『ここから始まる物語』
  
 

 それは、目が覚めるような一面の青だった。
 青い空と青い海。その間に挟まれるように存在する、緑豊かな小さな島。
 レオナが始めて見たデルムリン島は、そんな島だった――。






「デルムリン島……ですって?」

 聞き慣れない地名だと思いながらも、レオナはそれでも一応、前に習ったことはないかと思い返してみる。

 パプニカ王国唯一の王女として、レオナの受けている教育は非常に高いレベルのものだ。いずれは他国に嫁ぐことを前提にした並の王女と違い、レオナは将来的にパプニカ王家を継ぐことが確約されている。

 そのため帝王教育に重きを置いた授業を受けている彼女は、王子以上の教育を受けている。中でも地理は特に重視されている教科だ。

 脳裏に世界地図を描くことなど、レオナには当たり前のようにできる。しかし、いくら記憶を紐解いてみても、その島の名前に覚えは無かった。
 だが、それを素直に口にするのはいささか癪だった。

「おや、ご存じないのですか? パプニカ王女ともあろう方が」

 口調こそ丁寧だが、その目つきに彼の本心がにじみ出ている。
 女性も羨むようなしなやかな長髪が一際目立つ彼は、切れ長の目をレオナに向けていた。美形と呼べるほど整った顔であり、理知の宿った目はいかにも怜悧に輝いているが、理に勝ちすぎているせいか些か冷たく見える。

 彼の名は、バロン。まだ二十代半ばの年齢ながら賢者の地位を獲得し、次期三賢者の筆頭候補と呼び名も高い男性だった。

 しかし、いかに優れた頭脳を持っていようとも、好感を抱けるかどうかは別問題だ。
 レオナは機嫌の悪さを隠しもせず、勝ち気に言い返した。

「王女だろうと、知らないことはいくらでもあるわ。習ったこともない場所なんか、知るわけないでしょ」

 レオナの名誉のために言っておくのなら、普段の彼女ならば教師に対してここまできつく言い返したりはしない。王女であっても、教えを授ける師に対しては敬意を払えというのが父王の教えであり、教育方針だからだ。

(でも、この男は正式な教師ってわけじゃないからセーフよね)

 少なくとも、レオナはそう思っている。
 バロンがパプニカ城でも一、二を争う魔法の腕を持ち、傑出した賢者であるのは認めるが、だからといって無条件に彼を教師として崇める気にはなれない。

 司教のテムジンが強く推薦し、父からも命じられたため、彼の授業を受けることになったのは、ほんの数ヶ月前のこと……だが、残念ながらと言うべきか、彼との相性は悪いようだ。

「それは心得違いというものです、レオナ様。仮にもパプニカ王であれば、知っておかねばならない知識もあるものです。
 いいですか、デルムリン島とは歴代のパプニカ王位継承者が、地の神の恩恵を受けるために洗礼を受ける場所なのですよ」

 ひどく勿体ぶった言い回しで、バロンが語る話はレオナには些か退屈だった。内心あくびを噛み殺しながら、レオナはそれを頭の中で要点をまとめる。

 まず、パプニカ王家は元来、神官系の家系であること。
 現在でこそ魔法使いや賢者が増えて魔法王国として知られているが、本来は神に仕える家系であり、そのため宗教的な儀式が多く行われてきた。

 その儀式を行う場所こそが、デルムリン島。南海の小さな孤島で、魔物が多く住み着く島として有名らしい。

 だが、時代が下がるにつれ、それらの儀式は徐々に簡略化されたり、もしくは行われなくなってきたらしい。現に、バロンが今、口にしている王家の洗礼の儀式が最後の行われたのは50年も前の話……レオナの父親どころか、祖父を通り越して曾祖父の時代に行われたのが最後だと言う。

(要は、やってもやらなくても同じってことじゃない。ただの泊付けってことでしょ? バッカみたい)

 王女としては少々品がないようだが、それがレオナの率直な感想だった。一応、口には出さなかったのだが、表情からそれを察したのか、バロンがたしなめる口調で強く言う。

「聞いておられるのですか、レオナ様。古い話だからご自分とは無縁などとは、思わないように。むしろ、あなたにこそこの儀式は必要なのですよ。女性が王位を継ぐことに、納得できない層はいるものなのですから……」

 その言い分は、レオナにも分かる。
 と言うよりも、悔しいほど身に染みて感じている。レオナは自分の学力や魔法力がそんじょそこらの男に劣っているとは思わないし、自分が王に相応しくないとも思わない。

 が、女だと言うだけでレオナを軽んじる者はいるのは確かだ。
 今、目の前にいるバロンのように――。

「そうね。私が王になるのが不満だと言う人は、きっといるのでしょうね……でも、私はいずれお父様の後を継ぐつもりよ」

 バロンの目をしっかりと見返しながら、レオナは挑発的に言い放った。

「そのためには、努力は惜しまないつもりよ。……あなたも、協力してくれるのでしょう?」

 好悪はどうあれ、バロンが現在のパプニカで指折りの賢者であることは間違いが無い。そして、レオナとは意見が合わなくても、彼なりにパプニカ王家を尊重していることも確かだろう。

 ならば、気が合わなかったとしても、折り合うことは出来るはず――レオナはそう考えた。
 そして……バロンが返事をするまで一拍以上の間があった。

「…………もちろんですとも。私が古い儀式の話をお教えしたのも、それがレオナ様にとってお役に立つと思えばこそ。先程も申し上げたように、レオナ様が女だからと侮る者もおりましょう……そのような者に実力を見せつけるためにも、古き儀式を行う意味があるのです」

 そう訴えるバロンの口調は、強く、力をこめたものだった。……なのになぜか、レオナにはそれが妙に空々しく聞こえるような気がした――。







「レオナよ、この話……本当に進めてもよいのか?」

 父王のその問いかけに、レオナは少し考える。
 問われる、と言うことは、レオナの選択の余地があるということだからだ。親子とは言え、レオナの父親はパプニカ王であり、その命令は絶対だ。命じられたのならば、姫は王に逆らうことは出来ない。

 たとえば、レオナが望まなかったとしても、他国の王や王子と結婚を命じられれば、従わないわけには行かない。王族とはそう言うものなのだから。

 だが、今、父王は問いかけた。
 それは、断る余地があるということ。レオナの意志次第で、今ならば変更してもいいという父親からの思いやりの言葉だった。

「気が進まないのであれば、この話を白紙に戻そう。危険も少なくはないのだからな」

 デルムリン島で地の神の洗礼を受ける計画――ただの授業の合間の蘊蓄話かと思っていたその話は、レオナも驚くような速さで実現化しようとしていた。

 バロンだけでなく、司教テムジンも儀式の重要性を国の内外に説き、気がつけばレオナの即位のためにはその儀式が欠かせないかのような風潮さえ漂う始末だ。

 数代も忘れられていたカビの生えかけた儀式が、こんな風に注目を集めるなんて思いもしなかったが、勢いというものは馬鹿にはできない。もしもの話だが、この儀式を無視したのならば、将来の即位式で難癖をつける者が発生するのではないか……そう思えるぐらい、今回の儀式の話は広まっている。

 すでに、港ではデルムリン島に行くための船まで用意されているぐらいだ。王家の船を使うのでは無く、賢者が乗っていることを示す特注の船まで用意したのは、レオナが賢者であることを広く喧伝するための効果もあるのだという。

 儀式を受けることで、レオナは正統なるパプニカ王家の姫だと証明すると同時に、優れた賢者だと証明することも出来る――そのメリットは確かに少なくはない。

 レオナは、そのデメリット、メリットを冷静に見計るだけの賢さがあった。

 反面、危険も大きい。
 どんなに良い船を用意し、腕の立つ船員を雇ったとしても、海は天の領域だ。荒れ狂う自然の前では、どんな人間も無力だ。王家縁の船でさえ、遭難することは珍しくはない。

 聞いた話では、十数年前にも王家の船が遭難し、乗っていたはずの王子が行方不明になった事故があったという。それを考えれば、レオナが海難事故に遭う可能性はゼロではない。

 また、儀式を行うデルムリン島は怪物だらけの島だと言う。
 いかに護衛をつけても、怪物が多数いれば危険なのは言うまでも無いだろう。生まれた時からずっと城で育っていたレオナにとって、怪物は本や教師からの知識で学ぶだけのもので実際に見たことはないが、その危険性は承知しているつもりだ。

 しかし、デメリットとメリットは紙一重だともレオナは知っている。
 危険を伴う儀式であるからこそ、レオナの王位継承権を強めるのには良い伯付けとなってくれることだろう。

(まあ、そんなのたいして魅力じゃないけどね)

 パプニカ王女としては由々しき発言かもしれないから口にしないが、レオナ個人としては本音ではそう思う。

 王になりたいとは、レオナはあまり思ってはいない。
 他に適任者がいないのは分かっているし、王族の義務だと理解もしている。だが、一人の少女としてのレオナからすれば、そんなの窮屈で面白くないと思っている。

 王女と言うだけで窮屈さを感じているのに、女王となればその不自由さは段違いだろう。それを思えば、即位に向けて自分から積極的に努力する気などさらさらなかった。

 それは、レオナに自信があるからこその思いだった。
 いざ女王となったら、正しく政(まつりごと)を行えるという自信が、レオナにはある。そして、正しい道を指し示すことで、いずれは周囲の理解を得られるはずだとレオナは確信に強い力で信じていた。

 傲慢と言えば傲慢な思いだが、それはレオナの中で揺るぎなくある思いだ。
 だからこそ、レオナの心を最終的に動かしたのは、デメリットやメリットを越えた思いだった。

「バロンから話を聞きましたわ。デルムリン島は怪物ばかりが住んでいる島だとか……人間は本当にいませんの?」

「いや、たった一人だけ人間がいると聞いたな」

 パプニカ王とロモス王は若い頃からの友人でもあり、単なる外交を越えて個人的な親書を送り合う中でもある。

 そのロモス王がデルムリン島に小さな勇者……というよりは、未来の勇者候補と呼べるべき少年がいると教えてくれたのだという。幼いながら彼のまっすぐな正義感、怪物を友達として手なずけている手腕を事細かに書かれた手紙――その内容をかいつまんで聞きながら、レオナの中の好奇心は膨れ上がる。

「へえ、面白そう……! どんな子なのかしら?」

 ロモス王も認めた、未来の勇者。
 怪物だらけの島に住む、たった一人きりの人間の子。
 その子に会ってみたい、とレオナは素直に思った。それも、城に呼び寄せるのでは無く、その子の住む島で。

 レオナは知っている――噂で聞く面白そうな旅芸人や劇団を見たいと望んでも、王宮にいる限りそれは叶わないということを。

 もちろん、レオナが望めば彼らを城に呼び寄せ、特別公演を行わせることは可能だ。だが、そうした場合、行われる芝居がギクシャクとしたものになることを、レオナは経験上知っていた。

 人は、王や城というものに対して、普通に接することは出来ない。大抵の者は萎縮してしまい、本来の伸びやかさを失ってしまうのだ。そのことをレオナは、身をもって知っている。

 お忍びでこっそりと城下町へ行き、一般人に交じって楽しんだ旅芸人の一座がどんなに楽しかったことか。失敗すら笑いの種として、誰もが面白そうに眺めていた。

 だが、そんな一座を城に呼び寄せて見物しても、決して同じ楽しさは味わえなかった。緊張した旅芸人は失敗しても取り繕う余裕も無かったし、萎縮して演じられる芸はただの拙い素人芸にしか見えなかった。

 一回の少女としての褒め言葉には気やすく声を返してくれた芸人達は、レオナが王女と知ると平伏せんばかりに媚びへつらった。……そんなものは、レオナの望むものではない。

 レオナが望むのは、対等な友達だ。
 レオナが王女だと知っても気にせず、普通に接してくれる友達――それを、ずっと求めていた。

(もしかして、その子なら……!)

 南の島に住む小さな勇者。
 人間もいない、怪物を友達とする少年ならば、身分など気にせずにレオナと友達になってくれるかもしれない――そう思うだけで、胸が弾んだ。

「お父様、私はデルムリン島に行ってみたいですわ」

 迷うこと無く、レオナはそう宣言した。








「あれが、デルムリン島なのね……!」

 船の舳先から、レオナはまだ遠くに見える島を見つめる。
 だが、感激に水を差すような冷ややかな声が後ろから聞こえた。

「レオナ様、まだ到着までは数時間かかります。お部屋で休まれた方がよろしいのでは?」

 振り返るまでも無く、それがバロンだと分かる。だから、レオナは振り向きもせず答えた。

「いいえ、大丈夫よ。あなたこそ、疲れているのなら休んでいた方がいいのではなくて?」

 少しばかり皮肉を込め、レオナはそう言ってのける。
 こんなお目付役が背後にいたのでは、せっかくの感激も興ざめというものだ。

(ああ、ホントにつまんないったら! まさか、エイミもマリンも来られないとは思わなかったわ)

 急遽決まったデルムリン島への随行は、テムジンとバロンが選考した。
 目的が洗礼という儀式名だけに、神官達がメインとなることはレオナも予測していたのだが、驚いたことにテムジンとバロンも来ることになった。

 そのくせ、レオナ付きの侍女や直属の近衛騎士は一人も選ばれなかった。
 レオナのじいや代わりであるバダックも、選から外れた。
 聖なる島だから、神官、もしくは賢者以外は行くべきではないというのがその理由だった。

 幼い頃から身近に仕えていた侍女であり、優れた賢者でもあるエイミとマリンまでもがついて来られなかったのは正直、レオナにとっては計算外だった。

 代わりにレオナの身の回りをするよう、テムジンが手配した侍女はいることはいるが、礼儀正しく仕事が手早いのは良いが、至って義務的でレオナが親しく話しかけても、かしこまりすぎて「はい」とか「姫様の仰る通り」としか言わない彼女達では話し相手にもならない。

 そのくせ、常にバロンが見張るようにレオナについてくる……正直、うんざりしていた。だからこそ少々つっけんどんに追い払おうとしたレオナに対して、バロンはどこか不遜に笑う。

「……まあ、レオナ様がそうお望みなのでしたら。では、お言葉に甘えて私は部屋に戻らせてもらいます」

 妙に勿体ぶりながらも、彼が引き下がったことでレオナは開放感を味わう。その心のままに、レオナはまだ遠いデルムリン島を見つめる。

「綺麗ね……!」

 それは、目が覚めるような一面の青だった。
 青い空と青い海。その間に挟まれるように存在する、緑豊かな小さな島。

 そこにはたくさんの怪物達と、勇者に憧れる少年がいるという――もうじき訪れることになるその島を、レオナは弾む胸で見つめていた。
 あそこから物語が始まる……そんな予感を抱きながら――。  END


《後書き》

 アニメを見ていたら、思わず浮かんできたレオナの島に来る前のお話です♪
 この話ではレオナはバロンに対して好感を持てず、怪しいな〜と思っていた
にも拘わらず、勇者ダイに興味を引かれてホイホイ罠に飛び込んでいます(笑)

 原作後期の聡明さなどかけらもないですが、初期レオナは割と考えが浅いので、こんな感じかなーと思っています。
 まだ魔王軍も攻めてきていないし、危機感ゼロですね。
 陰謀を企みまくっているバロン視点からの話も、そのうち書きたいです。

 それはさておき、デルムリン島、思っていたよりもずっと鮮やかな色彩の南の島で、見ていたすっごく嬉しくなりました〜。原作のカラーでは、どちらかというと牧歌的で淡い色彩のイメージが強かったので、鮮やかな南国感に惚れ惚れしましたとも。

 
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