『春の戦』
  

「いいですか!? 戦いは、すでに始まっているのです!」

 勢い込んでそういった男の手が、力強く目の前の机をたたくのをヒュンケルは無言で見守っていた。

 パプニカ王国近衛騎士隊長、ヒュンケル。
 かの有名なアバンの使徒の長兄であり、パプニカ王女レオナの信頼も厚い彼は現在でこそ近衛騎士隊長という地位にとどまっているが、いずれは大将軍の地位に就くと目されている人物だ。

 現段階でも城内の兵士達の頂点に立つ男であり、非常時には彼の命令で自由に軍を動かす権利を有している。
 そんな人物に戦の危機を説く男は、手を大きく広げて窓の方を指す。

「私の言うことを大げさとお思いですか? しかし、ご覧になってください」

 促されるままに、ヒュンケルの目は窓の外へと向けられる。
 ここは騎士隊長が事務作業を行うための執務室だ。城内から兵士達の修練場を把握できるようにとの配慮から見晴らしの利く二階部分に設置され、大きな窓とベランダが備え付けられている。

 総合訓練時や有事の際は、ベランダから兵士達に命令を下すこともできるようになっている仕組みだが、今現在、訓練の時間ではないため修練場は無人だった。

 訓練時には実戦さながらの喧噪さを見せる場所だが、よく日の当たるそこは、今はいたってのどかなだった。踏み固められた土の茶色の中、ところどころに映える草の緑が映える。それは、実に平和な光景だった。
 しかし、男は沈痛な表情で切々と訴える。

「今はまだ、平和に見えるかもしれません。しかし、戦いの予兆はすでに現れています……! ここで遅参することは、この先の戦において決定的な敗北を喫することにつながりかねません! そうなってからは、手遅れです。戦いの趨勢がついた時点から巻き返すのが、どんなに大変なことか……!
 我々は、前回の悲劇を繰り返したくはないのです!」

 血を吐くような――そう言いたくなるような男の訴えに、ヒュンケルは初めて口を開いた。

「……確かに。前は大変だったな」

 ほとんど感情の感じられない淡々とした口調ではあったが、曲がりなりにも賛同と労いを得たことで力づいたのか、男はぱっと表情を明るくする。

「おわかりいただけましたか! ええ、我々は前回の悲劇を教訓として此度の戦いこそは勝ち取らなければならないのです! そのために必要なのは、何を置いても先手必勝! 敵が活動を活発化し始める前に、がつんと先制の一撃を与えなければなりません!
 そのためにも、どうかご協力をお願いします!」

 切々と参戦を訴える陳情に、近衛騎士隊長であるヒュンケルは小さくため息をつく。見るからに気が進まない様子だったが、それでも彼は考えた末に頷いた。

「……いいだろう。明日にでも、兵士達に命令を下しておく」

 かくして、春の戦は始まったのである――。






 その翌日、修練場の掲示板にでかでかと張り出された文章の前に、複数の兵士達が集まっていた。

「うへー、なんだよ、これ?」

「まじかぁ? かったるいなぁ、こんなのどーでもいいじゃん」

 などと、わいわいと騒いでいるのは比較的若い兵士ばかりだった。新米兵士に課せられた朝練のために集まっているのだが、まだ指導役の上官が来ないうちから訓練を始めるような真面目な兵士はごく少数派だ。

 まだ朝も早く眠いせいもあり、準備運動よりも見慣れぬ知らせの方が気になるのは当たり前だろう。
 兵士達の中に混じっていたダイも、それは同じだった。

 家庭教師の必死の努力が通じて、最近は割と字を読めるようになってきたダイは、張り紙の中で一番大きく書かれた目立つ部分を声に出して読んでみる。

「なに、それ? えーと……『君の参戦求む!!』……って、えーっ、戦いが始まるの? また魔王軍が攻めてきたとか!?」

 そんなのは初耳なだけに本気で驚いたダイだったが、周囲にいた兵士達はそれを聞いてどっと笑った。

「違いますよ、勇者様。戦いは戦いでも、これは魔王軍とかじゃなくって、もっと平和な話ですよ」

「そうそう。大げさに書いてあるだけで、これって要は草むしり要員募集の告知ですからねー」

 ケタケタと笑いながら、兵士達はダイにも分かりやすく教えてくれる。字が一応は読めるようになったとは言え、難しい言葉や格式張った文章などが苦手なダイにとってはありがたい話だった。

「ほら、去年を覚えてますか、勇者様? 猛暑のせいで雑草が例年以上に生えまくって、庭師達がダウンした時があったじゃないですか。ああならないよう、今年は早い時期から草むしりに協力してくれって呼びかけですよ」

「へえ、そうなんだ。まだ、あんまり生えてないのにね」

 そう言いながら、ダイはぐるりと周囲を見回す。
 この修練場は、あまり草が生えていない。と言うよりも、大勢の兵士達がほぼ毎日運動する場所なだけに土が踏み固められ、雑草も生える隙がないのだ。ただ、さすがに兵士があまり行かない場所や隅の方などはうっすらと雑草が生えているが、たいしたものではない。

 去年の夏に見たような、うねるような草の波に比べたら水たまりのように控えめなものだった。
 だが、農家出身だという兵士は得意げに言う。

「へっへー、そう思うのが素人の浅はかさって奴ですよ。雑草の生命力ってのは、侮れませんからねえ。このぐらいならたいしたことがないだろうと思ってちょっと放置していると、あっと言う間に伸びまくって草ボーボーですよ。
 それを防ぎたいのなら、早め早めの草むしりが肝心なんです」

 経験に裏打ちされているせいか、その言葉には説得力に溢れていた。うんうんと頷いているのは、似たような境遇の兵士達だろう。だが、それでも大半の兵士達の結論は同じだった。

「ま、それはそうかもしれないけどさ。でも、これって自由参加だろ? こんなの、いちいち参加してらんないよなー。ただでさえ訓練で疲れているって言うのに、ボランティアで草むしりに協力なんかする余裕ないって」

「そりゃそうだ」

 農家出身者までもが、その意見に賛成する。
 上官がやってきたこともあり、話題はそこで打ち切られ、兵士達は参戦要求のことなどコロリと忘れて訓練に熱を入れ始めた――。







「……あー。やっぱり、ここはほったらかしなんだ」

 その日の昼下がりのこと。ダイは、城の中庭にいた。
 午前中は兵士の訓練に参加したり、家庭教師に勉強を習ったりと忙しいが、午後はダイにとって自由時間だ。お昼をポップと一緒に食べて、その後もなんだかんだとポップの執務室に入り浸ることが多いのだが、今日は忙しいからとポップに追い出された。

 仕方がなく、ぶらぶらと城内を散歩していたダイだが、朝にあんな張り紙を見たせいか、なんとなく雑草が気になっていた。

 庭師達の名誉のために言えば、庭の大半は見事なまでに整っていた。綺麗に刈り込んだ芝生は、まるで緑の絨毯のようになめらかな色合いを見せていたし、レオナが気に入っている花壇には雑草どころかゴミ一つ落ちていない徹底ぶりだ。

 だが、賓客が目にするような部分ではなく、城の中でも働いている者しか行かないような場所などは、やはり手入れが行き届いているとは言いがたかった。

 去年、兵士達の手を借りてなんとか取り繕ったとは言え、やはり本職ではない彼らの手助けでは色々と不備があったようだ。庭師が綺麗にした部分は草の長さもきちんとそろっているのだが、兵士達が草むしりをした後は不揃いに草が伸びていて、見た目がいいとはお世辞にも言えない。

 まあ、ダイ的には修練場だの洗濯物干し場などに雑草が生えていても、別に気にもならない。
 でも、城の中庭――ポップが気に入っているその場所だけは、雑草まみれになるのは嫌だと思った。

 去年の夏など、草が生えまくっていた時期はポップは明らかにここに来ようとはしなかったのだから。そのくせ、ダイが綺麗に草をむしった後は、度々来ては昼寝をしていたから現金なものだ。

 が、ダイにしてみれば、それに不満はない。
 この場所でポップと一緒にお昼を食べたり、食後に昼寝をするのはダイにとっても楽しいことなのだから。

(うーーん? あんまり、草ボーボーじゃないみたいだけど)
 
 木が1本生えているだけの小さなこの中庭は、あまり人が来る場所ではない。だからこそ、草も大抵生えっぱなしなことが多い。それでも、王宮内の庭の一部なだけに庭師がたまに手入れをするはずだったが、去年の暑さは規格外すぎた。

 本来なら兵士達がざっと草むしりをした後で、本職の庭師達が仕上げをして景観を整えるはずだったのが、どうやらこの場所はほったらかしにされていたらしい。人目につかない上にめったに人が来ない場所だからこその処置だが、半年あまりほったらかしされた庭は、ひどい有様になっていた。

 不揃いな長さの草が中途半端に伸びていて、残念なことにあまり綺麗には見えない。
 先ほど見た、レオナの部屋に面した庭ならば緑の芝生がまるで絨毯のようで、思わずそこに寝っ転がりたくなるような風景だったが、ここを見て同じ感想は抱けない。

 枯れた草に絡まるように枯れ葉がボロボロと落ちていて、その合間に雑草がにょきにょきと生えている中庭……それをしばらく眺めたダイは、しゃがみ込んで草をむしりだす。

 屈み込んでのその作業は、想像以上に腰に負担が大きいのだが、ダイは気にせずにせっせと草をむしる。普通ならば手を傷つけたり汚さないように軍手などもはめるものだが、ダイは素手だった。

 ついでに言うのなら、根を張る雑草を掘るために鎌を使うものなのだが、その代わりにいつも持ち歩いているパプニカのナイフを使う。……地上に戻ってきてからレオナに直々に返してもらった国宝を、こんな風に使っていることを知ったら三賢者は卒倒し、レオナ本人は怒り狂いそうだが。

 だが、ダイにしてみれば手持ちの道具を使っているだけのことだ。後で研いでおけば大丈夫だろうと、せっせと草むしりを続ける。
 しばらく続けて、なんだか楽しくなってきたところで、素っ頓狂な声が中庭に響き渡った。

「ダイ様っ……!?」

「え?」

 振り返ると、そこにいたのは蒼い肌の長身の男――ラーハルトがいた。なにやらひどくショックを受けたような様子で、ふるふると打ち震えてさえいる。 何に驚いているのかな、と疑問には思ったものの、ダイは元気よく手を振った。

「やあ、ラーハルト。なんで、ここに来たの?」

 ラーハルトは、現在、カール王国の食客だ。余談だが、『食客』の意味が分からなくて、前にポップに聞いたら、

『んー、おまえとおんなじ様なもんだって。要は、居候ってことだよ』

 と、説明してもらった。
 ならば、自分と同じように家庭教師に勉強を教えてもらっているのかと思ったのだが、ラーハルトに聞いたら勉強など教わっていないという。大抵はカール王国周辺を旅しながら、修行がてら凶暴な怪物の相手をしていると聞き、自分とは全然違うじゃないかと羨ましくなったものだが。

 そんな風に気ままに旅をしているはずの彼が、パプニカにやってくるのは珍しい。レオナに呼び出されれば別だが、彼女はそんなことを一言も言っていなかった。

 ならば、単に遊びに来てくれたのかなとも思う。なにせ、気ままな身分な上に移動呪文を使えるラーハルトは、たまにだがパプニカを訪れてくれる。
 今回もそれかと思ったのだが、なにやら引きつった表情で震えているラーハルトには、そんな暢気さなど微塵も感じられない。

 手にしていた紙袋を足下にぽたりと落とし、だが、それにも気がつかない様子でつかつかとこちらに近づいてきた。本人は意識していないだろうが、力の入った足運びのせいで枯れ葉やら枯れ草が散る勢いだ。

「ダイ様、なぜこんな所で……っ、何をやっておられるのですか!?」

 強い口調でそう問われたが、ダイにはラーハルトがそこまで真剣になる理由が分からない。

「なぜこんな所って、おれ、ずっとパプニカにいるんだけど」

 地上に戻ってきてから、ダイはずっとパプニカ城にいる。それはラーハルトも知っているはずなのに、なぜ今更そう言うのかダイは大いに疑問だった。それに、それ以上に気になるのは、ラーハルトが落とした紙袋から転がり落ちたものだ。

「それよりラーハルト、サンドイッチ落としたけど大丈夫?」

 特徴的な紙袋は、パプニカ城の食堂でお弁当を入れるのに使っているものだ。食堂ではなく外で食べたい時には、食堂の人に言えば袋入りのお弁当を用意してくれるサービスはダイも何度も利用したことがある。

 いかにもおいしそうな三角形のサンドイッチが一つ、落ちた拍子にコロンと草の上まで転げ出たのが気になって気になって、仕方がない。ダイ的には、地面に落とした食べ物はすぐに拾い上げればセーフだと思うが、レオナや三賢者を初めとする大勢はダメだと言うので、いかに止められないうちに早く食べるかが大事である。

 が、ラーハルトときたら落ちたサンドイッチに見向きもせず、鷲づかみするような勢いでダイの肩をつかむ。

「そんなことはどうでもいいのです! ダイ様、一体誰がダイ様にこんなことを……! 誰かに命令でもされたのですか?」

 殺気すら漂わせ、そう問われたダイは、ちょっと考え込んだ。
 この草むしりはダイが自主的に始めたものだが、きっかけとなったのは兵士達と見た張り紙だ。

 あの張り紙は略式とは言え、れっきとした兵士達への指令書だ。確か、あれは最後にこれを書いた人の名があった。まあ、実際には文章を考えるのも書くのも代筆者がやるものなのだが、責任者の名前は直筆のサインで書かれるのが決まりだ。

「えっとね、それならヒュンケル、かなぁ?」

 そう答えた途端、ラーハルトが一瞬、目を鋭く細める。だが、すぐにそれを納め、その場に跪いた。

「そうでしたか。……ならばダイ様、後は私が引き受けます。どうか、ダイ様はお休みください」

 唐突にそう言われ、ダイはますますキョトンとするばかりだ。

「え、なんで? おれ、草むしりしたいんだけど」

 ダイにしてみれば、今は草むしりには絶好の機会だ。今日はポップと遊べなくて暇だし、それならば明日に備えてここをきれいにしておきたい。そうすれば、もし明日ポップが暇なら、久々にここでお昼が食べられるかもしれない。

 だが、ラーハルトはダイこそ何を言っているのか分からないとばかりに、眉を寄せる。

「ですが、お手が汚れます。雑務を引き受けるのも配下の役割、お気になさらずお命じください。
 ご心配なく、引き受けたからには完璧にこなしてごらんにいれます」

 淡々と、だが自信に満ちた口調でラーハルトはそう言い切り、ダイの返事も待たずに草をむしり始める。

 その手つきは、見事だった。
 槍をとっても神速を誇る手さばきは、草むしりでも充分に活用されるらしい。素手にもかかわらず、迷いのない手つきで根っこごと毟りとる速度は、ダイなどよりもずっと速く、しかも的確だった。

 ダイが草を毟った部分に比べれば、驚くほど綺麗に整っている。このまま彼に任せれば、ダイが一人でやるよりもずっと早く、しかも綺麗に草むしりができることだろう。

 だが、そうと分かっても、ダイは言われるままにこの場を去る気にはならなかった。
 ラーハルトのすぐ隣にちょこんとしゃがみこみ、ぷちぷちと草をむしる。

「ダイ様? そのようなことは、私めが……」

「ううん、いいんだ。おれが、やりたいんだ」

 止めようとしたラーハルトを遮り、ダイは草むしりをしながら内緒話を打ち明けるように、言った。

「ここ、ポップが気に入っている場所なんだ」

 お昼を食べるのにちょうどいい場所なだけに、ポップはもちろんダイも春から秋の間はちょくちょくここに来ている。だが、寒くなってくるとポップはここには来なくなった。

 それを考えれば、ポップが明日ここに来るとすれば久しぶりのはずだ。それなら、できるだけきれいにしておいてあげたい。

 ダイがさっき、城の庭を見てきれいだと思ったように、見ているだけでその上に寝転びたいと思えるぐらいにしてあげたい。あの夏の日、草むしりが終わった後のこの中庭を見た時のように、ちょっとびっくりする顔を見たい。それから、よくやったなと褒めてもらいたいのだ。

 今でもダイにとって、ポップに乱暴に頭をなでられるのは嬉しくてたまらないのだから。

「だから、おれがやりたいんだよ」

 重ねてそう言うと、ラーハルトはもう止めようとはしなかった。だが、自分の手も止めようとしない。

「……では、お手伝いさせていただきます。考えてみれば私も、あの魔法使いにここで会ったことがありますから、借りは返しておかないと」

「へえ、そうだったの? なにそれ、聞かせてよ、ラーハルト」

「ご命令とあれば。たいした話ではありませんが――」

 ダイとラーハルトが並んで仲良く草むしりしながらおしゃべりする間、放置されたサンドイッチには小鳥達が群がり、せっせとつつく。

 ポップがよく余ったランチをあげているせいですっかり餌付けられた小鳥達は、遠慮など全くせず紙袋にまで入り込んで、楽しそうにさえずっている。
 春の日に照らされた、パプニカ城の平和な一日の光景であった――。        END 

 

 

《後書き》

 この話は、最初は『春の芽生え』と言うタイトルで書き始めた話で、想定していたオチも全然違うものでした。

 が、ちょうど話を書き始めたタイミングで、拍手コメントで『夏の戦』の感想と共に実に楽しいラーハルトとダイのやりとりをいただき、それに爆笑したのをきっかけに彼を登場させたくてたまらなくなっちゃいました。

 そこで、ご許可をいただいて、全然出す予定のなかったラーハルトに参戦してもらって、春の戦に変更した次第です♪ なぜか、草むしりがうまいラーハルトが誕生しました。うわっ、思いつきもしなかった設定ですよ(笑)

 ダイとポップが並んで草むしりをするオチも考えはしたのですが、その場合、ポップがなんだかんだ怠けてダイが一人で草むしりしそうな気がして、やめましたが。

 ところで、筆者は花粉症悪化のため、今年の春の戦にはすでに遅参ずみ……今年も敗北の予感です(笑)

◇『春の戦・後日談』に進む
  ◇小説道場に戻る
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