Act.8 砂漠のヒッチハイカー |
俺達は近くから遊びにきたベルベル人の子供のふりをして、門に近づいた。 ひさしぶりのファサドは、少しも変わっちゃいない。 俺は、ファサドのレンガはファティマのよりも好きだった。 俺達は迷路じみた道を抜け、広場に出た。 食い物の匂いが空きっ腹にこたえるな〜。 それに、人が山ほどいた。 青いベールから眼だけ出し、剣を下げたトゥアレグ。白いガンドゥーラを着たトゥアレグ。そして一際目立つのは、そろってライフルを下げた赤チョッキを着たトゥアレグだった。 「赤チョッキを着たトゥアレグがいるだろ?」 間抜けにも、マキトは顔を動かして見ようとした。 「いちいちキョロキョロするな!」 ったく、目立つマネしたら、わざわざ小声で話している意味がないだろーに! 「サソリに雇われているトゥアレグだ。気をつけろ」 マキトはジュラバのフードの奥から、もっともらしく頷いた。 なのにマキトはと言うと、食べ物を売っている前にくると決まって足が遅くなった。 「モローリア人なら、2、3日なにも食わなくっても平気だぜ」 小声でマキトにケチをつけたが、まるで効き目なし。 それから二回ばかり市場を巡った。 水売りはいなかった。 「やっかいだぜ」 ひびの入った地面に、唾を吐き捨てた。唾は乾き切った地べたに吸い込まれていく。 「いねぇんだよ」 マキトが絶望的に呻く。 「いつもの場所にいねぇんだ。あそこで水を売ってるんだけどな」 俺はいらだって、ひしめく人々を目で追った。急に、みんな秘密警察に見えてきた。 「水売りならいたよ」 「あいつらじゃない」 「用ができたのかな、それとも病気かな?」 マキトはそれに希望を持っているらしかった。けど、そんなわけないんだ。 「なら息子が来ている」 「ということは」 マキトの声はかすれてた。 「サソリにつかまったかもしれない」 かもしれない。 「家に行ってみるかい?」 挙げ句に出てくるアイデアがこれかよ!! 「もしサソリにつかまってたのなら、罠に落ちに行くようなものだと、分からないのか? ヒヨコさん」 今度こそ、俺達は沈黙した。 「見落としてないのかい? この人ごみだぜ」 いきなりマキトが言った。 「他に誰か知らないのかい?」 「一人いる」 パッとマキトの眼の色が変わる。 「だがな」 俺は気乗り薄に──とても乗り気にゃなれないよ──言った。 「情報屋だ」 「それが悪いの?」 ……つくづく幸せだよな、マキトって。 「おまえは無邪気でいいな」 マキトは少しむくれた。 「変な褒め方するなよ」 「俺達にも情報を売るが、サソリ達にも売る。つまり、金さえ出せば、誰でもあいつの歌を聞けるってことだ」 「なら、つけで聞けば?」 返事をする気にもならず、俺はしげしげとマキトを見つめた。 「時計がある」 俺の視線を跳ね返すように、マキトは慌てて言った。 「奴なら、すぐにおまえと結びつける。なにしろ、おまえには大金がかかってるからな。すぐにサソリに1グラムいくらで売り飛ばされるぜ」 しょんぼり、マキトはうなだれた。 「それに、この時計はラクダや食料を手にいれるための、俺達にある唯一の財産だぜ」 正確に言や、マキトのだけどさ。 「さて、ヒヨコが飢え死にするまえに、さっさとラクダを手に入れるか」 俺は立ち、市場の隅のラクダ売り場へ歩いていった。こんな時だし、売り手は慎重に選ばないと。 あれこれとみた挙げ句、俺はたかるハエを追いもしないでぼうっと座っている老人のトゥアレグを選んだ。ハエをはらうだけの気力もないなら、自分からわざわざ揉めごとに首を突っ込んだりもしないだろう。 俺は老人の前に近づき、交渉を始めた。 老人は興味なさそうに調べたけど、本心では興味津々なのは見て取れる。やる気がなさそうだが、腕時計を見る時だけは欲深そうにその眼が輝いている。 「じいさん、どうだい? この光りようは。お買い得だよ」 老人は時々首を振ったが、俺は諦めずにしゃべりまくった。 「どれ、そんなに言うなら……あのラクダはどうだ?」 老人はとうとう腰を上げて、ラクダの一頭を指した。俺はラクダの口をあけ、歯を調べた。 「じいさん、だめだよ、こんなの。じいさんよか年がいってるじゃないか」 また俺達は交渉を始めた。 「ぜいたくな小僧だ。もう、こんな時計なんかいらんわい」 老人は俺に時計を突っ返した。 俺は肩を竦め、暇そうな顔でしゃがみこんでラクダを見ていたマキトに、行こうとアゴをしゃくった。 「だめだったのかい」 「いいから黙って歩きな」 5メートルと歩かないうちに、お声がかかった。 「待ちな、小僧……。負けたよ、とっておきのラクダがある…」 やったね。 「いいよ、じいさん。鞍と食料もつけてくれよな?」 「がっちりした小僧じゃ。分かったよ」 老人はブツブツ言った割には、嬉しそうに時計をはめた。俺も、満足してた。 「若くて、元気なやつだ。鞍と食料つきだ」 俺はラクダの首を叩いた。マキトの奴も、嬉しそうにニタニタしていた。 ラクダの鞍は奴に任せず、俺がつけた。 「後は、パンとゲルバ(山羊皮の水入れ)を買わなきゃ」 一人ごとを言いながら、ちくんと水売りが気になった。ゲルバに水を入れてくれるのが、あの水売り親子だといいのに――。 俺はまっすぐクスクス(ごった煮)を売っている所に行った。汚れてひびの入った皿に、こぼれ落ちそうなほどたっぷりと盛られたクスクス。 俺達はガツガツ食った。マキトなんか、皿までなめたもんな。たちまち食い終わった俺達は、クスクスを煮てるドラム缶をにらんだ。 俺は思いついて、布を買った。ターバンなんかたいして役に立たないとは思ったが、少しでも変装になるだろう。 「トゥアレグの巻き方じゃないが、まあ、ルジバ族に見えなくもない」 ただし、マキトの奴、髪形はベルベル人なんだけどな。 だけど、マキトの奴ときたら! それから二人して、麻酔なしでやっとこで歯を抜いてる歯医者を見た。 怖いんだ。どう動けばいいのか、分からない。砂漠へなんか、行っていいのか? アルジェリアに行けるのか? 俺は水売り親子を気にしながら、すりきれたじゅうたんに座り、わめく乞食や何かを見ながら、ゲルバを2つ、ポット、お茶、砂糖、パンを買った。 「準備が整ったね」 ヒヨコがそう言った時も、俺は下くちびるを噛んで考え続けていた。 でも、マキトはルジバでもベルベルでもない。砂漠の『さ』の字も知らない日本人だ。こいつを連れて砂漠を渡る力なんて、俺にあるのかよ? 『アルがついている限り、安心だよ』 ラアイは俺を信じてくれた。 「どうしたのさ」 マキトの声で、現実に戻る。 「水売りのことだよ」 つかまっているのかもしれない。親父やお袋みたいに。 「家に行ってみる」 考えるより先に、言葉が出た。 「危険だよ!」 慌ててマキトが言った。けど、まるで俺には関係ないことみたいに思えた。 「知らなきゃ、仲間がもっと危険になる」 乱暴に俺は歩き出した。マキトもついてくる。 「おまえはラクダの所で待つんだ」 「いやだよ」 まだ追いかけてくるマキトに、俺は邪険に言い捨てた。 「足手まといだ」 それでもマキトは言われた通りにしなかった。それどころか、逆に俺の袖を引っ張って市場を抜け出した。 「君の仕事は、ぼくを無事にアルジェリアに送り届けることだろ?」 カッと頭に血が昇った。 「自分のことしか考えられないのか?」 「もしサソリにつかまったとしても」 マキトは俺の袖をしっかりつかんだまま、俺の言うことなんか耳に入らないみたいにしゃべった。 「どうやって君の仲間に知らせるんだ? ファサドの仲間は一人じゃないだろ? 君が知らないだけでさ」 頭から水をぶっかけられた気分だった。 強張った肩の力が抜けていく。俺だけがゲリラなわけじゃない。それぞれが決められた役を果たしてこそ、モローリア自由戦線が成り立つんだ。――水売りの仕事は、水売りの役目。 「おまえの言う通りだよ、ヒヨコ」 笑ってそう言ってやりたかったけど、なんだか力が抜けて口はしを歪めるだけで精一杯だった。 「熱くなり過ぎたよ」 たった今、気がついた。 マキトが俺にブレーキをかけたのは、多分、自分の身がかわいかったからじゃないんだ――。 「君らしくないな。それじゃ生き残れないよ」 俺らしいってどういうことだよ、ヒヨコさん。オレは強い奴じゃないよ。 「俺の親父も、ファティマの連絡員だったんだ」 マキトは黙っていた。 「親父は何も吐かなかった。サソリはお袋を拷問した。だが、親父は口を閉じたままだった」 平気でいたかったのに、震えてきた。でも、マキトにだけは話しておきたかった。 「それでサソリは俺を、親父の前でいたぶったんだ」 「もう言わなくったっていいよ」 マキトは顔を背けた。なんだか、辛そうな声だった。 「俺は泣き叫んだ。子猿のように泣き叫んだ」 もう、立っていられなくなって、俺は屈みこんだ。記憶があまりにも鮮明すぎて、俺───。 「親父はしゃべった、何もかも!」 吐いた後の連絡員の処置は決まっている。 「だから、俺は誓ったのさ、サソリを必ずやってやるってな」 俺はマキトを見上げた。 俺は動かなかった。 もう、動いても大丈夫だな。 「一つ、ヒヨコに借りができたな」 「借り?」 わけが分かんないように、マキトは呟いた。 「俺が泣きごとを並べても、慰めなかったからさ」 「君だったら、慰めた?」 ご冗談。俺はけなし文句しか知らないよ。 「俺だったら」 モーゼルを隠してある腰を叩いて、言った。 「この使い方を教えてやったさ」 「ドクターのようにかい?」 「あの人は」 俺は少し、眼を細める。ドクターは無事だろうか。 「教えてくれなかった。俺は自分で覚えたのさ」 マキトはゆっくりと息を吐き出した。 短剣のお手玉をしている芸人がいた。子供をてっぺんに乗せてる人間やぐらもあれば、歌う辻楽師もいる。時間がありゃ、ゆっくり見物するとこなんだけど。 トゥアレグも山ほどいた。 ───! 「俺から離れろ!」 俺は横を向き、小声で言った。ヤバい。 「情報屋に見つかった。ラクダの所で待つんだ」 俺は猿回しに見とれるふりをして、立ち止まった。実際に、そいつはなかなかおもしろい見せ物だった。 奴は俺のこと、どのくらい前から見てたんだ? だけどな、マキトにだけは手を出させないぞ。 「アル! アルじゃないか? いやぁ、いつここに来たんだ? アッサラーム・アレイコム(回教徒の挨拶)」 俺もせいぜい芝居っけをだして、驚いたふりをする。 「おまえにここで会えるなんて、思ってなかったよ。ひさしぶりだな」 おーおー、俺も嘘つきだよな。これでもう、後に引けなくなった。 「アッサラーム・アレイコム」 《続く》 |