『甘いあなたに、甘いお菓子を』
  

  薔薇は赤い
  菫は青い
  砂糖は甘い
  そして、あなたも――







「…………マァムお姉ちゃんってば、もしかしてその格好で出かける気?」

 と、ひどく不満げにそう言ったのは、ミーナだった。
 その口調には、マァムはなんとなく覚えがあった。生徒がとんでもなく間違った回答を口にした際、教師が呆れやら怒りを抑え込みつつ話す口調に似ているなと思いながらも、マァムは素直に答える。

「ええ、そうだけど。それがどうかしたの?」

「どうかした、ですって? どうかしてるのは、お姉ちゃんの方でしょっ!
 だいたいマァムお姉ちゃんったら、なんで今日に限ってそんな服を着ているのよ?」

 なぜかミーナはえらくご機嫌斜めっぽいが、マァムにはその理由は分からない。

「なんでって、まだ着られるからちょうどいいかなって思って」

 今、マァムが着ている服は魔王軍時代に着ていた服だ。
 ダイとポップと出会った頃も着ていたこの服は、初対面のポップに見事に男と間違えられたような服装だ。と言うより、この服は元々はマァムの父親ロカの服であり、それを多少手直ししたものなのだから、ある意味で完全に男物だったりする。

 古い品には違いないが、きちんと洗濯もしてあるし、サイズ的にも問題はない。魔王軍との戦いが終わった頃にはすでに成長期が終わっていたマァムにとって、あの頃の服は今でもぴったりだ。

 強いて言えば胸の辺りが多少きついかなと思わないでもないが、着られないほどでもないので、そのまま着てきた。

 今日はミーナのたっての頼みで、彼女をロモスの城下町まで連れて行くことになっている。

 ロモス城下町は、マァムのすむネイル村からは半日ほど離れた場所にある。距離的にはさほどでもないのだが、問題なのはロモス城下町とネイル村の間には魔の森が存在する点だ。

 大戦後、怪物の数が格段に大人しくなって魔の森も安全にはなったとは言え、森であることには変わりはない。
 怪物がいなくっても、虫や動物類などは相変わらず存在する。そんな森を歩くのなら、これ以上ちょうどいい服はないとマァムは思った。

 だが、ミーナは答えを聞いて、話にならないとばかりに大きなため息をついた。

「まったく、これだからマァムお姉ちゃんは……っ。せっかく町に行くのに、そんな格好だなんて」

 おしゃまにもそうぼやくミーナ自身は、可愛らしいワンピース姿だった。二番目にいいよそ行きを着ているだけではなく、二つに別けて結んだ髪にはいつもは飾らないリボンが結ばれている。
 遠出に対して、ミーナは明らかにオシャレをしていた。

 確かに厚地のズボンは森を歩くのには向いているかもしれないが、そもそも普通の娘ならば、スカートではなくズボンをはいたりはしないものだ。

 たとえ、町に行く途中経路が森であり、スカートでは多少歩くのが大変だったりしたとしても、普通の女の子ならば町についた時のことを考え、おしゃれをするだろう。
 だが、マァムはその辺が普通の女の子とは感覚がずれている。

「でも、昨日着ていた服は、母さんが洗濯しちゃったもの。それにこの格好なら、ミーナが帰りに疲れた時もおんぶしやすいしね」

 至って真面目にそう答えるマァムに、ミーナはやけに大人ぶった仕草で肩をすくめる。

「……もう、いいわ。行きましょう、マァムお姉ちゃん」








「うう〜っ、うぅ〜、う〜っ、どうしよう……どれにしようかな〜?」

 頬を膨らませて小さく唸りながら、ミーナは迷うように目をキョトキョトと動かしていた。

 先月、やっと10才になったばかりの少女の目は、目移りすると言う言葉に相応しく、一時も止まらずにその棚に並べられた色とりどりのお菓子の上を彷徨う。湿気を防ぐために大きなガラスの瓶にしまわれた複数の菓子の内、ミーナが気にしているのはどうやらチョコレートの瓶のようだった。

 本来なら茶褐色の地味な色合いのお菓子なのだが、ここで売られているチョコレートはどれも色鮮やかな包み紙に包まれていた。そのため、他の菓子よりも抜きんでて派手で色鮮やかな印象を与えている。

 その華やかな色合いを前にして、ミーナは真剣に悩みこんでいた。包み紙こそは違っていても中身はどれも同じなので別に悩む必要などなさそうなものだが、幼い少女にとっては重要問題のようだ。

「青、かなぁ? ううん、緑の方が……、あーん、でもぉ〜」

 これが運命の選択とばかりの真剣な表情で、一生懸命にお菓子を選んでいる。本人にとっては深い悩みかもしれないが、他人から見れば微笑ましい光景だった。

 そのせいか、店の主人や客達も明らかに商売の邪魔になっている少女に対して、寛大だった。ニコニコと微笑みながら見守ってくれていたが、そんなミーナを窘めたのはマァムの方だった。

「ミーナ、まだ決められないの? そろそろ決めないと、村に帰るのが遅くなっちゃうわよ」

「えー、待ってよ、マァムお姉ちゃん! あと、もう少しだけ待ってて!」

 微笑ましいとも思える、姉妹のように年の離れた少女達のやり取り。だが、周囲の注目を集めているのは、やはりマァムの方だった。

 年の頃なら、17、8才。
 淡い赤毛が似合う闊達そうな娘には、生き生きとした健康美に溢れていた。顔立ちもなかなかだし、スタイルに関しては絶品と評していいほどだが、惜しむらくはあまりにも飾り気がない辺りだろうか。

 この年齢の娘ならば、それこそ咲き誇る花のように華やかな服装を好むものだ。経済的に身を飾る余裕のない娘であっても、それでも自分の出来る範囲での精一杯のオシャレをするものだ。

 しかし、彼女の着ている服は飾り気がないのを通り越して、厚地のズボンという男と見間違えてしまいそうな代物だった。

 この、貧しい村娘よりもまだしゃれっ気のない格好をしたマァムという娘――実は、彼女こそが世に名高いアバンの使徒の一人であり、世界を救った英雄の一人だと見抜く者は少ないだろう。
 事実、この店にいる者は誰一人として彼女の正体に気づいてはいなかった。

「えーっと、うん、やっぱりこれにするわ! おじさん、これを二つ、くださいな」

 悩み抜いたあげく、やっとチョコレートを選んだミーナは、ポケットから大切そうに小銭入れを取り出す。文字通り、小銭を一つずつ数えて差し出すかわいらしいお客さんに、店の主人は愛想良く笑いかけた。

「はいよ、お嬢ちゃん、お買い上げありがとうよ。すぐに食べるのかな? それとも、プレゼントかい?」

「もちろん、プレゼントよ! 素敵な人にあげるのよ」

 得意げにそういう幼い少女に、店の主人はしたり顔で何度も頷く。

「なるほどねえ、それならとびっきり綺麗なリボンをかけてあげようか。どれ、これはおまけだ」

 器用に商品を手早くラッピングする合間に、店の主人はキャンディーを一つ取り出してミーナの手の上にのせる。そして、後ろにいたマァムにも同じものを差し出してきた。

「そちらのお嬢さんも、いかがかな?」

 その声かけに、マァムはほんのちょっぴりためらった。

「え、でも、私は何も買っていないし……」

 店に子供が買い物に来た際、おまけとして駄菓子をサービスするのはよくある習慣だ。マァムも子供の頃は、そのおまけが楽しみで買い物に行った覚えがある。

 だが、マァムはすでに18才になった。もう、子供と呼ばれるような年齢ではないと自覚しているだけに、この手のおまけをもらうなんて期待もしていなかった。

 それにここは普段から来ている馴染みの店でも何でもなく、初めて訪れた店だ。魔王軍との戦いが終わってから、すでに2年――ようやく世界も落ち着いてきたのか、ロモスの城下町にも生活必需品ばかりではなくお菓子やお茶などの嗜好品を専門に扱う店も増えてきた。

 この店も、半年ほど前に開店したはずの店だ。もっとも、現在はカール王国に居を置いているマァムは、ネイル村にはたまにしか戻ってこないし、ロモス城下町に来る機会はそれ以上に少ない。

 それに贅沢とは無縁の質素な生活を送るマァムは、この店の存在に気づいてはいても、わざわざ入ろうと思ったこともなかった。今日だって、ミーナにせがまれなければ来なかったに違いない。

 だが、気のよさそうな店の主人はこともなげに笑って、おまけを手渡してくれた。

「なぁに、また今度来てくれればいいさ。商人は損して得をとれっていうだろ?」

 そこまで言われて、固辞するのもかえって失礼という物だろう。マァムはお礼を言って、素直にそのキャンディーを受け取った。







「うふふっ、このキャンディー、とってもきれい! 食べるなんて、もったいないかも」

 何度もそう言いながら、ミーナは手にしたキャンディーを食べもしないで何度も見返していた。

 実際、透明な包み紙に包まれたそのキャンディーは、なかなかにしゃれた品だった。棒のついた平たい飴と言えば子供向けの定番の飴だが、今回もらったものは同じように棒付き飴の括りには入る品ではあっても、受ける印象が全く違う。

 明るいピンク色で、可愛らしいハート型をしているそのキャンディーには、表面に短い詩の一文が描かれている。しゃれた筆記体で書かれてはいるが、書いてある文章自体は短かった。

「『バラは赤い』って書いてあるわ。ねえねえ、マァムお姉ちゃんのには、なんて書いてあったの?」

 そう聞かれてから、マァムは初めて自分のキャンディーを見た。

「『さとうは甘い』ですって。なんだか、懐かしいわね」

 それは、誰もがよく知っている古い童謡だった。
 短い単語で韻を踏んだ独特の言い回しが口に馴染みやすく、不思議に郷愁を誘う詩だ。






  薔薇は赤い
  菫は青い
  砂糖は甘い
  そして――






 途中まではすらすらと思い出せたが、そこで言葉が途切れてしまう。ど忘れしてしまったのか、その先の詩を思い出せない。マァムはその詩を思い出そうと努力してみたが、それはほんの少しの間だけだった。

 別に、思い出せないからと言って問題があるわけでもない。それより、キャンディーに気を取られて足下がお留守になっている妹分の方が、よほど気にかかる。

「ほら、ミーナ、危ないわよ。荷物は一度、しまった方がいいんじゃない?」

 マァムの薦めに、ミーナは大人しく従う。手つかずのまま大切そうに持っていたキャンディーを、そしてラッピングしてもらった包みを丁寧に鞄にしまい込む。
 それを見ながら、マァムは何の気なしに言った。

「それにしても、ミーナ、今日は珍しい色を選んだのね」

 女の子には珍しくない話だが、ミーナが一番好きな色はピンクだ。
 選択の余地があるのなら、当然のようにミーナはピンク色の物を好む。なのに、今日に限ってミーナが選んだ色は青だった。それも、彼女が好むパステルカラーとはほど遠い、沈み込んだように深い青……紺色といった方が近い色合いだ。

 なかなか渋くていい色だとは思ったが、ミーナが普段選ぶ色からはかけ離れている気がした。この色は、むしろ女の子よりも男の子にこそ相応しい色のように思える。
 だが、ミーナは何を当たり前のことを、と言わんばかりに呆れてみせる。

「当たり前じゃない、これはバレンタイン・デーのプレゼントにするんですもの!」

「え……?」

 一瞬、きょとんとしてから、マァムはやっと思い出す。そう言えば、今日がバレンタイン・デーだったことを。

「あー、やっぱり忘れていたのね! そうじゃないかと思ってたわ」

 やれやれと大げさに首を振る仕草を見ていると、まるで、ミーナの方が年上であるかのようだ。苦笑しながらも、マァムは言い訳を口にする。

「だって、ここのところ忙しかったからしょうがないわよ」

「もー、だめよ、マァムお姉ちゃん! いくら忙しくっても、バレンタイン・デーを忘れるなんて、女子力が足りないと思うわ! 女の子ならどんなに忙しくても、ちゃーんと覚えて用意しとかなきゃ、なの!」

 下から見上げるような姿勢で叱られて、マァムはうっかりと微笑んでしまいそうになる口元を抑え、生真面目にミーナの説教を傾聴する。
 相手が正しいと思えば、たとえ相手が年下だろうと、きちんと受け入れる生真面目さはマァムの取り柄だ。

「そうね、忙しいなんて言い訳にならなかったわね」

 なぜなら、マァムは知っている。
 忙しさで言えば、自分の比ではないレベルで忙しいはずの友人達が、この日を大切にしていることを。

 パプニカ王女レオナに、テラン王女メルル。
 思えば、先月辺りからこの時期に合わせて遊びに来てと連絡が来ていたのは、おそらくバレンタイン・デーのためだったのだろう。が、マァムはバレンタイン・デーなどコロッと忘れていただけに、妹分のミーナのわがままを優先させてしまった。

 日を改めてパプニカに行く約束はしてあるが、あの二人がいつになくガッカリした様子だったのも今となっては理解できる。

(でも、きっとレオナとメルルはチョコレートを作っているわよね)

 それは、容易に想像できる光景だった。
 レオナにもメルルにも、それぞれ意中の相手がいる。その人のためになら、きっと二人とも想いを込めて丁寧にチョコレートを作ることだろう。

(そう言えば、この詩はあの二人にぴったりね)

 そう、マァムは思わずにはいられない。
 薔薇は、際だって美しい花だ。
 花には詳しくない男性でも、この花だけは分かると言うぐらいに有名な花だ。 

 大輪の花を鮮やかに咲き誇らせ、そのくせほっそりとした茎には鋭い棘を隠し持った薔薇の花は、まさにレオナにぴったりだ。

 それに比べれば、菫は、薔薇よりも地味な花かもしれない。
 だが、ひっそりと俯き加減の花弁を揺らすこの花は、地味ながらも芳香に優れた可憐な花だ。

 そんな花に相応しい優しい少女を、マァムは知っている。
 メルルほど菫の花に相応しい少女を、マァムは他に知らない。
 二人ともタイプは違うが、どちらも甲乙つけがたいほど女の子らしい女の子に違いない。

 少なくとも、マァムは女子力という点では彼女達に勝てるだなんて、微塵も思ったことはなかった。正直言えば、まだ10才のミーナにさえ劣っているのだから。

「――でね、マァムお姉ちゃんはね、もっと普段からおしゃれとかもしないと! ちゃんと、寝る前にはブラッシングしてる? それでね……あれ?」

 熱心に「女子力」を語っていたミーナが、驚いたように前を見やる。見れば、珍しいことに森の小道に人影がいたからだ。それも、それはよく見知った影だった。

 そわそわと落ち着かなげにウロウロしているのは、ミーナと同じ年ぐらいの少年――ネイル村きっての悪戯っ子で知られているわんぱく坊主だ。小さいくせに生意気で、よくマァムの怪力をモンスターみたいだのとからかうのが好きな困った子だが、今日はそんな素振りを見せなかった。

 こっちを見た途端、ホッとしたような顔で駆け寄ってきたわんぱく坊主は、ミーナに向かって話しかけてくる。

「よおっ、ずいぶん帰りが遅かったんだな。なんかあったんじゃないかと思って、見物にきたぜ!」

 口ではそんなことを言っているものの、村の子供達を昔からよく見てきたマァムには、その強がりが一目で見て取れた。

 このわんぱく坊主は、口が少々悪いものの根は優しい子だ。なんだかんだいってミーナを心配していたからこそ、村はずれのこんなところで待っていたのだろう。
 だが、ミーナにそれは伝わっていないのか、彼女はツンとして答える。

「なに言ってんのよ、何もあるわけないじゃない。だって、マァムお姉ちゃんと一緒だったんだもの。それよりあんたこそ、子供が一人でこんな所まできちゃ、いけないんだからねー。おじさんに、うんと怒られるわよ」

 ミーナの言葉は、正論だ。
 ネイル村では、子供は勝手に村に行かないように戒めている。以前よりも怪物が大人しくなってきたとは言え、子供だけで遊びに行けるほど安全な場所ではないのだ。

 だからこそ、村の出入り口からさほど離れていないこんな場所でさえ、子供一人でいることは本来はよろしくない。一応、注意しておこうかと思ったマァムだが、わんぱく坊主は口を尖らせて言い返す。

「一人じゃないよ! ほらっ、あっちにちゃんと大人がいるだろ?」

 そう言って指さした先には、確かに人影が見えた。木立に紛れるような場所にいるので分かりにくかったが、長身の男が確かにそこにいた。それが誰だか気がついたのは、マァムの方が先だっただろう。
 だが、真っ先に走り出したのはミーナの方だった。

「あっ、ミーナ!?」

 と、呼び止めるわんぱく坊主の言葉なんか聞きもせず、ミーナは一直線に気にわずかに寄りかかるように佇む男の元へと駆け寄る。
 銀の髪、紫の目が目につく、彫像のように端正な青年を前にして、ミーナはわずかにうわずった声で話しかけた。

「あっ、あの、ヒュンケルさんっ。お久しぶりです! あ、あの……っ、わたしのこと、覚えていますか?」

 尋ねる言葉は少し不安そうだったが、ヒュンケルは小さく頷いた。

「ああ、前にもここで会った子だな。……大きくなったな」

 その言葉は、二重の意味で意外だった。
 ヒュンケルがミーナと会った事があるだなんて知らなかったし、また、人には無関心そうなヒュンケルがそれを覚えていたのも意外と言えば意外だった。

「……覚えていてくれたんですね、嬉しいです! あのっ、もしよかったら、これを受け取ってくれませんか?」

 嬉しそうに頬を紅潮させ、ミーナはあんなに大切そうにしまっていたチョコレートの包みを取り出し、ヒュンケルへと差し出した。

「あ、あのっ、これ、バレンタイン・デーだからとかじゃなくて、お礼、なんです! どうしても、お礼をしたくて……!」

 ひどく熱心に、早口でそう言うミーナを、ヒュンケルはしばし、じっと見つめる。その様子に、見ているマァムの方がなぜかドキドキしてしまう。

 ヒュンケルがバレンタイン・デーに女の子からチョコレートをもらうのは、珍しいことではない。と言うか、毎年、山のようにもらっていやがるとポップがよくぼやいている。

 事実、マァム自身もヒュンケルがチョコレートを渡される現場を見たことがある。だが、その時は彼は断っていた。もし、ミーナも断られたら傷つくのではないかと心配になったが、それは杞憂にすぎなかった。

「……ありがとう」

 小さく礼を言って、ヒュンケルはその包みを受け取った。途端に、ミーナの表情が明るくなる。

「よかった……! 本当は、ポップに頼んで届けてもらおうと思ってたのに、まさかここで会えるだなんて思わなかったです!」

 そう言ってはしゃいでいるミーナとは対照的なのが、わんぱく坊主だった。なぜか、ひどくショックを受けたような顔をして、愕然としている。
 なにやら、気の毒になるぐらいに落ち込んでいるわんぱく坊主を見て、マァムはどう慰めればいいのかと頭を悩ませる。

 そもそも、彼が何にショックを受けているのか分からないからどう慰めればいいのか分からないのだが、それでも慈愛に満ちた彼女にとって、傷ついた少年を放置しておくなんてできない。

 だが、マァムが慰めの言葉を書けるよりも早く、ミーナがこちらに戻ってきた。

「ねえ、ちょっと。あんた、何そんなところで座りこんでいるのよ? 早く、村に帰りましょ」

 その言葉が耳に入っているのかいないのか、わんぱく坊主の目はミーナの持っているもう一つの包みに釘付けだった。

「そっ、その包みって……チョコかっ!?」

「ええ、そうよ」

「そっ、それ、誰にやるんだよっ!?」

 焦るわんぱく坊主に対して、同い年のはずのミーナはわずかに大人びた笑みを浮かべた。

「ふふふっ、まだ教えなーい。でも、ちゃんとあたしを村まで送ってくれたら……教えてあげても、いいかな?」

「おっ、送る! 送るよっ」

 勢い込んでそう言ったかと思うと、わんぱく坊主はミーナの手を引いてさっさと歩き出した。ミーナもミーナで、もうマァムどころかヒュンケルのことも見向きもしない。
 仲良く手をつないで去って行く少年少女を見て、マァムはふと、微笑んだ。

 ミーナが途中でバテてしまうのではないかと、いつでもおんぶできるようにこんな格好をしたのだが、あの妹分はマァムが思っているよりも早く、成長していた。

 一人でちゃんと行き帰りを歩き通した彼女は、バレンタイン・デーに気になる男の人や男の子に対して、チョコレートをプレゼントできる小さなレディーへと成長していたのだ。

 自分に懐いていた子猫が、知らないうちに大きくなってしまっていたかのような寂しさを感じないと言えば嘘になるが、それでも猫の可愛さに変わりはない。
 彼らを微笑ましく見送りながら、マァムはヒュンケルへと話しかけた。

「ヒュンケル。あなたが来ているなんて、知らなかったわ。いつ、来たの?」

 実際、これには驚きだった。
 昨日の夕方、マァムはネイル村に帰ってきた。普段はカール王国に暮らしているマァムだが、月に1、2度の頻度でネイル村に帰ってくるのが常だ。その時、送ってくれるのはいつだってポップだ。

『今日は、たまたま時間があるからよ』

 なんて言いながら、ポップはマァムを望む場所へとルーラで送り、休暇後にまたカールまで送り届けてくれる。それはもう、年単位での恒例行事だ。なのに、未だにポップはそれを『たまたま』だと言い張ってきかない。

 昨日だって、そうだった。
 夕方に送り届けてくれて、また明日の同じ頃に迎えに来ると言っていた。その時は当然、ヒュンケルはいなかったはずなのだが――。

「今日の昼頃、だったかな。ポップが、しばらくこの村にいろと言っていた。夕方には迎えに来ると言っていたが」

 その答えに、マァムは呆れずにはいられない。

「ポップったら……何考えてんのよ? 迷惑だったんじゃない?」

 勝手に連れてこられて、置き去りにされるだんて、ヒュンケルにとっては、一方的で迷惑この上ない話だろう。だが、ヒュンケルは気にした様子もなかった。

「なに、非番だからな。それに今日は城も騒がしかったから、この村の方が静かでいい」

 それを聞いて、マァムは思わず笑ってしまった。
 チョコレートを山ともらうヒュンケルの姿を、容易に想像できてしまったからだ。そして、ポップがそれに不満そうな顔をしているのも、想像できる。

 でも、それでもポップは、ヒュンケルに対して嫌がらせをするような真似はしない。
 一見、突飛に見えるポップの真意を、マァムはすでに気づいていた。

 思えば、ポップはいつもそうだった。
 マァムがヒュンケルを意識したり、気にしたりしている時は、決まってその背を押してくれた。

 今日だって、そうだ。
 ポップがわざわざヒュンケルを連れてきたのは、多分、ミーナのためだけではないのだろう。
 おそらく、マァムのためにだ。

 自惚れかもしれないが、マァムにはそう思えた。
 今となっては、離れた国に住むマァムとヒュンケルはなかなか会う機会はない。それはポップも同じだが、瞬間移動呪文を使えるポップは、望むなら好きな時にマァムの所へとやってこられる。

 それをフェアじゃないと、気にしているのは――多分、ポップの方だ。
 だからこそ、今日、ポップは言われもしないのにヒュンケルをネイル村に連れてきたのだろう。

 マァムが望むなら、ヒュンケルに直接、チョコレートを手渡せる時間を与えてくれるために。

 ――しかし、マァムはチョコレートなど買わなかった。
 今日がバレンタイン・デーだとさえ気づかなかった自分が、ヒュンケルに何かを渡すのはおこがましいというものだ。

 だが、それでも、心優しいこの兄弟子に報いりたくて、マァムは優しく声をかけた。

「ねえ、ヒュンケル。ポップを待つ間、うちでお茶でもどうかしら?」

 マァムの誘いに、ヒュンケルは素直に頷く。

「ああ、いただこう」








「わりい、マァム。ちょっと忙しくって、遅れちまった!」

 そう言ってポップがやってきたのは、普段の迎えの時間よりも大分遅くなってからのことだった。ポップを歓迎してお茶の用意をしようとしたレイラに急ぐからと謝り、急かすようにマァムを呼ぶ。

「じゃあ、先にカールに行くぜ。ヒュンケル、おまえは後な」

 ヒュンケルにとってはどこまでも迷惑な話ではあるが、彼は文句一つ言わずに頷いた。
 ポップとマァムが二人並んで、外へと出る。

 これは瞬間移動呪文の常識で、この魔法は開けた場所でなければ発動できない。ついでに、移動する者同士が互いに触れあっていなければいけないのも、お約束だ。

 だからポップは、周囲に人気のないところまで来ると、ごく自然にマァムに手を伸ばした。まるで握手を求めるようなその手を握り返しながら、マァムはゆっくりと聞いてみる。

「ねえ、ポップ。今日が何の日だか、知っている?」

 その質問に、ポップは見ていて面白いほどに動揺した。

「へっ? さ、さあ、知らねえな。なんかの記念日だっけ?」

 その反応があまりにも白々過ぎて、マァムは思わず言ってしまう。

「嘘つき」

 笑って、マァムはあのキャンディーをポップへと渡す。
 今すぐにチョコレートをあげたいと思えるほど、マァムの気持ちは決まってはいない。まだ、ポップとヒュンケルのどちらに渡せばいいのか、分からないのだから――。

 だが、この優しくてどこまでも甘い魔法使いの少年に、マァムは懐かしい歌詞の刻まれたキャンディーをあげたいと思った。
 この詩が、彼にぴったりだと思ったから――。






  薔薇は赤い
  菫は青い
  砂糖は甘い
  そして、あなたも――   END 

 

《後書き》

 すごく珍しいことに、マァムのバレンタインデー話です。まあ、メインルートではなく、アナザーワールドのIFバージョン扱いですが(笑)

 バレンタインデーネタは、お笑い、ほのぼの、悲恋気味など様々なパターンが思い浮かぶので、ルート別にかき分けていますが、どこにも当てはまりそうもない場合は、アナザー編にしてあります。

 まだ、ポップともヒュンケルとも決めかねているのに、バレンタインデー自体を忘れてしまうマァムが、なんとなく好きなんです♪

 そして、密かにお気に入りキャラのミーナちゃん。
 作品中では年齢が明かされていませんので、10才というのは捏造です。ついでに、ネイル村のわんぱく坊主君にいたっては、原作で名前すら出ていなかったのですが(笑)、勝手にミーナちゃんと仲良くさせてみました。

 今になって思いましたが、ミーナちゃんと脇役のこの子らの方が、リア充な気がします。

 
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