『レオナの初風呂体験記! 4』
 

「ん……っ、ここ、ずいぶんと暑いのですね」

 小屋に入った途端、マリンもレオナと同じように顔をしかめた。

「本当に暑いですね……。姫様……、やはり服を脱いだ方がよいのでしょうか?」

 すぐ隣に座っているエイミが、ため息交じりに呟く。無意識だろうが手をパタパタとうちわのように動かしているのは、やはりこの暑さのせいだろう。
 ムッとするような暑さを感じているのはレオナも同じだし、正直、服を脱いでしまいたい欲望も感じた。

 ここにいるのがダイやポップならともかく、二人は同性の上、ごく小さな頃から共に過ごしてきた信頼の置ける存在だ。それこそ、彼女達が三賢者に選ばれる前からの付き合いなだけに、ほぼ家族も同然だ。

 普段から風呂に一緒に入ることだって珍しくはないだけに、彼女達の前で裸になるのになんの躊躇いもない。ここが風呂場ならば、レオナも迷わず服を脱いだことだろう。

 だが、ここがただの小屋で、しかも中庭にあると言う点がレオナを躊躇わせた。

「ん〜、そうね。別に脱がなくても、いいんじゃない? 服のままでもいいって話だったじゃない」

 小屋の窓は小さく、外から覗かれる心配はほとんどないし、最大の覗き犯人候補はすでに国外追放(ただし、夕方まで)済みだ。

 だが、それを承知した上でここが城内だと分かってはいても、戸外に限りなく近い場所で服を脱ぐには、レオナはあまりにも上品すぎた。お転婆さや気の強さが目立つとは言え、王宮の奥深くでそれこそお姫様として真綿に包まれるようにして育った彼女には、人並み以上の羞恥心と自尊心が備わっている。

 その上、なまじ頭の回転が速いだけに、レオナは非常事態や万一と言うことを考えずにはいられないタチだ。
 いかに城の奥深くの中庭だったとしても、侍従や侍女、庭師などが通りかかる可能性は皆無ではない。王女として、人前でみっともない姿など晒せない。

 それを思うと、安全策として服は着たままの方が無難だと思えた。
 主君であるレオナがそう判断したのなら、忠実な配下であるエイミやマリンも素直にそれに従う。立場的にもそうするべきだし、そもそもレオナを心から尊敬している二人は彼女の判断を金科玉条とする傾向がある。

「ええ、そう致しましょう、姫様」

「そうですわね、その方が効き目があるかもしれませんものね」

 文句も言わずにレオナに習った二人だったが……実は、それが間違いの始まりだった――。






(…………なんだか、思ったよりよくないわね……)

 いささか古ぼけた木製のベンチに座りつつ、レオナは落ち着かなげに何度も座り直す。
 普段からクッションのきいた椅子に座り慣れている彼女にしてみれば、この椅子はあまりにも固くて座り心地が悪い。

 それに、場所も場所だ。
 小屋の狭さや汚れ具合には、さすがにレオナも文句を言うつもりはなかった。元々、無理を言った上に有り合わせの物を利用して用意させたものなのだ、見栄えのいい場所が用意されるとはさすがに期待はしていなかった。

 まあ、正直に言ってしまえばレオナの基準をずいぶん下回るレベルの清潔度ではあったが、彼女はただの深窓の姫君ではない。大戦中は勇者達と一緒に野宿を経験もしたこともあるし、城を追われて当てもなく彷徨った経験は伊達ではない。

 そんじょそこらの貴族の姫のように『まあ! こんな不潔な場所、我慢できませんことよ!!』などとわがままを言うつもりなど微塵もなかった。
 だいたい、快適さなど最初から期待はしていない。

 が、サウナという代物は予想していたよりもずっと不快と言うか、期待外れなものだった。

(なんなのよ、これ!? こんなの、聞いてなかったわっ!!)

 いっそ、そう叫びだしたい気持ちを、レオナは辛うじて堪える。
 水蒸気の立ちこめる小屋の中は、とにかく暑かった。それもただ暑いなんてものではない、不快指数をぶっちぎったような不愉快な蒸し暑さだ。

 たとえるなら雨が降りまくった翌日、太陽がカンカンに照らしまくって猛暑となった真夏日のように、じっとりとした蒸し暑さが全身を覆っている。むわりと立ちこめる湿気は、全くもって耐えがたい。

 しかも小屋の中にこもっているだけに、風が全く吹かないのが辛い。早くも肌が汗ばみ始め、服が湿気を帯びて不快さを増してきている。
 いくら着衣のまま入ってもよいとはいえ、サウナに入り慣れた者ならばもう少しはこの場に相応しい格好をしていただろう。

 汗や水分をたっぷりと吸い取り、それでいて濡れてもさして見場の変わらないタオル地のガウンなどを着ているのなら問題はなかった。せめてタオルかバスタオルを巻いたまま小屋の中に入ったのならば、まだマシだったことだろう。

 だが、レオナ達が着ているのは普段着だった。
 それも不幸なことにと言うべきか、デザイン性を重視したせいで吸水性がやや悪い布地だったのが不運だった。明らかに脱ぎ時を逸してしまった服は、不快なんてものではなかった。

 じっとりと濡れた肌に、湿った布地が半端にまとわりつく感じがどうにも気持ちが悪い。

 だが、今となっては脱ぐわけにもいかない。
 着替えの服や身体を拭くためのタオルは持ってはきたが、一組しかもってこなかった。それを今使ってしまえば、サウナが終わった時に体を拭う物や着る服がなくなってしまう。

 いつもの入浴なら侍女を呼んで、さらに追加の着替えを運ばせることもできるが、今日は入念に人払いをしてある。ゆっくりとサウナを楽しめるよう、レオナ達が城に戻るまで誰も来ないようにと命令済みだ。

 となれば、残る手段はサウナを諦めてさっさと着替えて撤退ぐらいのものだが……。

(嫌よ、そんなの! 何の成果もないまま撤退なんて、冗談じゃないわ!!)

 元来負けず嫌いで気の強いレオナにしてみれば、ここまでお膳立てを整えたのにおめおめと撤退するなど、有り得ない。

 せっかくここまで苦労して――まあ、客観的に見て苦労したのは主にポップのような気もするが――サウナの効果を一つも味わわないまま引き下がるなんて、嫌だ。
 意地でも、最初に決めた時間ぐらいは居座るつもりだった。

(でも、後、どれぐらいだっけ……?)

 レオナにしてみれば、こんなにも時間が過ぎるのが遅いのも計算外だった。
 流れる汗を湿ったハンカチで拭いながら、レオナは大きめの砂時計へと目をやった。

 標準よりもずいぶんと大きなそれは、ポップが予め用意しておいた物で、どんなに長くてもこの砂時計が落ちきる頃にはサウナから出るようにと忠告された品だった。

 サウナに無知な人間ならではの誤解だが、レオナにしてみれば長時間入れば入るほど美容に効くだろうと思っていたのだから。が、ポップは入りすぎてもよくないからと言って、この砂時計を用意した。

 それを聞いた時は、レオナは内心、そんなものなどなくてもいいのにと思ったものだ。
 美容のためになら少しぐらいの退屈など気にも留めないのが、女心という物だ。

 サウナに入っている間はしばらくじっとしていなければならないというのは聞いていたが、レオナはそんなことなど問題とは思っていなかった。

 一人でそうするのならともかく、マリンやエイミが一緒ならば女の子同士で話題も弾むと言うものだ。むしろ、久しぶりに気兼ねなくできるであろうガールズトークを楽しみにさえしていたのに、ふと気がつくと――小屋の中は恐ろしい程、無音だった。

「ね、ねえ、エイミ……最近、パプニカの町に新しい店とか、できなかったかしら?」

 沈黙に耐えかね、絞り出すように話題を振ってみたものの、その返答は芳しくはなかった。

「え? え、ええ、そんなこと聞いたような……、聞かなかったような……姉さん、覚えている?」

「わ、私も……聞いたような記憶はあるのだけど……詳しいことは、今は……」

 しどろもどろで要領を得ない返答は、普段の彼女達なら有り得ない反応だ。
 そもそもエイミもマリンも今でこそ三賢者の役割についているが、本来は王女付きの侍女としての教育を受けてきた。そんな高級侍女に最も求められる能力は、社交性だ。

 特に、会話術は必須条件の一つだ。女主人の無聊を慰めるために、望まれればいつでも話し相手を務めるのも、侍女の大切な役割である。打てば響くような会話センスの良さや、話題の豊富さも侍女にとっては大切なスキルだ。

 実際、普段の二人ならばレオナが退屈を感じ始めたタイミングで、彼女が口を開くよりも早く、なにかしらの話題を振ってきただろう。

 ――が、暑さというものは、時として驚くほど強烈だ。
 人から注意深さだとかやる気だとか普段の細やかさなどというものを、暴力的に奪い去ってしまう。

 過度の暑さのせいで息も絶え絶えとなった美人姉妹は、もはや会話をする気力もへったくれもないようだ。余談ではあるが、暑さにバテてぐったりとしかかっている上に、濡れた服が肌にピッタリとくっついている有り様の彼女達は、非常に艶めかしかった。

 どこか辛そうに繰り返す浅い呼吸や、流れ落ちる汗さえもが否応なく事後を想起させて、本人らの意思とは無関係の色香が漂っている。もし、この場に男性がいたのなら生唾ものの光景だっただろうが、幸か不幸かここにいたのは女同士だ。

 自分達の色香になど気に留める余裕もなく、どこか虚ろな目をして機械的に水をすくい取っては、熱された石に振りかけるという動作を繰り返してる。

 本人らにしてみれば、暑くて暑くてじっとしているのも辛いので、深く考えずにそうしているのだろう。が、その無意識の行動のせいで、蒸気は必要以上に盛んに噴き上がり、小屋内の不快指数は高まる一方だった。

 だが、それにも限度がある。
 繰り返し水をかけた結果、やっと訪れた変化に気づいたのはレオナだった。

「……あら? この石、冷めちゃったんじゃない?」

 つい先程までは、水がかかる度にジュワッといかにも熱そうな音を立てて湯気を噴き上げていたはずの石は、今や落とされた水を自然に受け止めて流していた。

「そうですわね。ええと、……冷めたら火炎呪文で温めればいいんでしたっけ?」 

 マリンがそう口にした時が、チャンスと言えばチャンスだった。
 もう、十分にサウナを味わったのだから終わらせましょうと言えば、エイミもマリンも一も二もなく賛成したことだろう。実際、レオナ自身も真っ先に頭に浮かんだのは、そのことだった。

 サウナなどもう取りやめて、さっさと水浴びしてさっぱりしたいというのが本音だった。
 が、それでも美への執念を捨てきれないのが女心と言う物なのか。

 ちらっと目をやった砂時計がまだ半分以上も残っていたことに、レオナの未練が激しく疼く。

 レオナの性分としては、物事を中途半端に投げ出すのは合わない。一度、こうと決めたらとことんやり抜くタイプだ。洞窟探索の時も、危険を冒してまで宝箱の中身を確認せずにいられなかったこの姫君は、後半分も時間を残したままギブアップするなど耐えられなかった。

「そうね、そうしましょう――メラ!」

 ほっそりとした指に嵌められた指輪が一瞬光り、王女の手から炎の固まりが飛び出した。魔法の補助道具として杖が有名だが、身近な装身具にその力を込めた魔法道具は意外と多い。

 レオナが身につけているのも、その一つだ。
 ほんの僅かだが魔法を増幅する効果を持つ魔法道具であり、これを使えばいつもよりも魔法の威力が上がるはずなのだが――レオナの撃ち出した炎は石の表面に当たってあっさりと散った。

「え?」

 水浸しの石に弾かれるように消えてしまった炎は、あまりにも頼りなかった。さっきポップがそうやった時と違って、温度が全く上がった形跡はない。それを感じ取ったのか、今度はマリンが身構えた。

「姫様、私が」

 マリンの手から打ち出された炎は、レオナの物よりも明らかに大きかった。仮にも三賢者の彼女は、攻撃呪文に関しては主君を上回る腕を持っている。

 しかし、それでも効果は似たようなものだった。濡れた石に当たった炎は、ジュッと情けない音を立ててあっさりと消えてしまう。マリンはやや困惑したような表情で石の表面に手をかざし、小さく首を左右に振った。

「ダメですわ、姫様。申しわけありませんが、この魔法は……私には少々荷が勝ちすぎているようです」

 しょんぼりとした表情を見せるマリンに、レオナはやっと気がつく。
 ポップがあまりにも簡単に、ごく当たり前のようにやってのけたから意識していなかったが、この魔法は思っている以上に難しいものだ。

 使用した呪文こそは初級火炎呪文という、魔法使いならば誰でも使える初歩的な呪文だったから見逃してしまったが、冷静に考えてみればこんな狭い部屋の中で攻撃呪文を使いこなすこと自体が危険な行為だ。

 それは、一般人が家の中で焚き火をしようなどと思わないのと同じだ。暖炉やストーブなど、火を制御できる設備が整ってないのに家の中で強引に焚き火をすれば、火事になるだけだ。

 だが、ポップは周囲に全く影響を与えない強さで魔法を放った。それも、威力を抑えるどころか、おそらくは通常の初歩火炎呪文よりも強い火力で。
 さすがは二代目大魔道士と言うべきか、目立たないところに非凡な才能を秘めている。

 それにようやく気がついたレオナは、あらためて思わずにはいられなかった。

(すごい……すごい、けどっ、こんな時には才能の無駄遣いもいいところなんだけどっ!)

 ポップの才能に感心しないではないが、それ以上に向かっ腹がこみ上げてしまう。ポップがあまりにも簡単そうにやってのけたから、自分達にもできるような気がしてしまったが、実際にやってみれば高難度すぎる魔法だ。

 最初からこんなに難しいと知っていれば他に手を打っていただろうに、今となってはそれも手遅れだ。八つ当たりなのは百も承知だが、それもこれもみんなポップのせいに思えてしまう。

 ただでさえ、常にない暑さのせいで苛立っていたレオナは、それでも落ち着こうとした。軽く目を閉じ、二、三度深呼吸する。
 こうなった以上、サウナは中止にするしかないだろう。しかし、レオナがちょうどそう言おうとした瞬間、エイミが組み合わせた手を大きく振り上げた。

「お任せ下さい、姫様。私がやりますわ!」

 元気よく――と言うには、いささかやけっぱち気味にそう叫んだエイミの声に、レオナもマリンも揃って顔色を変えた。

「エイミッ、ダメよっ!」

「おやめなさいっ!」

 ほぼ同時に叫んだレオナとマリンには、分かっていた……エイミの無謀さが。

 元々、エイミは三賢者の中では最も末席だ。最年少であり、本人も魔法を余り得意としていないのを自覚しているからこそ、女性ながら剣技を身につけた。

 努力家で真面目であるのは長所だが、彼女にはマリンどころかレオナほどの攻撃呪文の腕もない。そんな彼女が大魔道士ポップと同じ魔法など、できるはずがない。

 そのことをレオナもマリンも瞬間的に察したが、惜しむらくはエイミにはそれを察するだけの判断力も欠けていた。なにせ、深く考えるよりもまずは行動するのを常とする活動的な女性だ。

 おまけに、この暑さだ。思慮深いマリンやレオナでさえ思考力を根こそぎ削り取られるような猛暑の中で、エイミが慎重な行動をとれるはずもない。
 全く怯まず、エイミは自信満々に呪文を唱えた。

「メラミ!」

 レオナやマリンが放った、手加減した初級火炎呪文とは比べものにならない大きさの炎が、石にぶつかる。その炎は濡れた石を覆うようにぶわっと包み込み――だが、次の瞬間には弾かれていた。

 ただ、さっきまでと違って大きすぎる炎は、石の表面で散りきらずに四方八方に飛び散った。

「えっ!?」
 
 きょとんとしたエイミの声と、驚愕の響きを込めた二人の女性の声が、見事に重なる。
 そして、次の瞬間、あちこちに散らばった火の粉が一斉に炎を上げだした。

「え、えええええぇええええっ!?」

「きゃあっ、火がっ、火がっ!?」

「たっ、大変っ、消さないとっ! ヒャドッ!!」

 たちまち、小屋の中には黄色い悲鳴と真っ赤な炎が舞い狂った――。







「は……ぁ、はぁ……、はぁ……」

 それから、約20分後。
 ぜいぜいと肩で息をつきつつ、レオナ、エイミ、マリンの三人は床にべったりと座り込んでいた。

 小屋の中は、惨憺たる有り様だった。元々かなりボロかった上に、今やあちこちに黒焦げてしまっている。しかし、それでもなんとか火を消し止めるのが間に合ったのは幸いだった。燃え上がる炎に対し、必死になって氷系呪文を連発したり、水桶の水を残らずぶちあけただけの甲斐はあったという物だ。

「申しわけありませんでした、姫様、姉さん……! 本当にごめんなさい!」

 呼吸が整うなり、エイミが泣かんばかりに頭を下げる。妹のしでかした不始末に責任を感じているのか、マリンは珍しく目をつり上げている。

 もし、ここにレオナがいなければ即座に妹を叱りつけそうな雰囲気だったが、理性的なマリンは主君の前でそんな不躾な真似をしないよう、必死に自分を抑えているようだ。
 だが、マリンはともかくとしてレオナは特に彼女を叱る気などなかった。

「いいのよ、エイミ。幸い、被害もなかったんだしね。それに、元はと言えばあたしのわがままが原因だったんだもの」

「でも、私のせいで姫様にまで危険な目に合わせてしまって……!」

「あら、それなら条件はみんな一緒じゃない? それより、エイミこそ怪我や火傷はしなかった? あなた、ひどい格好になっちゃっているじゃない」

 責任を感じたエイミは、レオナやマリンよりも積極的に消火活動に勤しんでいただけに、ずぶ濡れになった上に服にも大きな裂け目やら焼け焦げができてしまっている。
 まあ、レオナやマリンだとて大差はないのだが。

「とにかく、みんな無事で良かったわ。もう、城に戻りましょう」

 ここに至って、レオナはようやくサウナを諦める心境になっていた。……のだが、それは完全に手遅れだった。

「……っ!?」

 着替えやタオルを置いておいた場所に目をやって、レオナは絶句した。
 湿気や火の影響を受けないようにと、安全な場所に置いておいたはずのそれらは、ついさっきの大騒動でものの見事に巻き添えを食らっていたようだ。

 今、着ている服以上にびしょぬれになり、しかも半分燃えてしまった洋服やタオルのなれの果てを見て、レオナばかりでなくエイミやマリンまでもが青ざめる。

 それは気分のせいばかりではなく、氷系魔法を連発したせいですっかりと冷え切ってしまった小屋の空気の影響もありそうだったが、どちらにせよ三人が揃って絶望的な光景に呻いたのは言うまでもない。

「ど、どうしろっていうのよ、これぇえええ――っ!?」

 誰もいない中庭に、またもや黄色い悲鳴が響き渡った――。






 さて、その後。
 レオナ、エイミ、マリンの三人が、いかにして助けを呼んだか、あるいはどうにかして自力で城まで戻ってきたのか……それを知る者はいない。なにしろ、肝心の三人がピタリと口を閉ざしているのだから。

 たった一つ言えるのは、翌日、三人が揃って風邪を引いて仕事を休んだことぐらいである。
 そして、その風邪が治った頃、ポップが思い出したようにレオナに向かってサウナの感想を聞いたのだが――。

「ああ、そういや、聞き忘れてたけどさ。姫さん、サウナはどうだったんだ?」

 ポップにしてみれば、何の気なしに聞いた質問。
 まあ、あわよくば、苦労して協力した分、ちょっぴりご褒美やら見返りがあってもいいんじゃないかなーなどとの下心があったが。
 実際、その交渉をしようと思っていたポップだったが、レオナの顔を見た途端、そのまま固まってしまった。

「サウナ? ああそうねとても楽しかったわよ一生忘れられない思い出になったわ」

 抑揚も区切りも全くない、棒読み口調でそう返すレオナの声を聞いた者は、何人かはいた。たまたま、その時同室にいた彼等は、その声に何か不吉な物を感じたと証言を全員一致させている。

 だが、その時、レオナの浮かべていた表情を見ていたのは、彼女の正面にいたポップただ一人だった。

 その部屋にいた者は、勇気の使徒であるポップが見る見るうちに青ざめ、小刻みに震えるのを目撃したという。が、実際にポップが何を見たのか、それは彼だけしか知らない秘密だ。  END 


 

 
 

《後書き》

 『間違えたと思った時には、引き返すのも勇気』
 と、言うのはとあるクライマーか誰かのお言葉だった様な気がしますが、この心得って日常生活にも応用可能な気がします。
 火事騒ぎの後、レオナ達がどうやって城まで戻ってきたのかは、ご想像にお任せします(笑) そして、言うまでもないでしょうが、ポップ君はご褒美など何一つもらえませんでした(爆笑)

 ところで、蒸し風呂で有名なのは、スウェーデン辺りですね。あそこは湖の多い国なので、蒸し風呂の後で湖に飛び込むというのが割と当たり前の習慣だったようです。

 蒸気熱を利用して発汗を促しつつ、良い匂いのする小枝で肌を叩く習慣があるんだとか。……狭くて暑い場所にこもりつつ、互いに互いを叩き合うだなんてどんな特殊プレイかと思うのですが(笑)

 文献で見た限り、民家で使用していたサウナというのは大きいだけでどう見てもただのかまどっぽいし、人間のサウナ専用として使用していただけではなくその他の燻製作業などにも使われていたっぽい雰囲気もあるので(笑)、ぶっちゃけ中にいると煤だらけになる代物らしいですね。

 だからこそ、サウナの直後は身体を冷やしつつ洗うまでがワンセットになったんでしょう。
 ついでに自然を利用しているだけに、夏限定風呂でした。

 日本でも平安時代は、蒸し風呂が基本でした。ただし、日本の場合は浴後に湖に飛び込むという習慣はなかったです。裸になるのではなく薄い衣だけの姿になって、石に水をかけて蒸気をおこしまくった部屋の中でじっとして汗を掻くのを待つので、煤で汚れることはなかったっぽいです。

 十分に汗を掻いた後、衣を脱いで新しい服に着替えて風呂が完了すると言うから、現代人の感覚では今イチさっぱり感がない気がしますね(笑)

 この、風呂の時に着る衣というのが現代でも残っている浴衣です。
 時台が下るにつれて庶民感覚では夏場に着る着物になりましたが、上流階級では浴衣は風呂の時に着る服という認識がしっかりと根付いていたみたいで、江戸期も将軍は風呂上がりには浴衣を羽織る習慣がありました。身体を拭かずにいきなり浴衣を羽織っていたと言うから、今で言うバスローブ的な使われ方をしていたみたいですね。

 おまけ話ですが、将軍が羽織ったこの浴衣は、その夜に夜伽を受ける女性に下げ渡されるのが慣習でした。この浴衣というのが、実は正絹製だったのでもらう方も大喜びだったようです。当時は着物は贅沢品で、リサイクルを繰り返して使い回すのが当然でしたから、上の立場の人から着物をもらえるのはラッキーなボーナスみたいなものでした。

 将軍の浴衣の色は白と決まっていたので、もらった後で染めにだしたり、仕立て直すのも容易かったでしょうしね。一説によれば、この地味だけど無駄な贅沢が徳川幕府の財政をジワジワ潰した要因だとか(笑)

 さらに余談ですが、平安の貴族は髪が長かったため、髪の毛は占いで吉日とでた日に風呂とは別に洗って乾かすのが習慣だったそうです。風呂と洗髪は、別件だったわけですね。

 当時の女性は基本的にロングヘアだったので、ある程度拭いた後も自然乾燥に頼る部分が大きかったっぽいです。有名な源氏物語や枕草子にも、髪を洗った後の女性達が乾かすために日当たりのいい場所でおしゃべりに興じるという描写がありましたし。


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