『お姫様と物言う花 ー後編ー』 |
「旅の話……ですか?」 ぽかんとしたように、メルルは思わず聞き返してしまう。 「ええ、是非! 占いの件に関してはご心配なく、お父様から聞いておりますわ。王様の命令がなければ、占いはしてはならないのでしょう? ならば、結構ですわ」 屈託のない口調で、令嬢は占いは必要ないと言ってのける。 「そんなことよりも、旅のお話が聞きたいのですわ!」 ただの社交辞令とはかけ離れた熱心さで身を乗り出す令嬢らに、メルルの戸惑いは強まるばかりだ。 「ですが私の旅など、そうたいしたものではありせんわ。ただ、村から町へと歩いて移動していただけですもの」 メルルの「旅」は、物語などとはほど遠い。 ダイ達のように、怪物と戦いながら目的地を目指す旅などしたことがない。 メルルにしろナバラにしろ賑やかな場所を苦手としているため、観光旅行者がそうするように名所に行くことさえめったになかった。 正直、その辺の商人などの旅の方が、メルルよりもよほど楽しく賑やかなものだし、話を聞くにしても面白いだろう。 「まあ、なんてご謙遜を! 村や町へ歩いていただなんて、私たちでは到底叶わないことですわ。そんな体験こそ、お聞かせ願いたいのです」 「ええ、ええ! 村から別の村へ歩く時って、やはり馬車よりも時間がかかるものなのですか? 疲れたりはしませんの?」 「私は宿屋について、お聞きしたいですわ。なんでも、庶民は旅をする時には別荘に泊まらず、宿屋とやらに泊まるのですってね。それって、どんなところなのでしょうか?」 目を輝かせて、矢継ぎ早に質問を投げかけてくる令嬢達は、どうやら望む話をしなければメルルにお茶を飲む隙すら与えてくれないようだった――。
特に急ぐ用事もないのでゆっくりと歩き続けるだけの旅には、起伏らしい起伏が全くなかった。当時のメルルでさえ、時として退屈さを持て余すことのあった地味な旅の日々――。 だが、そんな他愛のない日常を、令嬢らは息をのんで真剣に聞きいっている。そして、話に区切りがついたところで、ほうっと大きな息をついた。 「まあ、なんて素敵なお話なのかしら……!」 メルルにしてみればとてもそんな風には思えないのだが、令嬢らの意見は一致していた。 「毎日、旅をされていただなんて、なんて素敵なのでしょう!」 「本当ですわ。まるで物語のようですわね、羨ましいですわ」 「素敵ですわ、メルローズ様、もっとその頃のお話を聞かせてくださいませ」 とびっきり珍しい話を聞いたかのように、令嬢達はうっとりと平凡な旅の話に聞き入っていた。 意外にも、予想はよい方向に裏切られたと言える。 万事おっとりしているというのか、彼女達はどこまでも無垢で大らかだった。 (でも、考えてみれば無理もないかも……) メルルも実際に王家の一員となってから知ったことだが、お姫様の暮らしは意外なぐらいに単調だ。 大抵の場合、王女と大貴族の令嬢の暮らしぶりに大差はない。 買い物は業者を家に呼びつければいいことだし、教育も同様だ。住み込みの家庭教師や乳母が主な教育を担当するのが普通だし、習い事も外に出て行くことはない。 これがまだ、男子ならば狩りや勉学のため外に出る機会も多いだろうが、女子の場合は教師の方を自宅に呼び寄せるのが当然だ。 軽い運動のために散歩や乗馬をするにしても、女子の場合は自宅から出る必要は無い。自宅の庭だけで、十分にそのスペースを用意できないようでは貴族とは呼べないのだから。 パーティやお茶会だのにひっきりなしに呼ばれるものの、それも気楽な遊びと言うよりは義務に近い。行き帰りにもしっかりとお付きに管理されている上、パーティに参加する際には異性の付き添いが必須だ。 未婚の女性の場合は、父親や兄などがその役割を果たすことが多い。つまり、羽目を外すなど最初から許されるわけもない。 強固な箱入りとして育てられる良家の令嬢達は、結果的に旅などほとんどすることはない。下手をすれば嫁ぐために婚家に移動する時こそが、生涯最初にして唯一の旅行となることも珍しくはない。 生まれながら一生の安泰を保証されている代わりに、自由がない――貴族の女子とは、さながら温室の花の様な存在だ。 メルルの旅は祖母についてあちこちの村や町を移動するだけの地味なものに過ぎなかったが、彼女達にとってはそれこそ勇者並みの冒険の旅にも等しいだろう。 「ですが、旅というのも面白いことばかりではありませんわ。大変なこともありましたし……」 そういいながらも、メルルはそれをどこまで話していい物か迷う。 旅の占い師などという、先行きの見えない根無し草のような生き方に心細さを覚えたことだって一度や二度ではない。 しかし、旅をする者の心細さや苦労など、貴族の少女達には到底理解には及ぶまい。 「それにしても、この程度の話ならばいくらでも聞けるのではありませんか? たとえば、旅の商人とか……」 正直、メルルはそれが疑問だった。 「あら、そんなの、お父様が許してくれませんわ」 「ええ、うちの父もうるさくって。たとえ出入りの業者であっても、男性と長く話すなんてはしたないって怒られますもの」 うちもそうなのと、輪唱のように囀る令嬢らの親心が分からないでもない。 それは仮にも王女となったメルルにも理解できるが、それでも納得しきれない疑問があった。 「ですが、侍女などにも旅の経験者はいるのでは?」 17年前と2年前、二度の魔王軍の侵攻があったため、戦禍に巻き込まれた者は多い。特に城に上がっている侍女には、戦いで親や夫を亡くしたため働くようになった者は少なくない。 そんな侍女達の中には、驚くほど遠い地方からやってきた者もいる。大人数の侍女がいれば、一人や二人はメルルを上回る旅物語を体験した者がいてもおかしくない。 だが、令嬢らは意外なことを聞かれたとばかりに、きょとんとした表情になった。 「え? 侍女なんかがですか?」 その顔に、全く悪意は無かった。ただ、ただ、無邪気に、疑問に思っているだけの話だ。 しかし、全くの想定外だと言わんばかりのその表情を見て、メルルはつい思ってしまう。 「そんな話、聞いたこともありませんわ」 「どうせ、侍女相手なら、こうしてお茶会など開けないでしょう? お父様が許してくれませんもの」 「ええ、侍女ですものね」 同じ部屋に侍女が複数いるにも拘わらず、全く悪びれずにそんな会話を交わす令嬢らに、メルルは思わず絶句しまう。 同じ部屋にいながら、まるで線引きでもしたかのように存在する、身分という壁――それに呆然とするメルルに、令嬢は何にも気がついていない無邪気さで話しかけてくる。 「そんなことよりメルローズ姫、もっと旅のお話をして――」 その言葉を最後まで聞く前に、メルルの脳裏にふっと嫌な影が落ちた。同時に、背筋を戦慄が走る。 「……大変です! この館を目指してくる影が、いくつもあります!」 軽く目を閉じ、メルルは思念を凝らす。脳裏に浮かぶぼんやりとした影に集中し、その形や大きさを数えるために。 「……見えます。たぶん、マンドリル……多分、3匹はいるでしょう。ひどく興奮して、こちらに向かってきます。早く対策を……!」 そう告げながら目を開けた時、メルルが無意識に思い浮かべていたのはレオナやダイ達の姿だった。 予知を聞くや否や、直ちに行動するだけの強さが彼らにはあった。何をすればいいのか即座に判断し、阿吽の呼吸で即座に動き出す勇者一行の側にいれば、どんな不吉な予知も打ち消せるのではないかと思える安心感があった。 だが、メルルが目を開けた先にいたのは、きょとんとした顔の令嬢達だった。突然、場違いな話を聞かされたとばかりに戸惑うばかりで、特にこれといった反応を見せない。 「あの、早く誰かに知らせないと手遅れになります! 急いで誰か、責任者に連絡を」 そう言っても、令嬢達の反応ははかばかしいものではなかった。 「えー、でも、ここは別荘だから、いつもと違って乳母やもいないのに」 「それに、今はお茶会の最中ですのよ?」 怪物の襲来など、全く気にもとめていないその反応に、メルルは思わず目を見張る。 「と、とにかく、そのお話が本当なら、ご主人様に連絡しなければ……!」 「ですが、ご主人様は邪魔をするなと言っておられたし、もしかして怒られるのでは……!?」 不安そうという点では、侍女達の方が上だった。だが、役に立たないという点では、彼女達も大差はない。 (どうすれば……!?) 途方に暮れたメルルの耳に、数人がこの部屋に向かって走ってくる音が聞こえた。 「お、王子、お待ちを――」 「失礼、お嬢さん達。ああ、メルローズ、聞きたいことがあるんだ。今、予知を感じなかったかい?」 部屋に入ってきたのは、ドライだった。侍従らしき人物が彼を止めようとしているようだが、彼は周囲にはお構いなしに質問を投げかける。 「ボクもたった今、少しばかり予知を得たんだ。マンドリルが3体、襲ってくるってね。だが、ボクの予知では、西と東、どちらに向かえばいいのか分からない。けれど、キミなら分かるかもしれないと思ってね」 それを聞いて、メルルは少しだけ目を閉じ、一方向を指さした。 「西ですわ」 「了解。さあ、テラン一の占い師のご託宣だ。この館にいる男手を集めて、西へ行った方がいい。これは、ボクの予知とも重なる。従うのなら、解決までにそう時間はかからないよ」 テランの真珠と名高い、メルローズ姫。そして、テランの第三王子であり、稀代の占い師として名高いドライの予知は外れなかった――。 「メルローズ姫! 姫は、ご無事ですか!?」 いささか焦った様子で客間にその男がやってきたのは、それから30分ばかりだったころだろうか。一目で貴族と分かる豪華な衣装の男は、壮年ほどか。侍女の態度から見て、彼がこの別荘の主人なのはなんとなく察しがつく。 「おお、ご無事な様子に安堵しました。よかった、安堵いたしましたぞ」 大仰に無事を喜ばれたものの、メルルはわずかに当惑する。 しかし、男は令嬢らには見向きもせず、メルルの機嫌を取るかのように熱意を込めて話しかけてくる。 「この度は、せっかくのご招待に不調法があり、誠に失礼を致しました。何か、ご不快はありませんでしたか?」 気遣わしな男に、メルルは首を横に振る。 「いいえ、大丈夫ですわ。それよりも、怪物はどうなりましたか?」 「ああ、ご心配なく! 私兵が片づけましたから。なに、自慢をするようですが、うちの雇っている兵士はかなりの手練れでしてね、あの程度の怪物など簡単に全滅させましたよ!」 得意げに笑う男に、メルルは笑い返せなかった。 大抵の怪物は魔王の思念派により一次的に凶暴化していただけであり、通常時は野生の動物と同じぐらいの危険度しかないというのが、この二国の主張だ。 特に、ロモス王国では怪物保護令を積極的に行い、獣王クロコダインを森林警備隊長に抜擢するなど、積極的に怪物と人間の共存を目指している。 カール王国も、思想的にはそれに近い。 婉曲的ではあるが、テラン王国も怪物と人間の共存を受け入れている。元々、王の命令によって武器を捨てた国民達は、積極的に怪物と戦おうなどと夢にも思わない。 だが――怪物と積極的に戦うことを良しとする国も、存在する。 そして、ベンガーナ王国。 魔王軍との戦いに備え、過剰なまでに武器を作り続けた結果、平和となったこの国には不要なほどの武器を抱え込むことになってしまったのである。 それを解決するため、ベンガーナ王国が発令したのが、怪物討伐報奨制度だ。危険と見なされる怪物を退治した場合、国から褒美を与える法令である。これは軍務によって討伐した兵士はもちろん、一般の戦士や民間人であっても、効力を発揮する。 これにより、魔王軍戦で使われなかった武器が、主に民間の戦士達へと売り払われることとなった。 この法令を初めて聞いた時、ポップやレオナが困ったような顔をしていたのを、メルルはよく覚えている。だが、聡明な彼らは現段階で他国に内政干渉するのは得策ではないと判断し、沈黙を保っている。 パプニカ王国の実権を握っている二人にさえ口を出せないようなことを、名ばかりのテラン王女であるメルルに、非難できるわけがない。 それに、彼らベンガーナ王国の民には、怪物を倒して褒められこそすれ、咎められるなどありえない。 「怪我人は出ませんでしたか?」 「まあ、たいしたことはありませんでしたよ。そう言えば下っ端の兵士が一人、怪我をしたようですが。ですが、自力で歩いていましたし、問題はないでしょう」 ほとんど関心がなさそうな男の言葉が、メルルには信じられなかった。 「あの……、私も微力ですが治癒の魔法ぐらいは使えます。よければ、手当を手伝いますが……」 思い切ってそう申し出ると、男はとんでもないとばかりに目を丸くした。 「いやいや、何をおっしゃいます!? そんな、下働きなどのために王女自らに治療をさせるだなんて、そんなことはできませんよ!」 「そうですわ、お気になさることなんてないのに」 そう口を差し挟んだのは、令嬢の一人だった。彼女はにっこりと花のように笑い、無邪気に言った。 「だって、それがあの人達の仕事でしょ?」 「…………」 メルルは、一瞬言葉をなくした。 「それよりも、お茶を入れ直しますから、お茶会を続けませんこと? メルローズ姫ったら、先ほどから全然話してくださらないんですもの」 「ええ、そうですわ。もっと、旅の話などをお聞きしたいわ」 甘えるように話をねだる令嬢達は、さっきから少しも変わらない。近くに怪物が来たと知っても気にすることなく、むしろメルルが黙り込みがちなのを不思議そうに受け止めていた。 当惑するメルルに対して、声をかけてきたのはいつの間にかやってきたドライだった。 「悪いけれど、今日はもうおいとまさせていただきたいな。この件は王にも報告しなければならないし、それに予知は案外と疲れるものなのでね。早く城へ戻って、メルローズを休ませてやりたいんだ」 「ええー?」 いかにも残念そうに令嬢は言ったが、父親である別荘の主は即座に頷くと、それ以上の不満は漏らさずにすぐに引き下がる。 「おお、これはお気遣いが足りず失礼を。では、すぐにでも私兵達に城まで遅らせましょう」 男の申し出を、ドライは少し勿体ぶった仕草で断った。 「いや、それには及ばないよ。妹姫のエスコートはボクの仕事だからね、お心遣いだけ受け取っておくよ」
思い浮かぶのは、今日であった少女達のことだった。 しかし、彼女達はまるで温室の花だ。 今となっては、彼女達が未来の占いを望まなかった理由が分かる。 普通の娘ならば、将来自分がどうなるのか、どんな相手と結婚するのか、気にせずにはいられまい。特に想い人のいる娘ならば、いても立ってもいられないほど気になることだろう。 結婚を機に、娘の人生は大きく変わる。親の庇護を抜け出した一人前の女として、人生を切り開いて行かなければならない。その際、夫が誰かで人生は大きく変わる。 けれど、恋愛と結婚は別物だ。 あるいは、結婚後、心が冷めて心変わりしてしまったとしたら。 不安要素を上げれば、きりが無い。不確定要素に包まれた未来だからこそあれこれと心を悩ませ、少しでもよい選択を選び取ろうと占いに熱を込める――それが、普通の娘だ。 しかし、貴族の令嬢は違う。大貴族の娘ならば、なおのことだ。 貴族にとって、結婚とは家同士のつながりを示すものだ。 籠の中の鳥ならば、まだ外に出たいと望むかのしれない。だが、もっと隔絶された世界に住むもの――たとえば水槽で飼われる魚なら、空を飛ぶ鳥に焦がれることもあるまい。 話し相手すら厳密に管理され、整えられた世界――そこにいる限り、絶対の保護は保証されているのだから。 大貴族同士であればあるほど、結婚したとしても実家とのつながりは続くものだ。むしろ、婚家と実家を強く結びつける存在となることを推奨される貴族の娘は、嫁いだ後も令嬢から妻へと名を変えるだけで、両家からの庇護を受け続けることになる。 つまりは、今までと何ら変わることがない。 そして、彼女達の求める『非日常』は、どこまでも物語に過ぎない。 彼女達にとっては、それはどこまでも他人事。 「メルローズ。浮かない顔だけど、何を考えているんだい?」 静かにそう問いかけられ、メルルはふと馬車内に視線を戻す。向かい側の席に座っている義兄を見ながら、メルルは答えた。 「……私は、王女にはなれそうもないなって思っていたんです」 その言葉を、どう受け止めたのか。 「それを言うのなら、ボクもだよ。ボクも、未だに王子にはなれる気がしないね」 ドライは、アインやツヴァイに比べれば確かに王子らしくはない。だが、彼らに比べればずっと庶民的な感覚を持っているドライは、メルルにしてみれば身近な存在に感じられる。 奇妙な縁から義理の兄弟となった相手に、メルルは小さく微笑み返した――。 END 《後書き》 捏造てんこ盛りのテラン王女メルローズのお話です♪ どこそこに嫁いだとか、子供を何人産んだと言う記録は残っていても、政治に関わらなかった姫君については、ほぼ記録に残らなくって。 でも、記録を見る限りだと彼女達に求められているのは、パーティなどで社交的に振る舞うことぐらいのものみたいですね。 ところで、今回は脇役だったドライも、実は予知を得ています。常に二つの未来を予知する彼は、東に兵士を向けるか、西に兵士を向けるかの予知を得ました。 西に兵士を向ける→兵士に怪我人が出る危険性はあるが、怪物を一掃できる。 この予知の結果、ドライは前者の方が無難だと判断し、メルルの助けを借りて場所を特定しました。 |