『おてがみの時間』 |
「……………………」 白い紙を前にして、ダイは悩み続けていた。彼の特徴でもあるその太い眉を思いっきり寄せて、まるで敵にでも対するように睨みつける。 それが、本物の敵――たとえば、バーンやハドラーであったとしても、勇者のその剣呑な表情にはなんらかの反応を見せたことだろう。だが、生憎と言うべきか、紙はただの紙っきれだ。 ダイの気迫やら目つきなど一向に気にせず、机の上に鎮座し続けるのみ。 だからこそ、驚いたのだ。 が、ダイの反応を全く無視して、勝手に部屋に入ってきたのは、ポップだった。 「おい、ダイ。おまえ、なにやってんだよ〜? 夕飯の時間だってえのに、なんで来ないんだよ? おかげで、おれまで姫さんに怒られたじゃねえか」 等と、ポップはさも不満そうに言ってのける。 が、ダイはそんなことには気づきさえしないので、不満など湧きようもない。ダイが気づいたのは、いつの間にかすっかりと夕暮れ色に染まった窓の外の風景と、夕食と聞いた途端、ぐうといきなり自己主張し始めた空腹感だった。 「え、もうそんな時間だったの? おれ、気づかなかったよ、ごめん」 慌てて、ダイは机から離れる。 「さっきのは、今日の宿題なんだ。なかなか出来なくて、いつの間にか時間が経っちゃってたんだ、ごめんね」 なぜ、夕食に遅れたのか――そう聞かれ、ダイは肉を頬張る合間をぬって説明をする。今日の夕食は骨付きのラムなので、骨を避けて肉を切るのに時間がかかることもあり、話すのにはちょうど良かった。 「そんなに難しい宿題だったの?」 と、わずかに眉をひそめて聞くのはレオナだった。さすが生まれながらのお姫様と言うべきか、彼女の食事風景は絵に描いたような優雅さだ。 だが、そんな優美な姿とは裏腹に、単に会話しているだけのように見えて、レオナの思考はめまぐるしく回転している最中だった。 パプニカ王女としては、勇者であるダイの学力を上げることは望ましい。だからこそ優秀な学者を家庭教師としてつけ、日々、勉強に励ませている。地道に進んでいるとは言え、彼の年齢を考えればまだ平均値にまでは達していないので、これからも双方頑張って欲しいところだ。 しかし、一個人の少女レオナとしては、自分が恋する少年に対して優しくしてあげたいと思う甘やかさがある。 ダイにそんな厳しい宿題を出すなんてひどい、報復としてちょっと減給しちゃおうかしら……だなんて思ってしまう辺り、身勝手にも程があるが、恋とはもともと理不尽なものだ。 レオナのそんな思惑になど気がつきもしないダイは、首を横に大きく振った。 「ううん、むずかしく……は無いと思う」 実際、今日の宿題は難しくはないですよ、と家庭教師は言ったし、説明を聞いた時のダイもそう思った。むしろ、算数の宿題よりもよっぽど簡単そうだし、これなら今日は早めに宿題を終わらせて、ポップの所へ早く遊びに行けると思ったのだが。 しかし、蓋を開ければいつもの宿題の何倍もの時間がかかったのに、終わらないどころか、まだ手をつけてさえいない。 「今日の宿題はね、てがみを書かないといけないんだよ」 「「手紙?」」 レオナとポップのきょとんとした声が、きれいに重なった。 「てがみ?」 家庭教師から宿題を出されたダイも、きょとんとしてそう問い返した。と言っても、ダイの場合はその言葉の意味自体が分からなかったのだが。 「はい、先生、質問です。てがみって、なに?」 だから、ちゃんと教わったとおりに手を上げてから質問したのだが、その瞬間に家庭教師が絶望的な表情になった理由がダイには分からない。彼は、深くため息をついてから、言った。 「そこからですか……いいですか、勇者様。手紙というのは、知り合いに向けて書いた文章のことです」 それを聞いて、ダイは目をパチクリさせた。 「え、なんでそんなことするの? 知り合いなら、話せばよくない?」 「ですが、世の中にはそう簡単に話せない相手というのもいるでしょう? たとえば、遠い故郷にいる家族とは、話したいと思ってもそうそうすぐには会えませんしね。だけど、どうしても話したい……そんな時、勇者様ならどうすればいいと思いますか?」 「ルーラで飛んでく」 そう答えた途端、家庭教師は何やら呻きながら頭を抑えこむ。その勢いがあまりにも強すぎて、彼のいささか寂しい禿頭部から、はらり、はらりと毛が落葉のごとく散ったのが見えた。 「い、いや、そうかもしれませんが! 魔法はなし! ナシの方向でお願いしますっ、もし、あなたが魔法を使えなくて、それでも遠い場所にいる大切な人に伝えたい言葉があるのだとしたら、どうすればいいと思いますか!? あ、言っておきますが、大魔道士様に頼むとか、その手の方向性もナシですよ!!」 先手を打ってポップの協力も封じる辺り、家庭教師もダイの扱いをそこそこ心得てきたと言える。 (えっと……) 魔法が使えなくて。でも、遠いところにいる大切な人に、どうしても話したいことがある――。 そう聞いてダイが思い浮かべたのは、薄暗い世界だった。 ポップやレオナ、みんなに会いたい、と。 だが、何十、何百……いや、何千、何億を超えるほどにそう思いながらも、ダイの結論はいつも同じだった。 「……諦めると思う」 ダイにすれば、それは当然の帰結だった。 「はぁあ!? なぜ、そこだけ妙に諦めがいいんですかっ!? いえいえいえっ、別に諦める必要はないでしょう!? そこで、手紙を書けばいいんですよっ、そうすれば遠くにいる人とでも言葉を交わすことが出来るんですよっ、ほら、兵士達がよく故郷から手紙をもらったと喜んでいるのを、見たことがありませんか!?」 やけに必死に食い下がってくる家庭教師の言葉に、ダイはそう言えば、と思い出す。 「……そういえば、前にジャックとかも喜んでたっけ。孤児院から送られたっていうクルミを、分けてくれたよ」 その時はダイはクルミに気を取られて気がつきもしなかったが、ジャックはクルミよりも手にしていた紙切れの方に気を取られているように見えた。 「そう、それですよ! いいですか、手紙というものはね、遠くにいる人にでも届けることができるんです! 簡単には会えないほど遠い場所にいる大切な人と、連絡を取るための手段なんですよ。特に我がパプニカ王国では、レオナ姫の配慮により流通や郵便が簡略化され、これまでよりも短い時間で確実に届くようになったのですから」 「へえ、すごいね」 ダイは、素直に頷く。 「ええ、ですから、安心して手紙を書けばいいんですよ」 だが、家庭教師のその励ましには、ダイは素直に頷けなかった。 「……でも、それでも届かないところにいる人だったら?」 ダイは、知っている。 ならば、やっぱり諦めるしかないのではないかと思ったのだが、家庭教師はゆっくりと首を横に振った。 「いいえ、それでも手紙は書くべきです。たとえ、相手に届かなかったとしてもね」 そう言いながら、家庭教師は本棚に近づいて一冊の本を取り出した。ダイの学習速度に合わせて教室に用意された本棚に並んでいる本は、読みやすい子供向けの本ばかりだ。 本来は図書室にあった本の数々は、ダイが以前に借りて気に入っているという理由でそろえられた本も多い。家庭教師が手に取ったのも、そんな本の一つだった。 「勇者様は、このお話の書き手をご存じですか?」 「ううん」 知らないと言う答えを、家庭教師は想定していたのだろう。軽く頷いて、話を続ける。 「このお話を書いた人は、不明なのですよ。昔から伝わるおとぎ話ですからね、最初は誰かが口から口で伝えていた話だったのでしょう。だが、それを書き留めて文章にした人が、遙か昔にいたのです」 人から人に伝えられる話は、時が経てば失われてしまう。 「紙に書いて記録したものは、時代を経ても残る可能性があります。このお話のように、大勢の人に愛された話ならば多くの人が書き写し、残し続けますからね。これは異国の話とされていますが、我が国にも伝わっている……つまり、国境も関係なく広がる可能性があるということですよ。 分かりますか、時代を経たとしても、どんなに遠い距離があったとしても、伝わる言葉というのはあるのですよ」 そう言ってから、家庭教師は少しだけ苦笑した。 「まあ、これは手紙とは言えませんがね。ですが、本というものも、他人に当てて綴った文章です。特定の誰かに対してのものでなくとも、誰かが読んで、共感してくれることを望んで書かれた言葉です。 この本の作者は、おそらくはもう生きてはいないでしょう。ですが、彼の言葉は時と国を超えた我々に、今も届く……これが、文章の力なのですよ」 家庭教師の説明を、ダイは軽い驚きと共に聞いていた。 魔界にいる当時、ダイは自分の言葉をポップ達に伝える可能性など、全くないと考えていたからこそ、諦めた。 だが、もしも。 いや、それを読むのがポップやレオナで無かったとしても。それでも、誰かが読んでくれる可能性があるのなら――そう思えば、心は動く。 魔界で、誰にも知られず孤独に死んでいったのだとしても。ダイの書いた『てがみ』を、いつか、もっと後の時代で誰かが読み、少しでもダイの言葉に耳を貸してくれるのだと思えば。 そうと知っていたのなら、あの頃のダイも、諦めずに手紙を書いたかもしれない。――まあ、あの頃は手紙を書くほどの文章力はなかったのだが。 なにはともあれ、そんな風にダイが心を動かしたのを悟ったのか、家庭教師は一枚の便箋を渡しながら話をまとめた。 「分かってもらえたようで、嬉しいですよ。では、これは宿題です。誰に当てたものでもいいですから、手紙を書いてみてください。 そう言ってから、家庭教師は「参考までに」と言って、出だしの挨拶の言葉と、最後に書く締めの言葉を教えてくれた――。 「――で、それから、ずーっと悩んでたったわけか? バッカだなー、そんなの適当にチョチョイと書きゃあいいじゃん」 呆れたように言いながら、ポップはポイポイとサラダの一部をダイの皿に放り込んでいる。相変わらず、好き嫌いを直す気はないらしい。 普段ならそんなポップのテーブルマナーに文句をつけるはずのレオナだったが、今の彼女はそれどころではないようだった。まさに身を乗り出さんばかりに、ダイを一心に見つめている。 「……でっ、そ、それでっ。え、えっと、コホン、これは別に好奇心でも何でもなくて、ちょっと聞いてみたいだけなんだけれど、ダイ君は……いったい誰に、手紙を書くつもりなのかしら?」 どう聞いても『ちょっと』の範疇を振り切った熱心さでのレオナの質問に、ポップは同情の念を禁じ得ない。 (まあ、気持ちは分かるよ、姫さん……) ポップとて、思い人が書く手紙にはどうしたって平常心ではいられない。 自業自得と言えばそれまでだが、マァムがわざわざ書いたヒュンケル宛の手紙を手にして、穏やかならざぬ気持ちに追い込まれたものである。 その経験があるからこそ、ポップ的にはレオナに同類的な同情を感じてしまう。 「うん、ポップにだよ」 ダイの無邪気な一言のせいで、その場の空気が一気に凍りついたかのようだった。一瞬、ポップに対して向けられたレオナの視線の鋭さは、魔界の殺し屋もかくやと言わんばかりのものだった。 (ダ、ダイのバカヤロー、空気ぐらいよみやがれぇえええっ!) 内心のポップの絶叫に、もちろんダイもレオナも気づきはしない。何しろレオナは、ポップに向けた必殺の視線をまさに一瞬で切り替えて、天使のような微笑みをダイには向けているのだから。 「そ、そお、それはいいわね。それで、なにをかくのかはきまったの?」 いや、いささか棒読みの口調にはまだダメージが少なからず残っているようだが。しかし、ダイはそんなレオナの異常に気づいていないのか、屈託無く続ける。 「まだだよ。で、次はレオナで、その次はマァムかな。ヒュンケルやラーハルト、クロコダインやみんなにも書きたいし。今月は、てがみの書き方の特訓をするんだって。最終的には、目上の人へ失礼の無いように書く方法を教えてくれるって言ってたよ。だから、アバン先生に書くのはずっと先になりそうかなぁ」 剣や体術の特訓は喜々として取り組むくせに、勉強への特訓にはしょんぼりした空気を隠しもしないダイだったが、それを聞いた途端、レオナの表情は一気に明るくなった。 「そう、それはいいわね!」 さっきと同じ相づちだったが、熱の込め方が段違いである。 「書けたら、あたしにも見せてちょうだい、約束よ。ね、ポップ君もそう思うでしょ?」 「へ? あ、あぁ、まあ、そーだな」 レオナに巻き込まれたような形で、ポップはあまり気乗りしなさそうな感じながら、頷いた。 『ポップへ』 丁寧に、ダイにしては気を遣って、ダイは便箋に書き込んでいた。 機嫌さえよければポップもダイの宿題を手伝ってくれるのだが、今日ばかりはポップに手伝ってもらっても意味が無い。 『オげんき、ですか』 最初に、相手の様子を聞くのは『手紙の定型』というものらしい。習った通りにそう書いたのだが、それを書いた後でダイはちょっと考え込む。 ポップが元気か、どうか――。 たまにポップは食欲が無いのかご飯を抜く時や、ひどく疲れているように見える時がある。だが、大丈夫かと気遣っても、決まって平気だと笑うのだ。面と向かって声をかけると、いつだってそんな風にごまかされてしまう。 『うそ、だめ』 要点をそう書いてから、ダイは先生から文章を書く時には主語と述語で書くようにと言われたことを思い出した。ややこしいなと思いながらも、ダイは今書いた文章に二本線を引いてその下に書き直す。 手紙では間違えた時は全文書き直しがマナーだというのは、もちろんダイは知らない。 『ポップは、うそ は、いくナい、です』 書いてみて、少し間違えたような気がしないでもなかった。家庭教師がいつも黒板に書くような文章と違って、なにやらギクシャクしていて読みにくい気がする。 (でも、分かればいいか) そう思い、ダイは次の文章に取りかかる。 『ポいポいを、うレしい。けど、いくナい、とオもう』 夕食に限らず、ポップと一緒に食事をとる時には、彼はたいていの場合食べ物を分けてくれる。今日の夕食の時のように、無造作にポイポイとダイの皿に放り投げてくるのだ。 まあ、それが善意かと言えば決してそう言い切れず、ポップの嫌いな物をダイに押しつけていると言うのが当たっているのだが、ダイ自身はそれが迷惑だと思ったことはない。 食べ盛りのダイは、ご飯を分けてもらえるのはいつだって嬉しい。その相手がポップなら、尚更だ。 お代わりをもらうよりも、ポップのご飯やおやつを分けてもらった方が嬉しい。うまく言えないが、同じ物を美味しいと思って食べていると思うと、それだけで特別感がある。 やっぱり、仲間なんだなと言うか、つながりを強く感じ取れる気がするのだ。 だが、それはそれとして、ポップのその押しつけ癖は周囲には不評だった。レオナやマァムはお行儀が悪いと言うし、ヒュンケルやクロコダインさえも、しっかり食べないと体力がつかないとポップを叱咤する。 ダイは行儀などどうでもいいと思っているが、ポップの体力は心配だ。いっぱい食べた方が元気になるなら、いっぱい食べて欲しいと思う。 (でも、ポップが全然、食べ物を分けてくれなくなったら、それは寂しいかな……) そう思ったので、一文を付け足す。 『でも、さみしいから、たまは、ポいポい して』 ポップがいっぱい食べた後でなら、ちょっとだけ分けて欲しい。そこまで書いて、ダイは大きくあくびをした。 不慣れな手紙を書くのには、思ったよりも時間がかかってしまった。いつの間にか、普段の就寝時間などとっくに過ぎている。 字を小さく書くのが苦手なダイは、大きめにしっかりと書くので、便箋も半分以上埋まっている。これならもういいだろうと思い、ダイは家庭教師に習ったt通りに結びの言葉を書いて、締めくくった。 『ポップへ オげんき、ですか。
《後書き》 ダイ君のお手紙教室のお話です(笑) なのに、それを難なく読み解く小学校低学年の先生には、本当に感心しまくりですよ。 しかしこの話は、最初は裏道場の恋愛以前設定で、ラブレターを目指すダイの話にする予定だったのですが、書いている内に健全話になりました。まあ、ラブレターどころか、人様に読ませる手紙にもまだ遠い感じですけどね(笑)
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