Act.4 地下水路からの脱走 |
目の前は真っ暗闇だった。 俺にとってはさっきも来た道だが、今度は水の流れがさっきと逆だ。 「上にでっぱりを手がかりにするんだ!」 水路はレンガ作りで、上の方にはところどころレンガは出っ張っている。来る時も時々は使った。やたら疲れるのが難点だが、何の手がかりもないよりは移動しやすい。 しばらく這っていたが、歯のなる音が聞こえだした。もし、ここが地上だったら文句をいうところだが、さすがにこんなところから見張りに聞こえるはずもないから放っておいた。 「アル、休もう、腕が動かない」 「いくじなしめ、もう悲鳴をあげたのか?」 とはいっても、俺も疲れていたから止まった。無理をしてマキトが動けなくなったら、ホントこまっちまうもんな。 「いいか、もう少しだ」 懐中電灯の光の中で、マキトは腕を揉んだりさすったりしていた。俺もさすがに息が荒くなってきた。 さっきもサソリを殺りに行きたい、いやだめだ、なんて考えながら這ってきたっけ。 だけど、ドクターやラアイにあれだけ釘さされたし、第一、後ろにいるマキトが邪魔で戻れない。擦れ違いもできないぐらいにせまいもんな、ここは。 「いくぞ!」 また、うんざりするような水路をのろのろ這いながら、俺は戻りたいという気持ちを押さえるのに必死だった。 そうしたら、もう一度この水路をくぐって俺一人でサソリの館に戻ったって問題はないはずだ。 俺はそのことばっかり考えてたから、地下水道にはい上がる穴をもうちょっとで通り過ぎるとこだった。 「乾いた布、ないか?」 ラアイが布切れを渡してくれたので、俺は真っ先にモーゼルを取りだし、拭きだした。続いて、マキトが引き上げられた。 あいつ、なにがなんだか分かんないってツラしてる割には、しっかり腕をさすっているよ。 「ようこそ、自由な世界に!」 マキトはあこがれのスターと握手するみたいに、必死になってラアイの手を握った。 「私はラアイだ」 にこにこと愛想良く、ラアイは話す。 「ドクター・イブン・ファラビーの命令でね、君を助けだしたんだ。危険な方法だったけど、これ以外なかった。私達の体では無理だから、アルが引き受けてくれたんだ」 嘘をつけ、嘘を! 「アル、見張りは?」 俺は首を振った。 「よかった、これで時間が最大に稼げた」 お〜お、満足そうな顔をしてさ。 「アル、ありがとう!」 急に礼なんか言われたもんで、俺はどきまぎして唾を吐いた。 「義務を果たしただけさ」 なんとなくきまりが悪くて、俺はラアイの方に向き直った。 「ラアイ、そうしてサソリを殺らせてくれなかったんだ? 俺だったら、今夜殺れたぜ」 答えは分かりきっていたけど、今は文句を言いたくてたまらなかった。俺はわざと怒っている風を装って、ラアイを睨み付けた。 「アル、一人で奴は殺れない。また機会はあるさ。 返事は分かっていたというものの、子供に言い聞かせるようなその言葉がいらつく。 それにしても本当に『また』なんて機会はくるのかよ。ただでさえ用心深い男だというのに、今回自分の館から人質が脱出したなんて知ったら、警備がますます厳しくなるだろう。 「さあ、出発だ。気づかれないうちに、できるだけファティマを離れなきゃならない」 ラアイの言葉に一同はうなずいて、ラアイ、マキト、俺、仲間達の順で小走りに走りだした。 膝まで水があるから、けっこうきつい。マキトなんか、もう荒い息になっている。 「アル、どこへ行くの?」 「安全な所さ」 俺は素っ気なく答える。とても今日は機嫌がいいとは言えないもんな。 「このトンネル、どこまで続いてるの?」 マキトの声は弾むようだった。 「郊外の畑までさ」 突然光が消え、列が止まる。 「どうしたの?」 「しっ、井戸だ」 小声で答え、マキトの背中をこずく。 ラアイが腕を前に振って合図する。 次々とゲリラ達が上がっていく。背の低いマキトは首どころではなく完全に水に漬かったけど、仲間に引き上げられた。最後に俺も、やっぱり水に漬かったけど仲間に引き上げられ、またみんなで走りだした。 「ファティマの井戸、全部に繋がっているの?」 振り返らずにマキトが聞く。 「ああ」 「だったら、地下水道はあちこちじ別れてるんだろ?」 迷子の心配かよ。 「心配しなさんな、ヒヨコさん」 ゲリラ戦じゃ、こういうとこも戦場なんだぜ。 「俺達はネズミよりもここを知ってるんだ」 「じゃ、どこかの井戸に出るんだね?」 マキトの奴ときたら、手におえねえな。 「よくしゃべるヒヨコだ」 なんだかうんざりしてきたし、腹も立ってきた。 「おまえの脱走に気づかれでもしれみろ」 俺は思いきり不機嫌な声をだした。 「ファティマの道路はたちまち封鎖されるぜ。それにファティマに出入りする車や人は検問所で厳しく調べられることぐらい分かるだろ、能なしのヒヨコめ!」 アホウヒヨコが。 「明日になればファティマの一軒一軒がしらみつぶしに調べられる。引っかかるほど俺達はまぬけじゃないが、それじゃいつまでたってもおまえを国外に連れだせない」 「なんだって?」 振り返ろうとして、マキトはものの見事にすっころんだ。 「モローリアから出してくれるの?」 「まず足元に気をつけるんだな。おまえはまだモローリアにいるんだぜ」 「ありだとう!」 マキトが叫んだ。 「バカ! ファティマ中を起こすつもりか? 感謝したいなら、そのよくまわる口を閉じろ!」 いまいましげに言い捨てたが、マキトの奴、いっこうにこたえずニヤニヤしてる――どうしようもないな。 「さあ早く走れ! ママのおっぱいが恋しきゃ、走るんだ!」 マキトは俺の乱暴な言葉にびくともせず、走りだした。この前、こう言ったらケンカを買おうとしたのにな。 マキトのおかげでいったん止まった俺達は、いくつもの井戸、分流を抜け走った。マキトは苦しそうにハァハァ言ってるが、俺が後ろっから追い立てながら走ったせいで、なんとかラアイ達について走っている。 そのうちラアイのスピードが段々落ちてきて、天井に大きな裂け目がある所にくると、ピタリと止まった。 穴から首をだしたラアイは、犬そっくりの鳴き声を立てた。途端に、同じような犬の声が聞こえてきた。 「よし」 ラアイは地上に這い上がった。 「計画通りだ。さあ、向こうで車が待っている」 俺達が上がった時、ラアイは農夫姿のゲリラ達と話していた。 その水の染みも、すぐに消える。夜が明ける前にはすっかり蒸発しきって、ここにはなんの痕跡も残らなくなるだろう。 「いくぞ!」 ラアイの号令で、俺達はいっせいに畑の中を走りだした。少し先の道路に、幌つきのボロトラックが止まっていた。 「早く乗るんだ!」 俺達は毛布を受け取ると、たっぷりと積み上げてあるズタ袋をよじ登り、運転台近くの塹壕のような窪みに入った。 俺達は窪みに座り込んだと同時に、トラックが動きだす。うまいこと、幌にちょっぴり破れがあってそこから光が差し込んでくるので、かなり明るい。 一息つくと急に腹が減ってきたので、ナツメヤシを袋から出して食べだした。干したナツメヤシはとろけるぐらい、甘くてうまい。 「種は捨てるなよ!」 マキトはうなずいて、ポケットに種をしまった。 「どこにいくの?」 「アトラス」 俺は素っ気なく答えた。アトラスについたら、もう一仕事あるんだ。 「町のアトラスかい? それとも山のアトラスかい?」 「町の方だ」 アトラス山脈の北東すそにある、オアシス町、アトラス。 うまくいけば、それでおしまいなんだけどな。 「じゃ、モロッコにでるんだね?」 「ああ」 我ながらぶっきらぼうだとは思うけど、今日ばかりはとても愛想よくなんかできないよ。 「ねえ、七時にはぼくのいなくなったことがバレるよ。それまでにアトラスにつけるかな?」 オレは歯に挟まったナツメヤシの肉を、爪でほじりながら答えた。 「つかない」 つきっこないぜ。 「じゃ、警戒は厳しくなるね」 まるでズタ袋が秘密警察なように、不安そうに回りを見るマキトを見て、思わずせせら笑った。 「怖いのか?」 「怖くはないさ。秘密警察が何人来たって、君がその拳銃で助けてくれるんだろ?」 それで皮肉のつもりかよ? 「何人来たってやってやるよ。その時、おしっこをもらすな」 マキトの顔色ははっきり変わった。 「青くなったな」 フクロウのような笑い声をたててからかってやると、マキトはムキになって言い返してくる。 「月のせいさ!」 ごしごし頬をこすりながら、マキトは毛布にくるまった。ビビっておとなしく震えているマキトを眺めてから、俺は付け加えた。 「ドクターはいろんな計画を練っている。安心しな、ヒヨコさん」 その一言で、たちまちマキトは元気になった。にくったらしいぐらいの回復力だな。 「ドクターにお礼を言わなきゃ。ドクターはどこにいるの?」 お礼だとさ! 自分の立場、分かってるのかよ? 「おしゃべりヒヨコは知らない方がいい」 俺の声は、自分でも嫌になるぐらい冷たく響いた。それが伝わったのか、さすがのマキトも、俺の目を避けるように下を向いた。 「ぼく、後悔してるよ」 情けない声でマキトが呟いた。 「はん」 俺は鼻であしらい、床に唾を吐き捨てた。 「いったいどんな後悔だ?」 「後悔してるってば!」 か細い、マキトの声。 「パパを罠に落としてしまったし、ママをとっても悲しませたから」 パパ! ママだって?! 「たったそれだけか?!」 俺は叫び、手近にあったオレンジの籠を殴った。 「君にもドクターにもラアイさん達にも迷惑をかけてしまったよ」 「迷惑?」 怒鳴った。俺は。 「迷惑なんてものじゃない! 生命だ! うなだれたマキトは、こっくりうなずく。髪から、滴が涙のように落ちた。 ――もう、やめるんだ。マキトを責めたって、なんにもならない――。 そう、心のどっかで思った。けど、勢いのついた口は、もう止まらなかった。 「いや、分かっちゃいない。今夜、おまえを助けだせた。 俺はマキトに顔を寄せた。 「サソリはありとあらゆる汚い手を使って、おまえを見つけだそうとする。何人もの無実の人が拷問を受けるだろう。懸賞金や脅迫に負け、おまえの居場所を密告しようとするやつも出てくるだろう。 マキトは落ち込み、そして泣いていた。マキトは哀れな声で、言い訳のように呟いた。 「知らなかったんだ。アラムートにパパを牢獄に入れるって脅されたんだ」 「こんな拷問を受けたのか?」 俺は叫び、濡れたシャツを引き裂くようにはだけた。醜い、ヒルがのたくったようなムチの跡が月明りの中、不気味に浮かび上がった。 「眼の前で、親父やお袋を殺されたのか?」 独り言のように、うめくような低い声で言った。 いつの間にか、俺は全力で運動した後のように、息が荒くなっていた。どうかしている。 「ヒヨコには分かんないことだ」 誰にだって、分かりはしないだろう。投げやりな気分になっちまう。誰だって、分かってくれはしなかった。 俺は眼の前にオレンジ籠だけを睨みつけ、バンドに挟んだモーゼルを手がいたくなるほど強く握った。 「俺はきっとサソリを殺ってやる!」 自分にも言い聞かせるように、強く、言った。 「サソリが君のパパとママを殺したの?」 おずおずとマキトが話しかけてきた。 「おしゃべりにはうんざりしたぜ。もう一度俺の両親のことに触れてみろ、今度こそ総入れ歯にしてやる!」 マキトはひどく傷ついたかのように膝小僧を抱え込み、小さくなった。かすかに、押し殺したマキトの鳴き声が、エンジンの音と混じって聞こえる。 俺は思っていたことを全部ぶちまけてしまったことで、軽い驚きと、何かを無くしてしまったような喪失感を味わっていた。 なんで俺は、今まで誰にも話さなかったことを、マキトに話しちまったんだろう。 自分で見るのさえも嫌だったムチの跡を、なんで見せちまったんだろう。 オレはマキトの嗚咽を自分のもののように感じながら、モーゼルを握りしめ続けていた。 《続く》 |