壱章 襲撃! 怪盗ウー・ロン |
ジリリリリリリ――ッ!! 5時になったと思った途端、けたたましい警報音が鳴り響く。やっぱり間に合わなかったかと、唇を噛みしめながらおいらはそれでも走る速度を上げた。 だが、おいらが展示室に飛び込もうとする寸前に、ガラスの割れる音が大きく響いた。そして、部屋に入った瞬間に強い風に煽られる。 「うっぷっ」 風に舞った髪が顔に絡みつくのを、軽く払いのける。だが、本来ならこんなことはありえない。なにせ、ここは地上15階だ。高層ビルの常として、ガラス製の大窓は開けられない仕組みになっている。風など、吹くはずがない。 しかし、実際に楼蘭玉の部屋には強い風が吹き込んでいた。 その代わりと言ってはなんだが、ケースの中には一枚のカードが置いてあった。 『楼蘭玉はありがたくちょうだいした。手も足もでまい。わっはっはは。 ウー・ロン』 へたくそな字で書かれたカードの隅には、やはりこれもへたくそな1・5リットルのペットボトルのイラストが。一瞬、何が書かれているのか分からなかったけど、よくよく見るとそれは烏龍茶を意味しているらしい。 ……くだらないシャレにも程がある。 「あーあ、盗まれちゃったみたいだね」 と、軽い口調で声をかけられ、おいらはギョッとして振り向いた。見れば、そこには鷹虎がいた。 「な、なんでついてきたんだよ!? 危ないだろ!!」 「だって、おもしろそうだし」 などと、ケロリとした顔で言ってのける鷹虎には、なんの緊張感もありはしない。さっきキョンシー展を物珍しそうに見ていたのと同じ目で、荒らされた室内を見物している。 「それにしても、窓が割れているけど泥棒はあそこから逃げたのかな?」 「バカな!」 即座に、おいらは否定する。 「15階だぞ、飛び降りられるような距離じゃない!」 「えー、でも、相手はキョンシー使いなんだろ? そんぐらい、できるんじゃない?」 ええい、キョンシー使いをなんだと思っているんだ、こいつはっ!? 「できるわけあるかっ!! いいか、キョンシー使いってのはキョンシーを操るのが本業なんだよ、こんな高い場所から飛び降りて無事でいられるわきゃあないだろ!」 霊幻道士として確信を持ってそう宣言すると、鷹虎はなぜかがっかりとした顔を見せる。 「なぁんだ、じゃ、君もここからは飛び降りられないのか」 「誰が、そんな無謀なことを! だいたいこんな所から飛び降りて、生きていられるわけないだろ!!」 「それもそっか。じゃあ……追い詰められたと思って、自殺したとか?」 ケロリとした顔のまま、物騒なことを言っている鷹虎に呆れつつ、おいらは自分に言い聞かせるように言った。 「そんなはずはないだろ。何か、周到な準備をしておいたんじゃないのかな」 そう言いながら、おいらはガラスの破片に気をつけつつ、窓から顔をつきだして見下ろした。当然のことながら、ウー・ロンらしき姿は見えなかった。もちろん地上に誰かが倒れているとか、そんなこともない。 となると――奴は、まだこの部屋にいるのだろうか? それと全く同時に、鋭い蹴り足が空を切るのが見えた。もし、ほんの一瞬でもおいらが身を躱すのが遅れていたのなら、あの蹴りはまともにおいらにあたっていただろう。 そうなっていれば、窓から落とされたに違いない。 「ウー・ロンかっ!?」 が、そいつを一目見て、おいらは一瞬言葉を失ってしまった。 そりゃあ、怪盗ウー・ロンが派手好きだとは噂には聞いていたけど、これは派手以前の問題だろ。こんな格好で真っ昼間から動くだなんて目立つことこの上ないのに、いったいどういう神経してるんだ? だが、それ以上に驚いたのは、そいつの小柄さだった。 「……気づかなければ、よかったのによ!」 うわ、結構口が悪いな、こいつ。 「イン・フーッ、離れてろよっ!!」 鷹虎に向かってそう叫び、おいらは腕でその蹴りを一旦受け止めると見せかけて、そのまま受け流す。だが、それでさえ腕に痺れるような衝撃があった。 ウー・ロンらしき少年は、凄まじいクンフー使いだった。 顔面を襲ってきた拳を手のひらで受け止めた時、おいらの腹には奴の膝がめり込んでいた。 「うぐっ!」 容赦のない蹴りに、おいらは腹を押さえて身体を二つに折り曲げる。その際、よろめいたおいらは危うくガラスの窓に倒れ込みそうになった。破片が鋭くきらめく割れたガラスは、凶器に等しい。 「うっ、うわっ!?」 破片を避けようとつんのめったおいらは、結果的にバランスを崩してしまった。 「あっ、危ないよ〜?」 「間抜けがっ! 地獄に落ちなっ!!」 緊迫感の欠片もない鷹虎の声と、憎たらしい少年の声が聞こえてきたが、もうどうすることもできない。 「ぎょぇええええ――――ッ!!」 自分の喉から、とてつもなくみっともない悲鳴が勝手に流れ出る。ビルの窓が、凄まじい速度で上から下へと流れていくのが見えた。 流れゆく景色に、頭の血が沸騰寸前に沸き立つのを感じながら、おいらはそれでも意識の片隅で必死に考えていた。 何とか、落ちずに済む方法はないのか!? あれにつかまることが出来れば、助かる! そう思った瞬間から、おいらはポールだけに意識を集中させた。チャンスはほんの一瞬……、あのポールの側を落下する時が勝負だ。あの鉄棒を掴み取って落下を防ぐ……それしかない! 空中ブランコの向こうを張るようなようなギリギリの離れ業だが、やらなければ死んでしまうんだ、迷っている時間なんかない。 凄まじい速度で近づいてくる様に見えるポールに向かって、おいらは必死になって手を伸ばした。まずいことに、場所が少しばかりズレている。おいらは恥も外聞もなく手足をばたばた動かし、少しでもポールに近づこうともがいた。 その甲斐あってか、なんとかおいらの手はポップの先端の球部分を捕らえる。冷たい感触の球を、おいらは無我夢中で握りこんだ。 「うぅうっ!?」 途端に、身体に強い衝撃が走る。 その時にはもう、手のひらは火傷しそうなほど熱く感じられたが、今はそんなのに構っている場合じゃない。手の皮の一枚や二枚で済んだのなら、御の字だ。 「ふ、ぅううう〜」 し、死ぬかと思った。マジで寿命が縮んだぞ、これっ。 何とか命は拾ったとは言え、おいらは別に安全になったわけなんかじゃなかった。このポールは、よくよく見れば三階と四階の間に飾られていた代物だったようだ。 先程の15階の即死確実の高さに比べればまだマシとは言え、このぐらいの高さと言うのも、それはそれで怖い。しかも、おいらは右手一本に全体重を預けてポールの先端部分に捕まっている状態だ。まだ、到底命拾いしたと言える状態じゃない。 蓑虫のように風に吹かれつつ、おいらは周囲を見回した。 「おーいっ、大丈夫か〜いっ。すごいね、まるでアクション映画みたいだったよ、今の!」 気が抜けるような緊迫感のない声は、鷹虎のものだ。 「それより、ウー・ロンはどうした!?」 「ああ、あの赤マントなら――」 そう言いかけた鷹虎の言葉をよく聞こうと、つい上を見上げてしまったのが悪かった。 そのせいで身体のバランスが狂ったのか、あれ程しっかりと掴んでいた球が、つるっと手の中から滑ってしまう。あっと思う間もなく、おいらは再び落下していた。 「うぁあああっ!?」 その際、おいらが感じたのは恐怖以上に怒りの感情だった。 「く、くそぉおっ」 吠え、おいらは咄嗟に空中で回転する。その際、身体から脱力させ、足をしたにするように心がけるのを忘れない。 イメージは、猫。 事実、おいらの足はしっかりと地面を捕らえる。 全身をバネにして柔らかく着地したつもりだったが、固いアスファルトが思わぬ打撃を与えてくれた。足から頭に突き抜けるように、電気にも似た凄まじい痛みが走る。 「うぬぬぬぬっ!!」 思わず涙が滲む痛みに耐えつつ、おいらは自分の足下を見やる。てっきり、足首までアルファルルトにめり込んだかと思うような衝撃だったが、実際にはなんともなっていなかった。 恐る恐る触れてみるものの、痛いことは痛いとは言え何の異常もない。足首を曲げ足り、擦ったりして骨に異常がないことを確かめると、おいらは再び上を見上げた。 しかし、ここからでは割れた窓ガラスさえ確認はできない。ましてや、その中にいたはずのウー・ロンや鷹虎の姿など、うかがい知ることも出来ない。 「き、君、大丈夫かい?」 「き、救急車、呼んだ方がいいかな?」 通りすがりの人間か、あるいはこのデパートのお客さんかは分からないが、何人かが親切にもそう声をかけてきてくれたが、悪いけどそんなのはほとんど耳に入らなかった。 おいらの脳裏に浮かぶのは、ウー・ロンにしてやられたということばかりだった。 あんな、間の抜けた予告状を出す怪盗なんかにむざむざとやられてしまうだんて……! それに、鷹虎のことも気にかかる。怪盗ウー・ロンが人殺しをしたなんて話は聞いたことはないが、奴は紛れもなく犯罪者だ。いざとなったら、人を傷つけてもなんの不思議もない。 あの緊迫感のかけらもない日本人が被害に遭うかも知れないと思うと、とても放ってはおけなかった。 「くっそーっ!」 おいらは足の痛みをぶったたいて誤魔化すと、デパートに改めて飛び込んだ――。 《続く》 |