『勇者の帰還 4』 |
ロモス王の言葉には、二年前と全く変わらない暖かみがあった。ダイを初めて勇者と認めてくれた優しい王様は、二年を経て再会してもやはり優しかった。 手放しにダイの帰還を喜んでくれる。それは、ロモス王だけではなく、ロモス城の兵士達も同じことだった。 「本当におめでとうございます、勇者様!」 「私達は信じていました……勇者様がきっと、帰ってきてくださるって!」 さらに、喜びは城内だけに留まらない。パプニカでもそうだったように、ロモスでも城を大勢の人達が取り囲んで、一目でも勇者に会いたいと望み、歓声を惜しまなかった。 それは、ダイにとってはすごく嬉しい。 「ダイ君、そろそろ時間だわ。次の予定もあるし、そろそろ次の国へ向かいましょう」 「え、もう?」 ロモスに来てから、まだ半日と経っていない。あまりの慌ただしさに驚いたのは、ダイだけでは無かったようだ。 「そのお気持ちだけで十分ですわ。 エイミの礼儀正しいけれど長い口上の間、仏頂面で部屋の隅に突っ立っているのはラーハルトだった。明らかに人間とは違う外見に、周囲の人達が気遣わしげな視線を送っているが、ラーハルトは他人を全く気にする様子もない。 「ダイ様、お疲れですか?」 「ううん、大丈夫だよ」 そう答えたのは、嘘とは言えなかった。 レオナから、ダイがいない間に各国の王達がずいぶんと力を貸してくれていたと聞いていたし、そもそも大戦中もダイは王達にはお世話になっていた。 外交を司るエイミが行く予定ではあるのだが、申し訳ないが手伝って欲しいと言われて、ダイは一も二もなく承知した。ポップを初めとする仲間達が自分を助けるために努力してくれたのは、言われなくても分かる。 ならば、少しでも恩返ししたい。 せっかく自分のために集まってきてくれた人達のために、出来るだけのことはしてあげたいと思っている。 だが、主君にどこまでも忠実な部下は、ダイが口にはしなかった心の奥底まで見透かしていた。 「ですが、お顔の色が優れないようです。身体の疲れはなくとも、休息が必要な時もあるかと存じます」 ラーハルトにそう言われて、ダイは言葉に詰まる。それは、紛れもなく図星だった。 瞬間移動呪文で移動して、それぞれの王に挨拶に行く。口で言うのは簡単だが、実際にやってみると相当に面倒くさいものだ。 王様には失礼のない態度を取るようにと、ブラスやレオナから口が酸っぱくなるほど言われているだけに、ダイも一生懸命気を張って行儀良く振る舞っているが、常に気を使い続けるのは疲れるものである。 失礼のない挨拶をするためにエイミが、瞬間移動呪文の手助けをするためにラーハルトが付き添ってくれているとは言え、いい加減ちょっと疲れてきたのは事実だ。 ダイが地上に戻ってきてから今日で四日目になるが、正直、目が回りそうな気分だった。 あれからずっと、ダイは次から次へといろんな人達へと会ってばかりいる。もちろんそれは嬉しいし、相手も喜んでくれるのだからいいことずくめなのだが、あまりにも会う人が多すぎてじっとしていられる時間がほとんどない。毎日のように外国に出掛けては、挨拶をすることを繰り返している。 単に挨拶をするだけならいいのだが、行った先々で引き留められ次々に人に紹介され、大勢の人の前に出て手を振るまでがセットになっている。睡眠と食事時間を除けば、ずっとその繰り返しだった。 用事が済めばパプニカに戻れるとはいえ、仲間達も忙しいのかバタバタと動き回っていて、ゆっくりと顔を合わせる時間もろくにない。ダイにしてみれば、ちょっぴり――いや、本音を言ってしまえば、ちょっぴりどころでなく寂しい。 休みたいとは思わないが、せめてポップやレオナと落ち着いて話をしたり、一緒にご飯ぐらいは食べたいと思う。 「ダイ様、遠慮なさることはありません。後のことは引き受けますので、先に戻ってお休みになってはどうですか」 「えっ、……でも、いいのかな?」 一瞬驚いたものの、あまりに魅力的なラーハルトの提案にダイの心は大きく傾いた。 それに、もう義務は果たしたという思いもある。 テラン、ベンガーナ、ロモスの王様達とは直接の知り合いだっただけに挨拶するのは当然だと思ったし、テランやロモスの城ならダイ自身の瞬間移動呪文で移動できた。だが、ダイはリンガイア城にもオーザム城にも行ったことはない。 リンガイアでダイが縁があると言えば、ノヴァとその父親ぐらいだが、ノヴァとはもうとっくに再会を果たしているだけに、彼の祖国にどうしても行きたい理由もない。 それなのに、わざわざダイが一緒に行く意味はないように思える。レオナから預かったお礼状だとか丁寧な挨拶はエイミがやってくれるだろうし、瞬間移動呪文についてはラーハルトの方が行ける場所が多いので、彼がいれば問題はないだろう。 この意見をエイミが聞いたのなら血相を変えて反対しただろうが、ここにいたのはダイ様命の礼儀知らずの半魔族だけだった。 「気になさることはありません。これまでの苦難や苦闘を思えば、やっと地上に戻ってこられた今、望まぬ雑事をこなす必要などないでしょう。 その言葉に背中を押され、ダイは心がスウッと軽くなるのを感じた。 それでもこれまでのお礼と思って我慢していたのだが、ラーハルトに言われて吹っ切れた。 「ロモス王、今日は本当にありがとう、また今度来るからね。エイミさん、悪いけど後はよろしく。おれ、パプニカに先に戻っているね!」 「え? えっ、ちょっ、ダイ君ッ、ちょっと待って!?」 なぜかエイミがやけに慌てた声を上げたが、ダイはそれを見てさえいなかった。挨拶を追えると同時に、窓から外に飛び出したからだ。 「っわわっ!? な、なんじゃ、なんじゃ、ダイ君かい、びっくりしたぞ! こりゃ、年寄りを驚かせんでくれ」 パプニカ城の中庭に着地したダイを見て、そう言ったのはバダックだった。普段はワシはまだまだ若いが口癖なのに、こんな時ばかりは都合良く年寄りになるらしい。 「ごめん、バダックさん。ケガとかしなかった?」 ちょうど薪割りでもしていたのか、バダックさんの周囲には割れた薪が散らばっている。自分が驚かしたせいかと反省し、薪を拾いかけたダイに先んじて薪を集め出したのは大きな手だった。 「はは、なに、気にすることはないだろう。ポップよりよほど静かな着地だったしな」 そう言ったのは、クロコダインだった。 「あ、クロコダイン! ちょうどよかった、ポップがどこにいるか知らない?」 この質問こそは、ダイがずっと聞きたいと思っていたことだった。 だが、レオナや三賢者達は忙しいから後でと言うばかりだし、仲間やその他の人に聞いても知らないと言われるばかりだった。と言うより、そんな質問をさせてくれる時間もないほど、訪問予定に追いまくられてばかりだった。 しかし、クロコダインならきっと答えてくれるだろう。彼に絶対の信頼を寄せるダイはそう信じていたのだが、人の良い獣王は逆に不思議そうな顔をして問い返してきた。 「ん? なんだ、ポップはおまえと一緒じゃなかったのか? おまえがロモスに行くと聞いたから、おれはてっきりそうだとばかり思っていたんだが」 「違うよ、ぜんぜん一緒じゃないよ! さっきまで一緒に居たのは、ラーハルトとエイミさんだし」 「だが、食事の時に顔を合わせたんじゃなかったのか?」 「それも違うよ。そりゃ食事の度に、アバン先生やレオナとかマァムとか来てくれるけど――」 問われた質問に答える途中で、ダイは絶句していた。 ただ、忙しいからと全員が揃って食事をするのではなく、その時々で暇な人が相手をしてくれるという説明を、ダイは疑ってもいなかった。 マァム、ヒュンケル、三賢者にメルル、フローラ、ノヴァ、バダック、ブラス、マトリフ、ロン・ベルクなど、3、4人の人数が入れ代わり立ち替わりやってくる食卓は、いつだって賑やかだった。 (あれ……そう言えば、おれ、いつからポップに会ってなかったっけ?) どくんと、心臓が大きく跳ね上がる。 日の光に怯むダイを宥め、落ち着かせてくれたのは紛れもなくポップだった。あの時のポップの言葉も、ポップの手の感触も、ちゃんと覚えている。 「帰ってきてからずっと、おれ、ポップと会ってない……」 呆然と呟くダイに、クロコダインは一瞬驚いたような表情を浮かべてから、何やら考え込んだ。 「そう言えば……オレもだな。おまえとポップが地上に戻って来たのを見て以来、ポップには会っていない」 生真面目で義理堅いクロコダインの言葉には、ズシッとした重みがあった。ますます不安が強まるダイに、バダックがなぜか焦ったような表情を浮かべて取りなしてくる。 「そ、そんなこともあるんじゃないのかの? ポップ君も、何かと忙しいだろうからの、はははっ」 ダイの耳にさえ些かわざとらしく聞こえたその言葉を聞いて、クロコダインは彼に比べればはるかに小柄な年寄りに真正面から向き直った。 「じいさん。それは、本心か?」 「えっ、あ、いや、な、なんじゃ、藪から棒に」 やけに慌てながら、困ったような表情を見せるバダックに対して、クロコダインはどこまでも真摯に問いかける。 「なあ、じいさん。あんたは、前にオレを友人と言ってくれた。言葉で縛るつもりはないが、オレと友人だと思ってくれているのなら、頼みがある。ダイのためにも、本当のことを教えてくれないか。 「…………」 息詰まるような緊張感に、ダイは自分の息も止めていた。 ちょっとおちゃらけたような調子で、あっさりとポップの居場所を教えてくれて、そんなに大袈裟になる様なことじゃないと笑いとばして欲しかった。 「すまん」 「!?」 驚くダイの目の前で、バダックは申し訳なさそうに首を横に振った。 「本当にすまんが、ワシはポップ君の居場所は知らんし、そもそも教えたくても教えてやれんのじゃ。……口止めされておるからな」 「だっ、誰にっ!?」 ため息をついたバダックの口から、ダイにとっては予想外な人の名前がもれる。 「姫様じゃ。……これ以上、詳しい話を知りたいのなら、姫様に直接尋ねるといい」 「……ごめんなさい。本当に……悪かったわ」 しおらしげに、まるで許しを請う様に頭を下げるレオナは、これまでに見たこともない程にはかなげに見えた。 あの後すぐ、レオナの執務室に押しかけて疑問をぶつけたダイだが、彼女はこれまでのように誤魔化そうとはしなかったし、言い訳一つしなかった。仕事中で忙しいだろうに手を止め、ダイをとある部屋へと案内してくれた。 「箝口令を敷いたのはあたしだけど……元々はポップ君が口止めしたらしいの。自分が自然に目が覚めるまで、ダイ君には絶対に言わないでほしいって」 レオナらしくもない、気弱な表情は見ている方が辛かった。 魔王軍との戦いの最中は一度も見たことがない部屋だった。そこはかつては王族専用の幽閉室だったとレオナが教えてくれたが、ダイにとってはどうでもいい話だ。 厳重に見張りの置かれた螺旋階段の上にあったのは、やけに本が多い大きめな部屋だった。 窓にも格子が入っているし、ダイの個人的な好みから言えば好きな感じのする部屋ではないが、とりあえずそんなことはどうでもよかった。 大人なら余裕で2人ぐらい並んで寝られそうな程大きなベッドに、ぽつんと寝かされているのは紛れもなくポップだった。 ダイ達が部屋に入ってもなんの反応も見せなかったし、それは枕元に立っても同じことだった。 「ポップ……」 呼びかけても無駄だと分かっていたが、ダイは声をかける。 「……昏睡、してるんだね」 ひんやりとした手触りが教えてくれる。 その度に、ダイは不安になったものだ。 当時はうっすらと感じていただけだった危惧が、間違っていなかった事実を、今のダイは知っている。 ヴェルザーの眠りの状態が一種の昏睡状態であると見抜いた時に、ダイは昏睡によるメリットとデメリットも知った。 身体の代謝を落として最大限に魔法力を回復させる効力を持つ昏睡は、諸刃の剣だ。体力の弱い者ならば、その眠りから二度と目覚められない可能性もあると――それを知った時の身を搾り取られるような恐怖を、ダイは覚えている。 竜の騎士の記憶は、正確無比だ。 「ポップが眠ったのは、いつ?」 その質問に答えたのは、レオナではなかった。 「それは、オレが話そう」 「ヒュンケル……!」 落ち着き払った声と同時に現れたのは、長身の銀髪の戦士だった。ポップのベッドの側に置物のように控えていた寡黙な兄弟子は、淡々とした口調で静かに語り始めた――。 《続く》
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