Act.9 百万の敵と一人の味方 |
「アル、ファサドでなにか仕事でもあるのかい? いやぁ、まったく珍しいな、君一人でファサドに来るなんて! どうだ、お茶ぐらいは出すよ」 バカが。 「いいな。ちょうど喉が乾いていたんだ」 俺達は連れ立ってゆっくりと歩き出した。 「ドクターは元気かい?」 「ああ。おかげさんでね」 「しかし、君が側にいなくてもいいのかい? あの人もいろいろある人だから……」 「別に俺だけがボディガードじゃないよ」 のらりくらりと質問を交わしながら、俺達は市場を抜け、込み入った道を通り抜けた。人通りはあるけど店はない通りで、情報屋の家に入った。 「まあ、狭いけど座ってくれ。今、お茶をいれるよ」 言われるままに腰かけた。 「ゆっくりしていけるんだろう?」 冗談じゃないよ。こいつと腹の探り合いなんか、そうそうやってられないよ。 「いや、そうもいかないよ。ちょっと用事があるからね」 「ほう、どんな?」 さりげない口調だけど、何か探りだそうって魂胆が見え見えだ。 「たいした用事じゃない。けど、ちょいと急ぐ用事だから知り合いのとこによれないのが残念だな。───水売りの親子さ、知ってるだろ?」 ピクッと情報屋の表情が動いた。 「もちろんだとも。水売りにあったら、君がよろしく言っていたと伝えておこう」 にこにこして情報屋が言った。口調も普通だ。 「そういえば、アル、知ってるかい? 1万の賞金のかかった日本人の子供が、サソリの館から抜け出たことを」 表情を変えちゃだめだ! 「サソリの館から?」 「そうさ。ま、一人で逃げているわけはないだろうね。これはプロの仕業だろう。プロのね」 情報屋は俺に茶を渡して、続けた。 「そういや、アル、さっき連れがいなかったかい? 君ぐらいの男の子の?」 「俺は一人だったよ」 「そうかい? 見間違えかな……?」 ……嫌な野郎だぜ。 「なんだい?」 慌てたように情報屋は笑った。 「なんでもないよ、アル。いいだろう? 「商売が上手くいっているみたいだね」 俺は立ち上がった。 「ごちそーさん。俺、そろそろ行くよ」 「もう行くのかい? ゆっくりしていけばいいのに」 引き止める気なんか、ないくせに。 俺はマキトの方へ歩いていった。もちろん声をかける気はないけどさ、マキトの前まで歩いた時、思いきり横目で睨んだ。ラクダのところで待つどころか、こんな危険な所にノコノコきやがって。 マキトの奴はジュラバで指を隠しながら、一本立てて俺の後ろを指した。───なるほど、ね。 俺は無表情に通り過ぎていった。 俺は頭を整理する。 それに、マキトのおかげで分かったことが一つ。 「だからといって、おとなしくつかまりゃしねえぜ」 俺は口の中だけで呟いた。 ったく、下手な尾行。 俺は尾行をまこうとは思わなかった。 あいつに限って、手頃なところで安全の場所に避難するなんて利口な真似はするはずがない。 いいや。 続いてきた二人のうち、灰色のジュラバを来た男を撃った。男も、銃を抜いて撃ってきた。 ボォーン。 消音器つきでも、狙いは外さない。 「う…あぁあ…」 真っ青な顔をした情報屋は、わけの分かんないことを口走りながら、走っていった。 逃がすもんか! そして、情報屋は口を開けてアゴを震わせながら、頭がいかれてるみたいに土壁にへばりついていた。 「ハッサン、逃げるようだったら撃ち殺せ!」 『ハッサン』は重々しく頷く。 おまけにマキトの奴、情報屋を睨みつけてるからな。 「薄汚い犬め!」 俺は言うだけじゃたりずに、唾を吐きかけた。 「違う!」 大きく、情報屋は首を振った。 「じゃ、なぜ俺を秘密警察に売ったんだ?」 「違う!」 情報屋は叫んだ。 「あれは私の友達だ!」 「嘘つきめ!」 また、俺は唾を吐いた。 「ハッサン、奥に行ってあいつを調べてこい」 言われた通り、『ハッサン』は奥へ行った。 あいつは死体を見ても、平気だろうか。それに、あのヒヨコがちゃんと何を調べればいいのか分かっているかどうかも、大いに疑問だったけど。 拳銃と、秘密警察の身分証を持って。マキトは、身分証を突き出した。 「おまえの友達は秘密警察か?」 「脅されたんだ。報告しないと殺すって」 情報屋は、悲鳴に近い声をふり絞る。必死なのに、どこか白々しい気がする叫びだった。 「金のため、仲間を売った。俺を売った。ただ、それだけだ」 それだけさ。 「水売りは、おまえが売った」 決めつけると、情報屋は狂ったように首を振った。まるで否定さえすれば、それが正しくなるかのように。 「ポケットの中身をだせ」 奴は震える手でズボンをまさぐり、足元に小銭を落とす。 「だせ!」 奴は、おどおどと折った札束を差し出した。 「水売りを売って、いくら儲かった。百か、千か?」 「違う、この金は」 見え透いた言い訳なんざ、まっぴらだ。 「秘密警察も、気前がよくなったな」 これが水売り親子の値。 「俺をつければ、仲間をたどれると思ったのか?」 情報屋は札をつかんだまま、両手を振り回した。みっともないようなうろたえ方だ。さっきの、俺から何かを探ろうとしていた小狡い情報屋は、どこにいったんだろ? 「最後のチャンスだ。水売りはどこにいる?」 「知らない」 引きがねがあっけないほど軽くひけた。 ───知り合いを撃ったのは始めてなのに、感情がなくなったみたいに何も感じない。 「もう一度聞く、水売りは?」 「殺された」 やっぱり死んでいたのか。 こんな時なのに、俺の身体の方はしっかりと情報屋に銃で狙いを突けたまま、微動だにしなかった。 情報屋は俺の持っているモーゼルを見つめながら、にじりさがっていた。少しぐらい離れたって、俺は狙いをはずさないのにさ。 「秘密警察にだな?」 こくんと、かすかに頷く。 「息子もか?」 奴は口びるをなめながら、頷いた。 「おまえが売ったな?」 情報屋は、もう頷かなかった。 「私は情報屋だ。秘密警察だけじゃなく、おまえ達にも情報を売ってきた。ドクター・イブン・ファラビーが暗殺を交わせたのは私のおかげじゃなかったか! 「そして、何十人も仲間を殺した!」 反射的に俺は怒鳴った。 「私はおまえ達の役に立つんだ。私をどうしても殺すなら、ドクターの許可を得てから殺してくれ」 奴は泡を飛ばしながら、必死になって叫んだ。 だけど、今度ばかりはたとえドクターが止めたって、殺す。こいつが水売りを殺したんだ。 「アル! やめろよ!」 不意にマキトが近寄ってきた。 「ヒヨコ。見たくなかったら、出ていっていいんだぜ」 「少なくとも、ドクターの許しを得るべきだよ」 はん! なんて甘いこと言ってんだ。 「そんなヒマないぜ」 俺はせせら笑った。 「助けてみろ、俺達が十歩も歩かないうちに、こいつは秘密警察に駆け込むぜ」 情報屋は、おまえに目星をつけてんだ。 「ヒヨコ、おまえはどちらを選ぶんだ? こいつを助け、サソリにつかまるか。答えろよ」 一瞬、マキトはためらった。確かに、あいつは迷ったんだ。 「人殺しはもうたくさんだよ、アル」 俺は口笛を吹いて、おどけてみせた。 「笑いたければ、たっぷり笑えよ、アル。これがぼくの返事だ」 マキトは、本気だ。 マキトは『人』の命が惜しいんだ。 毎日、ゴミみたいに人が死んでいくのに、どうしてそんなこと思えるんだって、むしろバカにしてた。 「ヒヨコはヒヨコだ!」 ここで情報屋を殺っとかないと、必ず後悔することになるんだ。 「眼をつぶってな」 「アル、君は借りがあるって言ってたね」 静かに、マキトは言った。一瞬、俺にはなんのことか分からなかった。 「借り?」 「そうさ、借りさ」 あれか───! 「まさか、あの借りを返せって言うんじゃないだろうな、おつむのおかしいヒヨコさん」 「返して欲しいのさ、アル」 俺達は敵同士のように睨みあった。 同時に、俺は腹を立てていた。 指先にほんの少し力を入れれば、俺達がファサドにいると知る人間はいなくなる。仕事のためには必要なことなのに。 だけど――ここで情報屋を撃っちまったら、マキトは俺をどう思うんだ? それが、すごく気になった。 今のモローリアの切り札、マキト・モリ。 じゃ、俺は? だけど、マキトは人間だ。 「おまえなんか、くたばっちまえ!」 マキトに対して罵ってから、俺は情報屋に向き直った。 「情報屋、仲間がおまえを見張ってるぜ」 もちろん、ハッタリだけど。俺はモーゼルを動かし、脅しつけた。 「生きてその金を使いたきゃ、用心するこった」 情報屋はうなだれて頷いた。その手からひっきりなしに血が流れ、砂に赤い染みを作っている。 ちょっと手当てすりゃ、またコウモリになって飛びまわれるだろうよ。こいつをほっとくことは、百万の敵を作るのと同じことだよ。 「このぼうやに感謝することだな」 俺は吐き捨てるように捨てゼリフを投げつけた。そして、マキトの持っていた拳銃を乱暴にもぎ取る。 「ヒヨコには似合わないぜ。間違って俺を撃たんとも限らないからな」 あえぎながら、魂を抜かれたように座り込んでいる情報屋を残して、俺達はその場を去り、老人からラクダを受け取った。 俺は前に、マキトはクッションを敷いて後ろに座った。俺が合図をだすとラクダはゆらりゆらりと立ち上がったが、マキトの奴、前屈みになって俺にしがみついた。ラクダの動きに完全に振り回され、いちいち後ろにのけ反ったり、前につんのめったりしてやがる。 「ラクダが一度に立てないぐらい、知らないのか?」 俺はぶつくさ言ったが、今までのように腹は立たなかった。 俺がマキトを、逃がすんじゃない。 俺は、鞭のように手綱を打った。ラクダは走りだし、ファサドの門を駆け抜ける。 家畜囲いの側を通る時、酔っ払いのようにふらついている情報屋を、見た。確かにあいつを生かしておくのは、百万の敵を作るのと同じかもしれない。 けど、その代わり奴を生かしておいといたおかげで、一人、味方ができたんだ……。 |