『嫉妬の代償』 |
「ポップってさ、色白いよねー」 しみじみとした口調でそう言われて、ポップは反射的にムッとせずにはいられなかった。パジャマへと着替えかけていた手も止めて、ポップは声の主をジロッと睨む。 一足先に着替えもすませ、隣のベッドでころんと横になってはいるものの、まだ眠くはないのだろう。 さっきまでは退屈そうに部屋の中を眺め回していたが、あいにくとここには退屈凌ぎになるようなものは何もない。 激戦に晒され一度は放棄した城を、そうそう整え直せるはずもない。 人数分の部屋を割り当てるのも大変だろうと、ダイとポップなどは同室ですませているような有様だ。 ダイがあれこれと話を振ってくるのも、理解できる。 基礎的な瞑想の訓練を受けているダイは元気があまっているかもしれないが、ポップは毎日毎日一歩間違えれば死にかねないような魔法合戦を繰り広げているのだ。 とてもダイと無駄話をする余力までなくて、何を話しかけられても生返事をして聞き流していた。 (いきなり何を言い出すんだ、こいつわっ!?) 着替えの最中にそんなことを言われて、思春期真っ盛りの男子としては面白いわけがない。 今の今までは、昼間の修行のせいかもう眠くて眠くて、着替えの途中でも眠ってしまいそうな気分だったが、今の発言で眠気など吹き飛んだ。 日に焼けにくい肌と、母親似の線の細さはポップにとってはいささかコンプレックスの元だ。 言ったのがダイでなかったら、それをきっかけにいきなりケンカを吹っ掛けたかもしれない。 ただ、見たまんまに言っているだけなんだからと、ポップはなんとか思い直した。 「言っとくけどな、ダイ。男にそう言うのはやめとけ」 「なんで?」 「なんでも何も、男にゃ褒め言葉にゃならねえんだよ、それはっ。女の子じゃあるまいしっ!!」 「?」 ますます不思議そうに、ダイはこてんと首を横に傾げる。 「でも、ポップってマァムより色、白くない?」 「ねーよっ、そこまではっ!!」 思わずムキになって怒鳴り返すポップだが、ダイはきっちりと言い返してくる。 「ええ〜? だって、実際白いじゃないかー」 「どこに目をつけてんだよっ、たいして変わんねえだろ!? つーか、おれの方が日に焼けているだろうがっ!!」 確かに、貴族や裕福な商人の娘と違い、日焼けに気を使う習慣を持たない村娘のマァムは、健康的に日焼けしている。 活動的な性格な上、村では男手が足りない代わりに積極的に力仕事をしていたマァムは、女の子にしては日に焼けている方だろう。 健康的な日焼けをしている肌には、どこか透明感があるというか、元来の白さを残している。 僅差とはいえ、年中日にさらされ、アバンについてずっと旅暮らしをしてきたポップよりは、色白と言えるだろう。 「うん、顔はね。でもポップ、手足や胴体はマァムより白いよ」 そのセリフに、ポップはその場につんのめった。 (ベッドの上でよかった……っ!) しみじみとそう思うポップに、ダイが心配そうに声をかけてくる。 「どしたの、ポップ?」 「どっ、ど、どっ……どしたの、じゃねえっ!? おまえっ、いつの間にマァムの身体なんか見たんだよっ!?」 やっと立ち直って、ポップは猛然とした勢いでダイを怒鳴りつける。 「ポップだって、見たじゃないか」 「見てねーよっ、そんなのっ!!」 そんな嬉しい記憶などない。 お風呂をこっそりと覗きたいだの、着替えをちらっとでも見たいだのと、そんな欲望はそりゃもう筆舌に尽くしがたい程いっぱいあるのだが。 お風呂に入っている時や着替え中にポップが近寄れば、すぐさまバレる。 『ぱふぱふ』も知らないお子様じゃ、覗きの楽しさを力説したっててんで通じやしないのだから。 が、それなのに自分を差し置いて、ダイがちゃっかりとそれを味わっているだなんて、聞いていない。 「んなの、いつ見たんだよっ、おまえっ!?」 ポップは思わず隣のベッドまでつめより、ダイの襟首をひっつかんでいた。 「えー? 宿屋で一緒に寝る時に、見なかった?」 「あ……」 脱力もののお答えに、ポップは本気で力が抜けて、その場にへたりこむ。 (あー……そうだった) そう言えば、マァムはタンクトップにパンツのみという、実に目の保養……いやいや、えらく目の毒な、臍だしスタイルで寝るのが習慣だった。 風呂やら着替え途中にはそれなりに気を配るくせに、あの寝姿はどうよ? と言いたくなるような無防備さである。 パプニカ城に寝泊まりするようになってからは男女の部屋は別になったものの、三人で旅をしていた時は節約して宿屋は一室で過ごしていたものだ。 確かにあれなら、ダイが見ていてもおかしくはない。 (そ、そうだよなー。ダイに限ってンな出し抜きなんか、するわけねえよな〜。こいつって、ガキだし) と、ホッとしたのも束の間、ダイの口からまたも問題発言が飛び出した。 「そういや、胸の先っぽんとこの色も、マァムよりポップの方が薄いよね」 「ま、まま、ままままっ、まていっ!?」 絶叫がポップの喉からほとばしる。 (胸っ!? 胸の先っっ!? ……って、こいつ、乳首って単語も知らんのかい――って、んなのはどーでもいいんだよぉおおっ) あまりの衝撃に頭がぐるぐる回り、心臓がやたらと止まったり動いたりしまくっているような気がする。 いや、それは単に気のせいだが。 「お、おまえ、ソ、そっそれ、いつ……ッ!?」 動揺やらその他もろもろの興奮のせいか、言葉が上手く出ない。 ポップの記憶している限り、そこは隠された秘境に等しい。 胴体部分や手足なら平気でさらけだしもするだろうが、あれでも女の子の端くれなのだから。 「ポップ……大丈夫? さっきから、赤くなったり、青くなったりしてるけど、もしかして気分悪いの?」 見当違いな心配をしているダイに、ポップはようやく食ってかかった。 「う、うるせーっ、そんなのはどうでもいいんだよっ!? おまえっ、マァムの……っ、その、あそこの先なんかいつ見たんだっ!!」 単語は知っていても、口に出して堂々と言うのは照れてしまうお年頃である。 「お風呂でだよ」 「〜〜〜〜〜〜〜〜っ!?」 悲鳴は、言葉にはならなかった。 「ピピピー?」 ポップの頭の上に乗って、注意を引こうとぽんぽん弾むが、彼は全く反応しなかった。魂が抜けたような顔で、愕然としているばかりである。 「こないだ、ポップがうんと早く寝ちゃった日さ、おれ、お風呂で髪とか洗うの大変だなって思ってたら、マァムが一緒に入ってくれたんだ」 風呂など存在しない南の島で過ごしていたダイは、実はまだ風呂自体に慣れていない。温かい水(世間ではお湯と呼ぶ)につかるという発想にも馴染めないし、石鹸で身体を洗うという習慣にも不慣れだ。 毎日、海で水浴びし、泉の水で塩気を流すという生活習慣を送っていたダイに、風呂という存在を教えてくれたのはポップだ。 なんだかんだ言いつつ結構面倒見のいいポップは、大抵ダイと一緒に風呂に入ってカバーしてくれる。 おかげでダイはなんとか風呂に馴染みつつあるが、それでもシャンプーだの、肩までちゃんとつかって暖まるのを待つなんてのは、ちょっと苦手だ。 ポップ抜きでもできるかどうか不安だっただけに、マァムが一緒に入ろうと言ってくれた時はホッとしたものだ。 「ホ……ホォオー。そーだッタんダ……」 ポップの口から漏れる声が、奇妙にかすれている。 「ポップ? ホントに、大丈夫なの? なんか、顔が大王イカみたいな色からスライム色になってきたけど」 「ああ、へーき、へーき」 と、魂が抜けきったような声で言いつつ、ポップはなおもこだわった。 「それより……裸で入ったわけ?」 「うん、そうだよ」 「……タオルとかで、隠さないで?」 「うん、そーだけど。なんで、そんなこと聞くの?」 ダイにしてみれば、ポップがそう聞く方が不思議だった。 だからちゃんとその通りにしたつもりだが、何か間違えたのだろうか? 「マ……マァムも……か……?」 「うん、マァムもだよ。マリンさんやエイミさんもそうだったけど――って、ポップーッ、どうしたんだよっ!?」 いきなりポップが突っ伏したのを見て、ダイは慌ててポップを抱き起こした。 「ポップ、ポップ!? なんか、顔が今度はスライムベスみたくなっちゃってるよっ!? 本当に大丈夫っ!?」 (だ……っ、大丈夫なわけ、ねーだろっ!!) と、声に出すと、何かと色々はみ出そうな気がして、ポップは必死に鼻を押さえつけていた。 気分的には、鼻血が大逆流している気分だ。 タイプは違えど、いずれも健康美溢れる美人には違いない。 しかし、思春期の妄想はとどまるところを知らない。 ポップ自身もダイにしてやったことがあるから分かるが、それは割と身体を密着させる行為だ。 目にシャンプーが入ると嫌がるダイを後ろから洗ってやろうと思うなら、当然、身体が触れ合うこともあるわけで。 ……ぽよぽよと柔らかい胸とか、すんなりとしたおなかとかを背中に感じつつ、マァムの白い指が髪をくすぐる感触――。 想像しただけで、悶絶しそうだ。 もちろん、理性では分かっている。 それにダイときたら実際にお子様で、女湯に入った幸運など微塵も理解しちゃいない。――と、分かってはいる。 「ポップ〜、誰か呼んでこようかっ?」 おろおろと自分の様子を窺うダイの肩を、ポップはがしっと掴んだ。 「ポップ?」 「……なよ…!」 「え? 今、なんて言ったんだよ、ポップ?」 「だからっ! もう二度と、マァムと風呂に入るなって言ったんだよっ!!」 ポップ的には、それは絶対に許せるものじゃない。たとえダイやマァムがなんとも思っていなくても、それでも我慢ならない。 「……?」 しかし、ダイにしてみれば、ポップが何にこだわっているのかも分からないのだから、唐突すぎてきょとんとするばかりだ。 「えっと、マァムとお風呂に入っちゃダメ……だったの?」 「ダメだっ!! ぜーったい、ダメだっ、そんなのっ!」 (何がそんなにいけないんだろ?) と、疑問は浮かぶものの、ダイにとってはこの間の女湯よりも、今のポップの方が遥かに気がかりだ。 「うん、分かったよ」 ダイの承諾に、ポップは心からホッとする。 約束はきちんと守ろうとする頑固さもある。 「マァムとはもうお風呂に入らない。ずっと、ポップと一緒に入るよ」 「は?」 今度は、ポップがきょとんとする番だった。 「なんで、そーゆー話になるんだ?」 「なんでって、ポップがマァムと入っちゃダメって言ったんじゃないか」 と、ごく当たり前のように返され、ポップはしばし絶句する。 (いや、確かにそう言ったけどよ) そもそも、ポップにしてみればダイと風呂に入るのは別に嫌じゃないが、あえてそうし続けたいと思うほどのものではない。 慣れていない内は手伝ってやるつもりはあったし、今もそうしているが、その内、一人で入れるようになるだろうと思っていた。 それもどうかなぁと思わないではない。 が、なにはともあれ、マァムとダイが一緒にお風呂に入るというなんとも心臓に悪い事態を回避できた安心感が強くて、ポップはうっかりと頷いてしまった。 「ああ……、まー、いいけどさ」 「うんっ、約束だよ」 なぜかとても嬉しそうなダイに呆れつつ、ポップは今更のように寒さを思い出した。考えてみれば着替えの途中で、ずっと上半身裸のままだった。 「そういや、ポップ、いい加減、パジャマ着たら? 風邪引くよ」 促され、ポップはやっと着替えを再開するものの、思わずにはいられなかった。 (誰のせいで、こーなったと思ってるんだ!) ――少なくとも、ダイのせいではないとは思えるが。 「なにすんだよ、おまえはっ!?」 文句を言うものの、ダイの方が格段に力は強い。しっかりと抱きつかれると、振りほどけない。 「やっぱ、身体冷たくなっちゃってるじゃないか。ねえ、このままこっちで寝たら?」 昼間はともかく、夜は冷え込む。 普段は気にならないが、疲れていて眠いのに身体が暖まりにくくて眠れないのは、少々つらい。 ダイがずっと寝っ転がっていたこのベッドならその心配はないし、なによりお子様体温のダイと一緒なら湯たんぽを抱いて眠るようなものだ。 まあ、ポップの感覚から言えば、男同士で一つのベッドで一緒に眠るなんて、進んでやりたいわけではない。しかし、ダイがそうしたがることは多いし、拒む理由も別にない。ましてや、今日のように寒さがこたえる日なら、なおさらだ。 (ま、いいか) ほとんどダイに押し倒されるようにベッドに横になりつつ、ポップは大きくあくびをする。 ダイが丁寧にポップに毛布をかけた上で、しっかりと抱きついてくるのにも逆らわず、そのまま目を閉じた。 マァムと風呂に入った時以上に、嬉しそうにしているダイの表情を、知るはずがない。ただ、寝入りばなにダイの嬉しそうな声を聞いただけだ。 「ポップ、約束、忘れちゃダメだよ」 「何言ってやがる……そりゃあ、こっちのセリフだってえの……」 半分寝入りかけているポップは、気がつかない。 だいたい、なぜ、ダイが自分の肌の白さや胸などに注目したか……その意味すら、気がついていなかった。 ポップがこの時の嫉妬の代償を思い知るのは数年経ってから――ダイが自分の気持ちを自覚した後での話になるが、まあそれは別の話だ。
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