Act.10 赤チョッキとの戦い 
 

 サハラ砂漠は世界最大の砂漠だって、いつかドクターが言ってた。その時は特に実感が湧かなかったが、今なら納得できる。
 見渡す限り、砂、砂、砂で、うねった砂丘が果てしなく続いていやがる。

 俺達はその砂漠にいた。砂漠特有の乾き切った熱風が吹きつける中で、マキトはやけにはしゃいでいやがる。
 こいつ、なんではしゃげるんだろ?

 俺なんか、もう、先のことが気になってはしゃぐどころじゃないってのにさ。
 とにかく、一刻も早く、遠くへ行かなきゃ。けど、こんなにラクダをとばせば、一日も持たないでつぶれちまう。
 俺は掛け声をかけた。

「ほうほうほう」

 ラクダは早駆けをやめ、歩き出した。
 と、ずっと話しかけてこなかったマキトが、恐る恐る聞いてきた。

「アルジェリアまで、どのくらいかかるの?」

 そんなの、分かるぐらいなら苦労ないってんだ。
 俺はぶっきらぼうに答えた。

「これから地獄を通るんだぜ」

 脅しても、マキトの奴はびくともしなかった。

「じゃ、君は地獄のガイドってわけかい?」

「軽口叩けるのも、今のうちだけだ。『死の海』っていうのが嘘じゃないことを、もうすぐ、嫌というほど味わうさ」

「でも、君は知り尽くしているんだろ?」
 
 心の底からそう信じているのか、マキトの口調は弾んでいる。だが、それを聞いて驚いたのは、俺の方だ。

「知り尽くす?」

 こいつ、俺のこといったいなんだと思ってんだ?
 俺は首を曲げて、無邪気なヒヨコを見た。

「俺は一度ドクターに連れられ、行ったにすぎないんだぜ」

 マキトは口をぽかんと開けた。
 この一撃は、さすがの脳天気なヒヨコにも効いた。俺がここでいきなりサソリに寝返っても、こうは驚かなかったろうな。

「しかも、車でだ。水も食料もたっぷり積んでな、おまけにガイドもついてた」

 俺がとどめを刺すと、マキトはぼうぜんとして呟いた。

「それじゃ」

 あのおしゃべりヒヨコが、言葉に詰まった。相当こたえたらしい。さっきまでの浮かれ気分はどこにいったやら、マキトは絶望しきったような顔で聞いてくる。
 
「どうやってアルジェリアに行くの?」

 ……どうでもいいが、俺はアルジェリアに行くのが不可能だって言ったわけじゃないんだぞ。
 俺は空を指していった。

「星座が地図でもあり、コンパスでもある」

 だけどずいぶん長いこと、星座を道標にしてないもんな。やり方、まだ覚えてるか、不安だよ。井戸までの道なら自信あるが、それから先はお先まっくらときている。

 ところが後ろにいる黄金のヒヨコさんは、それであっさりと復活したらしい。明るい声でまた話しかけてきた。

「ぼくは安心仕切ってるよ、船長さん。君と一緒だからな」

「俺は死ぬほど不安だ! おまえと一緒だからな!」

 ほんっと、こいつみたいに立ち直りの早い奴、見たことないぜ。
 脳天気で、お気楽で、ネアカで、ドアホで、単純で、もう、たまんないよ。俺がぷりぷり腹を立ててると、何を誤解したのか、ためらいにマキトが言った。

「まだ、怒ってるのかい?」

 ……こいつも情報屋のこと、それなりに気にしてたのか。

「あれは俺が決めたんだ。ヒヨコじゃない」


 だから、気にすんなよ。
 それに、そのことでマキトを怒るわけ、ないぜ。そのぐらいだったら、奴を殺してたさ。

「アル、言いづらいけど」

 また、おずおずとマキトが話しかけてきた。ったく、らしくねえな。
 俺は不機嫌に怒鳴った。

「はっきり言えよ!」

「ぼく達、水を持ってないよ」

 そんなことかよ。俺は鼻であしらった。

「もうすぐ、最後の井戸がある。それに迷子にならないかって、心配しなくてもいい」

 俺は風紋に消されかかっているラクダの足跡を指した。

「これが道だ」

「でも、昼間、星は見えないよ」

「女のようにこまごまと気にする奴だな」

 女だったら、さぞうるさい女になってたろうな。
 つい、うるさそうな口調になっちまう。

「井戸からは、昼間寝て、朝と夜に進むんだ。ほかに質問は、ヒヨコさん」

「ないよ」

 それっきり、俺達は黙り込んでラクダに揺られた。






  ようやく井戸が見えてきた。───のはいいけど、あれは……。
 とりあえず、いいニュースから言っとこう。

「井戸だ」

 俺はマキトを肘でこずいた。

「トゥアレグが三人いる。気をつけろ!」

「赤チョッキかい?」

 マキトの声はかすれていた。

「すぐ分かるさ」

「避けるわけにはいかないの?」

 水なしで砂漠を歩けっていうのかよ。

「あれになりたいのか?」

 俺は近くに転がっていた、ラクダの骨をアゴで指した。マキトが身震いしたのが、はっきり伝わった。
 ある程度距離を詰めてから、俺はトゥアレグをしっかり見直して、言った。

「赤チョッキだ」

「引き返すかい?」

 後ろでマキトが腰を浮かした気配がする。飛び下りるつもりかよ。

「やつらは気がついている。すぐに追いつかれる」

「じゃ、道は残されてないわけだね」

 諦めたような口ぶりで、マキトはおとなしく腰を下ろした。俺は素早く頭を働かせた。

「俺が、死の海へ岩塩を取りに行くと言う。おまえはがたつかず、腰を据えてるんだ」

 俺はモーゼルを確かめた。

「もう、腰が抜けてるよ」

 マキトは情けない声を出して、なにやらごそごそ動いた。

「撃ち合いになったら、砂に潜ってろ」

「ああ、もぐらになるよ」

 俺は前を見たまま、低い声で言った。なんせ、相手は赤チョッキ三人だ。

「そして、俺が殺られたら」

 一息入れてから、俺は続けた。

「日本人だと叫ぶんだ。でないと、すぐにおまえも殺される」

 ――みんな、ごめんな。
 でも、俺、どうしてもマキトを殺させたくないんだ。日本人のチビとなりゃ、少なくとも命は助かるもんな。

「君が殺られることはないよ」

 いくぶん強張った声で、マキトが言い切った。
 しかしな、俺、自分の実力は分かっているつもりだぜ。

「かいかぶりすぎだな」

 俺は、冷たい返事を返しながら、頭の中でやつらをごまかせるような話をでっちあげる。嘘でもでたらめでも、連中の気を引ければそれでいい。
 少しでも、時間を稼がなくちゃならない。

 あんなとこで撃ち合いをやったら、マキトまでやられちまう。ゆっくり考えたいところなのに、ラクダの奴、水の匂いをかぎつけて足を早めやがる!
 どんどんトゥアレグに近づいていきやがる。

 やつらは座ったラクダにもたれていた。ライフルを柱に小形テントを作って日陰にゆったりと座っていたが、眼だけはトゥアレグ特有の険しい眼だった。

 俺達が井戸についた時、やつらは立ちもしなかったが、俺はやつらの前に行って挨拶をした。
 くそ、赤チョッキなんかと世間話しなきゃいけないなんて!

 それでも、できる限り愛想よくしゃべり始め、そのついでにマキトに命令した。

「……なんですよ。───おい、おまえ水くんどけ」

 ぺちゃくちゃしゃべっていると、マキトがのたくた水をくみだした。バケツでくもうとしてはいるが、マキトの奴は何回もバケツを井戸に落としたりしていやがる。
 あの、タコッ!

「ずいぶん不器用な小僧だな。あれでもルジバかい?」

「あいつは少し、足りないんだよ。赤んぼ並の頭もないんだから。───この、とんまっ、役立たず!」

 後半はマキトを罵ったんだが、ヒヨコの奴、さんざん苦労してようやく一杯くみ上げた。その途端、ラクダに飲み干されてやんの。

 マキトはラクダの鞍に縄をつけて、ラクダに引かせようとしたが、ラクダは全然マキトの言うことを聞かないばかりか、逆に歯を向いて脅しをかけている。
 完璧になめられているよ。

 もう、言い訳する気もなくなっちまった……。
 やつらも俺も、もう無意味な会話はやめてマキトを見ていた。
 あ〜あ、マキトの奴、ラクダに噛みつかれて、殴り返している。一生懸命やっているだけにおかしくて、つい俺まで大笑いしちまった。

 こんな場合だけど、あいつ、下手な見世物よりもよっぽどおもしろいぜ。
 トゥアレグもおもしろそうに見ているし。

 それでもマキトは下手な舌打ちを繰り返して、ラクダを引っ張ってなんとか水を引き上げた。二つのゲルバと水筒を一杯にすると、ラクダと一緒になってがぶ飲みしている。

 あげくに、ラクダを座らせようとしているけど、どうしてもできない。
 もっと小さな子供だって、あんな無様なラクダの扱いはしやしないだろう。まさか、ここまでひどいなんて思わなかった。
 ………………あいつに水をくませた俺が、バカだった。

 それにしても、トゥアレグのやつらはやけに余裕があるな。俺達のこと、見くびっているのか?
 ――多少、腹が立つけど、まぁいいや。この分じゃ、この場じゃ何もしないだろう。

 俺はラクダのところにいって、チィチィと鳴いて座らせた。さっそくマキトは跳びのった。今度はラクダが立っても驚かず、ちょいとふらついただけだたけど、今更遅すぎだ。

 俺はのんびりラクダを歩かせた。走ったりしたら、後ろからズドンッ!だろうからな。
 俺はアホヒヨコにも小声で注意してやった。

「振り向くな」

「うまくいったね」

 ……んな、嬉しそうに言うなってんだ、アホヒヨコが。

「賭けてもいい、やつらは追ってくるぜ」

「怪しまれたの?」

 ほんっと、マキトって国宝級だぜ。と言っても、さっき大笑いしたからそう強いことも言えないな。

「ラクダのあしらい方を見りゃ、誰だって気づくぜ」

 マキトは一瞬、沈黙した。けど、すぐ言い返してきた。

「じゃ、なぜあそこでつかまえなかったの?」

「俺がやつらの正面にいた。もし俺が拳銃を持っていたら、一人は殺られるって分かってたからさ」

 それにヒヨコさんの『ショー』に見とれてたせいで、一番危険な、離れる時も上手くやれたし。
 とはいえ、こんまま見逃してくれるようなトゥアレグ達じゃない。俺はモーゼルをむき出しにして、奪った拳銃の弾を調べた。

「それに、あいつらは俺達をもてあそぶつもりさ」

「もてあそぶ?」

 マキトはうめいた。

「そうさ。いい気晴らしになる。やつらにとっちゃ、退屈を忘れさす娯楽だよ」

 マキトが振り返ったらしい気配がする。振り向くなっていったのに。

「すぐにきやしない。じっくり楽しんでからだ」

「なんてやつらだ」

 同感だぜ。

「それに」

 頭の中を整理しながら、言ってやった。

「後ろからはきやしない。前からだ」

 今度は、マキトは慌てて腕を伸ばして前を見た。忙しい奴だよ。

「待ち伏せかい?」

「ああ、俺達を追い越してな」

 トゥアレグのいつもの手さ。俺は拳銃を腰に差し、言った。

「ラクダを無傷で欲しけりゃ、寝込みを襲うつもりだろう」

「よく分かるね?」

「何度もやり合っているからな」

 ただし、いつもラアイ達も一緒だったけどな。

「どうするんだい?」

  こっちが聞きたいぐらいだ。───と思ってたのに、ひとりでみたいに言葉が出てきた。

「このままいけば」

 やつらの思うままになっちまう。
 俺はラクダをとめ、地形をうかがった。偶然止めただけなのに、この地形ときたら、お誂え向きじゃないか。

 低い丘のような、いくつもの砂丘が連なっている。ここなら、撃ち合いになっても隠れる場所も、盾もたっぷりある。

「やつらはまず、ラクダを狙う。ラクダが殺られればお手上げさ」

 せっかく時計と引き換えに手に入れたラクダだ、そう簡単に渡せないよ。

「だから、ここでやつらが戻ってくるのを待つんだ」

 俺はラクダを座らせた。

「やつらが気がついた頃は、夜になっている」

 やつらが、うまくこの手に引っかかってくれるといい。
 俺はラクダを降りた。マキトも降りる。ずっと黙っていたマキトは、質問してきた。

「夜になったら?」

「勝てる可能性が、少しある」

 ほんのぽっちりだけどね。それでも、ないよりましか。
 俺はさっさとラクダの腹の辺りに横になった。マキトは、なにか待っているみたいに、ボケッと突っ立って俺を見下ろした。

「寝るんだよ」

 ガンドゥーラで日除けを作りながら、俺はマキトを促した。

「太陽にやられちまうぜ、ヒヨコさん」

 ようやく、マキトはジュラバを脱ぎ、二人はいれるテントを作った。
 これで一安心だ。ほっとしたら喉が乾いたんで、俺はゲルバから水を飲んだ。

  うまい───!
 俺に釣られたのか、マキトもゲルバに手を伸ばしてきた。俺は黙って栓をすると、マキトはきょとんとした顔をした。

「なぁ、ヒヨコ、さっきラクダ顔負けに飲んだじゃないか」

 マキトは俺の顔をじっと見て、訴えた。

「でも、喉が渇いたんだ」

 さっき、あんなに飲んだばかりだろうにさ。俺はゲルバを枕にして、眼をつむった。

「砂漠では、5リットルでも10リットルでも、底無し井戸のように飲める、それで喉の渇きが止まるか?」

 しゃべりながら、俺は枕をしたまま首を振る。

「止まらない。ただ、体力が奪われるだけだ。じきにひどくまいってしまう。死にたくなかったら、そのくらいで我慢するんだな」

 マキトは納得したらしい。
 もう一つのゲルバを動かした音と、寝転んだ音がする。きっと、ヒヨコさんはこのゲルバの枕の真似をしたんだろうな。
 それにしても、頭が冷えて気持ちいいや。

「アル、狙われてるのに、よく平気で眠れるね」

「寝なきゃ、ますます生きるチャンスが減る」

 眼を開けるのもかったるくて、眼を閉じたまま、答えた。
 ひどく、けだるい。
 とにかく夜までは一応安全と見て、ゆっくり眠ろう……。






 日が沈みかけた頃、眼が覚めた。
 起きたい時間に自然に眼が覚めるっていうのは、なかなか便利だけど、このヒヨコを見ていると、そんなことどうでもいいような気がするよ。

 さっき『狙われているのによく平気で眠れるね』と言ったご本人が、グーグー寝てんだもんな。
 こいつの武器は立ち直りの早さと、この図太さだ。

 俺にもこういうところがあれば、ゲリラになんかならなかったかもしれないな。それとも、初めて人を殺した頃、マキトに会っていたら。親父達が殺された頃、ドクターに会ってなかったら――。

「きりがないや」

 どうせ、今更グチャグチャ悩んだって、どうしようもない。どうしたって、やってきたことを変えられるわけない。
 そんなことを考えているより、トゥアレグをやっつける方法でも考えてた方がいい───なんて、すぐ目先のことにこだわるのは、俺の悪い癖かな。

 いつも、目の前にあるものばっかり考えてきたような気がする。
 特に、ドクターにマキトを国外脱出させるように言われてからは、『マキトを国外脱出させること』ばかり考えていた。───いや、考えるようにしてきたんだ。

 だけど、ほかにもっと、考えなきゃいけないことが一杯あったような気がする。

 たとえば、水売りのこととか、ラアイ達とアトラス山中で別れたことや、サソリの家へ忍び込んだこととか、さ。

 でも、のんびり考えてるヒマなんかなかったよ、いつだって。
 言い訳するつもりじゃないが、そんなことばっかり考えてたり、悩んでたりしたら、とっくに殺されてたな。

 だったら、ゲリラなんかに入らなきゃよかったって言われそうだけど、それもどうしようもない。
 どんなことをしても、サソリを殺りたかった。
 どんな手を使っても。

 それをやるには、ゲリラの一員になってテロリストになるのが一番手っ取り早くて、確実な方法だったんだ。どうしようもない。

 ……どちらにせよ、そろそろやつらが引き返してくる頃だ。こちらも、お出迎えの支度をしなくっちゃな。
 やっぱり、目前のことを考えることになっちまうけど、でも、やらなくちゃ俺達はやられちまう。

 俺はマキトを見下ろした。
 せめて、てめえが叫ぶ時間ぐらいは稼いでやるよ。

 身体中に、こういう時にいつも感じる、なんとも言えないような緊張感が張り詰めてきた。まさかそれが伝わったわけじゃないだろうが、マキトが眼を覚ました。

「時間だぜ」

 俺が声をかけると、マキトは跳び起きた。
 もう、陽はさっきより傾き、砂丘は夕日に見事に染まっていた。オレ達は何かにせき立てられるように、ラクダに乗った。

 有利な場所を、とっとかなくっちゃな。
 俺は道から外れて、砂丘の丘をゆっくり進ませ、物色し始めた。

「足跡を消そうか」

 マキトが珍しくお利口なことを囁く。
 しかし、まだまだ甘いぜ。

「やつらに待ち伏せを教えるようなもんだよ」

 俺は謡うように答えた。
 なんか知んないけど、こういう時は妙にワクワクしちまう。ザワつきような恐怖感、青ずっぱい緊張感、わけの分かんない気体がごったになって、ドキドキするんだ。

 そのくせ、頭のどこかは冷静でいる。
 その冷めた部分が、丁度いい場所を通りかかった時、ぴんときた。

「ここにするか」

 呟きながら、辺りに眼を走らす。……よし、OK。
 俺は正面の砂丘にラクダを登らせ、ぐるりと半円を描くように迂回し、通ってきた反対側に戻ってきた。
 そして俺はラクダを座らせ、手綱をマキトに渡す。

「いいか、ラクダを鳴かせるな!」

 マキトは急き込むように頷いた。けど、あいつラクダを鳴かせない方法、知ってんのかよ?
 ちらっと不安になったけど、それをふっきって俺は這うように砂丘を登った。そして頭をちょっと突き出して、向こう側を見下ろす。

 まだ来ていない。
 俺は消音銃をキュッと締め直し、両手でしっかりとモーゼルを握った。それから穴を掘って、顔と腕を残して砂をかぶった。

 これなら、いくら眼のいいトゥアレグでも、そうとう近づくまで分かるまい。動きさえしなきゃ、この暗さでいきなり俺を見破るってこともないだろうし。

 もう、夕日が消え、代わりに月が昇っていた。星も見える。
 やつらが来るまで、どれくらいかかるのかな?
 あのトゥアレグ達に、俺は勝てるのか?

 とか、そんなことばかり頭に浮かぶ。そのくせ、身体は少しも動かないし、眼はやつらの来る方向から離れない。
  俺が疑問を持つのは、こんな時だ。つまり───俺は戦いが好きかどうかってこと。

 確かに、ワクワクする。血が沸き立つみたいに、思う時もある。
 それは否定しない。

 だけど、人を殺した時、ずんぐりしたしこりを感じるのもホントだ。
 アトラスの山の中で七人殺った時は、ワクワクなんかしなかったし、『サソリ』がらみになると、どす黒い気持ちが沸いてくるだけ。

 俺は、俺の気持ちが分からない。分からないから、考えたくないんだ。

 俺はいつもやるように、回りの方へよりいっそう注意を注いだ。
 太鼓のようにカラカラなる音。何かの動物の砂を踏む音。地雷が響く。どこかで、爆発音もする。

 そして、『やつら』のおでましだ。
 ラクダに乗った影は、『二つ』っきりだった。とりあえず、やつらを……。
 俺は騒ぐ胸を押さえながら、やつらが拳銃の射程距離に入るのを待った。

 ボシュッ! ボスッ! バス!……

 俺は上半身だけ起きて、モーゼルを乱射した。
 不意を突かれたやつらは、ラクダごとばったり倒れた。もっとも俺はラクダを中心に狙ったんだから、当たり前だけど。

 と、まるっきり違う方向から、一発、二発、鋭い銃声が響いた。
 残りの一人だ。
 俺はあお向けにずれ、拳銃を構え、腕を突き出し撃ち返した。しばらく銃声が行き交う。

 あいつ、すごい腕だ。
 あっちがライフルってだけで不利なのに、もうすぐ弾が底をつく。こうなったら一か八かだ、罠をかけてやらぁ。
 俺は息を吸い込んで、思いっきり怒鳴った。

「トゥアレグの臆病犬め!」

 そのトゥアレグの間抜けがいきり立ったのを確かめ、俺は砂丘を滑り落ちた。
 これで、奴は追ってくる。

「ラクダに乗れ!」

 俺が怒鳴ると同時に、マキトが鞍にしがみついた。俺は思いきって走ってラクダに跳び乗り、チィチィと舌を鳴らし、ラクダを立たせた。腰を蹴とばすと、ラクダはふっとばされたように走り出した。

 マキトが後ろを振り向いたが、絶望的にうめいた。何を見たのか、よく分かってる。 俺は乱暴に砂丘の影を曲がらせた。マキトが落ちそうになって、しがみつく。

 ダァーン。

 とうとう撃ってきやがった。
 俺は砂丘を遮蔽物に使い、ジクザクに走らせた。その間、マキトはずっと必
死にしがみついていたが、急にラクダを止めたら、あっさり地面に投げ出された。

 転がったままもがいているマキトをほっといて、俺はラクダを跳び降りて、砂丘に走り、伏せた。
 すぐ、奴はやってくる。

 ところが、その前にヒヨコがヨタヨタよろめきながら俺の横までやってきて、転がった。

「すっこんでろ!」

 俺は押し殺した声で、命令した。

「すっこんでるよ」

 マキトはぜいぜい喉をならして、やっと声を出した。さっきの所にいりゃい
いのによ。
 ま、今更言っても始まらない。俺は素早く弾を込め、消音器を外した。

「失敗したの?」

 いきなり失礼なこと聞くなよ。

「やつら、二手に別れていた。ラクダを二頭やった。だが、別れていた一人が残った。そいつと撃ち合った」

 マキトは安心したように、深い溜め息をついた。

「待ち伏せは成功じゃないか」

「トゥアレグを甘く見ないことだな。やつらは一人でも、蛇のように執念深く追ってくる」

「じゃ、早く逃げようよ!」

 マキトが腰をうわつかせた。砂漠で、やつらから逃げきれると思ってんのかよ?
 俺は含み笑った。

「相手はライフルを持ってる。こっちは、弾数も少ない拳銃だ。奴は拳銃の射程外から狙ってくる。こっちは射撃場の的だ。弾避けの呪いでも、知ってんのか?」

 どうやら、そんな呪いを知らないらしいヒヨコさんは、ころっと180度意見を変えた。

「今度もうまくひっかかるかな」

「だから、トゥアレグの臆病犬めと、怒鳴ってやったのさ。奴は二重に誇りを傷つけられ、必ず追ってくるさ」

 砂漠の民は、天上人のように気位が高いんだ。俺みたいなガキに臆病犬と罵られて、黙ってひっこむはずはない。逆上して、砂漠の果てまでも追ってくる。

 小さな影が、砂煙を上げてこちらへ向かってくるのが見える。
 俺は皮肉っぽい笑いを浮かべた。

「ほら、おいでなすった。熱くなって」

 俺はヒヨコを砂に埋めた。もう、ヒヨコにも見えるぐらい近づいてきた。
 月光を背負って、白いラクダに乗って、青いガンドゥーラをなびかせながら、奴はライフルを構え、竜巻のように走ってきた。後ろに40人ほどいれば、アラビアンナイトの盗賊そのままだ。

 なかなかかっこいいじゃないか。
 俺は奴をしっかり見つめていた。隣のマキトも、両手で砂を握り締めながらも、奴から眼を離さない。

「そうそう、その調子だ。もっとこい、もっとこい。熱くなって」

 俺は呪文のように呟きながら、狙いをつけた。もう少し、もうちょいで射程距離に入る。
 が、その前にトゥアレグが突然、発砲してきた!

 パッと、マキトの目の前の砂が弾ける。トゥアレグはもう一度撃とうとしたが、今度はこっちの番だ。
 俺は訓練のように、一発、一発ゆっくり撃った。

 身体は撃った反動に負けないよう、やや乗り出し、引き金は一度に引かず、初め静かに引き金を絞り、次に息を止めて一気に撃つ。

 白ラクダがつんのめって倒れた。トゥアレグは軽業師のように飛び降り、ラクダの影に隠れる。
 だけど、もうあいつには用はない。ラクダがなきゃ、もう追ってこれないもんな。

「ずらかるぜ」

 俺はわめき、二人してうつぶせのまま砂丘をずり落ちた。ぶらついていたラクダに、マキトは生まれながらのラクダ飼いのように上手く乗った。
 だんだん、進歩してきたぜ。

「ホウホウホウ」

 俺は喜びの声を上げながら、モーゼルでラクダをぶったたいた。たちまちラクダは怒って、猛スピードで走り出した。

「イイッホウー」

 俺に負けず、マキトも叫んだ。
 勝ったんだ。
 俺達は、トゥアレグ三人を相手にして、勝ったんだ。俺達はしばらく、ラクダを突っ走らせながら叫び続けていた。                           《続く》

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