『君を独り占め!』 |
その光景を見て、ダイは意識せずに頬を膨らませていた。 勤務時間にばらつきのある彼らのために常時開放されていて、いつ来ても温かい食事をセルフサービスで味わえるのが特徴だ。 ダイやポップも、朝食や昼食はこの場所で取ることが多い。時間が許す限り、ダイは食事に行く時はポップを誘って一緒に食べる。 兵士の早朝訓練に参加していたらなんだかんだで遅くなってしまって、ポップはもう部屋を出た後だった。 今日はポップの数少ない休日だから、朝からずっと一緒にいてうんと遊ぼうと思っていたダイの計画は、のっけから失敗だった。 ちょうど今は朝食時間のピークで、広い食堂の座席がほぼ埋まっているような状態だった。 ポップが何か話す度に、周囲が楽しそうにドッと笑う声が遠くからでもよく聞こえた。 お調子者で明るいポップは誰とでも簡単に仲良くなれるし、相手が誰だろうと差別なんかしない。 初めて会ったばかりの兵士や文官と一緒にテーブルに着いてすぐに打ち解け、長年の友人であるかのように冗談を飛ばし合いながら盛り上がるなんて日常茶飯事だ。 大魔道士や宮廷魔道士見習いなんて肩書きがくっついても、ポップはそんな点は少しも変わりがない。 それはそれでダイの好きな部分でもあるのだが、最近はちょっと腹立たしく感じてしまう時がある。 ポップが笑いかけたり、楽しげに話しかける相手が、自分だけだといい。 (でも、そんなのワガママだよね) 一瞬浮かんだ勝手な感情を思い直して、ダイは手早くセルフサービスの食事をトレイに乗せ、ポップの方へと近寄っていった。 「お、ダイ、おはよーさん。今日は遅いんだな、寝坊でもしたかぁ?」 ダイに気がついたポップが、ひらひらと手を振って軽くからかう。 「ポップじゃあるまいし、寝坊なんてしないよ。今日は、朝練だったんだってば!」 「ふうん、そうだったっけ? ま、どっちにしろちょうど良かったな。こっちにこいよ」 「うんっっっ」 ポップに手招きされて、ダイの表情がパァッと明るくなる。 「え?」 唖然とするダイの前で、ポップは自分のトレイまで持ちあげてしまう。 「おれ、ちょうど食い終わったところなんだ。ここ、空くぜ」 親切だ。 (そ、そうじゃなくて〜っ) 焦れる思いでポップの方を見ながら、ダイは引き止めようと口実を探す。 「ポップ、もっと食べない? これ、好きだろ? いっぱい持ってきたから、ポップにも分けたげるよ」 育ち盛りの上、もともと見た目以上の大食漢であるダイのトレイには、それこそ山のような量の食事がどっさりとのせてある。 「あー、それならもういっぱい食ったから、いいよ」 (しまった、別なのにすればよかったっ!) と、後悔しても、もう遅い。 「あ、あのさー、ポップ、よかったらこの後宿題手伝ってくれないかな? どしても分からないとこ、あるんだ」 今にも離れていきそうなポップを引き止めようと、とっさに思いついた口実はそれだった。 現在、ダイは複数の家庭教師をつけられて、読み書きに始まって様々な一般常識を習っている最中である。 レオナの好意による特別編成チームによる徹底教育なのだが、正直、勉強嫌いのダイにとってはあんまりありがたいものではない。 今日のように、訓練優先で授業のない日は喝采をあげて喜ぶぐらいに、勉強なんてしたくない。 仕事優先で遊ぼうという誘いにはツレないポップも、勉強についての質問にはよっぽど忙しい時以外はちゃんと答えてくれる。 「あー、今はちょっとダメなんだよな。今から、少しばかり仕事ができちまってさ」 ポップは困ったような顔で、肩を竦めて見せた。 「ええっ、なんで!? だって、今日はおやすみなんだろ?」 「すまないね、ダイ君。ちょっとトラブルが発生してしまってね。どうしても、ポップ君でないと分からない部分なんだ。しばらくポップ君を借りるよ」 と、ひょいっと口を出してきたのは、三賢者のリーダー、アポロだった。 「が、宿題についての質問なら、心配いらないよ。後で、家庭教師の誰かで手が空いている人に追加授業を頼んでおくから」 これまた善意からの申し出ではあるが、そんなのはすっごく余計なお世話である。 (そ、そ、そんなぁああ〜っ) 声にならない絶叫をあげる墓穴掘りな勇者様を置き去りにして、ポップとアポロは仲良く並んで食堂を出て行ってしまった――。 (つ、疲れた〜) ぐったりとし、足をふらつかせつつダイはやっと家庭教師から開放されて自室を出た。 手配の早いアポロのおかげで、ダイが食事を食べ終わる前に家庭教師が食堂に押しかけていたせいで、逃げるに逃げられなかったのだ。 剣の稽古なら、丸一日やっても全然平気なのに、勉強をするとなるとひどく疲れるのは実際不思議だ。 ノックもそこそこに三賢者の執務室を覗き込むと、そこにも人が溢れていた。 最初は仕事の話かと思い遠慮していたダイだが、聞こえてくるのはどう聞いてもそうとは思えなかった。 「本当にありがとうございます、おかげで助かりました。なにかお礼をさせてください!」 「いえ、たいしたことですよ! ポップ様には、いつも助けられてばかりです。よろしければ、お昼をおごらせてもらえませんか? 色々とお話を伺いたいこともありますし」 「それを言うなら、ぜひ、私もご一緒させていただきたいですな」 「あ、いい店を知っていますよ。最近できたばかりですが、城下では評判の店なんです」 冗談じゃない。 「ポップ、もう用事終わった?」 声をかけると、ポップはやっとダイを見つけて笑いかけてくる。 「ダイか。おまえこそ、もう勉強終わったのかよ?」 「もう、とっくに終わったよ! それよりさ、用が終わったんだったら――」 今度こそ遊ぼうと誘いをかけようとした時、細くて白い腕がしっかりとポップの腕を絡め取った。 「ダメよ、次に手を貸してもらうのは私なんだから」 いつからそこにいたのやら、他の文官達を押し退けてレオナが反論など許さないとばかりにきっぱりと宣言する。 「姫さん、おれ、今日、非番なんだけど〜」 「まっ、ポップ君ったら……っ、男の頼みは聞けても、か弱い女の子の頼み事は聞けないわけ?」 「よく言うよ、姫さんのどこがか弱い女の子だって?」 と、文句を言いつつも、ポップはレオナの手を振り払ったりはしない。 「とにかく、ちょっと一緒に来てくれない? 図書室で調べものがあるんだけど、資料捜しが面倒なのよ。ポップ君ならあそこの本には詳しいでしょ」 そのまま、レオナに強引に引っ張られて行くポップをダイは呆然と見送っていた――。
と、エイミに言われるのも無理もない。 本がたくさんある場所も、静かにしていなきゃ行けない場所も、どちらか一つだけでも苦手なのに、両方兼ね備えているのだから。 「あ、エイミさん、レオナかポップ知らない?」 最初はおとなしく二人の帰りを待っていた。だが、待ちきれなくなって探しにきたまではいいものの、迷路のごとく本棚がそびえ立つ通路の中で、ダイは迷子になりかけていた。 「さあ、姫様なら閲覧室にいると思うけど……あ、ポップ君なら、あそこにいるわよ。ほら」 エイミの指差す方を振り仰いだ先は、吹き抜けとなっている二階の本棚の上層部だった。 梯子を駆使しなれば到底届かない高みの部分に、こともなげに浮いている魔法使いの少年がそこにはいた。 ふわふわと浮きながら、ポップは並んでいる本の背表紙を熱心に見つめては、手にしたメモと見比べるというしぐさを繰り返している。 「ポップ!」 と、呼び掛けた途端に振り返ったのは、肝心のポップじゃなくて、ぎすぎすと髪を引っ詰めて分厚い眼鏡を掛けた司書の女性だった。 少しでも館内で騒げば、たとえ王女に対してでも容赦なく注意を飛ばすと噂されるパプニカ城図書室の支配者と呼ばれる女性だ。 慌てて口を噤み、ダイは音を立てないように気をつけ、それでも目一杯急いで階段を上って二階へと上がっていった。 一際背の高い本棚の天辺あたりに浮いているポップの真下まで行き、ダイは抑えた声で呼びかけた。 「ポップ!」 「お、ダイかよ? なんだ、今日はよく会うなあ」 なんて呑気なことを言うポップに、ダイはちょっと膨れたくもなる。 (偶然だとでも思ってるのかな、ポップ?) 「ま、ちょうどいいところにきたな。ほれ、これ持ってくれよ」 と、ポップは本棚から重そうな本を抜き取ると、それを無造作に落としてきた。 「わっ?」 「あ、これも、これも。これもだな。ついでにこれもいるか」 「わわっ、わっ、わっ、ちょ、っちょっとポップ、待ってよ!」 自由に飛び回りながら本を落とすポップはいいかもしれないが、下でそれを落とさないように受け止めるダイの方は大変だ。 走り回って本を傷つけないように受け止め、しかもどんどん増える本を抱えていなければならない。 「それ、姫さんに渡しといてくれよ。おれ、ちょっと用があるからさ」 そう言いながら、ポップは天窓まで浮き上がってそこから出て行こうとする。 「え? ポップ、どこに行くんだよ?」 「ん? 修練場だよ。怪我人続出だから、後で診てやってくれないかって、さっきマリンさんから頼まれたんだよ」 「またぁ? そんなの、断ればいいじゃないか、ポップ。今日、おやすみなんだろ?」 「でも、姫さんからも頼まれちまったしなぁ。しょうがないだろ、パプニカはまだ復興途中なんだ、人手が足りないから『便利屋』は必要なんだよな」 全く人使いが荒いよな〜と笑いながら、ポップは器用に窓の隙間から抜け出てしまう。 「あ、ポップ待ってよ!」 思わず後を追いかけようとしたダイだが、彼はポップほどには飛翔呪文が上手くない。ましてや本を抱えたままでは、なおさらだ。 飛び上がったまではよかったものの、小回りが下手なダイは窓に引っ掛かってボトッと本ごと真下に落ちる。 「いたた……」 それでも痛みにめげずに再度浮き上がろうとしたダイの前に、ずいっと鉄壁のごとく灰色のロングスカートが立ちはだかった。 「――勇者様。図書室では、お静かに願います……!」 たとえマヒャドをいきなり仕掛けられても、これ以上凍りつくなど不可能だろう。 「それと、本は大切に扱っていただきたいものですわ。――お返事は?」 「は、はい、ごめんなさい……」 そう言う以外、何が言えるだろう。
閲覧室にいたレオナは、本の山を抱えてきたのがポップではなくてダイなのに、さして疑問を抱いた様子もない。 「レオナ、あんまりポップを独り占めしないでよ」 「あら」 軽く目を見張った後、レオナはおかしそうにくすくすと笑う。 「その言葉を、まさか、よりによって君に言われるとは思わなかったわね、ダイ君」 「?」 その言葉の意味が分からなくて、ダイはちょっと首を傾げる。 (あ、いた) 修練場は、各部隊が交代制で使うことになっている。 だが、ポップは探すまでもなく簡単に見つかった。 刃を落とした模擬剣で行う訓練とは言え、下手に身体に当てれば打撲を負うのは免れない。 その見極めをし、適切な治療を与えるのは案外と難しい作業なのだが、回復魔法も使える上にアバンから基礎の医学を学んだポップならなんなくこなせる。 「ん、これっくらいだったら薬草を煎じたものを飲んで一晩寝りゃ平気だろ。あー、そっちのあんたの方が重傷だな。魔法かけるから、こっちに来いよ」 ポップが兵士の一人に手をあてて、回復魔法を使っているのを見て、ダイは羨ましささえ覚えてしまう。 ダイ自身もポップに回復魔法をかけてもらったことは何度もあるが、それを見るのはいつだって好きだ。 だが、攻撃魔法を使う時とは違って、回復魔法をかける時はどこかしら優しい表情になる。 男の割には細い指から、柔らかい光と共に放出される魔法力の温かさ――それがどんなに心地好くて、身体だけじゃなくて心も癒やしてくれるものなのか、ダイは知っている。 「あのっ、すいませんっ、自分もお願いできますか?」 「実はオレも、この間の訓練で怪我をしてから、ずっと調子が悪くって」 ポップを取り巻く兵士達の数は、減るどころか増える一方だ。おかげで、ダイが近寄る隙すらない。 「なんだよ、ずいぶんと怪我人が多いんだなー。えっと、今日の訓練責任者ってヒュンケルなんだろ? あいつ、いったいどーゆー訓練やってんだよ?」 呆れつつも、なんだかんだ言って丁寧に手当てをしているポップを見ながら、ダイはつい溜め息をついてしまった。 (もー、ポップ、鈍いよなぁ) ポップは、全然分かっていない。 (だって、ポップって、ポップなんだもん) 多分、ポップが魔法の力など全然持っていなかったとしても。 ポップの一番の魅力は、魔法などではないのだから。 ポップの前向きな明るさや頑張りを見ていると、ちょっと落ち込んだ時だって励まされる。 まだロクな魔法も使えない旅の最初の頃から、ずっとそうだった。 ――が、分かるのと、それを受け入れられるかどうかは、まるっきり別の問題だ。 (いっそ、ルーラで連れてっちゃおうかな?) 一瞬、そうしたい誘惑に駆られるが、ダイはそれをなんとか我慢する。 「ポップ、ご苦労だったな」 体格のいい兵士達の中に混じっていても、一際抜きんでた長身さと鍛えられた身体つきが目立つ男が、近寄ってくる。 「あ、隊長!」 近衛騎士隊長であるヒュンケルの登場に、部下達がサッと道を空ける。 嫌われているとか疎まれているというわけではないが、人付き合いに不器用な上に無口なのが災いして、なかなか周囲に打ち解けられないのだ。 気楽に話しかけにくい雰囲気があるだけに、部下の方からもそうは働きかけられない。が、ポップはヒュンケルに対してもなんの遠慮もしなかった。 「ご苦労じゃねえよ、ご苦労じゃ! 基本的には、おまえのせいだろーがっ。おまえさー、ちょっと部下達に厳しすぎじゃねえの? いっつもいっつも鍛えてばっかじゃなく、たまには部下を労って飯を奢るぐらいの甲斐性を見せたらどうだよ?」 ヒュンケルにそう言うついでに、部下の兵士達には高いものをたかってやれと唆して、周囲を自分のペースに巻き込む。 持ち前の明るさで、いつの間にかヒュンケルと部下達がこれから一緒に食事に行くようにと算段をつけてしまった。 「休みの日にわざわざすまなかったな。よかったら、おまえも来ないか」 「へえ? おまえがおれに奢ってくれるなんて、珍しいこともあるもんだなー。なんだ、今日は雨でも降るのか?」 と、からかってから、ポップは軽く手を振って断る。 「ま、せっかくの誘いだけど、先約があるんだ、また今度な」 ポップの断りに、ヒュンケルはそうかと言っただけだが、周囲にいた兵士達は残念そうな顔をする。 (えぇええ〜〜っ!! いつの間にっ!?) がっかりするダイの目の前で、ヒュンケルや兵士達に手を振ってその場を離れ、こちらの方に向かってくる。 「よっ、待たせたな、ダイ。じゃ、行こうぜ」 ごく当たり前のようにそう言って、ポップはポンとダイの頭を叩く。 「え? え、行くって、どこ? それに、約束があったんじゃないの?」 戸惑うダイに、ポップはかえって不思議そうな顔をしてみせる。 「なんだよ、おまえ、約束忘れたのかよー? 今度の休みに、町に飯を食いに行きたいって言ってたじゃないか」 「……っ!!」 思わず、ダイは大きく目を見開く。 城での食事は美味しいし、みんなで賑やかに食べるのも悪くないが、たまには前のようにポップと二人だけで食べてみたいと思って。 が、その話をした時は、ポップは本を読むのに夢中で生返事をしているだけだったから、ろくすっぽ聞いていないと思っていた。 それなのにちゃんと覚えていてくれて、しかも実行してくれる気はあるとは、思いもしなかった。 「今日は忙しいってんなら、やめとくか?」 そう言われて、ダイは思いっきり首を横に振った。 「う、ううんっ、やめないよっ!」 今になってから、やっと驚きを押し退けて喜びが込み上げてくる。 「ポップ、一緒に行こっ」 もう絶対に離さないとばかりに、ダイはポップの腕に抱きついた――。
アポロにそう声をかけられ、閲覧室にいたレオナは窓越しを指して見せる。 「彼ならあそこにいるけど――でも、一足遅かったわね。もう手遅れよ、彼、売約済みだもの」 ダイとポップがじゃれあいながら、城門の方へ向かっているのを眺めつつ、声を立てずにレオナは笑う。 (ホント、ダイ君は知らないだけよね。ダイ君が行方不明の間、ポップ君が何をしていたか、なんて) ダイを探すこと。 ダイが戻ってきた今も、ポップの基本は変わっていない。 (ポップ君も鈍いけど、ダイ君だって相当よね〜) 本当は追いかける必要なんて、最初からない。
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