『砂時計が割れる時…おまけ』


 

 ひたひたと、床を打つ軽い足音。
 廊下からかすかに聞こえるその音のせいで、ヒュンケルは眠りから目を覚ました。
 目を覚ますと同時に、窓に目をやったヒュンケルは今が真夜中だと確信する。

 城内の者が出歩くにしては、少々遅すぎる時間だ。
 それが見回りの兵士の足音か何かならば、ヒュンケルは気にも止めなかっただろう。だが、その足音は兵士のものにしては明らかに軽すぎた。

 しかも、ただ通り過ぎる足音ではない。
 規則正しく歩いているのとは程遠く、行ったり来たりと不規則にうろついているものだから、なおさら違和感が大きい。

 元々眠りの浅いヒュンケルが、不審を感じて目を覚ますのも当然だろう。
 近衛隊長としては、たとえ勤務外の時間だろうとも城内で不審人物の気配を感じたなら、放置は出来ない。ヒュンケルは足音の正体を確かめようと、廊下に出た。

 その際、武器を携帯したのは無意識下まで染みついた癖だった。
 明りが等間隔でついているとはいうものの、それでも全般的に薄暗い城の廊下を、心許無い表情でうろついているのは、まだ幼さを残す少年だった。

 城で子供の姿は普段見掛けないだけに目立つが、別の意味で彼の姿はヒュンケルの目を引いた。
 大きな黒い目に、同じ色の癖っ毛。標準以上には整っているはずなのに、オーバーな表情のせいで凡庸に見える顔。

 そして、なによりも頭に巻いた鮮やかな黄色のバンダナ。
 着ているのがダブッとした寝間着なことと、ヒュンケルの知っている『彼』よりも頭一つ分以上小柄だという違いはあるものの、イメージは全く変わらない。

 数歳若返ってしまったとはいえ、弟弟子の姿を見間違えるはずがない。
 紛れもなく、ポップだった。

「こんな時間に、なにをしているんだ?」

 近づいて声をかけると、ポップはビクッとして驚いたようにヒュンケルを見上げた。

「…だ、誰……っ?!」

 ポップの顔に浮かんでいるのは、明らかな怯えの表情だった。一瞬、なぜ怯えられているのか分からなかったが、その視線が自分の手元にそそがれているのを見て、納得する。 武器を持った見知らぬ大人――それに怯えるなという方が無理だろう。

 兵士としての正装ならまだしも、今のヒュンケルは簡易寝間着のままで剣を手にした姿のままだ。
 ポップが警戒を見せるのも当然だ。

「く、来んなよっ! おまえ、誰だよっ?!」

 だが、怖がって後込みしているにもかかわらず、それでも勝ち気に文句をつけてくる。怖がりなんだか、勇気があるのか分からないその態度や、まだ声変わりもしていない声に、ヒュンケルは思わず苦笑してしまう。

 今、目の前にいるポップは、ヒュンケルの知っているポップと同じようでいながら、変なところで違っている。
 見知らぬ人に対する強い警戒心を感じ取り、ヒュンケルはそれ以上ポップを驚かせないようにと、剣を手放し、壁際の床に置く。

「落ち着け。オレは、敵じゃない」

「……へ?」

 きょとんとした顔をして、ポップが動きを止める。
 その子供っぽい表情を眺めながら、ヒュンケルはポップを怯えさせないようにゆっくりと近づいて、できるだけ優しく言った。

「オレは、ヒュンケル。……覚えてはいないか?」

「ヒュ…ンケル?」

 ヒュンケルの知っているものよりも、一段と幼い声が、不安そうに名前を呟く。
 だが、思い当たることはまるでなさそうな口振りだった。それにガッカリしつつも、無理もない話だと納得する。

 運悪くというべきか、ポップが時の砂で子供返りした際、ヒュンケルは勤務中だった。 勤務後、ポップが記憶喪失になった話をやっと聞きつけ、ヒュンケルもすぐに駆けつけたが、すでに遅かったというべきか。

 いろいろあって疲れたせいか、あるいは単に子供の身体では眠気には弱かったのか、ポップはその時はもう、眠っていた。

 レオナやダイから詳しく事情を聞いたことだし、寝ているところを起こしてまで会わなければいけないとも思えず、ヒュンケルは小さくなったポップには会わないままだった。 その決断の裏には、ただでさえ記憶を失って混乱しているであろうポップを、これ以上混乱させたくはないという思いが、少なからずあった。

 会うのは、ポップが落ち着いてからでもいいと思っていたのだが、こんな形で会う羽目になるとは思いもしなかった。

(しかし、本当に子供に戻っているようだな)

 起こしてはまずいと思い、眠っているところを見るのさえ遠慮したため、ヒュンケルが子供になったポップを見るのは、これが初めてだった。
 細身な体質はこの頃から変わっていなかったのか、13才のポップはどう見ても標準よりも華奢な気がしてならない。

 そのせいか、昔のダイよりも小さく感じてしまう。
 実際には、同年代の子供よりもさらに小柄だった12才のダイよりは、今のポップの方が身長は高いだろう。

 だが、小柄ながらがっちりとした体格だったダイに比べて、ポップの場合は細身さの方が目につく。
 思っていた以上に、子供子供した姿に憐憫じみた感情さえ浮かんでくる。

「えっと……おにいちゃんも、おれの知り合い、なの…かな?」

 戸惑いながらそう聞いてくる幼い口調に、ヒュンケルは一瞬戸惑いながらも頷いた。

「ああ。オレもアバンの弟子だ」

「え、ホント?」

 驚くポップに、ヒュンケルは首に掛けていたペンダントを取り出して、見せてやる。それを見て、ポップは納得したらしい。

「これ、先生に貸してもらったのと同じだ。――そっか、おにいちゃんも先生の弟子、なんだ」

 そう答える声にも、表情からもさっきまでの緊張感が消えて、ホッとしたような安堵が浮かんでいる。
 アバンの影響力の大きさを改めて思い知りながら、ヒュンケルは疑問を口にした。

「それよりまだ夜中だ。なぜ、こんな所にいるんだ?」

「う、うん、おれ、トイレに起きたんだけど、ここって無闇に広いから、どこに帰ればいいのか分からなくなっちゃって……」

 途方に暮れたようにそういうポップの顔は、迷子のそれだった。――いや、実際的にも、迷子なのだが。
 初めて会った頃のポップの声よりも、さらに一段階高い声は、説明もどこかたどたどしくて拙く、頼りない感じだった。

「いっくら歩いても元の部屋に戻れないし、誰にも会えないし、暗くてやたら広いしすっげー怖かった……!」

 本当に怖かったのか、ポップは小刻みに震えている。
 ポップの勇気を知っているだけにヒュンケルにはその怯えが不思議だったが、すぐに思い出す。

 今のポップは、魔王軍と戦う前……まだ魔法使いにさえなっていない子供に戻っている。 ポップの主観では、先生から引き離され、見知らぬ場所にいきなり連れてこられたも同然で、心細く思うのも無理もない。
 だが、震えている子供をどう慰めていいのか、ヒュンケルには全く分からなかった。

(先生なら、得意なのだろうがな……)

 師がここにいればよかったのにと思いつつ、ヒュンケルが口にしたのは慰めにさえなっていない、陳腐な言葉に過ぎなかった。

「どの部屋で寝ていたのか、分からないのか?」

 ぷるぷると首を横に振るポップを見て、ヒュンケルはしばし悩む。
 レオナから聞いた話では、ポップが早々と眠ってしまったので、手近の客間に寝かせたとのことだった。

 が、実際にポップに会わなかったヒュンケルは詳しい場所までは聞かなかったし、パプニカ城には客間などいくらでもある。
 昼間なら、レオナなり三賢者に聞きに行けるが、さすがにこんな時間では気が引ける。
 それにポップも眠そうな上に、疲れて見えるし、手っ取り早く休ませられる場所に連れて行った方がいいと思えた。

「来い。おまえの部屋に連れて行ってやろう」

 そう言うと、ポップの表情が目に見えて明るくなる。

「ほんと? ありがとう、おにいちゃん!」

「……」

 不覚にも、ヒュンケルはそのポップの態度に、唖然として、一瞬、詰まってしまった。


「……どうしたの?」

 不思議そうに聞かれて、ヒュンケルは苦笑しながら首を振る。

「いや、なんでもない。さあ、行こう」

 

 

 

「わっ?!」

 小さな悲鳴を聞くと同時に振り返ると、ポップが階段に足を引っかけたのか、しゃがみ込んでいるのが見えた。

「大丈夫か?」

「う、…うん、へーき。ちょっと転びそうになっただけだから」

 と、答えるものの、ポップはすでに息を切らして、しんどそうだった。その様子を見て、ヒュンケルは初めて反省をする。

(少し、早く歩き過ぎたか)

 つい、いつものペースで歩いてしまったが、子供の足では長い螺旋階段を昇るポップの部屋への道は、ちょっときつかったらしい。

「もう少しだ。歩けるか?」

 手を差し伸べると、ポップは嫌がる気配もなく、素直にそれに掴まった。そして、振り払うことのなく、ヒュンケルの手に掴まったまま歩きだす。

(妙な気分だな……)

 本来のポップなら、有り得ない素直さに戸惑いを感じてしまう。
 だが、小さな手で頼るようにギュッと握り締められるのは、いささかくすぐったいような気がするものの、悪くない気分だった。

 ポップの足取りに合わせて歩く速度を落としながら、最上部へと辿り着いたヒュンケルは大きく扉を開けた。

「ここが、おまえの部屋だ」

「広……っ?!」

 あんぐりと口を開け、ポップは自室の中を何度も見回していた。

「うわ、すげーっ、本がいっぱいだ」

 本に興味があるのは昔から変わらなかったのか、真っ先に本棚に興味を示したポップだが、喜んだその顔はすぐにしかめっ面に変わる。

「なんだよ、これ? 全然読めないよ」

 背表紙に書かれた文字は、古代語――15才の時はそこそこレベルに、そして18才のポップにはすらすらと読めるはずだが、さすがに13才の頃は無理だったようだ。
 ヒュンケルの知っている限り、この部屋にある本はほとんどがポップが望んで集めたものであり、内容も暗記する程読みふけったものばかりのはずだ。

 だが、今のポップはそれさえ覚えてはいないのだろう。
 読めない本にたいしての興味をすぐに失って、別のものに目を引きつけられる。

「あっ、チェスだ!」

 目を輝かせて、ポップはサイドテーブルに置いてあるチェス盤に目を止める。
 そのチェス盤には、ヒュンケルも見覚えがあった。クリスマスに、ポップにプレゼントしたものだ。

「すごいや、こんな立派なの、初めてみたよ!」

 うっとりとしたようにそう言いながら、ポップはチェスに手を伸ばそうとして、思い直したようにその手を止める。

「なぜ、やめる?」

「だって、こんな立派なチェスセットなんだし、勝手に触ったら悪いじゃん。持ってた人、大事にしてたみたいだし」

「……なぜ、そう思う?」

 ヒュンケルから見ると、机の隅に押しやられているチェス盤は放置されているように見えるず、大事どころか粗末に扱われているようにしか思えない。

 実際、ヒュンケルはポップがこのチェスで遊んでいるのを一度も見かけたことがないから、てっきり気に入らなかったと思っていた。
 が、小さなポップは確信を持った口調で言った。

「だって、机の上の他のものは埃を被ってるの多いけど、これだけ埃が全然ついてないよ。それって、しょっちゅう、使ってるからだろ?」

 賢しげにそう言ってのけるポップの言葉に、ヒュンケルはまたも黙り込んでしまう。
 その言葉が、間違っていると思うからの沈黙ではない。むしろ、それが正しいと思えるからこそ、戸惑いを強く感じてる。

 ポップがこのチェスを気に入って使っていると、しかも本人の口から聞かされる日が来るなど、ヒュンケルは予想だにしていなかったのだから。

「……なに? おれ、間違ってた?」

 ヒュンケルが急に黙り込んでしまったせいか、どこか心配そうにポップがそう問いかけてくる。
 初めて会った頃より、ずっと幼く見えるその顔を見返しながら、ヒュンケルはゆっくりと首を横に振った。

「いいや。間違えていたのは、多分、オレなんだろう。おまえが、正しいようだ」

 単に、表面だけを見ただけでは、真実は見えてこない。また、積極的に聞こうともしなかったヒュンケルには、ポップも答えを返してくれるはずもなかった。
 なのに、口には出さなかったポップの本音を、他ならぬポップ自身が暴いてくれた。
 苦笑しながら、ヒュンケルはポップに向かって言った。

「この部屋は、おまえの部屋だと言っただろう。このチェスも、おまえの物だ。遠慮する必要はない」

「おれ……の?」

 戸惑いは隠せないものの、ポップのチェスに対する好奇心は思ったよりも強かったらしい。
 ポップは少しの間、夢中になって駒を動かし始めたが、それは長くは続かなかった。

 やはり眠気が強いのか、しきりにあくびを繰り返しては目をこする。
 それに気がついたヒュンケルは、ポップをベッドの方へと促した。

「チェスは逃げたりしない。明日にして、もう眠るといい」

「うん……」

 普段使っているはずのベッドも、今のポップにはかなり大きいようだが、それは問題にはならない。
 しかし、ポップがベッドに入るのと同時に部屋を出ていこうとしたヒュンケルに対して、呼び止める声が響いた。

「え? おにいちゃん、行っちゃうの?」

 その顔に浮かんでいるのは、怯えの表情。
 一人で取り残されるのを怖がるその姿は、まるっきり子供のそれだ。
 その姿に、ふと思い出す記憶があった。

 まだ、ヒュンケルが幼い頃。
 いい子で眠るようにと、父、バルトスがヒュンケルの頭を撫で、部屋を去っていくのを見送った時の寂しさを、覚えている。

 バルトスには魔王城の番人という役割があったし、いつもヒュンケルと一緒にいられたわけではない。
 当時のヒュンケルも、それはわがままだと思って自制していたし、父親に口に出していかないで欲しいと言ったことはない。

 だが、言いたかった気持ちは、あった。
 それを思い出すと……このまま立ち去るのはなぜかためらわれ、ヒュンケルは戻ってきてベッドサイトにある椅子に腰を下ろした。

「もうしばらくは居よう」

 そう告げると、ポップはホッとした表情になったものの、すぐにそれは負けん気の強そうな表情にとってかわる。

「あっ、いや、別にっ、おれ、一人でも平気なんだけどさっ。もう、ガキじゃないんだし!」

 慌てて口にするその言い訳っぽい言葉に、ヒュンケルは笑いを堪えるのに苦労した。
 あれだけ、一人にされるのが心細いと顔に書いてあったのに、いざ望みがかなうとムキになってごまかそうとするその態度  ポップらしくないと言うべきか、それともこのうえなくポップらしいと言うべきか。

 だが、内心の思いはともかく、無表情さでは定評のあるヒュンケルだから、表情はさほど変化はなかった。

「ああ、そうだろうな。だが、オレは少しばかり疲れたから、戻る前にここで休みたい」


 こんな言い訳が、本来ならポップに通用するはずもなかった。
 18才のポップならばヒュンケルの微妙な表情の変化も見抜いて、一言言っただろうが、13才のポップにはそこまでの観察力や皮肉精神はなかったようだ。

「う…うん、それなら、いーけど」

 完全には納得しきっていないようながらも、ポップは頷いた。
 口ではなんと言っても、やはり、側に人がいると安心できるらしい。

 このまま、ポップが寝つくまで待ってから場を去ろうと思ったヒュンケルだったが、予想に反して子供はなかなか眠らなかった。
 眠そうに目を瞬かせ、小さなあくびを繰り返しながらも、部屋の中を何度となく見回す。


「この部屋、ホントにおれの部屋……なのかな?」

「そうだが。気に入らないのか?」


「気に入らないってわけじゃないけど、……なんか、すごく立派で落ち着かないし、閉じ込められてるみたいな気がするんだもん」

 ポップのその感想に、ヒュンケルは妙に納得を感じる。
 実際、ポップがあまりこの部屋を気に入っていないのは、ヒュンケルも知っている。

 元幽閉室のこの部屋は、ポップの身の安全を確保し、外への勝手な出入りを封じる上では有効だが、本人の利便性は完全に度外視している。
 そもそも、庶民感覚の染みついたポップは、城での生活は最初から好んでいない。

 城の文官がよくそうするように、城外に小さな家でも借りて通いで気楽に暮らしたいとポップが本当は望んでいるのも、知っている。
 だが同時に、彼が決してそうしない理由も、ヒュンケルは知っていた。

 ダイが行方不明中、無茶を繰り返すポップの身を心配し、パプニカ城で一番堅牢なこの部屋を提供したのは、レオナだ。

 そのレオナの気持ちを慮ったからこそ、ポップは好みではない部屋を自室として使用し続けている。
 レオナにさんざん心配をかけた負い目のあるせいか、ポップは部屋の不満をこぼすことはあっても、どうしても変えろと直談判したことはない。

 だが、それらの理由を忘れてしまったポップにとっては、ここは確かに落ち着かない部屋かもしれない。
 しかし、今のポップには、この部屋の居心地以上に気掛かりなことがあるようだった。


「……アバン先生、来てくれるのかな…」

 ぽつんと漏らされたその言葉には、隠しきれていない不安と、心細さがこめられていた。


「大丈夫だ。先生は、必ず来る」

 慰めのつもりではなく、確信を込めて、ヒュンケルは強く保証した。
 アバンは弟子達にはひどく甘い男だが、ポップにはとりわけ甘い。

 レオナが早速知らせを飛ばした以上、どんな用事があったところでそれらを蹴飛ばしてでも、あの師は必ず早急にやってくるだろう。

「心配などする必要はない。先生は近いうちに必ずやってくるから、安心して待っているといい」

 重ねて言い聞かせると、ポップの顔にやっと笑顔が浮かぶ。

「うん……! ありがとう、おにいちゃん」

 数少ない――いや、ほとんど初めてかもしれないポップからの素直な感謝の言葉は、くすぐったさを伴いながらも心地好かった。
 先生との再会を確約されたせいか、安堵したポップが眠りにつくまで、そうは時間が掛からなかった。

(……やっと眠ったか)

 いつも以上に幼く見える弟弟子の寝顔を見ながら、ヒュンケルはすぐには席を立たなかった。
 同じ師に教えを受けた兄弟弟子とは言え、ヒュンケルとポップは今一つ気が合わないというか、しっくりいっていないところがあった。

 正確に言うのなら、ポップが一方的にヒュンケルに突っ掛かってくる関係とでも言おうか。
 だが、ヒュンケルは今までそれも仕方がないことだと思っていた。

 なにせ、出会いが出会いだ。
 敵として出会った自分に、警戒心を隠しもしなかったポップの態度を、非難するわけにもいくまい。

 弟子入りした時期も違うから一緒に修行したわけでもないし、仲間になった後もそううまくいくはずもないと思っていた。
 それに、そのポップの態度を、ヒュンケルは嫌だと思ったこともない。

 ――というよりも、むしろ、好ましいとさえ思っていた。彼の過去を気にせずにぽんぽんと言いたいことを言ってくるポップの存在は、ありがたかった。
 自分に対する反発心を含めて、この弟弟子を気に入っていると言っていい。

 だが――。

(……こんな出会いも、あったのかもしれないな)

 子供返りしたポップには、ヒュンケルとの出会いの悪さや反発を持つきっかけの記憶がない。
 そのせいか素直に接し、衒いもなく甘えを見せ、尊敬している気配すらみせるポップを見るのは、ヒュンケルにとっては奇妙な気分だった。

 だが、これは有り得たかもしれない、もう一つの出会いだ。
 もし、ヒュンケルが誤解を解いてアバンの師事を受け入れていたとすれば、当然、兄弟子としてこの少年に出会ったはずだ。

 そうなれば、名実共に、ポップはヒュンケルの弟弟子となったはずだ。
 もしかしたら、有り得たかもしれない、もう一つの未来――。
 それを一瞬だけ惜しいと思ってしまった自分に苦笑しながら、ヒュンケルはゆっくりと立ち上がった。

 起こらなかった過去など、想定しても意味はない。
 それに  ヒュンケルは思う。
 確かに、子供返りしたポップの素直さや子供っぽさも新鮮だが、それでもいつものポップと引き換えたいとは思わない。

 ヒュンケルが知っているポップは、アバンに憧れ、ただついてきただけの子供ではない。 アバンの死を乗り越え、勇者ダイと一緒に数々の苦難や戦いを乗り越えてきた魔法使いだ。

 行方不明になったダイを探す為にポップが見せた勇気や、人知れず背負っていた苦悩も、ダイが戻ってきてからの今までの記憶も、全てがポップを形取っている。
 ポップが辿ってきた道程の記憶が、現在のポップを築きあげる糧になっている。
 それらを失ってしまった今のポップより、本来のポップの方がいいと思える。

(ポップ――早く、思い出せ)

 記憶を取り戻したら取り戻したで、ポップがヒュンケルに余計に反発しそうな気もしたが、まあ、それはそれでいいだろう。
 ポップ自身には言ったことがないが、彼に文句をつけられるのも、ヒュンケルにとっては結構楽しいものなのだから。

 眠っている子供を起こさないように気をつけながら、ヒュンケルは静かに部屋を出て行った――。
 

                                          END



《後書き》
 『砂時計が割れる時』の1と2の間のおまけエピソード、ヒュンケルバージョンです(笑)
 本当は本編に組み込もうかな〜と思ったんですが、あっちはダイだけでまとめた方がすっきりすると思ったので。
 密かにこんなことがあったと知ったら、ダイの焼き餅度が二倍に膨れ上がるし(笑)
 で、この後にさらにおまけのおまけ。
 ごく短い後日談付きです♪

 


『砂時計が割れた後…後日談』

「ポップくぅ〜ん。お仕事、進んだかしら? 『おねえさん』に教えてくれる?」

 と、いとも楽しげに含み笑いをするお姫様に対して、ポップはげんなりした表情を隠しさえしなかった。
 そして、無理に何かを我慢したような声で、切実に訴える。

「……姫さん〜っ、それ、もう、いーかげんにやめてくれよっ?!」

 子供化が解けたのは、いい。
 が、その間の記憶がばっちりと残っているのが、ポップの不幸と言えよう。
 実際に記憶を無くしていた間はともかくとして、正気に返ると5年も時を遡って子供のままで振る舞った記憶など、恥ずかしくて堪らない。

(あぁあああっ、いっそ、今からでも本当に記憶喪失になりてえよっ!)

 ポップにしてみれば一刻も早く忘れたくてたまらないのだが、悪戯好きのこのお姫様が見逃してくれるはずもない。
 心配や迷惑を掛けられた仕返しとばかりに、からかい倒されている有様だった。

「まったく、ただでさえ仕事がたまって大変なのによ〜。いちいちからかいにこなくったって、いいだろ?」

 ある意味自業自得とはいえ、子供返りした間にたまりまくった仕事の山を片付けるのは、並大抵のことじゃない。
 緊急性の高い仕事は三賢者やレオナが代わってくれたとはいえ、ポップでなければ分からないような書類はそのままそっくり残っている。

 が、苦労がそれだけなら、まだ我慢もできる。
 問題なのは――。

「だが、無理はしない方がいい。そろそろ部屋に戻って休んだらどうだ?」

 レオナと一緒にやってきたヒュンケルが、そう口を挟むだけで、神経にグサグサっと何かが突き刺さる気がする。
 レオナがわざとらしく、くすくす笑いながら「おにいちゃんの言葉に従えばいいのにー」なんて呟いているのが聞こえるから、なおさらだ。

(お、落ち着けっ、落ち着け、おれっ。んな見え透いたからかいにのせられてどーするっ?!)

 魔法使い足るもの、常にクールに。
 ――と、この場には余りにつかわしくない師の言葉にすがりつきつつ、ポップは平常心を保とうとした。

 これも、レオナのからかいの一つだ。
 普段なら、レオナはパプニカ城の中を歩くのに護衛などを連れ歩くような真似はしない。
 それが、ここ数日――正確に言うなら、ポップが記憶と元の身体を取り戻して以来、ことあるごとにヒュンケルを連れて訪れるのは、彼女なりのちょっとしたからかいだと分かっている。

 ……ポップにとっては、物凄い嫌がらせになっているが。
 しかし、ヒュンケルの名誉の為にいうのなら、彼は別にポップをからかっているわけではない。

 レオナの護衛をしろという命令に従っているだけで、彼女のようにポップに当て擦りを言ったり、皮肉を言っているつもりはない。
 彼はあくまでも真顔で、素のままで言った。

「なんなら、また、部屋まで送っていってやろうか?」

 ――悪気は、ないのだろう。多分。
 が、だからといって全てが許せるかというと、またそれは別の問題だった。

「こんの……ッ、ひたすらよけいなお世話だっ、このバカヤローッ! だからてめーは気にくわないんだよっ!!」

 執務室に、激昂しまくったポップの怒声と、もうたまらないとばかりに笑い転げるレオナの笑い声が響き渡った。

 

 


 ポップの復活で、パプニカ城には日常が戻った。……が、当の本人であるポップ自身の平穏がいつ戻るかは、神のみぞ知る、である――。
                                                                     END


《後書き》
 ポップ子供返りのおまけのおまけ、お笑い番外編です(笑)
 レオナがポップをからかうシーンって、なんだか好きでしてv そして、ヒュンケルの何気ない言葉にムキになって反応するポップも、大好きですv
 
 

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