『砂時計が割れる時…おまけ』 |
ひたひたと、床を打つ軽い足音。 城内の者が出歩くにしては、少々遅すぎる時間だ。 しかも、ただ通り過ぎる足音ではない。 元々眠りの浅いヒュンケルが、不審を感じて目を覚ますのも当然だろう。 その際、武器を携帯したのは無意識下まで染みついた癖だった。 城で子供の姿は普段見掛けないだけに目立つが、別の意味で彼の姿はヒュンケルの目を引いた。 そして、なによりも頭に巻いた鮮やかな黄色のバンダナ。 数歳若返ってしまったとはいえ、弟弟子の姿を見間違えるはずがない。 「こんな時間に、なにをしているんだ?」 近づいて声をかけると、ポップはビクッとして驚いたようにヒュンケルを見上げた。 「…だ、誰……っ?!」 ポップの顔に浮かんでいるのは、明らかな怯えの表情だった。一瞬、なぜ怯えられているのか分からなかったが、その視線が自分の手元にそそがれているのを見て、納得する。 武器を持った見知らぬ大人――それに怯えるなという方が無理だろう。 兵士としての正装ならまだしも、今のヒュンケルは簡易寝間着のままで剣を手にした姿のままだ。 「く、来んなよっ! おまえ、誰だよっ?!」 だが、怖がって後込みしているにもかかわらず、それでも勝ち気に文句をつけてくる。怖がりなんだか、勇気があるのか分からないその態度や、まだ声変わりもしていない声に、ヒュンケルは思わず苦笑してしまう。 今、目の前にいるポップは、ヒュンケルの知っているポップと同じようでいながら、変なところで違っている。 「落ち着け。オレは、敵じゃない」 「……へ?」 きょとんとした顔をして、ポップが動きを止める。 「オレは、ヒュンケル。……覚えてはいないか?」 「ヒュ…ンケル?」 ヒュンケルの知っているものよりも、一段と幼い声が、不安そうに名前を呟く。 運悪くというべきか、ポップが時の砂で子供返りした際、ヒュンケルは勤務中だった。 勤務後、ポップが記憶喪失になった話をやっと聞きつけ、ヒュンケルもすぐに駆けつけたが、すでに遅かったというべきか。 いろいろあって疲れたせいか、あるいは単に子供の身体では眠気には弱かったのか、ポップはその時はもう、眠っていた。 レオナやダイから詳しく事情を聞いたことだし、寝ているところを起こしてまで会わなければいけないとも思えず、ヒュンケルは小さくなったポップには会わないままだった。 その決断の裏には、ただでさえ記憶を失って混乱しているであろうポップを、これ以上混乱させたくはないという思いが、少なからずあった。 会うのは、ポップが落ち着いてからでもいいと思っていたのだが、こんな形で会う羽目になるとは思いもしなかった。 (しかし、本当に子供に戻っているようだな) 起こしてはまずいと思い、眠っているところを見るのさえ遠慮したため、ヒュンケルが子供になったポップを見るのは、これが初めてだった。 そのせいか、昔のダイよりも小さく感じてしまう。 だが、小柄ながらがっちりとした体格だったダイに比べて、ポップの場合は細身さの方が目につく。 「えっと……おにいちゃんも、おれの知り合い、なの…かな?」 戸惑いながらそう聞いてくる幼い口調に、ヒュンケルは一瞬戸惑いながらも頷いた。 「ああ。オレもアバンの弟子だ」 「え、ホント?」 驚くポップに、ヒュンケルは首に掛けていたペンダントを取り出して、見せてやる。それを見て、ポップは納得したらしい。 「これ、先生に貸してもらったのと同じだ。――そっか、おにいちゃんも先生の弟子、なんだ」 そう答える声にも、表情からもさっきまでの緊張感が消えて、ホッとしたような安堵が浮かんでいる。 「それよりまだ夜中だ。なぜ、こんな所にいるんだ?」 「う、うん、おれ、トイレに起きたんだけど、ここって無闇に広いから、どこに帰ればいいのか分からなくなっちゃって……」 途方に暮れたようにそういうポップの顔は、迷子のそれだった。――いや、実際的にも、迷子なのだが。 「いっくら歩いても元の部屋に戻れないし、誰にも会えないし、暗くてやたら広いしすっげー怖かった……!」 本当に怖かったのか、ポップは小刻みに震えている。 今のポップは、魔王軍と戦う前……まだ魔法使いにさえなっていない子供に戻っている。 ポップの主観では、先生から引き離され、見知らぬ場所にいきなり連れてこられたも同然で、心細く思うのも無理もない。 (先生なら、得意なのだろうがな……) 師がここにいればよかったのにと思いつつ、ヒュンケルが口にしたのは慰めにさえなっていない、陳腐な言葉に過ぎなかった。 「どの部屋で寝ていたのか、分からないのか?」 ぷるぷると首を横に振るポップを見て、ヒュンケルはしばし悩む。 が、実際にポップに会わなかったヒュンケルは詳しい場所までは聞かなかったし、パプニカ城には客間などいくらでもある。 「来い。おまえの部屋に連れて行ってやろう」 そう言うと、ポップの表情が目に見えて明るくなる。 「ほんと? ありがとう、おにいちゃん!」 「……」 不覚にも、ヒュンケルはそのポップの態度に、唖然として、一瞬、詰まってしまった。
不思議そうに聞かれて、ヒュンケルは苦笑しながら首を振る。 「いや、なんでもない。さあ、行こう」
「わっ?!」 小さな悲鳴を聞くと同時に振り返ると、ポップが階段に足を引っかけたのか、しゃがみ込んでいるのが見えた。 「大丈夫か?」 「う、…うん、へーき。ちょっと転びそうになっただけだから」 と、答えるものの、ポップはすでに息を切らして、しんどそうだった。その様子を見て、ヒュンケルは初めて反省をする。 (少し、早く歩き過ぎたか) つい、いつものペースで歩いてしまったが、子供の足では長い螺旋階段を昇るポップの部屋への道は、ちょっときつかったらしい。 「もう少しだ。歩けるか?」 手を差し伸べると、ポップは嫌がる気配もなく、素直にそれに掴まった。そして、振り払うことのなく、ヒュンケルの手に掴まったまま歩きだす。 (妙な気分だな……) 本来のポップなら、有り得ない素直さに戸惑いを感じてしまう。 ポップの足取りに合わせて歩く速度を落としながら、最上部へと辿り着いたヒュンケルは大きく扉を開けた。 「ここが、おまえの部屋だ」 「広……っ?!」 あんぐりと口を開け、ポップは自室の中を何度も見回していた。 「うわ、すげーっ、本がいっぱいだ」 本に興味があるのは昔から変わらなかったのか、真っ先に本棚に興味を示したポップだが、喜んだその顔はすぐにしかめっ面に変わる。 「なんだよ、これ? 全然読めないよ」 背表紙に書かれた文字は、古代語――15才の時はそこそこレベルに、そして18才のポップにはすらすらと読めるはずだが、さすがに13才の頃は無理だったようだ。 だが、今のポップはそれさえ覚えてはいないのだろう。 「あっ、チェスだ!」 目を輝かせて、ポップはサイドテーブルに置いてあるチェス盤に目を止める。 「すごいや、こんな立派なの、初めてみたよ!」 うっとりとしたようにそう言いながら、ポップはチェスに手を伸ばそうとして、思い直したようにその手を止める。 「なぜ、やめる?」 「だって、こんな立派なチェスセットなんだし、勝手に触ったら悪いじゃん。持ってた人、大事にしてたみたいだし」 「……なぜ、そう思う?」 ヒュンケルから見ると、机の隅に押しやられているチェス盤は放置されているように見えるず、大事どころか粗末に扱われているようにしか思えない。 実際、ヒュンケルはポップがこのチェスで遊んでいるのを一度も見かけたことがないから、てっきり気に入らなかったと思っていた。 「だって、机の上の他のものは埃を被ってるの多いけど、これだけ埃が全然ついてないよ。それって、しょっちゅう、使ってるからだろ?」 賢しげにそう言ってのけるポップの言葉に、ヒュンケルはまたも黙り込んでしまう。 ポップがこのチェスを気に入って使っていると、しかも本人の口から聞かされる日が来るなど、ヒュンケルは予想だにしていなかったのだから。 「……なに? おれ、間違ってた?」 ヒュンケルが急に黙り込んでしまったせいか、どこか心配そうにポップがそう問いかけてくる。 「いいや。間違えていたのは、多分、オレなんだろう。おまえが、正しいようだ」 単に、表面だけを見ただけでは、真実は見えてこない。また、積極的に聞こうともしなかったヒュンケルには、ポップも答えを返してくれるはずもなかった。 「この部屋は、おまえの部屋だと言っただろう。このチェスも、おまえの物だ。遠慮する必要はない」 「おれ……の?」 戸惑いは隠せないものの、ポップのチェスに対する好奇心は思ったよりも強かったらしい。 やはり眠気が強いのか、しきりにあくびを繰り返しては目をこする。 「チェスは逃げたりしない。明日にして、もう眠るといい」 「うん……」 普段使っているはずのベッドも、今のポップにはかなり大きいようだが、それは問題にはならない。 「え? おにいちゃん、行っちゃうの?」 その顔に浮かんでいるのは、怯えの表情。 まだ、ヒュンケルが幼い頃。 バルトスには魔王城の番人という役割があったし、いつもヒュンケルと一緒にいられたわけではない。 だが、言いたかった気持ちは、あった。 「もうしばらくは居よう」 そう告げると、ポップはホッとした表情になったものの、すぐにそれは負けん気の強そうな表情にとってかわる。 「あっ、いや、別にっ、おれ、一人でも平気なんだけどさっ。もう、ガキじゃないんだし!」 慌てて口にするその言い訳っぽい言葉に、ヒュンケルは笑いを堪えるのに苦労した。 だが、内心の思いはともかく、無表情さでは定評のあるヒュンケルだから、表情はさほど変化はなかった。 「ああ、そうだろうな。だが、オレは少しばかり疲れたから、戻る前にここで休みたい」
「う…うん、それなら、いーけど」 完全には納得しきっていないようながらも、ポップは頷いた。 このまま、ポップが寝つくまで待ってから場を去ろうと思ったヒュンケルだったが、予想に反して子供はなかなか眠らなかった。
「そうだが。気に入らないのか?」
ポップのその感想に、ヒュンケルは妙に納得を感じる。 元幽閉室のこの部屋は、ポップの身の安全を確保し、外への勝手な出入りを封じる上では有効だが、本人の利便性は完全に度外視している。 城の文官がよくそうするように、城外に小さな家でも借りて通いで気楽に暮らしたいとポップが本当は望んでいるのも、知っている。 ダイが行方不明中、無茶を繰り返すポップの身を心配し、パプニカ城で一番堅牢なこの部屋を提供したのは、レオナだ。 そのレオナの気持ちを慮ったからこそ、ポップは好みではない部屋を自室として使用し続けている。 だが、それらの理由を忘れてしまったポップにとっては、ここは確かに落ち着かない部屋かもしれない。
ぽつんと漏らされたその言葉には、隠しきれていない不安と、心細さがこめられていた。
慰めのつもりではなく、確信を込めて、ヒュンケルは強く保証した。 レオナが早速知らせを飛ばした以上、どんな用事があったところでそれらを蹴飛ばしてでも、あの師は必ず早急にやってくるだろう。 「心配などする必要はない。先生は近いうちに必ずやってくるから、安心して待っているといい」 重ねて言い聞かせると、ポップの顔にやっと笑顔が浮かぶ。 「うん……! ありがとう、おにいちゃん」 数少ない――いや、ほとんど初めてかもしれないポップからの素直な感謝の言葉は、くすぐったさを伴いながらも心地好かった。 (……やっと眠ったか) いつも以上に幼く見える弟弟子の寝顔を見ながら、ヒュンケルはすぐには席を立たなかった。 正確に言うのなら、ポップが一方的にヒュンケルに突っ掛かってくる関係とでも言おうか。 なにせ、出会いが出会いだ。 弟子入りした時期も違うから一緒に修行したわけでもないし、仲間になった後もそううまくいくはずもないと思っていた。 ――というよりも、むしろ、好ましいとさえ思っていた。彼の過去を気にせずにぽんぽんと言いたいことを言ってくるポップの存在は、ありがたかった。 だが――。 (……こんな出会いも、あったのかもしれないな) 子供返りしたポップには、ヒュンケルとの出会いの悪さや反発を持つきっかけの記憶がない。 だが、これは有り得たかもしれない、もう一つの出会いだ。 そうなれば、名実共に、ポップはヒュンケルの弟弟子となったはずだ。 起こらなかった過去など、想定しても意味はない。 ヒュンケルが知っているポップは、アバンに憧れ、ただついてきただけの子供ではない。 アバンの死を乗り越え、勇者ダイと一緒に数々の苦難や戦いを乗り越えてきた魔法使いだ。 行方不明になったダイを探す為にポップが見せた勇気や、人知れず背負っていた苦悩も、ダイが戻ってきてからの今までの記憶も、全てがポップを形取っている。 (ポップ――早く、思い出せ) 記憶を取り戻したら取り戻したで、ポップがヒュンケルに余計に反発しそうな気もしたが、まあ、それはそれでいいだろう。 眠っている子供を起こさないように気をつけながら、ヒュンケルは静かに部屋を出て行った――。 END
『砂時計が割れた後…後日談』 「ポップくぅ〜ん。お仕事、進んだかしら? 『おねえさん』に教えてくれる?」 と、いとも楽しげに含み笑いをするお姫様に対して、ポップはげんなりした表情を隠しさえしなかった。 「……姫さん〜っ、それ、もう、いーかげんにやめてくれよっ?!」 子供化が解けたのは、いい。 (あぁあああっ、いっそ、今からでも本当に記憶喪失になりてえよっ!) ポップにしてみれば一刻も早く忘れたくてたまらないのだが、悪戯好きのこのお姫様が見逃してくれるはずもない。 「まったく、ただでさえ仕事がたまって大変なのによ〜。いちいちからかいにこなくったって、いいだろ?」 ある意味自業自得とはいえ、子供返りした間にたまりまくった仕事の山を片付けるのは、並大抵のことじゃない。 が、苦労がそれだけなら、まだ我慢もできる。 「だが、無理はしない方がいい。そろそろ部屋に戻って休んだらどうだ?」 レオナと一緒にやってきたヒュンケルが、そう口を挟むだけで、神経にグサグサっと何かが突き刺さる気がする。 (お、落ち着けっ、落ち着け、おれっ。んな見え透いたからかいにのせられてどーするっ?!) 魔法使い足るもの、常にクールに。 これも、レオナのからかいの一つだ。 ……ポップにとっては、物凄い嫌がらせになっているが。 レオナの護衛をしろという命令に従っているだけで、彼女のようにポップに当て擦りを言ったり、皮肉を言っているつもりはない。 「なんなら、また、部屋まで送っていってやろうか?」 ――悪気は、ないのだろう。多分。 「こんの……ッ、ひたすらよけいなお世話だっ、このバカヤローッ! だからてめーは気にくわないんだよっ!!」 執務室に、激昂しまくったポップの怒声と、もうたまらないとばかりに笑い転げるレオナの笑い声が響き渡った。
《後書き》 |