『お化け小屋の幽霊騒動 ー後編ー』 |
ウィル・オー・ウィプス。 もし、夜、その光を見かけても決して近寄ってはいけない。なぜなら、ウィル・オー・ウィプスを追いかければ、待っているのは「死」のみ。 知らず知らずのうちに道を見失い、二度と戻れない場所に誘導されてしまう。ある男はウィル・オー・ウィプスに誘われるままに森の奥深くに入り込み、最後にはジワジワと苦しみぬいて死んでいったと言う――。 暗闇の中に、ぼうっと浮かび上がる丸い光の球を見ながら、ジンが思い出したのはそんな昔話だった。 (どーしてこんな時ばっかり、はっきり思い出せるんだよーっ!?) 心の中で絶叫するも、悲しいかな、口や喉が貼り付いたように動かず、声を出すこともかなわない。それ以上に、ここから逃げ出したいと思うのに、足はなぜかジンの意思を無視してガクガク震えるだけで、少しも動いてはくれない。 こんな時、誰かの号令が欲しいとしみじみ思い知る。 すがるような思いでジンは、すぐ隣にいるトビーの方を見やる。が、ジンよりも年上ながら、腰巾着歴ではジンを遙かに上回っている彼の膝は、ジン以上に震えまくっていた。 (だめだ、こいつ、役に立たないよぉ〜っ) 自分のことなど棚に上げ、ジンは泣きべそをかきたい気分だった。まさか本当にいるとは思わなかった「お化け」を目の当たりにして、どうしたらいいのか全く分からない。 逃げたいのに逃げられず、ただ怯えているしか出来ないジンだったが、そこに思いがけない導きが授けられた。 「……よっ、よしっ、あれの側まで、行こうぜ……っ!」 決然とした一言――ならばかっこいいだろうが、実際には全然そうじゃない。むしろ、怯えきってへっぴり腰もいいところなのだが、それでもポップのその発言はジン達には衝撃だった。 「「えぇええっ!?」」 言われたことに驚いたせいか、ジンとトビーの声が復活し、しかも見事にそろったが、まあそれはどうでもいい。 問題なのは、モップをしっかりと抱え直したポップがそろそろと歩き出したことだ。 「おっ、おい、ポップ、マジで行く気なのかよっ!?」 「や、やめとけよ、やばいって!」 ジンだけでなくトビーまで思わず止めてしまったが、ポップはものすごくのろのろとした足取りではあっても、明らかに森の奥へと向かっていく。いかにも覚束ないその足取りに比べれば、ポップの口だけは達者だった。 「だっ、大丈夫、に決まってる、だろっ。あれは、ウィル・オー・ウィプスとか、セント・エルモの火とかじゃ、ないっ……はずだ。だって、本で見たのと、色や動きが違うし……っ!」 (無駄に詳しいな、こいつ) と、思わず感心とも呆れともつかないツッコミが、ジンの脳内に浮かぶ。まあ、ポップは村でも有名な本好きで、時として大人が驚くような雑学も知っている。同じ昔話を知っているとして、ジンが覚えているよりも正確に覚えていても、何の不思議もない。 とはいえ、その知識はこんな状況下ではあまり役に立つとは言い切れなかった。 「だっ、だいじょうぶ、大丈夫だっ、あのウィル・オー・ウィプスはほとんど動いてないから、後を追っても底なし沼に誘い込まれたりなんか、しないはずだって!」 「いやっ、だから詳しすぎっ! そんなことまで教えてくれなくてもいいよぉおっ」 今度は思わず、声を上げて反論してしまう。 これが悪ガキ連中の悪戯だとは、もうジンには思えなかった。いや、最初からそんなこと思いつきもしなかったが、今となっては特にそう思う。 ジン達が怯えているのを脅かす気ならば、光が近づいてこないのがおかしい。もし、あの光を持っているのが悪ガキ連中だとしたら、脅かすにしろからかうにしろ、必ず近寄ってくるはずだ。 しかし、光はジン達の存在など無視しているかのように、動かない。ほぼ同じ場所をうろうろしているだけだ。 「もう、帰ろうぜ。あれ、多分、あいつらの悪戯とかじゃなさそうだし」 ジンにしてみれば、そんな不気味な光などには背を向けてさっさと逃げたいところだが、ポップは恐怖を感じつつも、好奇心の方がそれをちょっとだけ上回っているらしい。 「そんなの、分かってるよ! 分かってるから、気になるんじゃねえか……あれ、なんなんだ?」 「いや、分かってるなら気にしない方向でいこうよっ!?」 思わず、ジンがそう訴えた時のことだった。 「ひぇえええっ!?」 叫ぶなり、ばったりと地面に突っ伏したトビーは、ごめんなさいだの許してだの口走るだけで動こうとしない。 動けないのは、ジンも同じだった。 そして、『それ』を見た。 「……っ!?」 一瞬、それは逆巻く炎に見えた。 だって、こんなに近くにあるのに少しも熱くないし、火と違って淡く、柔らかい光を放っている。 光の正体は、ポップの持っているモップだった。 「え……!?」 今まで見たこともない不思議な現象に、ジンは一瞬、息をのむ。 「こらっ、こんな夜遅くにうろついているなんてどこの子だぁっ!? 夜に森をうろつくなんて危ないだろうがっ、事故でも起きたらどうする!?」 雷のような怒鳴り声に、子供達の身体が竦む。と、それを狙っていたかのように、重い拳骨が子供らの頭に炸裂した。ゴッ、ゴッと重たい音が連続して響くと同時に、脳天に白い火花が散る。 (い……ったぁあっ!!) あまりの痛みと衝撃に、ジンは声すら上げられないまま蹲る。それは痛みが強かったせいもあるが、最大の理由はいきなりの暴力に打ちのめされたせいでもある。 人間と言う物は、暴力に対してそうそう反応できるものではない。訓練を積んだ者でもない限り、ショックを受けて呆然としてしまう方が多い。それはジンだけではなく、悪ガキも同様だった。 「いってぇえええっ!? 何しやがるんだよっ!?」 「ん? ……って、ポップか!? なんだってこんな所にいやがるんだ?」 と、呆れた様に言った声は、さっきの怒鳴り声に比べれば大分迫力が落ちる。そのおかげで、ジンはその声の主が誰か考えるだけの余裕が出来た。 「ポップの……おじさん?」 恐怖と痛みでパニックっていたから人魂を連れた大男の幽霊としか思えなかったが、よくよく見ればそこにいるのは洋灯を掲げた大人の男性に過ぎなかった。 ポップにそっくりの癖のある黒髪なのに、厳つい顔つきが似ても似つかないその男は、ランカークスの唯一の武器屋の主人にして、ポップの父親のジャンクに間違いない。 「あぁ? なんだ、ポップだけじゃなくて、村長の息子もいたのか。それにそっちの子は……教会裏のボビーのとこの子か? いったい、こんな夜中に何してやがるんだ?」 さっきの激昂に比べればずいぶんと落ち着いた口調で尋ねられたが、幽霊を見たという衝撃と、大人に手ひどく怒られたショックでジンも悪ガキもろくすっぽ返事も出来ない。 それを見て取ったのか、ジャックは頭をポリポリとかきながら息子であるポップに説明を求めた。 「おい、ポップ、これはどういうこった?」 この三人の中では実はポップは一番年下ではあるが、口の達者さでは他の二人を遙かに引き離している。おまけに頭の回転の速さでも抜きん出たポップは、未だに状況の分からないジンや悪ガキと違い、真相もすでに見抜いているようだった。 「だから、おれ達は幽霊の正体を確かめに来たんだよ! ここらへんで怪しい人魂とか幽霊を見たって、大人達まで噂しているっていうから! なのに、なんだよ、ただのランプの明かりだっただなんて……っ。いい大人の癖に、なに人騒がせなことしてるんだよ、このクソ親父ッ!」 (うわぁ、ポップ、よくそんなこと言えるなぁ……) 呆れと感心が半々に混じり合ったぐらいの気持ちで、ジンはポップを眺めやる。 仮にも親に怒られた直後に、こんな風に言い返せる度胸などジンにはない。せいぜい謝るか、泣き出すかが関の山だ。と言うか、そもそもさっきまでの怯えに加え、大人に叱られたショックのせいで腰が抜けてしまって、動く気力すらない。 その場にへたり込んでしまったジンの横では、トビーもまたとっくの昔からべたっと地べたに伏せたままだ。完全に気抜けしている二人をさておき、ポップとジャンクは元気よく親子喧嘩を披露している。 邪魔だと思ったのか、いつの間にか投げ出されているモップをジンは手に取ってみた。 ついでに言うのなら、古ぼけたモップの毛先はぺしゃんと潰れていて、とてもさっきまでのように逆立つ元気などなさそうだった。
それはジンも似たような物だ。 (あれは、なんだったんだろう?) 結局、幽霊はただの見間違いだったのだろう――今となっては、ジンもその説に不満はない。多分、最初の幽霊騒動というか人魂の話自体が、ジャンクが使っていた洋灯の光を見間違えただけなのだと思う。 そこから噂が勝手に膨れあがっていって、小屋の中に見えた光が人魂に、人魂が幽霊にと変化していったのだろう。 真相は、分かってしまえば笑ってしまうほどあっけないものだった。 鍛冶は大きな音を立てるので、他人の迷惑にならないように離れた場所に工房が欲しいと思っていたようだ。そんなジャンクが目をつけたのが、森の中で放置されていた古い小屋だった。 昔は木こりがすんでいたその小屋は、薪を炭に焼くために用意されていただけに炉もあるし、場所も人里から離れている。ジャンクにとってうってつけの条件だったが、何分にも長年放置されていただけに痛みがひどい。 だから、暇のある時に手入れをしていたらしい。 悪ガキ連中はもちろん、ポップでさえもうお化け小屋を気にせず、近寄ろうともしない。 (本当に、あれ、なんだったのかなぁ……) お化けの正体は、もう分かった。 あの時はてっきり火がついたのかと思ったが、後で調べてみたところモップは少しも焦げてはいなかった。 今まで一度も見たことのない、キラキラと輝くようなあの光――あれが見間違えだったとはジンには思えない。 ジャンクに聴いてみたのだが、彼が子供達の存在に気がついたのは光ではなく物音だったらしい。まあ、考えてみればあの時は声を控えるだけの余裕もなく騒いでいたのだがら、無理もない。 それに、あの時に見た光はごく弱いものだった。それこそランプの明かりにも遙かに劣る光は、とても夜の森の木々を通して見通せるものではなかったはずだ。 あの光を見ることが出来たのは、すぐ近くにいた者だけだろう。 (……なんでポップ、肝心なところで目をつむっちゃったのかな〜?) そんなことを思っていた時、抑えた声がジンを呼んだ。 「……ジン! おい、ジンってば! 聞こえないのか?」 ひょこっと生け垣から顔を突き出したのは、黄色のバンダナを巻いた彼の幼なじみ――ポップに間違いなかった。 「なんだよ、ポップ。おまえ、こんなとこに来ていいの?」 ついそう聞いてしまったのは、ポップも罰掃除を言いつけられているのを知っているからだ。ジンと同じように、反省するまで罰掃除をするようにと言いつけられたことを大人の話から聞いている。だが、ポップは微塵も反省した様子もなかった。 「だって、掃除なんかもうじゅーぶんやったし! それよりさ、ジン、少し抜け出さないか? ラミーが野いちごを見つけたって教えてくれたんだよ、一緒に食べに行こうぜ!」 「……懲りないなぁ」 思わずため息が出てしまったが、だからといってジンは断る気はなかった。ポップの思いつきはたいていの場合は迷惑だったり、大騒動になったりするのだが、その分、面白くてワクワクできる。 「いいよ、いこうぜ」 ポップに導かれるまま庭を抜け出したジンは、もう、あの不思議なモップのことなどどうでもよくなっていた――。 結局、ジンがあの時のモップが光った理由を知るのは、これより数年後……家出したポップが村に戻ってきて、彼がいつの間にか世界を救った英雄の一人となっていて、二代目大魔道士になったと知った後のことである。 《後書き》 まだアバン先生に出会う前の、10才ぐらいのポップです。この時のポップは、まだ精霊と契約をする前なので魔法は使えません。でも、性格は初期ポップと大差はないので、口先ばっかり達者で臆病なのに時々無謀です(笑) この頃はまだ普通の村の少年に過ぎませんが、生まれつき魔法力が高いせいで精霊と近しい存在ではあるので、条件が整った時だけほんのちょっぴり魔法じみた力が発動する時があります。 条件とは、近くに精霊がいること。 この二つの条件が整っていると、魔法力が発揮された際の光が周囲にも見えます。けど、まだ魔法を覚えていないので、魔法力の輝きが見えるだけでなんの効果もないです(笑) 筆者は児童文学シリーズが大好きで昔から何度も繰り返し読んだのですが、トム・ソーヤーの冒険などは非常に大好きでした♪ 夜中に家を抜け出して幽霊屋敷に行ってみたりとか、無人島に家出してみたりとか、死んだと思われているのに誤解を正さず、自分の葬式の日に戻ってきたりとか、日常的で地道な割にはやたらとアクティブな冒険少年の活躍っぷりが好きだったんですよ。 ところで、作中に出てきたウィル・オー・ウィプスのお話は、いくつか聞いた伝承の一つです。追いかけると迷わされて、危険な場所へと引きずり込まれる説、人を病気に至らしめる説などが記憶にあるのですが、前者の方が有名かなと思ってそっちにしてみました。 |