃあつまらない雑用でも熱が入るというものだろう。 ついでに言うなら、アポロは未来の義妹になるはずのエイミに対しても、かなり甘い。それに、主君とは言えレオナもアポロにとっては親しい存在だ。それこそ年の離れた妹に対する様な保護者感覚で、おてんばな彼女を見守っている感がある。 アポロにとっては、この三人の女性のわがままや要望を聞き届けるのなんてのはここ十年単位で日常茶飯事なのだろう。 「むしろ、ポップ君にこそ手間をかけさせてしまってすまなかったね。ここまで準備するのは、大変だっただろう?」 気遣ったつもりの相手から逆に労われて、ポップはなんとも情けない顔で力なく笑う。 「あー、いや、まあ、ね、はは……っ、ま、たいしたことなかったけどさ」 と、口では言ったものの、その表情は言葉とは裏腹にポップの苦労をはっきりと物語っていたのであった――。 『サウナ』の用意そのものは、そう難しくはない。 サウナのためには、熱や蒸気が行き渡りやすいように狭くて周囲が壁に覆われた空間が必要だ。また、準備に多量の火に使う上に湯気がたっぷりと出るため、屋外にある場所が望ましい。 サウナの習慣のあるカール王国でなら、ほとんどの家庭で予めそんな場所を設置してある。物置き小屋だったり、燻製用の大きなかまどの中だったりと各家庭によって様々だが、そのために用意された場所があるのならポップは頼まれたその日の内にでも、簡易サウナを支度できただろう。 しかし、パプニカ城にはサウナにちょうど都合のいいような小屋やかまどなぞ存在しなかった。 何と言っても、レオナは王女だ。 ポップとしては、最初は修練所近くにある兵士達の水浴び場を借りるつもりだった。大きさも手頃だし、近くに井戸もあれば着替えを置くための場所もちゃんとある。 だが、城内の護衛に全権を持つヒュンケルが、その話を聞いて猛反対しまくったのだ。 『そんな場所で無防備に入浴など、絶対に許可できるものか!! 万が一、姫に危害を加えようなどと考えたり、覗こうなどと言う不埒な者が現れたらどうするつもりだ!?』 城内なのに大袈裟な、とポップは思ったのだが、常に死地に身を置いてきた暗黒剣士の思考には油断という言葉は微塵もなかったらしい。 『兵士達の中に裏切り者や密通者がいるかもしれんだろう』 と、どこまでも真顔で言い切ったヒュンケルに、ポップは呆れずにはいられなかった。 『いや、どんだけ疑り深いんだよっ、せめててめえの部下ぐらいは信じてやれよっ!?』 と、抗議したところで無駄だった。 かくして、安全第一を優先した結果、風呂向きかどうかを度外視してなにより安全最優先の立地条件を探す羽目になった。 (まったく、あの野郎ときたらどこまで疑り深いんだか) 腹立たしげに、ポップは心の中で兄弟子を扱き下ろさずにはいられない。 正直、ポップにしてみれば猜疑心が過ぎると呆れてしまうのだが、ヒュンケルはこと護衛にかけては驚く程に慎重かつ、妥協を許さない男だった。本人はいたって無謀で死地に飛び込むような行動を取るくせに、護衛官として彼は石橋を叩きまくるような慎重派だった。 おかげでポップはサウナ候補地を探してはヒュンケルに使用許可を求め、その度に文句を言われてはご立腹、と言うローテーションを長々と繰り返す羽目になった。 苦労に苦労の末、やっと見つけたのがこの物置き小屋だった。 庭師以外はほとんど忘れかけているごくごく小さな小屋にすぎないが、その場所こそがレオナのための『サウナ』を実行するのにはちょうど良かったのだ。 城の中庭ならば外部の人間が紛れ込む危険はないし、人払いもしつつ離れた場所から警備を固めることもできる。 それだけでも一苦労だったが、小屋を使えるように準備するのも大変だった。 今回のレオナのサウナの件は、極秘だ。 秘密裏に行うため、サウナの準備はそれを知っているごく一部の者達で行うことになった。――つまり、平たく言えばポップとアポロ、バダックの3人しかいなかったのだ。 (くっそぉ〜っ、ヒュンケルの野郎、なんだってこのタイミングで出張に行きやがるんだよ〜っ) サウナ候補地を決めている間はさんざんポップにつきまとってあれこれ言っていた癖に、いざ場所が決まった途端にヒュンケルはベンガーナ王国へ行ってしまった。 ヒュンケルにとっては、それも仕事だ。 元々の予定だったとは分かってはいるが、タイミングがタイミングなだけに小屋の準備から逃げ出したように思えてしまうのは、ポップの邪推というものだろうか――。 (ちくしょうっ、あいつに力仕事は全部押しつけようと思っていたのによ〜っ、帰ってきたら絶対に文句を言ってやる!!) 邪推100%の不満を心に蓄えつつ、ポップは古びた金だらいを小屋の中央に据えた。その中に重い石を一つずつ乗せるという、なかなかに面倒くさくてバランス感覚が必要な作業を嫌々行う。 そこまではアポロやバダックも手伝ってくれたが、仕上げだけはそうはいかない。 小山のようにこんもりと石を積み上げたところで、ポップは片手を突き出して魔法を放った。 普通ならば、その炎は石の小山にぶつかって一瞬で消えるか、逆に岩を吹き飛ばすかのどちらかだっただろう。 だが、今、ポップが放ったのは火力を絶妙な加減で調整した炎系呪文だ。 自身も魔法の使い手なだけに、アポロには今のポップが行っている魔法制御がどんなに難しいものなのか理解できる。もし、アポロにこれをやれと言われれば、すぐに炎が途切れて石を熱せずに終わるか、でなければ勢い余って炎の余波を小屋中に撒き散らしてしまうのがオチだろう。 しかし、ポップは事も無げな顔で、石を魔法で炙っていく。 「んー、こんなものかな?」 そう言いながらさっきバダックが運び込んだ水桶からひしゃくを取り出し、勢いよくその石へと水をかけた。途端にジュッと派手な音を立てて、ぶわっと水蒸気が噴き上がった。 「うぉっぷ!? な、何じゃ、この煙は?」 水蒸気の勢いにビックリしたのか、バダックが頓狂な声を上げるがポップは構わなかった。 「何って、これが姫さんご所望のサウナってヤツだよ」 「これが、かい? ……こんな風だとは、思わなかったな。姫やマリン達は承知しているのかな……?」 アポロも話には聞いていたし自分なりに予想もしていたのだろうが、実際に聞くと見るのとでは大分違っていたのだろう。戸惑ったような、と言うよりも顰められた眉や眉間の皺には、感心できないと言わんばかりの表情がはっきりと浮かんでいる。 が、室温の調整なんて面倒なことをやっているポップにそこまで周囲に気を配る余裕などない。はっきり言って、こんな面倒な作業はさっさと終わらせてしまいたいのだ。 「んー、もう少し水を増やした方がいいかな」 熱せられるだけ熱した焼け石は、多少の水をかぶったところですぐには冷えはしないし、多少温度が下がったとしてもポップがすぐに魔法を追加して石を温める。 その結果、モクモクとした水蒸気が小屋の中を支配するまでそう時間はかからなかった。 さて、ポップ達が奮闘していたのと同じ頃のこと――。 「レオナ、今日はなんだかご機嫌みたいだね」 ダイがそう言ったのは、午前のお茶の時間の時だった。 それはお茶会などとはほど遠い、仕事の合間に喉を潤すだけの行為に過ぎなかったのだが、変化が起きたのはダイが地上に帰還してからだ。 レオナがお茶をする時間に、ダイが時折やってくるようになったのだ。 レオナ自身は茶菓子はほぼ手をつけないのだが、ダイが嬉しそうにお菓子を食べている姿を見るのが好きなのだ。恋する乙女ならではの健気さで、いつ来るとも分からないダイへのお茶菓子の準備を怠らない。 ――実は、ダイが午前中にレオナの所へ遊びに来るのは、ポップが仕事で忙しい日に限っているととっくに気づいているが、その点を深く追求しないのは彼女の聡明さと言うべきか。 こてんと首を傾げたその仕草のせいで、いつもよりもちょっぴり子供っぽく見えるのが可愛いと思いつつ、レオナは機嫌良く声を弾ませた。 「あら、分かる?」 「うん! だって、なんか嬉しそうだもん。いいことでもあったの?」 そう尋ねるダイこそが嬉しそうに見えて、レオナの機嫌はさらに上向く。 「惜しいわね、ちょっと違うわ。でも、似たようなものね」 いいことは、これから起こるのだから。 今か今かと待ち望みつつも、ダイとのお茶の時間をちゃっかりと楽しんでいるレオナだったが、弾むようなノックの音と共に待ち望んだ側近の声が聞こえてきた。 「姫様、喜んで下さい。サウナの準備が整ったそうですわ!」 《続く》 |