『静寂の雪解け道を』
 

「うー、さむさむ、ったく、昨日はあんなに暖かったってぇのに、なんでこんなに急に……いっ!?」

 ぼやきつつそそくさと急ぎ足で回廊を歩いていたポップは、不意に頓狂な声を上げた。
 驚きに見開いた目に映るのは、窓の外でひらひらと舞う雪片だ。

 それだけなら別に、驚く程のことでもない。ここ、パプニカでは温暖な気候のため雪は少ない方だが、それでも数年に一度は降るものだ。ポップ自身、パプニカに住み着いたのは今年からなのだが、この冬にだって何度も見た光景である。

 パプニカに住んで長いバダックから聞いた話によれば、今年のように雪が何度も降る年はパプニカでは珍しいものらしい。
 山間の村育ちで雪には馴染みのあるポップだが、それでも春先に咲く花や蕾の上に舞い散る雪は、ひどく珍しいものとして映った。

 春先の天候は当てにならず、少し暖かくなったかと思えば翌日には冬に逆戻りしたかのように寒くなったりするものだが、それでもこの時期の雪とは珍しい。

「あー、マジかよ〜。もう、三月も後半だっていうのによー」

 急いでいたのも忘れて、ポップは思わず窓に張り付いて空を見上げる。
 本来なら夕暮れ時で美しいあかね色に染まっている時間帯だが、今日は朝からずっと厚い雲に覆われた空は、すでに夜であるかのように暗い。しとしとと降り続けていた冷たい雨は、季節外れの寒さについに負けてしまったのか、いつの間にか雪に変わってしまったようだ。

 早くもうっすらと白くなり始めた裏庭を見て、ポップは少しばかり迷う。
 仕事もようやく終わり、ポップは王族専用の食堂に向かうところだった。レオナの命令で、勇者一行のメンバーは夕食には必ず顔を合わせるのが決まりだ。

 そのため、王宮の中でも奥の方にある食堂に向かっているところだったのだが、そこに行くためには今歩いている回廊を行く方法と、裏庭を突っ切って行く方法がある。

 寒いから冬場は回廊を使う方が楽なのだが、裏庭を突っ切る方が近道ではある。ダイなどは回廊を嫌って庭を走る方が好きでよくそうしているが、ポップはあまりそうはしない。

 特に雨の日などは濡れるのが面倒でちゃんと回廊を歩くのだが……なんとなく、今日は外に出てみたくなった。
 雪に誘われるように裏庭に一歩踏み出したポップだったが――その瞬間に後悔した。

「うえっ!?」

 忍び寄る闇を跳ね返すような仄白さを見せていた薄い雪原は、本当に、本気で薄かったらしい。

 たった一歩踏み出しただけで、グチョッっと、なんとも言えない嫌な感触がした。パッと見には雪に見えたが、どうやら今、地面に積もっている雪はみぞれに近いらしい。

 新雪特有のサラサラ感など微塵もないべちゃべちゃした感覚は、降りたての雪と言うよりは雪解け道にそっくりだ。歩いたところで、足跡一つないまっさらな雪原を歩く楽しさなど、全く浮かんでこない。

 できたばかりの足跡は、雪と泥と混じり合ってしまってあやふやな感じだし、白さ以上に汚れを強調しているようなものだった。

「うへー、最悪〜」

 ぼやいたポップは反射的に宙に浮かびあがりかけるか、すぐにそれをやめた。

 まだ外に踏み出していないならともかく、もうすでに靴は泥と雪に塗れている。ならば、今更空に飛び上がっても同じことだろう。それに、こんな風に靴を汚してから回廊に逆戻りしたのがバレたら、後でレオナに何と言って叱られるか分からない。

 そう思って先に進もうと歩き出したポップだが――同じなどではなかった。
 みぞれ交じりの雪は、予想以上に足場が悪かった。

 半分凍りかけたり、溶けたりを繰り返しながら緩んだ雪解け道のように、ちょっとでも油断するとたちまちずるりと足をとられて滑りそうになる。旅用の頑丈なブーツならまだしも、今は執務用のヤワな靴を履いているせいで特に足元が不安定で危なっかしかった。

 今にも転びそうな不安定な足取りでおっかなびっくり歩くポップの周囲を、微かに雪が舞い散る。こんなにも頼りない雪なのに、それでも雪の静音効果があるのか、周囲がしんと静まりかえっているように感じるのは気のせいなのだろうか。

 音もなく降り積む雪の中、聞こえるのはポップ自身の足音だけだ。
 それらが、薄れかけていた記憶を呼び起こす。

(そういや……あの時も、雪が降っていたっけな――)
 
 





 あれは、確かクリスマスの夜だった。
 魔王軍との戦いの直後で、世界が平和に浮かれていた頃。それは、ダイがいなくなって最初の冬であり、ポップにとっては一番焦りが強く、一番辛かった時期だった。

 今思い返せば、馬鹿な真似をやったものだと思う。
 だが、当時のポップに自分を省みる余裕などなかった。ダイをどうしても探さなければと言う強迫観念じみた焦燥感に駆られるまま、無茶な旅を繰り返していた。

 行き倒れたのも、一度や二度ではない。
 だが、そんな過酷な旅の中でポップが一番辛かったのは、夢の時間だった。肉体的な苦労でくたびれきっている時以上に、夜の休息時間の方が怖かった。

 起きている時は強固な意志で身構えていられても、眠ってしまった精神は無防備だ。心は勝手に自分の望みを夢という形に作り替え、微睡もうとする。

 ダイがすぐ隣に戻ってきたという夢を見て、何度喜び――そして、何度、絶望の底へと叩き落とされたことか。目を覚ました瞬間の、今までのことが夢だったと気づく際の絶望感と言ったらなかった。
 ダイを確かに見つけ、幸せに暮らしたと思っていたのに、それも夢だったと思い知らされたことも、何度もあった。
 その恐怖は、悔しいことに未だにポップの中に巣くっている。

 以前よりも回数は減ってきたものの、悪夢に飛び起こされ動悸が止まらないことは今でもたまにある。

 つい最近では、初雪の日がそうだった。
 あれは、到底夢とは思えないリアルさがあった。ダイが地上に戻ってきたのは、ただの夢だったのだと思い知らされた時に感じた絶望感ときたら――思い出すだけでも胸が悪くなる。

 夢なんかのせいでいつにない早起きをしてしまったのに、どうしても寝直すきになれなかった。もう一度眠ったのなら、そのままその夢が現実に成り代わるような気がして……馬鹿馬鹿しいと思いながらも、どうしても自分の中の不安を振り切れなかったのだ。

 結局、どうしても落ち着かなかったポップは、ダイの部屋に行こうと思った。
 実際にダイの脳天気な顔を見れば、夢など忘れるだろうと思ったのだ。

 人を訪ねるにはいささか非常識な時間だったが、そんなのは気にはならなかった。
 どうせ、相手はダイだ。

 いつもいつもポップを起こしにやってくるダイを、たまには起こしてやっても問題はないと思った。むしろ、仕返しにちょうどいいぐらいだとさえ思ったものだ。
 なのに――実際には、ポップはあの日、ダイの部屋には行かなかった。

 そのつもりで朝も早い時間から外に飛び出したのに、途中で足が止まってしまった。
 もし、ダイの部屋に行って、そこが誰もいない客間のままだったとしたのなら――。

 そう思うと、どうしても足が動いてはくれなかった。
 ふと、頭に浮かんだ妄想をどうしても振り払えず、立ち竦んでいるしかできなかった。

(しっかりしろ、なさけねえぞ! それでも、仮にも勇気の使徒かよ!?)

 そんな風に自分で自分を鼓舞し、なけなしの勇気を掻き集めようとしている時のことだった。馴染んだ声が耳に飛び込んできたのは――。







「ポップ!」

「え……っ?」

 驚いて、ポップは声の方に振り返った。
 が、振り返りきる前に、勢いよくポップに飛びついてきたのは紛れもなくダイだった。まるで回想の中から飛び出して来たのかと思うようなタイミングで登場してきたダイは、元気いっぱいにまくし立てる。

「やっと見つけた! もー、どこ行ってたんだよ、もう夕ご飯の支度ができるんだよ、エイミさんやヒュンケル達も来てるし、みんな、ポップを待ってるのにさ!」

 ……言っている内容は、ひどく現実的だった。
 あまりに有り触れた日常的すぎて、ついさっきまで思い出していた夢の残滓まで消し飛ばされてしまう。思わず、ポップは笑っていた。

「あー、悪い、悪い。もう、そんな時間だったんだな、じゃあ、急ごうか」

 ヒュンケルは別に待たせていても構いやしないが、エイミ達を待たせるのは気が引けるし、何よりレオナを待たせては後が怖い。
 足を速めるポップに軽々とついてきながら、ダイは今気がついたように辺りを見回す。

「それにしても、雪、降ってたんだね」

「今更、何言ってんだよ」

「だって、今、気がついたんだもん。ねえ、雪、また、積もるかな?」

「なんだよ、おまえ、雪の度にあんなに大きな雪だるまを作っていたくせに、まーだ作り足りないのかよ?」

 苦笑しつつも、ポップには分かっていた。
 今日の雪は、おそらく積もるまい。
 雨から雪に変わった場合は地面が濡れてしまっているため、少量の雪では積
もる前に溶けてしまうものだ。

 だが、この冬だけでも何度も雪遊びを楽しんでいたくせに、目を輝かせて舞い落ちる雪を見ている勇者に対して、そんなつまらない予想など言う気にはならなかった。

「ま、明日の朝を楽しみにするんだな」

「そっか、明日になれば分かるもんね」

 ポップの適当な返事に、ダイは大真面目に頷く。それは別にいいのだが、ダイはごく当たり前のように宣言した。

「じゃ、今日はポップのとこに泊まるね!」

「は? なんでそーなるんだよ?」

 ポップとしては、別にダイが自分の部屋に眠りに来るのは構わない。が、前後の文の脈絡の無さに、つい聞き返してしまう。
 しかし、ダイはどこまでも大真面目だった。

「だって、雪が積もったらまた雪だるまを作るんだもん、なら、一緒に寝た方が早く作り始められるじゃないか!」

 それがこの世で最も正しいことであるかのように、勇者その人に力強く宣言されては、さすがの大魔道士も反論できない。一瞬の呆れにニヤリとした笑みをかぶせ、ダイの頭に手をポンと乗せ、乱暴にぐしゃぐしゃっと撫でてやった。

「ま、いいぜ。その代わり、雪が積もらなかったら朝寝坊な!」

「うん、いいよ! でも、雪が降ったら一緒に雪だるま8号を作ろうね!!」

 泥混じりのうっすらした雪の上に、勇者と魔法使いの足跡が並んで残る。だが、先程までの静寂は、楽しげに笑い合う勇者と魔法使いの声に掻き消されて、今は感じ取れなくなっていた――。  END 

 
 

《後書き》

 四季のお題の晩冬のお話。前回の真冬のお話と対になっています。
 ダイもポップも、それぞれ自分の一番辛かった夢の話は口にも出さないけれど、互いに相手を無意識にうちに救っている……そんな感じのお話ですv

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