『勇者の帰還 3』

 

「ふぅっ……、ごちそうさま!」

 心の底から満足しきって、ダイは長い間忘れていた挨拶を口にする。
 結局ダイは、アバンが用意してくれたスープを鍋を丸ごと食べ尽くしてしまった。途中でレオナが心配そうな表情で、程々で止めた方がいいんじゃないかと忠告してくれたが、ダイ的にはとても我慢などできなかった。

 ダイの旺盛な食欲に苦笑しつつ、アバンは何度となくお代わりを注いでくれた。

「おやおや、本当に全部食べてしまうとはね。たっぷりと10人分ぐらいは作ったつもりだったのですが」

「だけど、いくらなんでも食べ過ぎじゃないですか、先生? ダイ君、本当に大丈夫なの?」

 レオナの問いかけに、ダイは力強く答える。

「うん、大丈夫だよ! なんなら、もっと食べれるし!」

 それを聞いて、レオナはなぜか呆気にとられたような顔をしたが、アバンはおかしそうに笑っただけだった。

「いやあ〜、そんなにもいっぱい食べてもらえると、調理人冥利に尽きるというものですよ。お昼ご飯にも腕を振るいますから、期待していて下さいね」

「うわぁっ、ホントですか!!」

 それを聞いただけで嬉しくてたまらなくなったダイだが、食欲に一段落がつき次回の食事も保証されたことで、ようやく思い浮かんだ疑問があった。

「ところで、ここってどこなの?」

「って、それ、今頃聞くの!?」

 なにやら呆れた様な顔をしながらも、レオナは親切にも答えてくれた。

「ここはパプニカよ。正確にはパプニカ城の客間の一つ。
 あなたが眠ってから、みんなでこちらに戻ってきたの。ダイ君、あなたはあれから丸一日近く眠り続けていたのよ」

 そう言われても、ダイには全く実感が湧かなかった。
 お腹が空いていたのと、疲れて眠くてたまらなかったことは覚えているが、眠った後のことなんて覚えているわけがない。ただ、ずっと寝っぱなしだったことに対しては、申し訳ない気分を感じてしまう。

 戦いの後、怪我や疲れで仲間が眠りっぱなしになって不安になる気持ちなら、ダイは誰よりも良く知っている。魔王軍との戦いの最中、魔法力を使い切って深い眠りに陥ったポップを心配していた時の気持ちを思いだし、ダイは思わず謝っていた。

「ごめん、レオナ、心配かけて……」

 そう言いかけた台詞を、最後まで言わせまいとするかのようにレオナが食い気味に言う。

「ううん、いいのよ。ダイ君が無事だった……それだけで、いいの。みんな、ダイ君の無事を喜んでいるのよ。だから、謝ったりしなくていいの!」

 それは、いかにもレオナらしい言葉だった。
 相手に気を遣わせないよう、それでいて自分の感情に素直にはっきりという口調に懐かしさを感じながら、ダイは素直に礼を告げる。

「うん……じゃ、ごめんじゃなくて、ありがとうね、レオナ。それに、アバン先生もありがとうございます」

 ダイはレオナとアバン、二人に向かってきちんと別々に感謝の言葉を伝える。こんな言葉では物足りないぐらいだが、気持ちはきちんと伝えたい。
 そう思ってから、ダイは誰よりも一番、感謝を伝えたい相手を思いだした。

「そういや、ポップはどこ――」

 ――にいるのか。
 そう聞こうとしたのに、いきなり脳天に叩きつけられた刺激があった!

「こりゃ、ダイッ!! なんなんじゃ、おまえのその格好はっ!?」

 目の前に火花が散るような痛みと同時に、いやと言うぐらい聞き覚えがある叱責が響き渡る。

「え……、ええ〜っ、じいちゃんっ!?」

 突然怒鳴られたことや、頭をポカリと殴られたこと以上に、ダイはブラスのいきなりの登場に目を見張る。
 これは、全くの予想外だった。

「じ、じいちゃんが、なんでここに……?」

 鬼面道士のブラスは、ダイの育ての親だ。デルムリン島に流れ着いた赤ん坊のダイを拾って育ててくれたブラスは、ダイにとっては実の親以上に家族と思える存在だ。

 ダイにとっては大事な存在だし、魔界にいる間も会いたいと思い続けていた。地上に戻ったら絶対に会いたい相手の筆頭だったと言っても、過言ではない。

 が、そうは思っていても、島に戻る前に会ったのも意外だったし、ましてや会うなりいきなり叱られるとはさすがのダイも思ってはいなかった。
 びっくりして目を白黒させるばかりのダイに、ブラスは小柄な身体からは信じられないようなパワフルさでバシバシと杖を振るう。

「なんでもなにもないわっ! わざわざ姫様がおまえが見つかったと知らせをくれたから飛んできたと言うのに、おまえときたらなんて格好としとるんじゃっ!」

 言われて、ダイは自分の格好を見下ろし――ようやく気がついた。

「あー……」

 ダイの服は、もはや服と呼べるような代物ではない。成長したせいもあるが、何よりも戦いや経年劣化のせいで辛うじて着られると言う程度の物に成り下がっている。はっきり言って、服の形をしたボロ布に等しい。

 そして、汚れきっているのはダイ自身も同じことだ。
 丸二年というものの、風呂に入るどころか身支度をするだけの余裕すらなかった。

 髪はボサボサと伸びているし、泥やら汚れやらがこびりついた身体は自分自身でさえ異臭がしていると実感できる。寝ていたベッドや座っていた椅子までもが汚れているような有り様である。
 今まで、誰も指摘しなかったのが不思議なぐらいだ。

「ご、ごめんっ、汚しちゃって」

 慌ててダイは椅子を拭こうとするが、汚れきった手で触れたせいで返って汚れが広がってしまう。余計に慌てふためくダイの目の前で、意気揚々と登場してきたのはまたしても知った顔だった。

「大丈夫じゃ、ダイ君! 心配は入らんぞい!」

「そうだとも! 我々に任せてくれたまえ!」

 まるで旗のように白い大きなバスタオルを手に登場したのは、小柄な老人と黒髪の青年のコンビだった。

「バダックさん? アポロさんも?」

 戸惑うダイの肩を、二人ががっしりと掴む。

「そうじゃ、久しぶりじゃの! それにしても本当に無事でよかったわい、さすがは勇者だの、わっはっは」

「全くだよ、姫様もダイ君を本当に心配しておられたから……。その様子だと、ずいぶんと苦労したんだね、でももう安心だよ。
 まずは、魔界の垢を流すことから始めようか!」

「え? ええ?」

 風呂は別に好きじゃないし入りたくない――と、ダイが発言する前に、ブラスがぺこりと頭を下げる。

「おお! どうかよろしくお願いしますですじゃ! これ、ダイ! おまえのためにこう言って下さっているのに、礼ぐらい言わんか!」

「えーっ、でも、おれ、風呂……」 

「さっ、行こうかの、ダイ君! なぁーに、心配いらんぞ、勇者のために大浴場を貸し切りにしてもらったからの、遠慮なくたっぷりと入れるぞ!」

 かくして、ダイはパプニカ一の古参兵に引きずられるままに、風呂に連れて行かれるはめになったのだった――。






「つ、つか……れた……っ」

 それから一時間後。
 全身からほかほかと湯気を立てながら、ダイはぐたっと椅子にもたれかかっていた。

 ダイ的には、入浴こそがここ二年間で最大の苦難だった。ある意味では、ヴェルザーとの戦いに匹敵するかもしれない。
 元々、無人島育ちで風呂という習慣がなかったダイにとって、入浴は楽しめる時間ではない。むしろ、勉強と同じ位に出来れば避けて通りたい苦行である。

 ただでさえそうなのに、今回の風呂は二年ぶりなのがまた、悪かった。
 ダイの名誉のために言うのなら、風呂は嫌いでも水浴びならば好きだし、デルムリン島でも毎日のように行っていた。だが、魔界では水を浴びようにも、肝心の水がほとんど手に入らなかった。

 ヴェルザーの結界内には水源はなかったし、魔界でたまに降る雨は一見普通に見えても、決して長く浴びたり、飲んではいけないものだと本能に強く訴える代物だった。

 その結果、今回の入浴は冗談抜きで二年ぶりとなった。
 いつもならば、雑にでもざっと身体を洗うだけで済むのだが、二年間の垢は半端な物ではなかったようだ。

 身についた垢はまるで鎧のようで(アポロ談)、ゴシゴシといくら擦ってもなかなかきれいにならなかったのか、二人がかりどころか手の空いた兵士やら侍従も混じって数人がかりでゴシゴシと擦りまくられた。
 そのせいで、皮膚が剥けてしまったようにヒリヒリする。

 髪の毛も、大変だった。
 二年もの間放置しきっていた髪は、何度洗ってもゴワゴワして泡も立たない代物だった。それがきちんと泡立つようになるまで、何度も何度も繰り返し洗われた。

 ダイ的には、もう一生分の洗髪をした気分だ。
 それだけでもぐったりと疲れ切ってしまう苦行だというのに、ダイの艱難辛苦はまだ終わらない。

「あ、ほら、ダイ君、動かないでくださいね〜。もう少しじっとしていてください、はい、それでいいですよ〜」

 などとひっきりなしに声をかけながらハサミを振るっているのは、アバンだ。

 やっと風呂が終わったというのに、髪型を整えると言う名目の元、チョキチョキと髪を切られている真っ最中だ。それがあまりにも細かく、几帳面なやり方なので、ダイにはどうにも馴染めない。

「先生〜、まだ終わらないの?」

「おっと、そう頭を動かさないでください、手元が狂ってしまいますから。いいですか、男っぷりを上げるためには我慢も必要なものですよ〜」

「でも、髪ならこないだ切ったところなのに」

 邪魔になる度に適当な刃物でざっくりと髪を切るのは、ダイの昔からの習慣だ。魔界でもそのやり方は貫いてきたし、ダイ的には今は特に邪魔になる長さとは思っていないのだが、アバンやアポロ達の意見は違うらしい。

「いやいやいや、そこはきちんと切ってもらわないと! これからいろいろと予定もあることだし、失礼のない格好をして貰わないと!」

 やけに力んでいるアポロの後ろでは、これまた二年ぶりに顔を合わせるエイミとマリンが様々な服をとっかえひっかえ引っ張り出しているのが見える。だが、彼女達ともまた、せっかくの再会を喜べるような余裕はなかった。

「ダイ君、本当に久しぶりね、元気そうで良かったわ。ああ、でもずいぶん背が伸びたわね、前の服のサイズじゃ全然足りないわ。ブーツも大きめのを用意しないと」

「でも、大人用の服だと大きすぎるわね。ああ、これもサイズが合わないわ、誰か! 新しい服を持ってきてちょうだい! 色は……やっぱり、青がいいかしら、迷うわね」

 懐かしいことは懐かしいのだが、あまりにも忙しそうな三賢者にはろくに挨拶する余裕すらない。話しかけようにも彼等がパタパタと走り回っているせいと、湯上がりでバテているため、ダイは聞きたいと思っていることもろくすっぽ聞けないままだ。

「あ、あのー、それでアポロさん、ポップは……」

「ああ、ダイ君、じっとしていてくれないか? 頭飾りのサイズを合わせたいから。以前作った時と同じサイズで用意して置いたのだけど、きついようなら調整しないといけないからね。どうだい、痛いかい?」

「ううん、ちょっときついけど平気だよ。それよりポッ……」

「待って、その前にこっちの服を着て! ああ、お針子さん、とりあえずズレない程度でいいから直してちょうだい! 急いで、時間がないの!」

「お任せ下さい、エイミ様。ご安心を、5分いただければ十分です!」

 エイミとマリンにほぼ無理矢理着替えさせられ、針とハサミを持ったお針子が服のあちこちをチクチク縫ったりと、騒がしいことこの上ない。
 あれよあれよという間に身なりを整えられる。と、それを待っていたかのようにレオナが部屋に飛び込んで来た。

「まあ、ダイ君、よく似合うわ!」

 そう嬉しそうに言ったかと思うと、レオナはダイの手を引っ張って歩き出す。

「レオナ、どこ行くの?」

「フフ、内緒よ」

 悪戯っぽい笑みを浮かべながら歩くレオナの足取りに、迷いはない。何と言っても、このパプニカ城は彼女の家だ。だが、ダイにとってはパプニカ城にそれほど馴染みがあるわけではない。

 せいぜい、さっきの部屋とは違う部屋に案内されているのが分かる程度だ。階段を上って向かった部屋は、さっきダイが目覚めた部屋よりもずっと大きな部屋だった。
 そして、その部屋に予め待ち構えていた女性がいた。

「まあ、見違えたわ。それなら、勇者の相応しい格好ね」

 部屋の中にいたのは、フローラだった。
 戦時中は戦装束だったのとは打って変わって、女性らしさを前面に押し出したシンプルなデザインのドレスは、彼女をより華やかな存在に見せている。だが、どんなに衣装が替わっても人の本質は変わらない。

 大戦中に、見事なリーダーっぷりを発揮していたフローラは、にこやかな笑顔のまま早速ダイを呼び寄せた。

「じゃあ、そのままテラスへと出てちょうだいな。もう、大勢が待っているのよ」

「? 待ってるって、誰が?」

 きょとんとしたダイだったが、部屋の中にいても外からざわめきが聞こえてくる。

「ほらっ、早く!」

 レオナに引っ張られるままにダイがテラスに出た途端、大歓声が湧き上がった。

「おおっ、勇者様だっ!」

「勇者様、お帰りなさい!!」

「勇者ダイ様、バンザーイっ!」

「――!?」

 驚きにぽかんとして、ダイは唖然とその光景を見つめるばかりだった。
 城を取り囲むように集まった、大勢の人々。それらの人々は、びっくりするような音を立てて手を叩きながら、口々にダイの帰還を称えていた。

 誰もが嬉しくてたまらないとばかりに、満面の笑みを浮かべて口々に感謝の言葉をあげたり、千切れんばかりに手を振ったりしている。
 それらの人々にどう反応していいのか分からず、ただ呆然と立ち竦むダイにそっと囁きかけてきたのはレオナだった。

「ダイ君、聞こえる? みんなが、あなたの帰りを待っていてくれたの。みんな、こんなにも喜んでくれているのよ」

 レオナの言葉に釣られるように、ダイは『みんな』に目をやる。驚く程大勢集まった人々は、残念ながらここからでは一人一人見分けがつかない。パプニカにいると言うことは、もしかしたら魔界に行く前になんらかの形でダイが拘わった人なのかもしれない。

 あまり親しくはなかったとは言え、短い期間でも戦いを共にした城の兵士達や、ポップと一緒に復興途中の町に買い物に行った時に会った人達――そんな人達がいたとしても、ダイにはその見分けがつかないだろう。

 だが、それだけぐらいしか縁を持たなかった人々が、自分の帰還を喜んでくれている……。
 呆然とするダイの脳裏に蘇ったのは、バーンとの戦いの中で言ったはずの自分自身の言葉だった。

『もし地上の人々みんなが望むのなら……おれはっ……おまえを倒して、地上を去る……!』

 あの時の覚悟を、ダイはこの二年間ずっと持ち続けていた。
 むしろ、自分がこうやって魔界に居続けることこそが地上のみんなのためになるのだと、日々、自分に言い聞かせ続けていた。

 そして、バーンの言葉も忘れたことはなかった。
 たとえ自分が大魔王を倒したとしても、人間達が自分を嫌うのではないかと……それを恐れずにはいられなかった。ベンガーナでドラゴンを倒して人々を助けた時、助けたはずの少女に恐れられた記憶は、未だにダイの中では鮮明だ。

 だからこそ、ダイはずっと思っていた。
 人間達が自分を嫌い、地上に戻らないことを望んでいたとしても、それを恨んだりはしまい、と。

 しかし、そんな悲しい覚悟で固めていたはずのダイの覚悟を、思いもかけない強さで揺さぶったのも、人間達だった。

 怪物達の言葉にはなっていない鳴き声から、その本心を読み取る術に長けたダイにしてみれば、一人一人の声などとても聞こえないこの大歓声の方がよほど本心が読みやすい。
 言葉ではない叫びは、ストレートにその人の感情を伝えてくれる。

 嬉しくて嬉しくたまらないと、大勢の人間達が叫んでいた。
 心から喜びの声を上げている人間達を前に立ち尽くしている勇者の肩に、そっとたおやかな手がかけられる。

 白く、美しい手の持ち主は、もちろんレオナだった。
 レオナはダイの耳元に顔を寄せ、小さな声で囁きかけてくる。

「見て、ダイ君。あたし達だけじゃないわ……こんなにも沢山の人達が、あなたの帰りを望んでくれていたのよ」

「おれの帰りを?」

「ええ。あなたの……勇者の帰還を、こんなにも喜んでくれる人達がいるの。多くの人達が、あなたの無事を心配し、帰還を待ち望んでいてくれたのよ。 それを忘れないで、ダイ君。
 ――この事実は、たとえあの大魔王にだって否定させやしないわ」

「……!」

 思わず、ダイはレオナの方を振り向く。顔が近すぎてキスしかねない至近距離だったが、レオナは動じた様子もない。ダイの驚きを楽しむかのように、彼女は艶やかに微笑んでいた。

「……帰ってきて、よかったでしょう?」

 思っていたことを言い当てられた驚きはあるが、それ以上にダイの胸に強く広がるのは、嬉しさだった。驚き戸惑うしかできなかった心に、じわじわと嬉しいという感情が広がっていく。

 心の中にたまりこんでいた、見えない澱が綺麗に消えていくような爽快感のまま、ダイは大きく頷く。
 
「……うんっ」 

「なら、胸を張って! あなたは世界を救った勇者なんだから。二年ぶりの勇者の凱旋なのよ、さ、みんなに手を振ってあげて」

 レオナの促しを受けて、ダイはようやく笑顔を浮かべ、大きく手を振り始めた――。 《続く》 

 

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