Act.7 一つの決断 |
夜明け前に、俺は眼を覚ました。 「いくぜ!」 「いよいよアトラスに戻るの? きっと秘密警察がうじゃうじゃいるよ」 「じゃ、ここで飢え死にしな」 「残るつもりはないって、分かってるだろ」 かすれ声でマキトが答える。だったら、最初っから言うなってんだ。 「要するにここと」 どんっと胸を叩く。 「度胸の問題さ。ヒヨコには分かんないだろうけどさ」 「見せてもらうよ」 ああ、ヒヨコにはしっかり現実を見つめることが必要だよな。 「左に行けばモロッコ。右に行けばアトラスだ」 俺は小声で囁いた。 「まだ封鎖されているね。車が一台も見えないや」 負けずにマキトも囁き返す。 「まだ分からないさ。夜間は通行禁止だからな、俺達を恐れて」 子供二人を恐れてね。俺はこっそり含み笑った。 「モロッコに出るの?」 希望に満ちあふれたマキトの声。 「戦車にでも乗らない限り、国境は抜けられないさ」 素っ気なく答える。 「ここで朝まで待とう」 「もし、封鎖が続いてたら?」 弱気にマキトは言い、ヘタるようにしゃがみ込んだ。 「おまえみたいな奴が真っ先にくたばるんだ。どうしてそうヤワなんだ?」 俺は刺々しくうなった。
マキトと一緒じゃ、とてもじゃないが歩いて脱出なんてできっこないよ。どうしても、車じゃなきゃ無理だ。 しかし、こうなるともう賭けだ。 賭け金は俺の命と、マキトの自由か命。 ふと、音が聞こえた。 バカだな、俺、何焦ってんだろ。車と飛行機の音の区別もつかないなんて。 俺は車の音の聞こえる方を見つめながら、顎をしゃくった。マキトは岩に身体を寄せる。 「パトロールだ」 俺は言った。 俺は目を閉じて、岩にもたれかかった。 頼むから、封鎖が終わっていてくれ。 落ち着いて耳を済ますんだ。………聞こえる。 「政府軍かな?」 「俺の勝ちだ!」 やったぜ。これでもう、こっちのもんだ。 「いまだ!」 叫ぶと同時に俺は走りだした。マキトも続く。 俺は幌をまくるなり、マキトの襟をつかんで放り込んだ。それから、ちゃんと幌を元のように結び直す。ばれたら元も子もないもんな。 これで安心だな。 「ついてたね」 ホントだぜ。しかし、こうもうまく読みがあたるなんてさ。押さえても押さえても、喜びがこみ上げてくる。 できるだけとぼけて、ツキを読んだのは俺だとうそぶいてみる(いっぺん、言ってみたかったんだ!)なんかまぜっかえされるかと思ってたら、意外と素直にマキトが言った。 「君はいいギャンブラーになれるよ」 褒められて、悪い気はしないよな。 「国連からの救援物資だよ。俺達モローリア国民は、施しで飢えをしのいでいる」 思わず声も弾んでくる。俺って、意外と単純だったみたいだ。 「アトラスに行くのかな?」 「分からない。しかし、オレ達が特等席を手にいれたことは、間違いないさ。秘密警察も、国連のトラックは検問しない。それに政府軍の護衛付きだ」 これで安心して眠れるってもんだ。 トラックの激しい揺れで、眼が覚めた。せっかくいい気持ちで眠ってたのに、じゃり道なんか通りやがって! それにしても、ここはどこだ? 俺は頭の中に、モローリアの地図を広げる。 「ファサドしかないな」 回りの景色や向かっている方向から見ても、間違いないな。しかし、うんざりしちまうな。ファサドってったらモローリアのはしっこのオアシス町じゃないか。なんだってモロッコの近くまで行ったのに、わざわざ反対端まで行かなきゃなんないんだか。 そりゃファサドはアルジェリアに面しているけど、間に砂漠があるんだぜ。それもサハラの中でももっとも厳しい、『死の海』ときたもんだ。 マキトの国外脱出が、だんだん変な方向へ向かってるような気がしてきた。すでに予定なんか、原型すらないぜ。 マキトは相変わらず眠りほうけていた。どんな時でもぐっすり眠れるこの根性だけは恐れいっちまう。 それにこうやってモーゼルの手入れをしていると、不思議に気分が落ち着いてくる。 「ファティマに行くのかな」 「だったらもうついてるさ。アトラスにもとまらず、走り続けている」 「どこに行くんだろ?」 「ファサドだろ」 手を休めずに答えると、マキトはモロにがっくりした声を出した。 「ファザド」 「がっかりするなよ。とにかく」 俺はモーゼルをしまって、小麦袋にナイフを突き立てる。 「俺達はつかまらずに生きている。これが肝心さ」 さっき俺自身も相当にがっかりしたことなどおくびにも見せず、そう言ってやると、マキトはうなずいた。 「それに、俺達がファサドにいるなんて、サソリも政府軍も思いやしない。やつらは飽きず、アトラスを探し続けるさ」 「それはいいことだな」 おーお、えらそうに。ホントにいいことかどうか、わかんねえのにさ。 ゲリラになる前だけどさ。よく親父やお袋に怒られたっけなぁ──なんて、人が思い出にふけりながら団子をこねているのをマキトがじ〜と見ている。 「腹が減ってないのか?」 こうまじまじと見られんとはっきり言って迷惑だよ。 「そのまま食べるの?」 「ここで火でもおこせってのか」 マキトをジロリとにらんで、団子を飲み込む。懐かしい味がする。 「フランスパンでも出てくると思ってんのかい? ええ、ぼっちゃん」 マキトはおなかをなでまわす。それから俺さえあきれるほど、団子作りに熱中して幾つも食った。 「よせ、腹を壊すぜ」 俺が止めなかったら、ギネスに乗るまで食べ続けそうだった。食いしんぼマキトは、未練たらしく指をなめ、水を少し飲んだ。そして、気持ち良さそうに小麦袋に体を押しつけた。 「眠るんだ。ついたら起こしてやる」 疲れていたのか、文句も質問も口にせずにマキトは眼をつむった。しばらくすると、規則正しい寝息が聞こえてきた。まったく寝起きは悪いくせに、寝付きはいいんだからよ。 俺も目を閉じる。少しでも眠っておかないと、後でもたなくなっちまう。ファサドについてからのことが気になったが、俺はなんとか眠りについた。 ……いったいなんだってんだ。 俺は眠るのをあきらめ、頬杖をついて考え込んだ。 だが、俺にはあまりにも武器が足りなすぎる。 せめて、ファティマに行くんだったら知り合いも多いのに。ファサドじゃ、知っている奴と言えば……あの水売り親子だけだ。あいつらならなんとか仲間と連絡とれるけど、これだけ秘密警察の眼が厳しくなっているんじゃ、最悪、見つかってるかもしれない。 俺は陽気な水売り親子を思い浮かべた。親の方は、俺の親父の友人だった。いつもゲリラみたいな危険な仕事はよせって言ってくれたっけ。サソリのことなんか、忘れてしまえって。 息子は俺よりも2、3年上で、いつも元気で明るかった。多少、お調子者だけど、悪いじゃなかった。 「バカ! なに考えてんだ」 一瞬浮かんだ不吉な考えを、俺は強く首を振って切り捨てる。 日焼けした肌と髪型のおかげで一見、ベルベル人の子供に見えるけど、少しでも目がある奴が見れば、すぐにおかしいと気がつく。 その上、腕時計までしていやがる。 あーあ、あんな時計があったら、ラクダの一頭や二頭らくらくなのに――と、思ってから、気がついた。 そして、まさかマキトが砂漠へ逃げるなんて思う奴はいないだろう。おそらく、政府軍を出し抜ける。 こんな時にドクターがいてくれたら。 俺は、とんでもない決断をしようとしているんじゃないだろうか? 間違ったことをやっているんじゃないのか? こんな時、誰かがいたら教えてくれるのに。 俺はもう一度マキトを見た。 「ホント、よく眠れるよな、こいつは。ゲリラの前でさ」 こいつは俺がゲリラだってこと、忘れてんじゃないのかな。 ただドクターはそういうことが好きじゃないから、最小限に押さえているけど、それでもいろいろやっている。俺だって、殺した人間を数えたら、両手じゃ足りない。 マキトを助けるのだって、ミスター・モリを味方にするための手段なんだ。 ミスター・モリを味方に引きいれる方法のうち、有力な意見とドクターの意見が対立してたからだったんだ。 サソリがマキトを殺したなら、ミスター・モリは決してサソリの味方にはならない。むしろ、あの男なら敵にまわって、サソリを攻撃するに決まってら。そこをついて、ミスター・モリをゲリラに引き込む、って話も出たんだ。 サソリの館に忍び込んでマキトを救出するよりも、サソリの館の忍び込んで、サソリがマキトを殺したように見せかけて暗殺する方がずっと簡単だった。 ――思えば、不思議な話だった。 マキト自身は一応モローリア自由戦線についてるけど、俺達の行動次第で、いつ、ころっと逆転しちまうかもしれないんだ。 『アルがついているかぎり、安心だよ』 そういったのはラアイだったっけ。 このままトラックから飛び下りて、逃げ出したかった。押し潰されるような圧迫感と、妙な恐怖感が嫌だった。 俺は思いっきり頭をふる。 今度もマキトは起こす前に眼を覚ました。そして、俺を見て不思議そうに尋ねる。 「眠った?」 「おまえのように眠りほうけてたら、とっくに俺は死んでたよ」 少し顔を赤くしたマキトは、別なことを聞いてきた。 「やはり、ファサドかな?」 俺は軽くうなずき、言った。 「トゥアレグの難民に食料を届けにいくんだろ」 「モローリアにも難民がいるの?」 ……こんな貧乏な国に難民はいないなんて、思ってたのかよ? 「一年住んだのに、なにも知らないんだな、ええ、ヒヨコさん」 マキトは真っ赤になった。ホント、物知らずもいいとこだよな。こっちはこれからのことで頭が痛いのにさ。 「トラックに荷物の運搬を奪われたり、砂漠化が進み、遊牧できなくなったトゥアレグがファサドに集まっている。ファサドはトゥアレグの町だ」 そして、サソリの親衛隊のほとんどはトゥアレグだ。気が沈んでくる。 「ファサドには、誰か知ってる人がいるの?」 「オレ達の連絡員がいる」 無事でいてくれりゃいいんだが。 「安心するのはまだ早いぜ。サソリにつかまってないと、断言できないからな」 ぴたっと口笛が止まった。 「もしつかまってたら?」 さっき、何度も自問自答した質問だ。俺はあっさり答えた。 「俺達二人っきりさ。後は敵ばかりだ」 これを聞いたマキトの顔は見物だった。その上、マキトは急におなかをゴロゴロ鳴らせ、ひっきりなしにおならまでし始める。 「なぁ、ヒヨコ。びびって垂れ流すのはやめろよな」 「じゃどうするの?」 「泣きべそをかくな」 たまんないよ。泣きたいのは俺の方だ。 「俺がアルジェリアに連れていってやるよ」 はっきり、マキトの顔色が青くなった。――失礼にも程があるぞ。 「死の海を歩くっての?」 結論を出すまで何時間も悩んだのに、反応はこれかよ! 俺は癇癪を起こし、怒鳴った。 「羽でも生やせってえのか?」 「君なら知らないけど」 ぼそぼそ、低い声でマキトは言った。 「ぼくはきっと途中で、ミイラになっちゃうな」 ……アホめ。 「誰が歩くって言ったんだ? 俺でもすぐにおだぶつさ」 「バスか、トラック便でもあるの?」 なんて物分かりの悪い奴だ。俺はじれったくなって、体を揺すりながら、嫌味を言ってやった。 「タクシーはないのって、尋ねてみないのか?」 俺は一息ついた。 「死の海には、トゥアレグでさえ近寄らない、恐竜の墓場があるんだぜ」 それを聞いたマキトは飛び上がった。 「君なら大丈夫と、言うの? 恐竜の墓場が怖くないの? そこに住むコソブやジェスコーン(悪魔)がへっちゃらってわけ?」 こいつ、トゥアレグの老人より迷信深いんじゃないか? オレは唾を吐き捨てた。 「なぁ、ヒヨコ。オレ達は二十世紀に住んでいるんだぜ。迷信深いトゥアレグのように、おまえはコソブやジェスコーンを信じているのかい?」 マキトは慌てて否定した。 「もちろん、信じてないさ」 さっきのが信じてない態度かねぇ。 「おまえは臆病者か?」 「少なくとも」 ちょっと言葉を切ってから、マキトは続けた。 「臆病者じゃないと信じているよ」 たいしたもんだ。俺はおざなりに拍手した。 「だったら、おまえはトゥアレグ以上の戦士になれるってわけだ」 「そうありたいね」 でも、マキトは自分で自分の言ったことを、まるっきり信じているようには見えなかった。まあ、俺だってそんなこと信じちゃいねえけど。 「ラクダで渡るんだ」 「ぼく、お金持ってないよ」 そう言ってるマキト自身は、1万の値がついてるけどね。 「俺は持ってる。だが、ラクダを買えるほどじゃない」 「じゃ、どうやってラクダを手に入れるの?」 「かっぱらえばいい」 マキトは息を飲んだ。そして、マジになって言った。 「それは」 注意深く、マキトは言葉を続けた。 「感心しないな」 「サソリに雇われているトゥアレグから盗みゃいい」 そう唆すと、ころっとマキトはその気になった。こいつも相当なサソリ嫌いだな。 「うまくいくかな?」 「いかすのさ」 俺も、乗り気になってきた。さっきまではヤバい作戦だと思っていたけど、一か八かやってみるのも悪くはないかも知れない。 「頭にきて、追ってくるだろうな」 調子に乗った俺はモーゼルの握りをちらりと見せて、格好をつけてみせる。 「これでかたづけるさ」 とは言っても、うまくいく確率は低い。俺は未練がましいとは思ったけど、一応マキトに聞いてみた。 「でもな、その時計」 マキトの腕時計に眼を走らせる。高く売れるだろうな。 「日本製か?」 「スイス製だよ。誕生日にパパがお古をくれたんだ」 得意げにマキトは腕時計をつきだしたが、俺の方は嬉しくって、よく見るど 「そいつはいいや」 思わず、喝采を上げていた。 「日本製だと秘密警察に眼をつけられる危険があるがな」 しかし、スイス製となれば話は別だよ。 「その時計を市場で交換すりゃ、ラクダはこっちのもんだ」 ここまで言ってようやくマキトに、意味が通じたらしい。マキトは黙って、時計に眼を落とした。その顔からは、表情が一切消えている。 何かある度に、マキトが真っ先に時計を見る癖があるのは俺も気づいていた。マキトにとっては、時間を計る以上に大切なものだったのかもしれない。 「それとも、トゥアレグと撃ち合いになる方がいいのかい?」 今一度、マキトは未練がましく時計を見た後、一転して潔く俺の手に時計を乗せた。 ……悪いこと、しちゃったかな。 「おまえがパパとママに無事に会えりゃ、パパは金時計でも買ってくれるさ」 そのためにも、うまく国外に逃げないと。 「ファサドだ。そろそろ飛び下りるぜ」 俺達は荷台の後ろに這っていった。 「ズックを脱ぐんだ。モローリアでそんなズックを履いてる子供はいないぜ。それに、そのジーパンだ」 「ジーパンを脱ぐの?」 マキトが目に見えてうろたえる。誰が、そこまで言ったんだ。 「見えないよう、まくりゃいいじゃないか」 マキトがジーパンをまくっている間、俺は幌をといた。トラックは結構スピードを出している。 あたりに眼を走らせたついでに、マキトを見た。 「飛び下りるぜ。足をそろえて、うまく転がるんだ」 俺は怒鳴ると同時に飛び下りた。 そこで、俺は初めて頬をすったのに気がついた。軽く、手の甲を頬に押しつける。マキトは、と思って見ると、擦り傷一つない。オレはいくらか感心して、マキトを見た。 「なかなかやるじゃないか」 マキトは黙って、ニヤッと微笑んだ。 フードをかぶり、いかにもベルベル人でごさいってツラしたマキトだったが、歩いて5分と持たずボロを出した。悲鳴をあげたんだ。 俺は黙って、俺の履いていたサンダルをマキトにやった。 「俺の足の裏は」 マキトの手にサンダルを強く押しつけながら、話してやった。 「おまえのつらの皮より薄いが、歩くには十分な厚さだよ」 ほんとは少し熱かったけど、我慢できない程じゃない。 「土人形でも作るの?」 「そして、ヒヨコとままごとでもするって言いたいのか?」 アホヒヨコが。 「そのこぎれいな足をお化粧するんだよ。一目でくつを履いてた、と分かるじゃねえか。ベルベル人の何人の子供が、くつを履いてると思うんだ?」 マキトは白い足にていねいに泥をなすりつける。これで一応、ベルベル人か。 「いいか、何を尋ねられても、バカのようにただニヤニヤしてるんだぜ」 さっそくマキトは口を歪め、ニヤニヤ笑いを実行した。 「そうだ、その調子だ。つまりいつもの顔ってわけだ」 マキトは笑うのをやめ、俺をにらみながら不服を唱えた。 「じゃ、君のつらはなんだ?」 「おまえより賢いことには間違いない」 こいつって、ほんと、からかいがいがあるよ。 「ジュラバの中に隠せ」 その時はそれが、後になって役に立つなんて思ってもみなかった――。 《続く》 |