『勇者の帰還 5』 |
あの瞬間こそが、誰もが待ち望んでいた時だった。勇者が行方不明になってからと言うものの、ダイの無事な帰還と再会を待ち望まない者はいなかった。だからこそ、誰もがダイばかりに注目していた。 だが、その中でポップだけが後ずさっていた。みんなに取り囲まれるダイから距離を取りながら、誰かを探すようにキョロキョロと目だけを動かしていた。 そんなポップと、ヒュンケルの目が合った。 しかし、その時はいつもとは違った。 (オレを呼んでいる……のか?) 戸惑いながらも、とりあえずヒュンケルは弟弟子の望みに従って側に近寄る。幸いにも、と言うべきか、ダイもみんなも、彼とレオナの再会に気を取られていた。 「……ダイには、内緒にしててくれよ」 青ざめ、立っているのもやっとだったポップは、ヒュンケルが近くにきた途端、安心したのか身体の力を抜く。今にも倒れそうな身体を支えるのに気を取られたヒュンケルは、助けを求めるために叫ぶのが一歩遅れた。 「大声……だすな……よ。……せっかく……みんな……喜んでるんだから……」 切れ切れの声でやっとのように呟く言葉は聞き取りにくかったが、ポップが言わんとすることを察するのは難しくなかった。 ダイの帰還は、彼と関わった全ての人間の悲願だった。最後の戦いの後に行方不明になったダイを、誰もが必死に探したし帰ってきてほしいと心から望んでいたのだ。 それがやっと叶って、誰もが心から喜んでいる。その気持ちはヒュンケルにも痛いほどよく分かるし、それを妨げたいなどとは微塵も思わない。そこまではよく理解できる。 だが、それが分かるからこそ、同時に怒りがこみ上げる。 確かにダイの無事な帰還は、勇者一行の誰もが望んでいた。しかし、それにはポップの無事な帰還も一緒でなければ意味がない。ダイが戻ってきたとしても、それと引き替えにポップの身に何かがあったとすれば、誰もが心からそれを嘆くだろう。 祝いや歓迎の準備など投げ出して、ポップを救うために全力を尽くすだろうし、そうしたいと思うに決まっている。 あまりにも大事なことを分かっていないポップを、怒鳴りつけてでも分からせてやりたい衝動に駆られたが、それでもそれをかろうじて抑えられたのはポップの顔色があまりにも悪かったからだ。 意識を保っているのもやっとだというようにひどい顔色をしているポップには、しゃべる力さえろくに残っていないのだろう。それでも力を振り絞って、ポップが何かを言おうとしているからこそ、ヒュンケルはなんとか自分を抑えてそれを聞き取ろうとした。 「すぐに、目を覚ますって……そしたら、おれからダイに会いに行くからさ……まだ、あいつをぶん殴ってねーし」 青ざめた顔に、それでもへらりとしたいつもの笑みを浮かべてそう言った後、ポップは溜め息の様に息を吐きだす。 「……後、頼まぁ……」 それが、最後の言葉だった。 「ポップ?」 呼びかけに、返事はなかった。
自分の口から出た言葉を、ダイは他人事のように聞いていた。 ダイを地上に連れ戻すまではとなんとか気を張って、無理やり我慢していたのだろうが――ポップはすでに限界だったのだ。と言うよりも、限界を超えていた。魔法力を使い過ぎて、意識を保つのも難しい状態だったに違いない。 そんなことにさえ気がつかなかった自分を、ダイは悔いた。 「あたしも……気がつかなかったの……。気がつかなければいけなかったのに……」 淡々と呟く言葉は、レオナの物だった。 「ダイ君が気がつかなかったのは、仕方がないことだわ。あの時、ダイ君も昏睡間際だったのだし、ポップ君に背を向けていたのだから。 辛そうな声で自分を責める王女を見て、ヒュンケルは何か言いたそうな表情を見せるが、口ごもる。 「違うよ、レオナ。レオナのせいじゃ、ない」 慰めではなく、確信を持ってダイは宣言した。 それを思えば、背中を向けていたからだなんて言い訳にもならない。いつものように気配を探っていれば、ポップが昏睡に陥ったのがすぐに分かったはずだ。 ヒュンケルもそれが分かっているからこそ、レオナに彼女のせいではないと言いにくかったのだろう。 寡黙な兄弟子の不器用な気遣いを嬉しく思いながらも、ダイは聞かずにはいられなかった。 「それで……その後、ポップはどうしたの?」 聞きながら、ダイは申し訳なさで一杯になる。 自分を気遣ってくれる兄弟子に対して、ひどい態度を取っていると分かっていても、聞いてしまう。 なのに、ヒュンケルはそんなダイを責めなかった。 その時、ヒュンケルはただ混乱するばかりだった。 だが、あの時はポップの突然の昏睡に誰よりもヒュンケルが混乱していた。それだけならまだしも、その混乱が収まらないうちにレオナの悲鳴が響き渡った。 「ダイ君っ!? ダイ君っ、な、なに……どうしたの? お、きて……起きてよ、ダイ君っ!!」 ヒュンケルが我に返った時は、ちょうどダイがぐったりと倒れ込んでアバンに抱えられ、そんなダイをレオナが揺さぶっている時だった。 「ダイッ!? ダイ、どうしたんだっ!?」 「ダイッ、返事をしてっ!」 「ダイ様ぁっ!」 蜂の巣をつついたような騒ぎの中、アバンだけはいつもの調子でみんなを落ち着かせようとしていた。 「まあまあ、落ち着いて下さい、みなさん。大丈夫ですよ、大丈夫ですから――」 のんびりとした口調に、にこやかな笑顔。 だが、ヒュンケルは気がついた。 それを見た時、ヒュンケルは思わず師の名を呼びかけた。弟子に成り立てだった少年期でさえそんなことはしなかったのに、師に縋り付きたい心境だった。 「……!?」 振り返ったヒュンケルを、老魔道士は目線だけでヒュンケルの口を封殺する。 それは、本当にほんの僅かな間のことだった。 だが、偶然からそれを見たヒュンケルは、最後までそれを見届けることになった。 「はいはーい、みなさん、落ち着いて。まずは深呼吸して下さいねー」 「はあ? こんな時に、何言ってんだよ?」 「こんな時だからこそ、ですよ。大丈夫です、この子は大魔王を倒したのみならず、魔界から生還してきた勇者なんですから」 明るい声で周囲の仲間達を引きつけるアバンとは逆に、マトリフは無言のままヒュンケルを引っ張り、岩陰の方へと導く。 さすがは勇者と魔法使いと言うべきか。 ダイが倒れ、さすがのアバンも動揺していたのか、自分の魔法使いを求めて目で追った。そのついでに、ポップも倒れているのを見たアバンの心境を思うとヒュンケルでさえ同情を禁じ得ないが、こんな時に不出来な弟子は何も出来はしない。 だが、マトリフは違う。 周囲の視線から遮られる岩陰に入り込んだ途端、マトリフは呪文も唱えずに瞬間移動呪文を発動させた。 魔王軍時代に何度かキメラの翼を使ったことはあったし、不本意ながらザボエラやその他の魔法使いの瞬間移動呪文で移動したこともあった。だが、今回の経験はそれらの移動とは根本から違っていた。 普通、瞬間移動呪文の際は、身体が急上昇する感覚や浮遊感を味わう。急激なその感覚は、不慣れな者には目眩を感じさせるものだ。 軽い立ちくらみにフッと目を閉じて再び開けたら、世界が変わっていたと言う感じだった。羽が地べたに静かに落ちたかのような静かな着地は、ポップの粗雑な着地とは天と地ほども差がある。これに比べたら、階段を一歩降りた方がよほど衝撃があるぐらいだ。 着地の衝撃を少しでも和らげようと、しっかりとポップを抱きかかえていたヒュンケルが拍子抜けしてしまうぐらい、その着地は穏やかだった。 「ここは……?」 「分からねえか? パプニカ城の裏手の井戸だ。ここら辺なら、まず手が加わることはねえだろうからな」 城には城主しか知らない抜け道やいざという時の脱出路が用意されているものだが、パプニカ城の場合はこの井戸こそが要なのだと、マトリフはさらりと言った。 よくよく見れば一応はパプニカ城敷地内ではあるが、尖塔や城壁に絶妙に隠された位置にある古井戸は、そうそう人が来そうもない場所にあった。苔むした蓋をされた井戸が、現在は使われていないことも一目で分かる。 実用のための井戸ではなく、偽装のための井戸だと言われればしっくりする。 名目上は近衛騎士のヒュンケルにさえ初耳な話だが、考えて見ればマトリフはかつてはこのパプニカ城の王宮魔道士だった男だ。新米の騎士などとは比べものにならない程、城に詳しくて当然だろう。 「抜け道を使ってもいいが、おまえさんが兵士達に伝手があるならさっさと話を通してきてくんな。とりあえず、まずはこいつを休ませた方がいい。 マトリフに指示されて、ヒュンケルはむしろホッとした気分だった。 頷き、ヒュンケルは羽織っていたマントを脱いでポップをしっかりと包みこむ。さすがに人一人を抱き上げているのは隠しようもないが、顔ぐらいは隠すことはできた。 幸い、と言っていいのかどうかは迷うが、見るからに怪しげな姿だったにも拘わらず、レオナが前もってヒュンケルを正式な騎士として叙勲してくれたおかげで騎士の特権が有効となった。 レオナが不在な以上、パプニカで最高位の騎士位を叙勲したヒュンケルには自由に城に出入りするだけでなく、兵士への命令権すらあった。 まあ、その後もマトリフに命じられるまま、ポップの手当てや着替えを手伝ったりなど細々とした用事を終えるまでどのくらいの時間がかかったのか、ヒュンケルは覚えてはいなかった。 思ったよりも時間がかかったのかも知れないし、あるいは思いがけないぐらい早く済んだのかも知れない。 「ダイ、おまえは覚えていないだろうが、おまえや姫、それに多くの人達が気球船でパプニカに戻ってきたんだ。ルーラを使わなかったのは……まあ、先生の思惑だろうな。 ヒュンケルの顔に、少しばかりだが苦笑らしきものが一瞬だけ浮かんだ。
まるでお祭りか何かのように仰々しく気球船で戻ってきたおかげで、パプニカ城は勇者帰還の喜びに一気に沸き立った。 と言っても、昏睡しているダイのことを思えば手放しに喜べないはずだが、そこはアバンの舌先三寸っぷりが発揮されたと言うべきか、城にいるものばかりではなく、勇者一行全員に対してもダイはすぐに目覚めるだろうと信じさせた。 そして、その嘘とは言い切れない予言は、すぐに果たされた。 仮死に限りなく近い眠りから、通常の眠りへと戻ったのだ。 だが、もう心配はない。後は、ダイが自然に目を覚ますまで待っていればいい――誰もがそう思ったに違いない。誰もが幸せそうに笑い、肩を叩き合って勇者の帰還を喜び合っていた。 ことに、ダイの昏睡に最も動揺したレオナが手放しに喜んでいるのが、仲間達には嬉しかった。 ダイが行方不明になって以来、レオナがどんな思いで勇者捜索を断念し、国の復興のために力を尽くしてきたのか、勇者一行ならば誰もが承知している。だからこそ、彼女のために喜ばずにはいられなかった。 (この時間が、少しでも長く続けばいい……) そう思ったからこそ、ヒュンケルは口を閉ざしていた。 こう言ってはなんだが、昏睡に対して打てる手当てなどない。 と言うよりも、あの時の記憶を忘れている仲間などいないだろう。 『……ダイには、内緒にしててくれよ』 意識を失う直前、ポップはそう言った。 口に出して確認はしなかったが、アバンやマトリフも同じ考えだったのだろう。喜ぶ仲間達や城の人々に対して、何も言おうとはしなかった。 (せめて、今晩だけでも――) 流れる涙を拭きもせず、眠るダイの手だけをしっかりと握り占めている姫君を見ながら、ヒュンケルはそう思った。気丈にも一人で国を背負いながら、それでも諦めることなく勇者を待ち続けたレオナの心を、今は尊重したい。 常に周囲に気を配る指導者の役目から解き放たれ、一人の少女として喜びに浸る一時があってもいいはずだ。 「さあ、みなさん、そろそろ今日はお開きとしませんか? ダイ君も無事なことですし、みなさんも今日は疲れたことでしょう。休んで英気を養うのも、大切なことですよ」 勇者の無事を約束された今、大勇者にそう勧められて逆らう者など誰もいなかった。ダイの側に付き添うレオナだけを残して、他の仲間達が退出しようとする。 だが、扉から出ようとした時に、ふと足を止めた少女がいた。不思議そうに周囲を見回し、ごく当たり前のように疑問を口にする。 「――ポップは?」 そう言ったのは、マァムだった。 たとえば、恋愛で三角関係にあたる者達が顔を合わせた際、他愛もない話をしていたとしても、どこか探るような不穏な空気を漂わせるように――。 しかし、マァムは極めつきの天然だった。 「そう言えばポップは、どこにいるの?」 何の衒いもないその質問の効果は、絶大だった。 |