Act.16  復讐の終わり 

「撃ってはいかん!」

 厳しいドクターの命令が、俺を制した。俺は、ドクターを見た。

「俺は、このために生きてきたんです、ドクター!」

 なのに、サソリがいないんだ!
 俺はだだっ子のようにわめいた。たまらなかった。
 とても、たまらなかった。

「それは裁判で決めることだ、アル。我々はアラムートじゃない!」

 だけど、奴はサソリじゃない。俺は両眼をつむった。

「いやだ! いやだ! いやだ!」

 こんなの、嘘だ!
 どうしてこうなっちまったんだよ?
 俺は身体が引き裂かれるように叫んだ。

 どうしてだよ?
 なんで、こんなことになったんだ!?
  ───俺の肩に、小さな手がかけられる。俺は眼を見開いた。

「アル!」

 マキトだった。
 マキトは黙って、銃を突き出した俺の手を下げた。それを見た瞬間、何かがぶち切れた。

「おまえになんか、分かるもんか!」

 俺はマキトに殴りかかった。
 みんな、みんな、こいつのせいじゃないか。サソリが変わっちまったのも、俺が変わっちまったのも!

 俺はめちゃくちゃマキトを殴った。
 涙がポロポロ出てくる。
 マキトが殴られるままで、抵抗一つしないのが、辛かった。それでもマキトを殴るよりほかないのが、なによりも辛かった。

 マキトの口びるは切れ、鼻血が流れ出た。ようやく俺は、ドクターに引き離された。

「いいんです、ドクター」

 マキトの言葉に、ドクターは首を振った。
「アルの闘いは終わったんだ。アルは新しい世界を覚えなきゃならない。それが、アルに相応しい闘いの始まりなんだ」

 ドクターは俺から拳銃を取り上げた。
  最後の判決を下された俺は、いっそう声をあげ、むせび泣いた。───サソリが、ゆっくりと立ち上がった。

「ドクター・イブン・ファラビー、モローリアのキツネ。秘密警察本部で会いたかった」

 低い声で、サソリが言った。

「私は今会えて、満足している」

 今まで見たことがないほど険しい顔をしたドクターは、パイプに火をつけた。
「私の失敗は」

 サソリは大佐を指差した。
「このすまし屋を、早く始末しなかったことだ。モローリアでは、失敗は死とつながる充分な理由だ」

「私も同じことを考えていたよ、アラムート」

 刃を返すように、大佐が切り返した。

「私の部下は、君に聞きたいことがあるそうだ」

 ドクターはサソリを真正面から、見た。サソリは甲高い笑い声を上げた。

「ファラビー。私は何もしゃべらんよ」

「しゃべらせ方を、君が教えたんじゃなかったのかね?」

 ドクターはサソリを見つめながら、悲しそうに言った。

「試すんだな」

 挑むような口調のサソリ。
 トゥアレグの猛々しい誇りが、漂ってくる。だけど、俺には分かっていた。
あれは、ロウソクが最後に勢いよく燃えるのと、同じことなんだと。

 トゥアレグが滅びゆく民族だと言ったのは、マキトだっけ?
 俺は笑い続けるサソリを、ドクターの部下が取り囲み、連れていくのを見た。
 サソリは自信に満ちた声で笑い続けていた。

 だけど……今なら賛成するぜ、マキト。
 トゥアレグは確かに滅びゆく民族だ。認めるよ。
 大尉達が集められ、ゲリラのトラックが次々と到着し始めたが、もうそんなのに用はない。

 俺は少し離れた所にしゃがみ、砂を見つめた。
 この砂のどこかに、俺の、サソリへの殺意のこもったモーゼルがある。あれを手にいれて以来、夜、うなされた時はよくモーゼルを握り締めて眠った。

 いつかサソリを殺ってやる、殺ってやると思いつめて、さ。
  ───あんな思いは、もうしたくないよ。

 サソリの拷問を受けた時、俺は心底怖かった。鞭の痛みより、怖さが勝っていた。今思えば、我慢できないほどのものじゃなかったのに、俺が泣き叫んだせいで、親父とお袋は殺された。

 俺のせいで、俺が親父達を殺したんだと思うと、やりきれなかった。
 だけど、俺は何かを責めずにはいられないぐらい、追い詰められていた。追い詰めるのも俺で、追い詰められるのも俺だなんてのは、もうどん底だよ。

 やり場のなくなった気持ちは、サソリを憎む気持ちへと変わったんだ。
 マキトを殴った時、行き場のなくなっちまった俺の気持ちが、とんでもない方向に八つ当たりしてしまったように。

 俺の考え方が間違っているのかもしれない。だけど、そうしなくっちゃ、どうにも気が治まらなかった。
 俺は、風に少しずつ吹き飛ばされる砂つぶを、今一度しっかり見た。
  ───今までいろんなことしてきたけど、命を引き換えにしてもいいと思った仕事は、サソリの暗殺とマキトの脱出だけだ。二つとも正反対な仕事なのに、どこかに共通点があるみたいに思える。

 ま、それを今さら蒸し返す気はないけどさ。
 サソリは掴まったし、マキトはドクターの所に着いた。そして、サソリを殺すと誓ったモーゼルはサハラに埋もれた。
 俺が気づかない内に、マキトがサハラにモーゼルを埋めた。

『サハラはトゥアレグの故郷だ。サハラが滅びない限り、トゥアレグも滅びない』

 と、言ったのは、俺。
 さっき、トゥアレグが滅びるゆくことを認めたんだから、これも変えなきゃいけないな。

 トゥアレグが滅びたなら、サハラもいつかは、滅びる。跡形もなく、消え去る。
 いつか、そんな日がくるんだろうか……。






 マキトが、俺の隣に座った。
 俺は、いつの間にか俺が泣き止んでいるのに気づいた。けど、いつ泣き止んだかはまるっきり覚えていなかったんだ。どのぐらい時間が経ったのか分からないけど、それほど時間は経ってないみたいだ。

「痛むか?」

 俺はつぶやいた。

「痛いな」

「殴り返せよ、好きなだけ」

「貸しとくよ」

 マキトは俺の肩を、ポンと叩いた。
 一瞬だけど、暖かい手だった。………のはいいんだけど、あいつに借りを作っとくと、とんでもない時に返せって言われそうで怖いな。

 腹の中で苦笑したら、辺りに気を配る余裕が出てきた。大佐は、ゲリラのロケット砲、無反動銃、大砲などを注意深く見ていた。
 そして、質問した。

「アルジェリアの援助を受けたのかね?」

「石油が出れば返す約束でね」

 タバコの煙に包まれながら、ドクターは言った。

「私にはどうやら、詐欺師の天分があるらしい」

 ありあまってるよ。
 大佐は、頬を歪めた。

「それに」

 ドクターはマキトの頭に手を置いた。

「この勇敢な子が鍵だった」

 どうもその形容詞には疑問が残るな。
 当のヒヨコは、ひどく満足そうににやついてるけど。ドクターは、マキトの頭を金の鶏のように撫で回した。

「この子を独裁者の手から取り戻せたことで、あちらさんはモローリア石油開発の行方を決めたんだ。援助する価値があるってね。つまり、モローリアの明日のサイコロの目は、この子次第だったということになる」

 ………呆れた。
 腹の底から呆れ返って、泣いちまいそうですよ!
 ドクターは大勝ちした賭博師のように高笑った。きっと、その手の才能もありあまってんだ。

「しかも君が主力をアトラスに送ったので、楽に戻ってこれたよ」

 涼しい顔でドクターが付け加える。……もう、言葉もないですよっ。

「大統領の命令だった」

 忌ま忌ましげに大佐がつぶやき、続けた。

「しかし、アトラスに展開している私の部隊を破れる兵力じゃない」

「だが、君はここにいる」

 ドクターは大佐と向かい合った。
 大佐は革ケースからタバコを取り出し、火をつけた。

「アトラスにいる指揮官は優秀だよ」

「君ほどじゃない。私は以前から、一度君と話し合いたかったんだ。マリクシ
ャーフ大佐」

「私は捕虜だよ」

 大佐は捕虜に似つかわしくない態度で、堂々と後ろで腕を組んだ。

「君は忌まわしい政府の中で、腐っていないただ一人の軍人だ。なぜ、あんな独裁者に忠誠を尽くすのか、一度尋ねてみたかったんだよ」

 ドクターの言葉に、大佐はドクターを見返した。

「大統領の命令には逆らえんのだ。軍人が上官の命令に背けば、軍は成り立た
ない」

「良心に恥じてもかね」

 ドクターは大佐に迫った。

「法律か良心か。私は政治家じゃない」

「私は軍人じゃない。今からでも遅くない。マリクシャーフ。モローリアの将来を考えてみようじゃないか」

「君と手を握れと言うのかね?」

 ドクターはくわえたパイプを、大佐の鼻先に短剣のように突き付け、言った。

「まさにその通りだ。アトラスの君の部隊と、我々がファティマに迫れば」

 大統領なんか、ひとたまりもないだろうな。
 だけど、大佐は黙って葉巻を吹かすだけだった。ドクターは諦めずに話し続けた。

「十分と持たんよ。あるいは、君がアトラスの軍を動かさないでいてくれたら、我々だけでも充分勝てる。
 君の義務は、良心に忠実になることじゃないかね。新政府にも、優れた軍人は必要だ。

 もし、君が拒否しても流れは変わらんさ。
 時間はかかるが、我々が勝つ。君のジープはあそこで待っているぞ、水も、食料も、燃料も積み、おまけに運転手つきでね」

 ドクターは手でジープを指し示した。
 まるで初めて見るように、大佐はジープを見つめ、そのあげく言った。

「私を信じるのかね、ドクター・イブン・ファラビー。アトラスについたら、君を攻撃するかもしれない」

 大佐はドクターの眼を除き返した。

「君は知らないのかね、政治家には詐欺師と賭博師の天分が必要なんだ」

 茶目っけに溢れたドクターの返事。
 大佐は、頬を歪ませた。そして、葉巻をくわえたまま、ジープへ向かった。胸を張り、大股で、力と自信に満ちて。
 後も振り返らず、大佐は歩いていった。
 まるで凱旋将軍のように、堂々とした歩きっぷりだった。

                                   《続く》

 

エピローグに続く→ 
15に戻る
目次に戻る
小説道場に戻る

inserted by FC2 system