Act.14 サソリとの再会 |
親父とお袋が殺された時、俺はきっとサソリを殺ると誓ったんだ。 ヘリコプターの音が止まり、足音もなくサソリが入ってきた。伍長のにやつきはいっぺんに消し飛んだ。 サソリはあの時と同じ、青いベールのトゥアレグ姿だった。 そして、サソリの眼が、じっくりと俺達を品定めするように撫で回した。 「朝の散歩は楽しかったかな?」 優しく、囁くようなサソリの声は、背筋がゾッとするようなものがあった。 「自由を味わいましたよ。自由がこんなに素晴らしいものだって、初めて知りました」 いくぶん気負ったマキトの声さえも、俺にはもう、まるで関係ないものみたいだった。急に世界が遠くに行ってしまったみたいだ。 「それでは、当然、私に感謝してくれるんだろうね」 嫌な声だ。 「肝心なことは」 眼を細めて、サソリは言った。 「君がアルジェリアまで足を伸ばしたことじゃない」 コツ、コツ、つぶてで机の端を叩き始めた。 「今、君がここにいることだ」 「何も、前と変わっていないと言いたいのですか?」 「私にとってはな」 「いいえ」 「ずいぶん、高くついたでしょ 「どうやら」 暗く、首を締めるようにサソリは長く笑った。 「外見だけではなく、中身もモローリア人らしくなったらしい」 「あなたを憎むって点でね」 「この職業にはつきものの、褒め言葉だな」 サソリは平然としていた。 「ファティマに戻ろう。私のヘリが待っている」 サソリは興味を失ったおもちゃを捨てるように、机につぶてをほうりなげた。 「アルも一緒ですね?」 マキトに名前を呼ばれて、俺の中でなにかがカチリと鳴った。 「アル?」 サソリは、俺を見下した。悔しいのに、指一本動かない。 「ここの秘密警察に、歓迎されるだろう」 誰が、サソリの思い通りになるもんか! 「アルと一緒じゃなきゃ、戻りませんよ」 はっきりと、マキトは言い切った。 「ファティマに連れていっても、君の友人の運命は変わらんよ」 聞分けのない子供を諭すように、サソリは言った。 「彼は何度も、ぼくの生命を救ってくれました」 「墓を造ってやれるさ」 「てめえの墓もな!」 俺は叫んだ。 けど、サソリの動きはもっと素早かった。左手で心臓をかばい、同時に右手で拳銃を抜いた。 「撃たないで!」 金切り声で叫んだのは、マキトだった。 かわされたんだ。 銃口は俺を捕らえて、離さなかった。 軽機関銃を腰に構えた、赤チョッキ達が飛び込んできた。サソリは赤チョッキになにかを言ったが、耳に入らなかった。赤チョッキが険しい眼で俺を睨み、銃を向けたのも気にならなかった。 サソリを目の前にして、何もできないなんて! 「なるほど、何度も君を救っただけのことはある」 サハラの夜のように、冷えきった声を聞いた時が限界だった。 「人殺し野郎!」 わめき、サソリに向かって唾を吐き飛ばした。 俺はそのまま身体を九の字に曲げ、しゃがみこんだ。俺は両手で腹を押さえ、やっとの思いでもう一度叫んだ。 「人殺し野郎!」 いきり立つ、銃を構えた赤チョッキから俺を庇ったのは、マキトだった。 「アルの両親は、眼の前であなたに殺されたんです!」 うわ言のように、マキトは叫ぶ。何も言えない俺の代わりのように、サソリへの恨みを口にした。。 「彼の名は、アル・アサービアです」 「アサービア?」 興味なさげに、サソリはつぶやいた。そして、銃をしまい、短剣を抜いた。 「処刑した何百と言う反逆者の名前を、私に覚えろと言うのかね?」 サソリの言葉はとてつもないほど傲慢で、それでいて正しかった。 「まだおつむが冷えんのなら、私がこれの使い方を教えよう」 単調にサソリはいい、マキトの足元に血にまみれた俺のナイフを放った。 「タルギーは子供相手に戦うのかね?」 いつの間にか、大佐がドアを背に立っていた。 「敵を相手にと、言い直してもらおう」 サソリは短剣の切っ先と、切れる眼つきを大佐に向けた。 「私が生きていて、残念かな?」 冗談っぽくサソリは言ったが、微塵の笑いも無かった。 「なぜこの子は、ナイフを持っていたのだろう」 謎を掛けるようにサソリが言うと、赤チョッキはあからさまに大佐に銃口を向けた。 「君の物騒な部下に、この場を外してもらおう」 大佐は落ち着き払っていた。サソリが合図すると、音もなく赤チョッキは消えた。 「この子は私が預かる」 サソリは、競りで、競り落としたように言った。 「マキトは、私の大切なお客だ」 静かに、大佐は言った。 「私の客でもある」 大佐の言葉を打ち消すように、激しく、サソリは言った。サソリは挑むように、大佐の出方を伺った。 「君に渡すつもりはない」 身動ぎもしない大佐に、サソリは低く、不気味に笑った。 「私を敵に回すのかね、マリクシャーフ大佐」 「すでに敵ではなかったかね、アラムート長官」 ためらいもなく大佐は言い返し、二人は相手のスキを伺い睨み合った。 「マリクシャーフ司令官、君を逮捕する」 「どんな理由でかね」 あくまで、大佐は落ち着き払っていた。サソリは刀で造ったような、凄味のある笑いを浮かべた。 「理由は二人で考えよう。じっくり二人で話し合ってな」 「拷問室でかね」 軽蔑しきったように、大佐は言った。 「お望み次第だ」 ナイフをつきつけるようなサソリの声。 突然、鈍い銃声が響き、ドアにぶつかった赤チョッキが銃を抱きかかえたまま、踊るように入り、崩れ落ちた。武装した大尉達が、押し合いながらなだれ込んだ。サソリは跳びずさり拳銃を抜いたが、たちまち銃を全身に突きつけられた。 「逮捕されるのは君だ」 大佐は軽蔑の色さえ隠さなかった。 「マリクシャーフ、この償いは必ずさせてやる!」 「その時間はないだろう」 大佐は情け容赦なかった。それでもサソリは食い下がり、抉るように叫んだ。 「大統領が知ったら…」 「その大統領の命令だ」 どんな言葉だって、サソリにこれ以上ショックをあたえられっこなかったに違いない。 この一言でサソリは完璧にぶちのめされ、ベールよりも青ざめた。口を少し開け、突き飛ばされたようによろめいた。 「信じんぞ! マリクシャーフ、大統領と話したい!」 血を吐くように、サソリが叫んだ。 「無駄だな」 大佐はサソリを哀れむように言い、 「たった今、私が大統領と話し終えたばかりだ」 と、とどめを刺した。 「何を吹き込んだ」 「何も」 大尉は手を振った。皆が引上げ、赤チョッキの倒れた後に血の塊だけが残った。 「君はやり過ぎた、アラムート」 「手を汚しすぎたとでも言いたいのか、マリフシャーク」 ゆっくり、サソリは椅子に座った。 「マキトの件について、モロッコの日本大使館から強烈な抗議がきている。それだけじゃない。ファティマのアメリカ領事館からも同様の抗議が大統領にきた。モロッコの我が大使館には、日本のジャーナリストがピザを求め、押しよせている」 マキトの眼が、パッと輝いた。 「それくらいで、我が大統領がびくついたのかね?」 サソリは再びつぶてを握った。 「つぶてで私と戦うつもりかね、アラムート」 からかうような大佐の言葉に、サソリは寒気の走る笑いで答えた。 「君より私の方が、この使い方を心得ている」 サソリは脅しをかけたが、大佐は岩のように立ったままだった。後ろ手にし、拳銃に手さえかけていなかった。 「我が国は今、瀬戸際に立たされている。外交上、これ以上のトラブルは許されない。それに」 ここで大佐は、一息入れた。まるで、一瞬の沈黙を楽しんでいるみたいにさ。 「マキトの件について、大統領も驚いておられた」 「信じてるのかね、お人好しのマリクシャーフ」 サソリはあざ笑った。 「大統領が子供を人質にとるようでは、我が国もお終いだよ」 「そのお終いがきたのだよ。アブタヒールが大統領の椅子に腰かけていられるのは、君の腰抜け軍隊のおかげじゃない。私の秘密警察の力だ」 サソリは力の源のように、つぶてをもてあそんでいた。 「大統領は君の駒じゃない。君が大統領の駒なんだ」 「その駒の後釜に座るつもりかね、司令官」 尋問するようにゆっくりと、サソリが皮肉った。これには大佐もカチンときたらしい。 「私は軍人だ、君とは違う」 腹立たしそうに大佐が言い返す。 「親愛なる我らが大統領は、私を逮捕せよと言ったのかね。それとも殺せと言ったのかね」 「逮捕だ」 サソリはむせび笑った。 「気をつけることだ、マリクシャーフ大佐。ファティマで逮捕されるのは、君だ。私を殺せと命令しなかった大統領の黒い腹を、君は気づかないほど愚かなのかね」 主導権を握っているように、そしていたぶるように挑戦するサソリに、大佐は氷山のような沈黙をもって答えた。 「今すぐ私を放すことだ。でないとマリクシャーグ、銃殺隊の前に立つのは、私のナイフに誓って君だ」 「答える必要はないだろう」 大佐は顔色を変えず、吐き捨てた。 「それに、私の部下は君の命令をきかんよ」 自信を取り戻したようにサソリは言い、続けた。 「ファサドにも、私に忠誠を誓うトゥアレグ部隊がいる」 「それで?」 大佐は、ひどく素っ気なかった。反して、楽しむようにサソリは言い募った。 「私が逮捕されたと知ったら」 「どうなるのかね?」 冷ややかな大佐の問いに答えるように、続け様の砲声が響き、重い機関銃の咳き込む音が聞こえた。 「これが私の答えだ」 その言葉に、サソリは応えなかった。と言うよりも、耳にも入っていないらしい。食い入るような眼で窓を外を見た後で、サソリは絶叫した。 「マリクシャーフ!」 口びるを震わせ、サソリはつぶてを落とした。銃声の中で、その音は迫撃砲のように断定的に響いた。 「トゥアレグの時代は終わったんだ。そして君も、過去の人間なんだよ」 幕を下ろすように大佐は言い、本当にぴたりと銃声が止んだ。 サソリはいっぺんに年を取ったみたいだった。 だけど、俺は哀れだなんて、思わない。 「君はファティマで、秘密軍事裁判にかけられる」 サソリは無関心に聞き流し、眼を閉じた。口元のベールを上げ、眼だけ残して。 裁判なんかで死刑になったって、ちっとも気が晴れるもんか。 「君にいろいろ詫びなきゃならない。ファティマに戻り次第、君を日本に帰そう」 大佐の声を利いて、オレはマキト達の方にちょっぴり気を向けた。もちろんサソリを睨んだままだが、それでもあいつが大喜びしているのは分かった。 「アルはどうなりますか?」 初めて大佐は深い溜め息をつき、俺を見た。 「釈放するわけにはいかない。しかし、彼のことはファティマで考えよう」 含みのある言い方だな。 「さぁ、ファティマに戻ろう」 大佐はマキトを見て言った。 「司令官、やつらを攻撃中、司令官の飛行機が壊されました」 大尉はひどくうろたえていた。 「警備してなかったのか?」 厳しく、大佐が問い詰める。 「民間トラックが突進してきて、尾翼をぶっとばしたそうです」 低い声でつかえ、つかえ、大尉はますますうろたえて言った。 「アラムートのヘリを使う」 苦々しく大佐が言うと、大尉は真っ赤になり、いっそこの場から消えたいと言わんばかりに身悶えした。 「ヘリのパイロットは」 大佐の二倍の太さの大尉は、かき消えそうな声をだした。 「殺されました」 洪水のような弁解など、誰も聞いてはいなかった。誰の仕業なのか、俺達は四人ともピンときた。 「キツネだよ、キツネの仕業だ」 おもしろくておもしろくてたまらない、と言った感じで、サソリの笑いは止まらなかった。マキトは口笛を吹き出さんばかりに嬉しそうだし、俺も笑いをこらえきれなかった。 城砦で爆発音が聞こえた。大尉は鉄砲玉のように飛び出した。わめき声が行き交い、すぐ大尉は顔だけのぞかせ、うつむいて報告した。 「通信室をやられました」 大佐はやっぱり顔色を変えなかった。ファサドの全兵力を上げて、ファティマまで護衛するように命令しただけだった。 「よすんだな、司令官」 突然、サソリが横槍を入れた。 「それがキツネの狙いだ。キツネは砂漠で待ち構えている。ここで、アトラス 言いたくないけど、当たってら。 「いつから軍人になったんだ、アラムート。君の専門は、尋問ではなかったの それと人殺しと、脅し方の、な。 「ゲリラが攻撃をかければ、この兵力では守り切れない。しかも、市民に多く 「戦争に被害は付き物だ。やつらを盾にするんだ、マリクシャーフ。それ以 サソリは焦れったそうにいい、縛られた両手で机を叩いた。 「マリクシャーフ!」 サソリは命令するように叫んだ。大佐は机に近づき、サソリを見下ろした。 「私と君の違いが、まだ分からんのかね?」 「いいだろう」 激しく、サソリは言った。全然、いいっていう口調じゃない。 「もしファティマに無事につけば、この借りは必ず返すぞ、マリクシャーフ。 大佐の答えは素っ気なかった。 「だとしてもアラムート、私の答えは変わらんよ」 サソリは眼を閉じた。 「君のそのばかげた勇気を、低く見過ぎていたようだ」 「低く見過ぎていたのは、他にもあるようだな」 からかうような大佐の言葉にも、サソリは眼を閉じたままだった。 |