Act.1 危険な密会 |
モローリアって国、知ってるか? なんせ、世界地図に乗っていないぐらい、ちっこい国だから。 モローリアは、モロッコ、アルジェリア、モーニタリアに囲まれた国で、アトラス山脈とサハラ砂漠、そこに浮かぶ群島のようなオアシス町からできている。 人口はよく分からないけど、25万か、もしかしたら30万人ぐらいかもな。 これは俺が覚えていないからじゃなく、一度も正式な調査が行われたことがないからだ。十年前のサルタン時代ならいざしらず、共和国になったというのにな! もともとモローリアはず──っと前から、それこそ俺が生まれる前から貧しい国で、アブタヒール将軍は国がこんなに貧しくなったのをサルタンのせいにして追い払っちまったんだ。 かくしてアブタヒール将軍はモローリア初代大統領となり、国をよく治め、人々は平和を取り戻しました……とくりゃあめでたしめでたしなんだが、そうは問屋が卸さない。 アブタヒールが真っ先にしたことといったら、秘密警察を作って、反対者を片っ端から片付けることだった! 国民の不満も、ものともせずにいばりくさっているアブタヒールの非難が集まるのも当然だ。国の大多数をしめているベルベル族、トゥアレグ族やムサビット族、ルジバ族、ベトウィン族、黒人など、一人だって政府を憎まない連中はいないぜ。 中でも一番政府を嫌ってるのは、やっぱり俺達だろう。 俺達ゲリラは、しょっしゅう首都のファティマで、時には他のオアシス町で、政府と撃ちあったり爆弾騒ぎをちょいちょい起こしたりしている。けれどそれはぜんぶ小競り合いで、双方とも決定的な一打を与えたためしがない。 いや、与えられないって言った方がいだろうな。 仲間達は一刻も早く政府をぶっつぶしたくて焦れてるし、俺はと言うとやぱり目的を早くやり遂げたいって、夜も眠れないくらい思い詰めているといったぐあいだ。 モローリアはちっぽけな国だけど、中身はこんなに問題を抱えている、やっかいで物騒な、とんでもない国なんだ。 ドクター・イブン・ファラビーは、アブタヒールが大統領になったばかりの頃(信じられないことだが)経済大臣だったんだ。けど、アブタヒールのやり方に反発して、今じゃ立派なお尋ね者さ。 なんたってドクターの首にゃ、生死に関わらず大金がかけてある。もっともドクターは、それをとっても自慢にしてるから始末に負えないよ。 で、ドクターのやることときたら、いっつもドンピシャリ! ミスター・モリがモローリアにやってきたのは1年ほど前で、その時からドクターはミスターに首ったけ。まるで初めて子供を産んだ母鳥のように、見つめっぱなしときている。 ミスター・モリは家族と12人の部下と一緒にやってきた、物理掘鉱の専門家。よくは知らないけど、重力や磁力を計ったり、深い穴を掘ってダイナマイトをドカーンとやる地震探鉱をやったりしている。 何をやってるかって? モローリアみたいなちっぽけな国でも、石油がドーンとでると経済大国になったりする──わけはないだろうが、少なくとも税金は減るだろうし、少しはましな国になるだろう。 国民はみんなそんな甘いことを考えて、よだれを垂らさんばかりに石油を待ち焦がれていやがる。 頭の天辺から足の先まで、陰謀の固まりみたいな大統領さんだもの。ドクターは大統領の真っ黒い腹に気づいて、さっきも言ったようにミスター・モリに会う計画や、その他いろんな計画を立てている。 けど、さすがのドクターもうまくいかないままに、来週の月曜にはミスター・モリさんご一家は日本に帰っちまう。 だいたい、条件が厳しいんだ。秘密警察に見つからないで、ドクターとミスター・モリ二人っきりで会うチャンスなんて、そうそうあるわけないよ。 ところが最後の日曜日、思いがけないチャンスが舞い込んできた。 俺達はこれに飛びついた。 一つ断っておくが、もし、このことがとんでもない結果を産むことを知っていたら、俺は死んだって反対したんだがな! 俺達──ゲリラ十数人と俺、アル=アサービア──は、日本人親子を乗せ、砂漠を突っ走ってくるランドクルーザーを岩山から見ていた。 サンタクロースを待ちあぐねているガキのごとく、だよ。 ミスター・モリが家を出て車で岩山の方に向かったという情報が入ってすぐ、こっちに来たんだが、奴らはまだ岩山にさえ来ていないときている。 この分じゃ、岩山を登るのも時間がかかりそうだな。 と、下を見たらランドクルーザーは麓で止まるところだった。 ドクターは鼻の下のばして、ニヤリニヤリと笑ってる。そして、ドクターが軽く手をあげると、ゲリラ達は(もちろん俺も)パッと岩なんかの影に隠れた。ドクターもゆっくり岩の影に身を隠している。 ったく、合図した本人が一番隠れるのが遅いんだもんな。 たとえドクターが隠れるまで、十倍の時間を使ったってよかったんだ。あの日本人の親子はカメのようにのろのろしてたんで、思わず、麓でちょっと車を止めただけで行っちまったんじゃないかと疑うぐらいの時間をかけて登ってきたんだから。 「やっとついたか」 小柄で、でも力がありそうな感じのミスター・モリが言う。 「これが珍しい物なの、パパ」 息子ががっかりしたように言ってる。だいたい、俺と同じぐらいの年頃の子供らしい。 「ショックを受けなさんな、そこの岩をじっくりごらん」 ミスター・モリがにやにや笑いながら、さっきまで俺が見ていた壁画を指した。 弓や槍を持ったすっぽんぽんの狩人や鳥や獣。それに踊って輪になってる人なんかが彫ってあるつまんない絵だ。 「すげえや。パパの発見なの?」 変な奴でも役に立つんだな。息子が騒いでるスキに、ドクターは二人の後ろの石に腰かけた。 「だとしたら、石油を見つけにきて原始美術を発見した男として、有名になってるさ。この近くに探鉱に来てね、ガイドから教えられたのさ」 「でもさ、パパ。サハラにこんな動物がいたの? 帆をはった船だって見えるよ」 「紀元前一万年から三千年ごろのものでね、何族が描き、彫ったのかも分からない」 ドクターがガイドのごとく、さりげなく説明を挟む。 「その頃は」 ドクターは少し笑って、言った。 「あの砂漠も、アッラーから見放されたようなサハラさえも、青々とした草原だった。 ドクターはゆっくり、パイプの煙を吐いた。 「糸杉の森もオリーブの林も、川も湖もあった。川や湖には船がゆきかい、無数の魚やワニ、カバが住み、草原をタイヤをつけた戦車が走った。 ドクターって、ガイドになれるよ。 「マラブート(トゥアレグの教養人や学者、宗教指導者)だね」 ミスター・モリは用心深く言う。確かに、ドクターはトゥアレグの服を着ているけど、ハズレだよ。 「人間が現れるずっと以前、ここは恐竜の王国だった。砂をかぶった恐竜の化石が、無言で栄華の昔を語ってくれる」 ドクターは息子の方に向き直った。 「恐竜の墓場に行ったことがあるかね?」 ドクターはまた、パイプの煙を吐いた。 「それ以前、サハラの一部は浅い海だった」 「たいしたアラブートだな、君は」 皮肉っぽく言って、ミスター・モリは帰ろうというしぐさを息子に送った。ドクターはのんびりとパイプの水滴を飛ばし、コンパニオンで火口のタバコを押さえていたりして。 「石油は炭素と水素の化合物だったね」 ドクターの言葉に、ミスター・モリはハッとした。 「その化合物は、プランクトンや藻や小動物の遺骸からできているせいだろう。石油の探鉱屋はまず中生代、浅い海だったところを探すと聞いている」 ミスター・モリは息子を後ろにかばい(俺にとっては、真正面!)周囲を伺った。 ヘン、俺達が素人なんかに気づかれるような、ドジな隠れ方してると思ってんのかね。 とはいえ、ドクターの仲間が近くにいるってことは、バカでもチョンでも考えつくことだし、ミスター・モリだってそうだろう。 「君はトゥアレグじゃないな」 ミスター・モリが鋭く言った。 「しかし、モローリア人には違いない」 ドクターはベールを解いた。 「やれやれ、変装ごっこか」 険しい顔をしているミスター・モリの脇で、息子がポカンとした顔をしているのが笑っちまうぜ。 「帰るぞ!」 息子を連れ、帰ろうとしているミスター・モリに、ドクターは声をかけた。 「まだ話の続きがある」 「他の生徒を見つけることだな」 冷たい返事に苦笑いしながら、ドクターはサングラスを取り出し、かけた。 その割には、岩山登りはトロかったっけ。 「もう少し、我慢して私の話を最後まで聞いてほしい。君にとっても興味ある話だよ」 「いや、やめておこう。どうしても聞かせたいのなら、ファティマの事務所にきてくれ」 それができるぐらいだったら、こんなまだるっこしいことやるか! 「お互い紳士的に話したいのだかね、ミスター・モリ」 ドクターがニヤリとしながら言った。 「嫌だと言ったら?」 二人はまともに向かい合った。 「柔道はごめんだな」 ドクターは少しも慌てないで、パイプの灰を落とした。 「よく調べているな」 ミスター・モリは息子を背中にかばいながら、道の方にじりじり下がりながら言う。しかし、あっちの方にも誰かいるんだけどな。 「それだけじゃない。君が朝ご飯にバレンシア米に魚の干物、目玉焼き4個、それに日本から取り寄せている豆のスープを、いつも奥さんに作らせていることも知っている」 ……ドクター、よくそんな細かいことまで覚えてられんもんだ。 「腕のいいスパイをお抱えらしい。しかし、俺のヘソクリまでは分からんだろう」 「君は我々にとっても重要人物でね、一日二十四時間、君がモローリアにきて以来、目を放さなかった」 ミスター・モリがうめいて、足を止めた(さっきから、セコく後ずさってたんだ) 「思い出した。やっと君が誰だか思い出したぜ。新聞の写真よりも…」 「チャーミングだろう」 どーにかしてくれよ、この性格! 「ドクター=イブン……」 「ファラビー」 どもるように言うミスター・モリの後を引き取って、ドクターが言う。 「そして君の名は、ミノル=モリ。後ろに小鳩のように隠れてるのは息子のマキトじゃないかな」 ドクターは手で、優雅に回教徒の挨拶をした。 「アッサラーム・アレイコム」 「気持ちよくこんにちは、とは言えそうもないな」 冷たいミスター・モリの言葉に、ドクターはちょっと肩をすくめて言った。 「握手をしてもらえそうにないな」 ミスター・モリは両手を腰に当てて、深く溜め息をついた。 「誰かに見られたら、俺達哀れな日本人親子は、秘密警察の地下でうんと泣くことになるな」 秘密警察に見られたら、俺達ゲリラは銃殺だよ。 「パパ、この人は誰なの?」 今まで黙っていたミスター・モリの息子の、マキトが口を挟む。 「この人はね」 ちょっと口ごもりながら、ミスター・モリが答えた。 「モローリアきってのお尋ね者さ」 当たってら! 「ローレスロイスを買える懸賞金がかかっていると言ってほしいな」 また〜。ドクターってば、パイプをいじりながら変なことを誇ってるよ。 「銀行強盗でもしたの?」 アホウめが。 「モローリア人のため、独裁者と戦ってるだけだよ」 「独裁者って、大統領のことなの?」 「そうだよ」 ドクターは力強くうなずいた。 「国民にノーと言える権利を、放棄させた人間さ」 「でもさ、ぼくいつもノーと言ってるよ。それにいつだって自由だよ。学校へ行くのと、勉強はしなくちゃいけないけどさ」 なーんにも分かっちゃいないマキトは、口をとがらせて答えてる。 「それはぼうやがモローリア人じゃないからさ。残念だが、モローリアには日本のような自由はない。つまり、事由に自分の意見を述べ、自分逹が望む政治家や政党に投票することも許されていない。 「カトリックスクールの仲間達は、自由に言ってるよ。ちびのひげもじゃらってね。だけど秘密警察はきやしないよ」 そんぐらいで来るわけないだろ! 「じゃ、君達はモローリアで一番勇敢に自由を味わっている少年達だな」 ドクターは大口を開けて、愉快そうに笑った。 「分かった。おじさんなの、時々爆弾を仕かけるゲリラのボスは?」 今頃気づいたのかよ? 俺はうれしそうに叫んだマキトを、睨みつけた(何の役にもたたんけど)ドクターがうなずくと、マキトはまたしゃべりだした。 「サインをもらえるかな、仲間に自慢したいんだ」 サインだとさ! なんて平和で、おめでたい奴なんだ。 「サインしてあげてもいいが、もし見つけられると厄介なことになるよ、ぼうや」 「マキト、いい加減にしなさい」 ミスター・モリが厳しく言った。 「ドクター=イブン=ファラビー、まさか俺達日本人親子に演説したくって、わざわざ現れたわけじゃあるまい」 「その通り」 パイプを振って水滴を飛ばしながら、ドクターは答えた。 「もっと早く君とは出会いたかったのだが、チャンスとタイミングを待っていた」 「今日、偶然ここにこなかったら」 「今夜、君の家を訪問したね」 「たいした度胸だな、ドクター=ファラビー」 ミスター・モリはまた、鋭い目で伺ってニヤリと笑った。 「そんな危険な賭けをするほど、俺には価値があるのかな?」 返事の変わりに、ドクターはかすかに笑った。ま、口に出して言ったって、Yesだよな。 「どうやら、嫌でも話を聞かなきゃならないらしいな」 「理解力のある人間は、大いに歓迎だ。いらざるゴタゴタを招く必要がないからな」 ドクターは、からかうようにパイプでこめかみをつついた。 「まず、快適とは言えんが腰かけんかね?」 快適どころか痔になりそうな石を指して、ドクター、よくそんなこと言えるよ。 「たぶん、腰を抜かすような話なんだろう」 ミスター・モリはそんなことを言いながら、マキトと仲良くならんで腰かけた。 《続く》 |