『青空授業と黒板の話』
 

 そこは、森の奥のちょっとした空き地に過ぎない。だが、それでいて、誰が見てもはっきりと分かる『教室』でもあった。

 一本の木の枝にかけられた、小さめの黒板。机も椅子も、それどころか小屋すらないというのに、黒板があるだけでそこが『教室』に見えてくる。
 とは言っても、そこには先生と生徒が一人ずつしかいなかったが。

「はい、注目〜っ。では、これから授業を始めましょうか」

 明朗な声音でそう言ったアバンは、軽く手を叩いてたった一人の生徒――ポップの注意を喚起する。

 が、張り切っているアバンに対して、ポップのやる気は明らかに低かった。あぐらを掻いて座り込んでいるポップは眠そうにあくびをしながら、ぐずるように文句をつける。

「えー、もうですかぁー? もう少し、食休みしたいんすけどー」

「いやいや、もう十分に休憩したでしょう? そろそろ、午後の授業を始めないと後の予定が詰まっちゃいますからね」

 アバンの授業のスケジュールは、大まかに言って午前は体術、午後は魔法へと振り分けられている。もっと詳しく言うのならば、昼ご飯を食べた後の時間は座学に当てられる。

 その後、魔法力を高めるための瞑想を行い、魔法の特訓というのが標準的な授業の流れだ。

 とは言っても、旅をしながら行っている授業なだけに、それほど厳密な物ではない。体術の修行と称して、午前中一杯歩き通すこともあれば、宿屋に泊まった時は夜に座学を行うこともある。

 が、今日はほぼ通常スケジュールの日だった。
 午前中は体術の訓練もそこそこに大半が移動に当てられたので、ポップにしてみれば疲れ切っている。

 先ほどアバン特製のチキンソテーのキノコ添え――余談ながら、バターをたっぷりと使ったレモンバターソースが実に絶品だった――を食べたおかげで腹も程よく膨らみ、眠くてたまらない。

(あーあ、こんな時、他にも生徒がいれば居眠りぐらいできるのになー)

 と、思ってしまうのも無理もない。
 ポップは故郷の村にいた頃は、村の子供達と同様に教会で行われている授業を受けていたが、十数人ほどいる教室の中では居眠りもしやすかった。

 もちろん、見つかればこっぴどく叱られるが、教師である神父が一人なのに対し、生徒は十数倍いるのだ。

 年齢も性別もバラバラな子供達がそろっているだけに、教師の手間がどうしても手のかかる子――小さな子へと向けられる。それをいいことに、ポップは居眠りをしたり、勉強をする振りをしてこっそりサボったりするのは、しょっちゅうだった。

 だが、今はそうはいかない。
 勇者の家庭教師を自称するアバンには、今のところ弟子はポップ一人しかいない。マンツーマンでの指導では、サボろうにもサボれない。

「さあ、今日は昨日の続きからいきましょうか。確か、海の怪物の系統についてでしたね。そうそう、しびれクラゲの章まで進んだところでしたっけ。ではポップ、何か質問はありますか?」

 聞かれて、ポップはちょっとふてくされたような表情をしつつも、一応は軽く手を上げる。別に生徒は一人しかいないのだから、質問の前に挙手をする必要などはないのだが、この手の形式はある意味で重要だ。
 なぜなら、教師であるアバンの機嫌がぐっと良くなるのだから。

「はいっ、ポップ! いいですねえ〜、今日はいつもと違ってやる気があるじゃないですか、よいことです。で、質問は何ですか?」

 いつも笑顔のアバンが、さらに輪をかけた笑顔でニコニコしながら聞いてくる。期待しまくっているように身を乗り出すアバンに対して、ポップはあくびを噛み殺しながら黒板を指さした。

「それ、なんで用意するんですか?」

「は?」

 その質問は、どうやらアバンの意表を突けたらしい。
 いつも飄々としているアバンの驚きの表情を楽しみつつ、ポップは前々から疑問に思っていたことを口にする。

「だから、黒板ですよ。別に黒板なんかなくても、地面に書いたっていいじゃないですか」

 村の教会で習っていた時は、黒板はあると便利なものだった。教室内に何人いようとも、全員がそこに書かれたものを見ることができるのだから。

 だが、今は一対一だ。
 別に大勢に見せる必要もないし、字に書いて伝えたいことならば地べたに書いたって構わないだろう。実際、黒板に書き切れないような大きさのもの……たとえば魔法陣の見本などは、アバンも直接地面に書いているのだから。

 しかし、アバンはなぜか授業の度にその黒板を引っ張り出す。
 黒板とは言っても、その黒板はかなり小さい。大きめのおぼん程度の大きさしかないそれは、本来の黒板とは比べものにならない小ささだ。

 が、旅の荷物としては、かなり大きい。
 重さはたいしたことはないし、薄っぺらいが、何分にも嵩張るのは否めない。その黒板のせいで、アバンの荷物はちょっと嵩張っている。

 まあ、その荷物を持つのもアバン本人なので、別にポップにはなんのデメリットにもならないのだが。
 だけど、気になるものは気になる。

「それ、いちいち持ってあるくのって邪魔くさそうだし、重いだけじゃないっすか?」

 そう言ったのは、別に悪気などない。
 そりゃあ授業にするに取りかかるのが嫌で時間稼ぎをしたかったのは確かだが、申し出自体は半分ぐらいは善意からのものだ。もう半分ほどは、ただの好奇心だが。

 だいたい黒板など、余分な荷物のような気がしてならない。いっそ、捨ててしまって地面を黒板代わりにした方がよっぽど身軽である。
 だが、ポップのその言葉を聞いて、アバンはチッチと指を振ってみせる。

「ノンノンノン、分かっていませんねえ、ポップ。いいですか、形から入るというのも大切なんですよ。言わば、様式美とでもいいましょうか。周囲を整えると、やる気も自然に湧くというものです!」

 アバンのその言葉に、ポップはすぐには頷けなかった。
 それが正しいのなら、ポップもこんな質問で時間つぶしなどせず、さっさと授業を開始しているだろう。いくら周囲を整えたって、やる気が出るかどうかは別問題だ。

 が、そんな弟子の及び腰に気づいていないのか、アバンはなおも得意げにニコニコとして言う。

「それに、こんな風に黒板があれば、そこがどこでも教室に早変わりすると思いませんか?」

「あ、それは言えてますねー」

 この意見には、ポップも即座に頷く。
 黒板の効果でその場が一気に教室っぽくなるのは、理解できる。これまでの旅路でも、黒板のおかげか道ばたで授業を始めたのを見られても、それなりに納得してもらえた。

 時には、その村の子供達が興味を持って集まり、授業に飛び入りで参加したりなどの、楽しいハプニングもあったりする。

 まあ、それでも半分ぐらいの人には『……なにやってんの、こいつら』的な視線を向けられたような気もするが。
 しかし、アバンはポップの賛同に、さらに気をよくしたように言う。

「そうでしょう、そうでしょう! いえね、私もいろいろと考えたんですよ。旅路でも教室らしさを演出するためには、何がいいだろうとね。マヌーサの呪文をアレンジして教室の光景を呼び出すのもどうかとも思ったのですが、これがなかなか難しくてですね――――」

 話しているうちに話題がそれて、いつしかアバンは呪文研究の話を熱心に語り出していた。いささかオタク気質とでも言うべきか、一つのことに夢中になってのめり込むタイプのアバンは、こうなると話が長くなる。

 が、授業の脱線はポップには望むところだ。
 それに、魔法の話を聞くのはいつだって面白い。ポップ自身は幻惑呪文なんて興味も無いし使えもしないが、応用して使えるのだとしたらいろいろと利用価値がありそうだとは思う。

 まあ、思うだけで、本気で覚える気なんてないが。
 アバンの話を楽しんで聞きつつ、合いの手を入れては拍手をして雑談を長引かせるように熱心に励むポップだったが、その顔にポタッと冷たい物が当たった。
 同時に、目の前の地面にもポツッポツッと小さな水玉が降ってくる。

「雨だっ!? 先生、雨ですよっ」

 言うなり、ポップは慌てて傍らに置いてあったバックを抱え込む。
 旅では、雨は要注意だ。

 手荷物をぬらしてしまっては、着替えすら全滅してしまう。冬山でもないのに大げさな、と思われがちだが、自然の中では雨でさえ危険を伴う。身体が濡れた状態で風を浴びれば、あっと言う間に体温を奪われる。
 たとえ夏であっても、命取りになりかねない危険があるのだ。

 旅を始めたばかりの頃は、その辺のことがよく分かっていなかったポップだが、今は雨となれば即座に避難した方がいいと身に染みて知っている。もちろん、ポップにそれを教えたアバンも同様だ。

「予想より早かったですね。ふむ……ここからなら、次の村まで行った方が良さそうです」

 荷物を片付けがてら、地図をざっとチェックしてからアバンが即座に方針を決める。

 雨にも、様々な種類がある。
 夏に特有の夕立のようにすぐに止むような雨ならば、雨宿りしてやり過ごすのもいいだろう。だが、今降り始めた雨は長引きそうだし、気温もそれほど高くはない。

 それならば森の中で雨宿りする場所を探すよりも、近くにある村で宿屋を探した方がいいと判断したのだろう。もちろん、ポップに異議などない。

「はーいっ。あ、先生、おれ、黒板を運びますね」

 言って、ポップは素早く黒板を外す。しかし、アバンがいつもそうするようにトランクに入れるのでは無く、両端をしっかりと持って頭の上にかざす。ちょうど、傘代わりになるように。

 少し大きめなので腕が疲れるが、それでも雨よけにはピッタリだ。
 ついさっきまで黒板など役に立たないなどと言っておきながら、いざとなるとちゃっかりと有効利用している弟子にアバンは苦笑しつつも、文句は言わなかった。
 自分はマントを羽織り、早足に歩き出す。

「では、お願いしますよ、ポップ。次の村までは遠くはありませんから、雨が強くならないうちに急ぎましょう」

「はいッ、先生!」

 強まっていく雨の中、師弟は仲良く並んで足を速めた――。  END 


 

《後書き》

 アバン先生と魔法使い見習いポップの、青空授業のお話です♪ っていうか、全然授業が進んどりませんが(笑)

 でも、初期のポップの様子を見ていると、なんだかんだと隙を突いては授業をサボろうとしまくっていたんじゃないかと思えるんですよね。全然、真面目に授業している感じがしませんし。

 なお、この頃のポップは一応は魔法は使えます設定で書いていますが、本人はまったくやる気が無いので使えない方がまだ真面目に勉強していそうな気がします。

 ところで黒板のことですが、原作ではデルムリン島での修行時代でしか出てこないのですが、島に元々あったとは思えないし、となるとアバン先生の私物じゃないかと想像しました。

 あれは普通の黒板よりも小型ではありますが、旅をしながら持ち歩くには大きすぎる気がして、めっちゃ不便そうだと思ったことから生まれたお話です♪

 


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