『布一枚の隔たり』
  

 それは、本当に特別な魔法だった。
 少年の手に宿る光のきらめきを、少女は魅入られたような目でじっと見つめていた――。







 今や世界最高の賢者に匹敵するとも噂される、二代目大魔道士。彼の回復魔法は死んだ人間すらも蘇らせると、世間では噂されている。
 そして、実際に大魔道士を知る者ほど、その噂が単なる噂ではないと知っている。

 魔王軍との戦いの最中、パプニカ王女レオナや三賢者エイミでさえ手の施し様のなかった瀕死の少女を、賢者に覚醒したばかりのポップが助けたのは有名な話だ。

 また、噂の域を出ないとはいえ、彼は伝説とされている蘇生魔法さえ成功させたとさえ言われている。

 ある意味で国の運命を左右する程の力を持っているからこそ、大魔道士ポップが公的な場で回復魔法をかけることは国際条約で禁じられている。
 そうでもしなければ万に一つの奇跡に縋り、世界中からポップに救命を求める人々が殺到するだろうとの配慮から生まれた法案だ。

 そのため、ポップが実際に回復魔法をかけるところを見たことがある者は少ない。

 それは、彼にとってごく身近な人間達……勇者の仲間達でさえ例外ではない。大戦の後、ポップはあまり魔法を使わないようになったし、仲間達も普段は彼に魔法を求めることはない。
 だから、それは決してマァムが望んだことではなかった――。







「つ……っ」

 マァムは、つい悲鳴を上げていた。とは言っても、それは悲鳴と言うよりはごく小さなうめき声程度のものに過ぎなかったが。
 実際、それはたいした痛みではなかった。

 だが、それでも不意にとんできた火の粉は、マァムの手に火傷を負わせたらしい。慌てて手を振り払ったつもりだったが、マァムの手には早くも赤い腫れが膨れ上がっていた。
 それを見て、マァムは内心思う。

(あーあ、またやっちゃった)

 正直、マァムにとってこんなのは珍しいことではない。
 料理中にちょっとした火傷を負うなんて、日常茶飯事だ。マァムは決して料理が出来ないわけではないし、不得手というわけでもない。

 それほど上手いとは言えないが、下手というほどでもない……まあ、平均レベルにはこなせる方だ。凝った料理や珍しい料理などは知らないが、母のレイラから習った昔ながらの田舎料理は彼女の得意分野だ。

 ただし、繊細さに欠けるというのか、マァムの料理はどうにもダイナミックだ。

 短い時間で一気に仕上げるのを得意としているせいか、ちょいちょい細かいところでミスってしまうことが多い。こんな風に小さな火傷を負うなんてのも、マァムには珍しいことではない。……女の子としてはあまり自慢できたことではないが。

 どちらにせよ、慣れきっているせいでマァムは小さな火ぶくれを目で確認しただけで、そのまま料理を続けようとした。この程度の怪我など、手当の必要もないと判断したのだ。
 が、思わぬところから横槍が入った。

「マァムッ! 大丈夫か!?」

「きゃっ!?」

 マァムが驚くような勢いで、ぐいっと手を掴んできたのはポップだった。

「何よ、びっくりするじゃない。っていうより、料理中に邪魔したりしたら、危ないでしょ。いいから、あっちで休んでいて。すぐに出来るから、おとなしく待っていてよ」

 マァムとしては当然の注意をしたつもりだったが、ポップは彼にしては珍しく真顔で叱りつけてきた。

「バカッ、危ないのはおめえじゃねえか! 手、火傷してんじゃないかよ、早く冷やさねえとっ!」

 そう言いながら、ポップはマァムの手を引っ張って洗い場の水桶へと突っ込ませる。
 だが、マァムにしてみればこんな小さな火傷などより、火にかけたままの料理の方が心配だった。

「これぐらい、どうってことないわよ。それより、焦げちゃうじゃない」

「いいからおめえは手をしっかり冷やせよ、こっちはおれがやるから!」

 料理に戻ろうとするマァムを叱りつけ、ポップは素早く手袋を脱ぎ捨てて腕をまくった。
 手を洗うのももどかしげにフライパンの柄を握ったポップは、慣れた手つきでそれを揺すりだした。

 細かく刻んだ具材をフライパンで炒めるのは、実は結構難しい。慣れていない者がやると周囲にこぼしがちだし、時にはマァムのように手に火傷することもあるだろう。

 だが、ポップの手つきには危なげがなかった。
 軽く揺すり立てているだけのように見えるのに、その途端フライパン内の具材が見事に跳ねる。

 まるで波の様にそろった動きで一斉に上に跳ね上がった具材は、そのままフライパンを飛び出してしまいそうなほど高く上がった。だが、それは計ったように正確にフライパンの中に戻る。

 それは、魔法のように見事な動きだった。
 フライパンを振るだけで、ポップはフライパン内の具材を見事に混ぜ合わせ、均一に火を通していく。一応、片手におたまを手にしてはいるが、それを使って掻き混ぜるまでもない。

 数度それを繰り返した後、ポップはお玉で具材を少しすくい上げて味を見た後、塩や胡椒を足しながらまたフライパンを振るう。一見適当にしか見えないやり方だが、料理に慣れた人間ならではの手慣れた仕草だった。
 その巧みさに、マァムは思わず目を見張る。

「ポップ……すごいのね。料理ができるなんて」

 心からの驚きが、そのまま言葉になる。
 ポップの手並みは、明らかに素人のそれではない。料理人の手並みに近かった。

 野宿の際に、ポップが手際よく食事の支度をするのは、マァムも見ていた。
 それだけでもなかなかの手並みだったが、以前にアバンからちらりとポップに料理を教えたと聞いたことはあった。だから、彼が一通り――いや、人並み以上の料理上手なのは知っていたつもりだった。

 だが、マァムは今まで一度もポップが本格的な料理をしているところを見たことはなかった。
 だから、知らなかったのだ。
 ポップがこれほどまでの料理上手だったとは――。

「んー? 別に、それほどでもねえよ。前にアバン先生に仕込まれただけだし。マァムも知ってるだろ、ほら、あの人、料理好きだからさー」

 マァムよりもよほど手際よく、しかも美味しそうな料理をあっと言う間に作りながらこともなげに言う間も、ポップの手は休まない。
 一度、フライパンを火から下ろして濡れた布巾の上にのせる。ジュッと派手な音がするが、十分にぬらした布巾が焼けることはない。

 片手だけで卵を器用に割ったかと思うと、それを続けざまにボウルに放り込み、塩胡椒を混ぜながら溶いていく。その卵液を直接フライパンに流し込みながら炒めた具材と混ぜ合わせ、今度はフライパンを弱火に火加減を調整してから蓋をする。

「よっし、これで後は放っておいてもへーきだな」

 満足そうに言い、ポップは待ち時間も無駄にせずテキパキとその辺を片付けていく。

 その手際もマァム以上に手早いことに気づいて、マァムの心の奥にちょっぴりと疼くものがあった。
 なけなしの女心、とでも言うべきか。

 マァムはどちらかと言えば男女平等主義のつもりだし、料理好きのアバンに師事していただけに男性が料理することに偏見はない――つもりだ。
 だが、それでも、実際に目の前で男性が自分以上に料理を上手くやってのけるところを見るのは、落ち着かないものだと実感してしまう。

(今日は、私の方が誘ったのに……)







 それは、マァムにしてみれば、思い切った誘いのつもりだった。

「ねえ……ポップ、今日は家に来ない? たまには夕食をごちそうするわ」

 そう声をかけるのに、いつになく胸の鼓動が速まったことを覚えている。以前のままなら、そうはならなかっただろう。
 まだ、ポップが仲間のままで。弟のような気になる男の子のままなら、この誘いももっと気軽に言えたかもしれない。

 だが、大戦から二年が過ぎ、ポップは少年から青年へとなりかかっている。それに連れて、マァムの気持ちも少しずつだが変わってきた。
 やはり、ポップを男性として意識しはじめたからこそ、そう思ってしまうのだろうか。

『いい? マァム? 男の子ってのはねー、女の子の手料理には弱いものなのよ。相手を意識させたいのなら、まずは胃袋! 恋を射んと欲すればまず胃袋を射よ、なの!』
 
 思う出すのは、長らく会っていない親友の言葉。
 昔、レオナが教えてくれたそんな言葉に引きずられたつもりはないが、マァムがポップに料理を食べさせたいと思ったのは確かだ。

 なにせ、ポップは痩せすぎだ。
 背は以前よりも伸びたのに、線の細さは前と差が無い。と言うよりも、以前よりもやつれて見える。

 未だに行方不明のダイを探し続けているポップが、どんな旅をしているのかマァムは知らない。

 だが、それでもポップは時折ネイル村にふらっとやってくる。数ヶ月ぶりでも、まるでつい昨日会ったばかりのような親しさで楽しげにおしゃべりし、お土産を残してまたふらっとどこかに行ってしまうのが常だ。

「えー、誘いは嬉しいけどよ、急にじゃ迷惑だろ? それに、オレも忙しいからさー」

 実際、ポップはそう言って一度は逃げようとした。
 ダイを熱心に探すからこそそうしているのが分かるだけに、マァムはポップを無理に引き留めようとはしなかった。

 しかし、今日は違った。
 いつもよりも疲れて見えるポップを、引き留めずにはいられなかった。

「平気よ、今日は母さんもいないし迷惑なんてことないわ。一人だと夕食が余っちゃいそうだし、食べていってよ」

 そう言って、半ば強引に家に連れ込んだ。
 少しでも、休んで欲しい。美味しくて、身体に力のつくような料理を食べさせてあげたい――。

 そう思って、ポップを引き留めた。
 なのに、休ませるどころか逆にポップに料理させてしまうだなんて、本末転倒もいいところだ。

(こんなはずじゃなかったのに……)

 落ち込むマァムの手を、暖かい手が掴む。

「どれ、マァム、手を見せてみろよ……ああ、やっぱり火ぶくれになってるじゃねえか」

 そう言いながら、ポップは大切そうにマァムの手を両手で包む。その手が淡く光るのは、回復魔法によるものだ。
 その暖かさに、マァムは意識せずに息を飲む。

「…………!」

「ん? どうした、マァム。まだ痛むのか?」

 心配そうに自分を覗きこんでくるポップの目が、思っている以上に近いことに少し驚きながらも、マァムは首を横に振った。

「ううん、痛くなんかないわ。ただ……暖かいなって思ったの」

 それは、マァムの率直な感想だった。
 回復魔法は多かれ少なかれ、対象者に熱量を感じさせるものなので、その生とも言えるだろう。

 だが、マァムにしてみればポップの手、そのものの暖かさであるように思えた。

(そういえば、ポップの手を見るのって珍しいかも)

 今更ながらその事実に気がつき、マァムはついまじまじとポップの手を見てしまう。
 ポップの手は、細くて白い。

 だが、それは女性的な手というわけではない。確かに男にしては細めだし、逞しさは全く感じられないが、それでもポップの手はマァムの手とは明らかに違う。

 指の節がゴツゴツしているあたりは、やはり男性の手だ。
 思っていたよりも異性を感じさせるその手は、マァムの目には新鮮だった。
 思えば、魔法使いのポップは、どんな時も必ず手袋をはめていた。食事中や文章を書く時でさえ手袋を外さないぐらいだ。

 普段はずっとはめっ放しで、それこそ外す時間の方が少ない手袋を外して、ポップが直接手で触れながらかける回復魔法がどれ程レアなことか。
 その手の温かさを感じながら、マァムがふと思い出したのは古い記憶だった。

『……おれは…、おれは…おまえを……す……素晴らしい仲間だと……思ってんだからさ……!!』

 あれは、まだ魔王軍との戦いの時だった。
 仲間達から離れて、一人修行に行こうとしたマァムを送ってくれた時、ポップはそう言った。

 あの時のポップの泣き笑いじみた顔を、マァムは今も思い出せる。
 そして、ちょっぴりと胸が痛むのは、あの頃の自分の鈍さのせいか。おそらく、あの頃からポップの気持ちは変わっていなかったはずだ。なのに、それに全く気づきもしなかった自分の鈍さに、今になってから呆れてしまう。

 あの時、どんな思いでポップが自分に握手を求めたのか、考えもしなかった。
 だが、あの頃は手袋越しでしか知らなかったポップの手に、今は直に触れている――。

「よし、こんなもんだろ」

 治癒が終わったかのか、ポップの手から光が消える。その手が離れようとする寂しさに、マァムは考えるよりも早く自分の手を重ねた。

「え……?」

 戸惑ったように手を引こうとするポップの手を、今度はマァムが両手で包み込んだ。

「ねえ、ポップ。もう少し、このままで……いい?」

「え、でっ、でもっ、いいのかよ、オムレツが焦げちゃうぜ!?」

 焦ったように手を引こうとするポップは、やたらと早口にそんな言い訳を口にする。

 だが、マァムはその手を離すつもりはなかった。
 もがくような動きを見せた手だが、大人しくなるまでそう時間はかからなかった。

「ん……そうだな、もう少しだけ、なら――」

 そう言って、ポップの手もしっかりとマァムの手を握り返す。あの頃、布一枚を挟んでいた手は、今は何の隔たりもなく互いの熱を分け合う。
 その手が、離れることはなかった――。   END 2019.11.24(日)


 

 

《後書き》

 珍しくも、ポプマなお話です♪
 ダイが行方不明状態のアナザー、ちびダイシリーズですね。今回、まだちびダイは生まれてもいませんが(笑)

 ところで作品中でマァム&ポップが作っているのは、スペイン風オムレツを想定しています。

 具材を炒めた後でたっぷりの卵と混ぜ合わせ、蓋をして時間をかけてじっくり蒸し焼きにするオムレツです。者によっては焼き上がるのには、ホントにすっごく時間がかかるんですよ。
 1時間放置なんてのも、珍しくないです。

 日本では具材を卵でとじる形のオムレツが主流なのですが、西洋風のオムレツは具だくさんで混ぜて焼く種類の方が多い気がします。

 焼くというよりも揚げる感じに油をたっぷりと使った卵料理とか、日本の常識とはずいぶん違う卵料理もたくさんあるので、外国のお惣菜料理ってのは見てて楽しいですv
 でも、実戦して上手くいくかどうかは、また別問題ですが(笑)


 ◇小説道場に戻る
トップに戻る

inserted by FC2 system