Act.13 逆転の時
 

 『その時』は、思っていたよりもずっと早く訪れた。
 さして待つまでもなく、扉がきしみながら開いた。真っ先に拳銃が突き出され、太った大尉が苦しそうに屈んで入ってきた。

 よく、はいれたもんさ。特大サイズと見える軍服でさえ胸までボタンを外し、袖をまくりあげて着てる巨体だっていうのに。

「私がファサド守備隊長だ」

 せかせかと大尉さんはおっしゃったが、俺達が無関心なんで気を悪くしたらしい。
 神経質に拳銃をちらつかせていら。あんな、まるっちい指で撃てるのかよ?

「手間をかけさせないでくれ」

 愚痴っぽく、奴はしゃべった。

「我々はゲリラの人質になっている君を、救ったんだ」

 大尉はよく動く眼で、まっすぐにマキトを見ていた。

「傷ついたラクダで砂漠を迷っている君を、助けたんだ」

 勝手な理屈! マキトも、呆れたような顔をした。
 が、すぐ腹を立てたような表情に変わる。

「あまり私を困らせないでくれ」

 大尉は頼み込むように言った。ったく、ガキ相手に泣き落としかけんなってんだ。それでも俺達が口を閉ざしていると、ついにむくれたように怒鳴った。

「強情を張るだけ、無駄だぞ」

 それから、でぶは扉に向かってわめいた。

「入ってこい」

 入ってきたのは、見知った顔だった。
 ――情報屋だ。
 奴は腕に血の滲んだ包帯を巻き、首から吊っていた。

 ひどく血の気のない顔をしているのは、怪我だけのせいではなさそうだ。
 俺達は初めて出会った人のように、情報屋を見上げた。

「知った面か?」

 大尉はアゴで俺達をしゃくった。眼をそらして、情報屋は頷いた。
 そして、ゆっくり俺を指した。

「アル・アサービア。ゲリラの一員です。しかも、ひどく腕の立つ殺し屋です」

 殺し屋。
 そう言われたショックは緩やかで、堪えるようなものではなかったけど、なにか、ずっしりした後味の悪さだけが残った。

 むしろ、隣にいるマキトの方がよほどショックを受けていた。真っ青になって、瞼をぴくつかせた。

「それに、私の首を懸けたっていい、この子がお求めの日本人の子供です」
 奴の指は、しっかりマキトを指した。

「きたねえ犬め!」

 憎しみを込め、悲鳴に近い声でマキトが叫んだ。マキトの眼には、今まで俺が見たことがないような光が浮かんでいた。
 俺はマキトの腕を押さえた。そうしないと、マキトはそのまま情報屋に飛びかかり兼ねなかった。

「秘密警察が一人、殺されている。軍の保護を求めなきゃ、秘密警察は私を狙う」

 顔を背けて、情報屋は呟いた。それは、大尉へ言っているようにも、俺達に向かって言っている様にも聞こえた。
 大尉は笑った。笑いながら、何度も満足げに、大袈裟に頷く。

「伍長!」

 そう呼ばれて入ってきたのは、ライフルを持て余すような小柄な男だった。袖のすり切れた軍服を着ているとは、貧相な伍長だ。

「この薄汚いゲリラ小僧を連れ出せ」

 大尉は拳銃で俺を指した。
 俺は確かにゲリラだけど、てめえのようなでぶに『薄汚いゲリラ小僧』呼ばわりされる覚えはないんだよ、大尉さん。
 俺は笑いを浮かべ、すごんだ。

「連れ出せるものなら、連れ出してみな。生命がいくらあっても、足りないぜ!」

 身を屈めちょいとすごむと、伍長はたじろいで大尉の顔色をこすからそうに盗み見た。

「悪態はそれだけか?」

 大尉は拳銃の撃鉄を起こし、言った。

 へえ! 撃てるのかよ?

「ファサドを歩くときゃ、背中に気をつけな。こんな風に」

 ペッと大尉の額に唾を命中させ、俺は続けた。

「弾か、ナイフが飛んでくるぜ」

 大尉は怒りに顔を歪め、拳銃を振りかざして足を踏み出した。
 相当トサカにきてら。

「きなよ、大尉さん。おまえは俺と同じで、長く生きられやしないぜ!」

 俺はせせら笑い、身構えて手招きした。
 空気が重苦しく張り詰める。大尉はしばらく棒立ちになっていたが、やがて、俺の眼をまさぐり拳銃を降ろした。
 根性なしめ。

「おまえには、聞きたいことがたくさんあるぞ」

 大尉は押し殺した声を、荒い息と一緒に吐き出した。
 よく言うぜ、臆病犬が。

「伍長、何をしてるんだ、早くこの小僧を連れ出せ!」

 苛立った大尉は、わめきたてた。伍長は引き金に指をかけ、おっかなびっくりと言った調子で、命令してきた。

「おとなしく出るんだ。さもないと、ここでおねんねすることになるぜ!」

 そういうセリフは、逃げ腰をなんとかしてから吐くんだな、伍長さんよ。
 俺は鼻であしらった。

「じゃ、やってみな」

 だてに、情報屋から『ひどく腕の立つ殺し屋』って言われたわけじゃないぜ。
 俺が平然としているのを見て、伍長はちょろちょろ横目で大尉を見た。

「構わん、ぶちのめせ」

 伍長が口びるをなめ、銃床を振りかざした時、すっくとマキトが立ち上がった。

「待って下さい、大尉」

 伍長はびくりとして、動きを止めた。

「ぼくが、マキト・モリです」

 マキトが自分でそう認めた時の、大尉の反応はものすごかった。
 これ以上嬉しいことはないとばかりに喜びでくしゃくしゃの顔になり、溜め息をついた。
 そして拳銃を持ち替え、握手の手を差し出した。

 俺とはずいぶん態度が違うこと。
 だけど、マキトはその手を完全に無視した。

「アル・アサービアに手を出さないでください」

 それを聞いて、大尉の顔色がさっと変わる。
 火でも押しつけられたように、慌てて大尉は手を引っ込めた。

「奴はゲリラだ。それができん」

「では、舌を噛み、自殺しますよ、大尉」

 冷ややかに、マキトはとんでもないことを言い出した!

「脅しにはのらんぞ」

 大尉は息巻いて拳銃を振り回し、胸のボタンを一つ外した。
 でぶめ。
 脅しと本気の区別もつかんで、よく大尉になれたもんだ。

「脅かしじゃありません」

 マキトは胸を張って、大声で言った。

「あなたは、ひどく困った立場になりませんか?」

 ――確かに。
 いつの間にヒヨコの奴、脅しのポイントを覚えたんだよ?

「君にそれができるか?」

 大尉が追い詰められたようにわめきたてているのに比べ、マキトはかなり冷静だった。

「今、やりましょうか?」

 マキトは見せ物のように、舌を突き出した。ふざけた態度とは裏腹に、今のマキトからは驚くほど強い気迫が感じられる。
 マキトと大尉は、噛みつくように睨み合った。
 ――折れたのは、大尉の方だった。

「いいだろう」

 しぶしぶ、といった感じで、大尉が言った。

「しかし、ファサドを出りゃ、知らんぞ!」

 ひどく腹を立てた大尉はせめてもの捨てゼリフを吐くと、身体をよじりながら狭い扉をくぐっていった。伍長も慌てて続き、情報屋はちょっと俺達を見つめ、秘密の合図のようにかすかに首を降ってから出ていった。

 俺達二人だけになると、マキトはさっきまでの迫力は嘘のように無くして、膝を組んで座り込んだ。
 眼は組んだ膝に落としたままで、なにかを後悔しているみたいだった。

「奴のことなら、気にするなよ」

「どうしてさ?」

 マキトの声は、重かった。全然、マキトらしくない。

「なるほど、奴は俺達を売った」

「でなきゃ、今頃、ぼく達はアルジェリアの町についている」

 苦しそうに、マキトが言った。

「だろうな」

 俺は相槌を打ち、続けた。

「けど、覚えておくんだな。とっつかまった俺達のことを、仲間に知らせられる、ただ一人の人間だってな」

「ぼく達の情報を売るとは限らないぜ!」

 息を詰まらせて、マキトが叫んだ。

「大金を見逃す奴じゃないぜ。ドクターは価値のある話には、気前がいいからな」

 けど、何を言っても、今のマキトには気休めにもならなかった。

「慰めてくれるのかい?」

 自棄っぱちにマキトは言い捨て、血が滲むほど自分の拳を噛んだ。

「二枚舌め!」

 ほとんどすすり泣くような声だった。
 らくしないよ。

「今となっては、その二枚舌を頼るんだな。俺達のカードは、もう残っちゃいないぜ」

 『マキトの命』だって、この先はもう通用しない。俺のことなんか、助けなくってもよかったのによ。
 人を脅したり、誰かを憎んだり、そんな真似をさせたくないんだよ。

「おまえは情報屋を殺させなかったことを、後悔してるのか」

 静かに、俺は言った。マキトは黙りこくっていたが、その沈黙が答えになっていた。
 やっぱり、な。
「後悔しないことだな」

 俺はさりげなく、言った。

「それがおまえを捕らえ、俺を殺すことになっても、自分の信念を変えるより、はるかにましなんだ。
 俺達は、男なんだからな。それに、情報屋を殺さなかったのは、前にも言ったように、俺が決めたんだ。悩むことはないぜ」

 マキトはなんて言ったらいいのか分からないような、複雑な表情をして俺を見た。
 ――やめてくれよ。

 だからさ、おまえは、ヒヨコのままでいればいいんだよ。
 お気楽で、明るくて、立ち直りが早くて、敵の命乞いをするような……そんなヒヨコのままでいてくれよ。

「それに、俺は、おまえを見てて羨ましいんだよ。でも、モローリアもいつか、日本のようになるって信じてるんだ」

 淡々と、俺はしゃべった。今の言葉は、今の俺の本音だった。
 マキトが今までよく生きてこられたもんだと、ちょくちょく思ってたけど、モローリアじゃなくて日本なら、きっとそれでいいんだろう。独裁者もゲリラもいない、平和な日本だったら、さ。

「アル、ぼくの生命に代えて、君を殺させないよ」

 マキトは泣きそうになりながら、誓った。

「無理しなさんな、ヒヨコさん」

  ───でもさ。嬉しかったぜ、さっきの言葉。
 覚えていられるもんなら、死んだ後まで忘れたくないぐらいな。本当に、さ。
 微かに、俺は微笑んだ。

「どんなことがあっても、絶対だ」

 もう一度、きっぱりとした口調と半べその顔で、マキトは誓った。マキトの声は、壁に跳ね返った。
 地下室の毒気に当てられたのか、マキトはひどく寒そうだった。






 どのくらい時間が経ったのか分からないけど、突然、扉が開いた。そして、さっきの伍長がキツネのような眼をのぞかせた。

「出るんだ。二人とも」

 俺達は顔を見合わせた。

「早くしろ!」

 伍長が苛立って急きたてるもんで、俺達は扉をくぐった。緊張した兵士達が俺達を取り囲んで、追い立てた。
 いきなり警備が物々しくなりやがったな。
 どうしたのかと思う前に、兵士の一人が言った。

「お待ち兼ねだぜ。ファティマのお偉いさんがわざわざ飛行機でおでましだ。ぼっちゃん達よ」

 なるほどな。
 ファティマからのお客で、兵士達をこれほど緊張させる人物と言うと、あいつしかいない。

 俺達は螺旋階段を登り、小さな中庭を見下ろしながら二階の大きな部屋に行った。
 でぶっちょ大尉が待ち兼ねたように顔を出し、サックから拳銃を引き出した。なんと、服をちゃんと着てるので破けそうだった。

「入れ! しかし、妙な素振りをすると、遠慮なく撃つぞ」

 言葉こそは命令とは言え、まるっきり頼み込むような口調で大尉は訴える。
 情けない奴め。

 とにかくオレ達は部屋に入り、大尉も伍長を連れて続いた。大きな木の机の横に、赤いベレー帽の、背の高い大佐の肩章つきの将校がいた。
 後ろに手を組み、皺一つ無い軍服を着ている。鋭く、だが静かな眼をした男だった。

 大佐は愚かな下男でも見るような眼で、大尉を見た。そして穏やかに、しかし冷ややかに言った。

「拳銃をしまいたまえ、大尉。立派な将校が、子供に怯えてどうするのかね?」

 『立派な』大尉さんは泡を食って拳銃に眼を落とし、隠すようにサックにしまった。

「大尉、私達だけにしてくれないかね?」

 大尉は口ごもった。

「しかし、司令官。一人は子供とはいっても、手に負えない殺し屋です」

 大佐は冷たい眼で大尉を見た。
 途端に大尉は別人のように素早く敬礼すると、伍長を連れて蹴飛ばされたように出ていっちまった。

 大佐は射すくめるような眼を、マキトに向けた。
 こいつ、マキトをどうしようってんだ?
 俺は堅く腕を組み、大佐から眼を放さないように睨みつけるように見たが、大佐はマキトに集中していた。

「君が、マキト・モリだね?」

 ぴんと、マキトは身体を引き締めた。

「はい、マリクシャーフ大佐」

 ふうん。マキトも、やっぱり分かっていたのか。
 しかし、大佐は驚きもしなかった。

「どうして私の名を知っているのかな?」

「勘です」

 マキトの答えを聞いても、大佐はにこりともしなかった。

「いい勘だ。君は一人であのラクダ飼いから逃げ出したのかね?」

 鉄仮面みたいに、感情のない声で大佐は言った。

「ラクダ飼い?」

 けげんそうに、マキトが問い返す。
 だけど、それはとぼけて見せているだけだ。
 
「秘密警察長官と呼ばれている男だ」

 口にしただけで口が曲がると言わんばかりに、大佐が顔を歪める。

「ああ、ファティマのサソリですね」

 マキトはまた、はぐらかすようにとぼけてら。

「とも、呼ばれている」

 そっけなく言った大佐は、とがめるようにマキトを見た。褒め過ぎだと、言わんばかりの態度だな。
 大佐とサソリの中の悪さは知ってたが、これほどだとはな。

「彼が、助けてくれました」

 マキトは俺を見た。
 俺はさっきから腕を組み、大佐を睨んでいるままだった。大佐は初めて、注意深く俺を見た。
 俺は肩をいからせ、視線を跳ね返した。

「いい兵士だ」

 ドクターやミスター・モリと同じようなこと、言うんだな。なんだか、妙な気分だぜ。
 大佐はまた、マキトに眼を戻した

「なぜラクダ飼いは、君をモローリアに残したのかね?」

 無表情な大佐を、マキトは穴が開くほど見つめた。

「それが聞きたくて」

 声を震わせながら、マキトは言った。

「わざわざアルジェリアから、ぼく達を連れ戻したんですか? あなたの軍隊を使って」

 ぴくんと、大佐の眉が動く。

「確かかね?」

 大佐は不気味なほど、静かに言った。だけど、相当気が立ってるマキトは、投げつけるように答えた。

「ぼく達は半円形の石塚から、十キロは進んでいました!」

「半円形の石塚?」

 古い記憶を辿るように呟いた大佐は、急に片頬を歪めた。笑ったつもりらしい。

「ファサドのくず部隊が、初めて大胆な作戦をしでかしたわけか」

 後ろ手を解き、大佐は頬を歪め続け、言った。

「素晴らしい!」

 いったいどういうことなんだよ?
 マキトは大佐の喜びようにとまどっているみたいだし、俺もどうも、な。
 こいつ、なにか、企んでんじゃないだろうな?

「素晴らしい!」

 もう一度、熱を込めて大佐は言った。
 ずいぶん、俺達の脱出が気に入ったみたいだ。

「ラクダ飼いのみならず、この私の裏までかいたわけだ」

 すっかり、一人で盛り上がっているな。

「ドクター・ファラビーの指図かね?」

「違います。彼が決めたのです」

 自慢そうに、マキトが言った。バカ、そんなこと、自慢すんなよな!

「ますます、素晴らしい!」

 大佐は改めて俺を見た。

「素晴らしい将校になれるぞ!」

 誰がなるもんか。

「子供二人に、モローリア秘密警察がしてやられるとはな」

 まるで俺達が発見したての新種のように、大佐は遠慮なく見つめた。まったく、俺達をおだててどうする気だ。

「勲章でも、くれるのかい」

 と言ってやったら、上機嫌の大佐は明るく答えた。

「やってもいい。望むなら、少尉候補生に任命させてもいい」

 誰が!
 俺は大佐の胸に唾を飛ばした。大佐は顔色すら変えなかった。

「ところで、詳しく話してくれないかね? マキト・モリ。
 君のお父さんは、この国にとって掛け替えのない人だ。私なら力になれるだろう」

 さりげなく自信を除かせて、落ち着いて大佐は話した。
 マキトはためらわずに話し出した。が、さすがにミスター・モリとドクターの密会は伏せてたけど。

「ラクダ飼いのやりそうなことだ」

 俺もそう思うぜ。
 と、ヘリコプターの轟音が響いてきた。大佐はこうるさそうに窓の外に眼を
やった。

「ラクダ飼いめ!」

 唾を吐き捨てるような感じの捨てゼリフを残し、大佐は黙ってきびきび、大股で出ていった。後を追う大尉の足音と、慌て声も聞こえた。

「司令官!」

 部屋内は、俺達二人になった。
 机の上には、俺達のポケットの中身がすべて広げてあった。ローマ軍の鉛のつぶて。矢じり。そして、俺のナイフ。

 俺は素早く動いて、ナイフをしまった。
 一瞬、手に冷たい鉄の感じが残る。俺が元の位置に戻るのと同時に、ドアが開き、伍長が入ってきた。
 伍長は歯をむき出しにして、にやついていた。

「禿鷹が、さっそく臭いを嗅ぎつけたぜ」

 俺達はサッと緊張した。
  サソリ───!

「こりゃ、うちの大将と一荒れあるぜ」

 伍長はライフルを俺達に向け、むせび笑った。                                           《続く》

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