『青い酒樽』  タオル星人様作

 まだまだ宵の口だが、酒場はほぼ満員だった。
 一人の客の来訪によって賑やかだったその場が一気に静まる。羽織っていたマントをとった客は青い肌、とがった耳を持つ魔族の青年だった。

「魔族の兄さん、一人かい?」

 店の主人が声をかける。来る者を拒まない主義らしい。客の風体を見て追い出すような素振りは全く見せず、笑みを浮かべる。

「ここでひとと待ち合わせをしている。少しの間、留まらせてくれ。」

「魔族の兄さん」こと、ラーハルトは一言主人に告げる。

「兄さん、ここ、酒場だよ。何か注文してくれないと・・・。」

 主人の言葉が終わる前に、客席の方から声が飛んできた。

「兄さん、ここが空いてるよ。おいでよ。」

 女の声がした。手をひらひらと振り、手招きをしている。手招きに誘われるまま、ラーハルトは女の向かい側に座る。

「『南の酒飲み』の次の対戦相手かい。姐さんも物好きだねぇ。」

 主人は明らかに浮いている二人を遠目に見て声もなく笑った。
 男ばかりの客の中にぽつんと座る女。どこにでもいるような既に若いとはいえない年齢のようだ。テーブルの上に酒瓶やら食べかけの食事の皿やら並んでいる。

 「こんばんは(よか晩なぁ)。あんたはいくつね?」

 ひどい訛りにラーハルトは目を見開く。聞いたことのない言葉。女は慌てて言葉を変える。

「あら、ごめんね。酒が入ると故郷(さと)の訛りが出ちゃって。・・・君、年齢(とし)は?」

「22だ。」

「ふーん。魔族は見た目じゃ年は分からないね。私の娘と同じだ。」

 女はにこにこと笑いながら主人に陶器のコップを持ってこさせる。傍らの酒瓶から酒を注ぎ、お湯で割り、ラーハルトの目の前に無造作にぽんと置く。

「私の奢りだ。」

 「それ、姐さんの持ち込みじゃないか。」

「持ち込み料はちゃんと払うよ。そしたら、『鶏刺し』頼むよ。今日はめでたいことがあったから。」
 はいはい、と主人がカウンターに引っ込む。ラーハルトは目の前のコップに手を出すのを躊躇した。これは何だ?せっかくの酒を薄めるなんて。

「これ、生(き)じゃ強すぎるの。お湯割りか水割り、あと、氷をぶちこむか・・・。でも、私はお湯割りが好きだねぇ。」

 女はラーハルトが考えていたことを見透かしたように答え、自らの手元にあった空の陶器のコップに同じように酒をつくり、ぐいっと飲む。女の飲みっぷりにつられるようにラーハルトもコップを持ち、一口飲む。温かい酒がのどを駆け下りていく。

「・・・悪くないな。」

「でしょ?お兄さんもイケる口だね。」

「はい、お待たせ。鶏刺しだよ。」

 主人がとんと軽い音をさせて皿をテーブルに置く。スライスされた玉葱の上に生肉が載っていた。

「ありがと。」

「姐さん。今日は何のめでたい日だい?」

「娘に子供が生まれたんだ。私の子育てが終わったよ。長かったー。」

 女がにっと笑い、大きく伸びをする。

「そりゃ、めでたいねぇ。でも、飲み過ぎちゃいかんぞ。兄さんもほどほどにしときな。待ち人が来るんだろ?」

 主人は再びカウンターに引っ込んで他の客の相手をする。再びラーハルトは目の前の「鶏刺し」なる料理に釘付けになった。女は美味しそうにぱくついている。生肉。生肉を食らう人間を初めて見た。女は小皿に醤油を垂らし、生姜のすりおろしを添えてラーハルトの目の前に置く。

「これ、つけて食べてね。私の故郷はいいことがあると鶏をまるまるつぶして鶏刺しやら炊き込みご飯やら作ってみんなで食べるんだ。お兄さんにも『いいこと』のお裾分けだ。」

食べな、と女が鶏刺しの皿をラーハルトのそばに押しやる。酒を飲むときと同じようにおそるおそる食べる。やはり、生肉だ。しかし、温かい酒の肴にはとても合う気がした。

「ついていなくていいのか?子が生まれたというのに。」

とってつけたように、ラーハルトは女に訊ねた。 

「どうして?取り上げる手伝いでへとへとだよ。あの子にはそばにいてくれる人がいる。何かあったら、ダンナさんがリリルーラで私のところに来るよ。」

 リリルーラ。仲間のところへ合流する呪文。その呪文を知っているというだけでこの女も娘の夫も戦いを知る人物であることが分かる。

「娘は20歳を過ぎても男っ気がなくてね。気ままに旅をしてたようだけど、ある日いきなり魔族の男を連れてきて『母さん、この人と結婚します。』だよ。」

 ラーハルトは「魔族」という言葉に反応した。

「お前の娘は人間か?」

「当たり前だよ。びっくりしたよ。私よりも2倍も3倍も長く生きてる男が『お義母(かあ)さん、娘さんとの結婚を許可して下さい。』って恭しく頭を下げてくるのよ。もう、頷くしかなかったけどね。」

 女はけらけらと明るく笑う。お前が驚いたのは相手の男の年か、と突っ込みたくなるのを堪え、疑問に思っていたことを女に訊ねる。

「魔族と人間の結婚を許したのか?」

女はどうして?という表情を浮かべる。

「愛し合っているのなら反対する理由はない。君には分からないだろうけど、こんなのは反対すればするほど逆に燃え上がってしまうものだからね。」

「生まれた子は迫害されるとは思わないのか?」

 ラーハルトは自分の過去を思い出し、きつい口調で訊ねた。女は彼の鋭い視線を平然と受け止める。

「魔王も大魔王もいない。平和になったの。君たち若い子がそういう考えを変えていかなくちゃ!人間の神か魔界の神か分からないけど神様が時々そういう悪戯をなさる。異種族をめぐりあわせるという悪戯を・・・。私たちは試されているのかもしれない。異種族同士手を携えていける世の中を作っていけるのかどうかを。もし、私たちが神様の試しに添えなかったときは、それこそ竜の騎士さまの出番じゃない?私たちは滅ぼされ・・・。」

「竜の騎士は人間を滅ぼすような真似はしない!」

 ラーハルトは目の前にいるのが人間の中年の女であるのを忘れ、静かだが語気荒く反発した。女はコップの酒をぐいっと飲み、静かに微笑む。

「これからの私たちの、特にあなたたち若い人たちの行動次第なのよ。」

女はいつの間に空になったラーハルトのコップに酒をつぐ。

「私は若い頃、娘を連れて僧侶だか占い師だがやって旅をしていたことがあった。いろいろな人たちと出会った。そんな中、人間の母親と魔族の血を引く子と一緒に旅したこともあった。」

 辺境では時々ある話。迫害の手を逃れようと半魔の子を連れて旅をする親子の話。どのケースも結末はどうなったか分からない。女の独り言めいた話が続く。

「時々思い出すの。あの親子はどうしてるだろう。しっかりしたお母さんだったから、あの子は立派に育ってると思いたいよ。」

 女は遠くを見るような眼差しで虚空を眺める。思わずラーハルトの手が伸びて女の空のコップに酒を注ぎ、女がやったようにお湯を注ぐ。

「ありがとね。」

女は笑いかけ、コップの酒に口を付け、途端に眉をひそめる。

「薄いわよ。」

「初めて作ったんだ。文句を言うな。」

「そうだね。こうして人間の私と魔族のあなたが酒の飲み比べができるのも大魔王を倒した勇者様のおかげだしね。」

 鶏刺しをもぐもぐと食べながら女は呟く。そして、テーブルの上の酒瓶のラベルをラーハルトに向ける。東方の古い文字が書かれている2本のラベル。

「この酒、なんていう名前か知ってる?『魔王』っていうんだよ。」

 2人が座っているテーブルに近づく影を見て女が微笑む。

「待ち人がきたようだね。じゃ、私は退散しよう。その酒はあげるよ。待ち人と飲むといい。・・・それと、私は南の国の教会で働いている。怪我したり、呪われたときはおいで。うまい酒、持ってきたら無料(ただ)で治してあげるよ。」

 女はかなりの量、飲んでいるはずなのに背筋をすっと伸ばして立ち上がり、ふらつくことなく歩いていく。去り際にラーハルトの肩をぎゅっと掴んだ。女にしては強い力だった。

「ハルちゃん、君の小さな主(あるじ)は必ず見つかる。諦めるんじゃないよ。」

 誰にも聞かれてなかったはずの女の小さな呟きは半魔の彼にしっかり聞こえていた。そして、既に忘れていた過去を思い出す。幼い自分の肩を掴み、話しかけてくれた人物を。

(ハルちゃん、あと、5,6年経てば君の背も伸びる。力も強くなる。その時は君がお母さんを助ける番だ。強くなるんだ。)

 今となっては話しかけてくれたのは誰かは分からない。それでいいと思う。自分はその人物の言うとおり強くなれた。ただ、母を守れなかったことが唯一の悔いだが。
 女と入れ替わりに待ち人のヒュンケルがラーハルトの向かい側に座る。

「待たせたな。今のご婦人とは知り合いか?」

「いや、人間の知り合いなどおらん。」

「に、しては楽しそうに飲んでたようだが?」

「楽しそうだったか・・・。母が生きていたらあの女くらいの年齢だったのかもな。あの女が面白いことを言ってたぞ。」

 2本の酒瓶のラベルをヒュンケルに見せる。

「こっちが『魔王』でこっちが『大魔王』という酒だ。『魔王』の方が手に入りにくくて美味なんだそうだ。」

 ヒュンケルが2つのコップにそれぞれの酒をつぎ、ちびちびと飲み比べ、ごほんとむせた。

「生(き)で飲むなと言われたぞ。そんなに強いのか?」

 ラーハルトが一つのコップを手に取り、一口飲んでみる。

「やっぱり割って飲んだ方がいいな。」

 かすかに顔をしかめたラーハルトは2つのコップにお湯を注いだ。

「面白いな。酒の世界では魔王が上なんて。」

「魔王(ハドラー)と大魔王(バーン)か。」

 2人の戦士は残り少ない酒をあけ、そのまま旅立つ予定だった。が、立ち上がったラーハルトはふらりとよろめいた。ヒュンケルが肩を貸す。

「あの女、オレ以上に飲んでたはずなのに・・・。」

 勘定は姐さんが済ませたよ、と主人が半魔と人間の戦士に笑いかける。

「姐さんも喜んでいた。久しぶりに楽しい飲み比べだったって。」

 ヒュンケルは苦笑し、ラーハルトは酔いに身を任せながら酒場を後にした。

「珍しいな。お前がそこまで飲むなんて。今夜は歩けまい。宿屋に直行だ。」

「すまん。ヒュンケル。こんな夜を何というか知ってるか?」

訝しげな表情でヒュンケルはラーハルトを見つめた。わずかに表情を崩し、ラーハルトが呟いた。

「『いい夜ですね(よか晩なぁ)』だと。」

「僧侶様。また、酒瓶が置いてます。」

 ここは南の国の教会だ。下働きの少女が女僧侶の元に未開封の酒瓶を持ってきた。

「ああ、青い酒樽君からだ。手渡しにこないところをみると元気にやってるみたいだね。」

風が吹き、少女と僧侶の髪をふわっとなで上げる。

「今日は旅をするのにいい日よりだよ。」

 僧侶・・・「南の酒飲み姐さん」は眩しそうに空を見上げた。澄み切った空。半魔の孫が生まれた日に共に飲んだ魔族の青年の肌に似た空の色だった。

                                                               おしまい


 タオル星人様から頂いた、素敵SSです!

 同じく酒をテーマとしながら、ギャグ風味の強かったVS酒樽とは打って変わって、しっとりとした余韻を感じさせる作品です! 何と言っても、この話ではオリキャラの姐さんがいい味を出しています♪ 人間と魔族が幸せに暮らすためには、この人のような考え方をする人が増えてくれればいいのになと思える程、広い懐と気っぷの良さを漂わせる姐さんには惚れ惚れしますよ♪ 幼い頃のラーハルトと母親に関わったっぽい台詞が、実にいい味を出しています。

 このお話に出てくる酒や習慣は九州をモデルにしているそうなので、日本地図をモデルにしたダイ大ワールドではかえって場所を想像しやすいかも。ロマンと人情の温かさに溢れたお話を、どうもありがとうございます♪

 


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