『ここから始まる物語』 |
それは、目が覚めるような一面の青だった。 「デルムリン島……ですって?」 聞き慣れない地名だと思いながらも、レオナはそれでも一応、前に習ったことはないかと思い返してみる。 パプニカ王国唯一の王女として、レオナの受けている教育は非常に高いレベルのものだ。いずれは他国に嫁ぐことを前提にした並の王女と違い、レオナは将来的にパプニカ王家を継ぐことが確約されている。 そのため帝王教育に重きを置いた授業を受けている彼女は、王子以上の教育を受けている。中でも地理は特に重視されている教科だ。 脳裏に世界地図を描くことなど、レオナには当たり前のようにできる。しかし、いくら記憶を紐解いてみても、その島の名前に覚えは無かった。 「おや、ご存じないのですか? パプニカ王女ともあろう方が」 口調こそ丁寧だが、その目つきに彼の本心がにじみ出ている。 彼の名は、バロン。まだ二十代半ばの年齢ながら賢者の地位を獲得し、次期三賢者の筆頭候補と呼び名も高い男性だった。 しかし、いかに優れた頭脳を持っていようとも、好感を抱けるかどうかは別問題だ。 「王女だろうと、知らないことはいくらでもあるわ。習ったこともない場所なんか、知るわけないでしょ」 レオナの名誉のために言っておくのなら、普段の彼女ならば教師に対してここまできつく言い返したりはしない。王女であっても、教えを授ける師に対しては敬意を払えというのが父王の教えであり、教育方針だからだ。 (でも、この男は正式な教師ってわけじゃないからセーフよね) 少なくとも、レオナはそう思っている。 司教のテムジンが強く推薦し、父からも命じられたため、彼の授業を受けることになったのは、ほんの数ヶ月前のこと……だが、残念ながらと言うべきか、彼との相性は悪いようだ。 「それは心得違いというものです、レオナ様。仮にもパプニカ王であれば、知っておかねばならない知識もあるものです。 ひどく勿体ぶった言い回しで、バロンが語る話はレオナには些か退屈だった。内心あくびを噛み殺しながら、レオナはそれを頭の中で要点をまとめる。 まず、パプニカ王家は元来、神官系の家系であること。 その儀式を行う場所こそが、デルムリン島。南海の小さな孤島で、魔物が多く住み着く島として有名らしい。 だが、時代が下がるにつれ、それらの儀式は徐々に簡略化されたり、もしくは行われなくなってきたらしい。現に、バロンが今、口にしている王家の洗礼の儀式が最後の行われたのは50年も前の話……レオナの父親どころか、祖父を通り越して曾祖父の時代に行われたのが最後だと言う。 (要は、やってもやらなくても同じってことじゃない。ただの泊付けってことでしょ? バッカみたい) 王女としては少々品がないようだが、それがレオナの率直な感想だった。一応、口には出さなかったのだが、表情からそれを察したのか、バロンがたしなめる口調で強く言う。 「聞いておられるのですか、レオナ様。古い話だからご自分とは無縁などとは、思わないように。むしろ、あなたにこそこの儀式は必要なのですよ。女性が王位を継ぐことに、納得できない層はいるものなのですから……」 その言い分は、レオナにも分かる。 が、女だと言うだけでレオナを軽んじる者はいるのは確かだ。 「そうね。私が王になるのが不満だと言う人は、きっといるのでしょうね……でも、私はいずれお父様の後を継ぐつもりよ」 バロンの目をしっかりと見返しながら、レオナは挑発的に言い放った。 「そのためには、努力は惜しまないつもりよ。……あなたも、協力してくれるのでしょう?」 好悪はどうあれ、バロンが現在のパプニカで指折りの賢者であることは間違いが無い。そして、レオナとは意見が合わなくても、彼なりにパプニカ王家を尊重していることも確かだろう。 ならば、気が合わなかったとしても、折り合うことは出来るはず――レオナはそう考えた。 「…………もちろんですとも。私が古い儀式の話をお教えしたのも、それがレオナ様にとってお役に立つと思えばこそ。先程も申し上げたように、レオナ様が女だからと侮る者もおりましょう……そのような者に実力を見せつけるためにも、古き儀式を行う意味があるのです」 そう訴えるバロンの口調は、強く、力をこめたものだった。……なのになぜか、レオナにはそれが妙に空々しく聞こえるような気がした――。
父王のその問いかけに、レオナは少し考える。 たとえば、レオナが望まなかったとしても、他国の王や王子と結婚を命じられれば、従わないわけには行かない。王族とはそう言うものなのだから。 だが、今、父王は問いかけた。 「気が進まないのであれば、この話を白紙に戻そう。危険も少なくはないのだからな」 デルムリン島で地の神の洗礼を受ける計画――ただの授業の合間の蘊蓄話かと思っていたその話は、レオナも驚くような速さで実現化しようとしていた。 バロンだけでなく、司教テムジンも儀式の重要性を国の内外に説き、気がつけばレオナの即位のためにはその儀式が欠かせないかのような風潮さえ漂う始末だ。 数代も忘れられていたカビの生えかけた儀式が、こんな風に注目を集めるなんて思いもしなかったが、勢いというものは馬鹿にはできない。もしもの話だが、この儀式を無視したのならば、将来の即位式で難癖をつける者が発生するのではないか……そう思えるぐらい、今回の儀式の話は広まっている。 すでに、港ではデルムリン島に行くための船まで用意されているぐらいだ。王家の船を使うのでは無く、賢者が乗っていることを示す特注の船まで用意したのは、レオナが賢者であることを広く喧伝するための効果もあるのだという。 儀式を受けることで、レオナは正統なるパプニカ王家の姫だと証明すると同時に、優れた賢者だと証明することも出来る――そのメリットは確かに少なくはない。 レオナは、そのデメリット、メリットを冷静に見計るだけの賢さがあった。 反面、危険も大きい。 聞いた話では、十数年前にも王家の船が遭難し、乗っていたはずの王子が行方不明になった事故があったという。それを考えれば、レオナが海難事故に遭う可能性はゼロではない。 また、儀式を行うデルムリン島は怪物だらけの島だと言う。 しかし、デメリットとメリットは紙一重だともレオナは知っている。 (まあ、そんなのたいして魅力じゃないけどね) パプニカ王女としては由々しき発言かもしれないから口にしないが、レオナ個人としては本音ではそう思う。 王になりたいとは、レオナはあまり思ってはいない。 王女と言うだけで窮屈さを感じているのに、女王となればその不自由さは段違いだろう。それを思えば、即位に向けて自分から積極的に努力する気などさらさらなかった。 それは、レオナに自信があるからこその思いだった。 傲慢と言えば傲慢な思いだが、それはレオナの中で揺るぎなくある思いだ。 「バロンから話を聞きましたわ。デルムリン島は怪物ばかりが住んでいる島だとか……人間は本当にいませんの?」 「いや、たった一人だけ人間がいると聞いたな」 パプニカ王とロモス王は若い頃からの友人でもあり、単なる外交を越えて個人的な親書を送り合う中でもある。 そのロモス王がデルムリン島に小さな勇者……というよりは、未来の勇者候補と呼べるべき少年がいると教えてくれたのだという。幼いながら彼のまっすぐな正義感、怪物を友達として手なずけている手腕を事細かに書かれた手紙――その内容をかいつまんで聞きながら、レオナの中の好奇心は膨れ上がる。 「へえ、面白そう……! どんな子なのかしら?」 ロモス王も認めた、未来の勇者。 レオナは知っている――噂で聞く面白そうな旅芸人や劇団を見たいと望んでも、王宮にいる限りそれは叶わないということを。 もちろん、レオナが望めば彼らを城に呼び寄せ、特別公演を行わせることは可能だ。だが、そうした場合、行われる芝居がギクシャクとしたものになることを、レオナは経験上知っていた。 人は、王や城というものに対して、普通に接することは出来ない。大抵の者は萎縮してしまい、本来の伸びやかさを失ってしまうのだ。そのことをレオナは、身をもって知っている。 お忍びでこっそりと城下町へ行き、一般人に交じって楽しんだ旅芸人の一座がどんなに楽しかったことか。失敗すら笑いの種として、誰もが面白そうに眺めていた。 だが、そんな一座を城に呼び寄せて見物しても、決して同じ楽しさは味わえなかった。緊張した旅芸人は失敗しても取り繕う余裕も無かったし、萎縮して演じられる芸はただの拙い素人芸にしか見えなかった。 一回の少女としての褒め言葉には気やすく声を返してくれた芸人達は、レオナが王女と知ると平伏せんばかりに媚びへつらった。……そんなものは、レオナの望むものではない。 レオナが望むのは、対等な友達だ。 (もしかして、その子なら……!) 南の島に住む小さな勇者。 「お父様、私はデルムリン島に行ってみたいですわ」 迷うこと無く、レオナはそう宣言した。
船の舳先から、レオナはまだ遠くに見える島を見つめる。 「レオナ様、まだ到着までは数時間かかります。お部屋で休まれた方がよろしいのでは?」 振り返るまでも無く、それがバロンだと分かる。だから、レオナは振り向きもせず答えた。 「いいえ、大丈夫よ。あなたこそ、疲れているのなら休んでいた方がいいのではなくて?」 少しばかり皮肉を込め、レオナはそう言ってのける。 (ああ、ホントにつまんないったら! まさか、エイミもマリンも来られないとは思わなかったわ) 急遽決まったデルムリン島への随行は、テムジンとバロンが選考した。 そのくせ、レオナ付きの侍女や直属の近衛騎士は一人も選ばれなかった。 幼い頃から身近に仕えていた侍女であり、優れた賢者でもあるエイミとマリンまでもがついて来られなかったのは正直、レオナにとっては計算外だった。 代わりにレオナの身の回りをするよう、テムジンが手配した侍女はいることはいるが、礼儀正しく仕事が手早いのは良いが、至って義務的でレオナが親しく話しかけても、かしこまりすぎて「はい」とか「姫様の仰る通り」としか言わない彼女達では話し相手にもならない。 そのくせ、常にバロンが見張るようにレオナについてくる……正直、うんざりしていた。だからこそ少々つっけんどんに追い払おうとしたレオナに対して、バロンはどこか不遜に笑う。 「……まあ、レオナ様がそうお望みなのでしたら。では、お言葉に甘えて私は部屋に戻らせてもらいます」 妙に勿体ぶりながらも、彼が引き下がったことでレオナは開放感を味わう。その心のままに、レオナはまだ遠いデルムリン島を見つめる。 「綺麗ね……!」 それは、目が覚めるような一面の青だった。 そこにはたくさんの怪物達と、勇者に憧れる少年がいるという――もうじき訪れることになるその島を、レオナは弾む胸で見つめていた。 《後書き》 アニメを見ていたら、思わず浮かんできたレオナの島に来る前のお話です♪ 原作後期の聡明さなどかけらもないですが、初期レオナは割と考えが浅いので、こんな感じかなーと思っています。 それはさておき、デルムリン島、思っていたよりもずっと鮮やかな色彩の南の島で、見ていたすっごく嬉しくなりました〜。原作のカラーでは、どちらかというと牧歌的で淡い色彩のイメージが強かったので、鮮やかな南国感に惚れ惚れしましたとも。 |