弐章 ウー・ロンの正体
 

 

 よたよたの足を励ましつつ、おいらはさすがに階段を駆け上がる程の元気もなく、エレベーターへと辿り着いた。
 だが、そこでふと、手が止まってしまう。

 おいらはいったい、どこを目指せばいいんだ?
 ウー・ロンを追うべきか? それとも催事場に戻って、鷹虎の無事を確かめるべきか? 

 迷うおいらの目の前で、降りてきたエレベーターの扉が開かれる。と、その中から出てきたのは、なんと、鷹虎だった!

「やぁ、すごいね。キョンシー使いって、やっぱり15階から飛び降りても平気なもんなんだね」

 などと、暢気にも程があることを言ったりしてやがりますがっ!?
 平気なわけないだろと心の底から叫びたかったが、おいらは取りあえず真っ先に聞くべきことを聞いた。

「ウー・ロンはっ!? 奴は、どうしたっ!?」

「ああ、あいつなら逃げちゃった」

 あっさりとした鷹虎の答えに、特に怒りは感じなかった。むしろ、どっちかと言えばホッとしたぐらいだ。

 あいつは、恐ろしい程の腕前のクンフー使いだ。とても素人にどうこうできる相手なんかじゃない。と言うよりも、鷹虎が無事にあの場から助かったのが、不思議なぐらいだ。

「それにしても、よく無事だったな」

「というか、こっちが逃がしてもらったっていうべきなのかな?
 てっきり、おれも突き落とされるかと思ったんだけどさ。あいつ、言ったんだ。
 あの霊幻道士を助けにいくなら、見逃してやってもいいって」

 だから、エレベーターで下に降りてきたんだと言う鷹虎の言葉に、おいらはちょっと驚いた。

 怪盗ウー・ロンは意外と紳士的というか、親切な一面があるらしい。まあ、おいらを突き落としてくれたのも、あいつだけどさ。
 しかし、それはそれとして、あいつは泥棒だ、見逃すわけにはいかない!!

「それじゃ……あいつは、まだ逃げてなかったんだな?」

「うん、少なくともおれがエレベーターに乗った時まではね。どうする、催事場に戻る?」

 その問いかけに、おいらは素早く頭を巡らせてから、首を横に振った。

「いや……行くなら、屋上だ!」

 それは、賭けだった。
 ウー・ロンがどこに行ったのか、突き落とされたおいらに分かるわけがない。だが、奴は逃げもせずに鷹虎を下へと誘導した……ならば、奴の狙いは上にあるんじゃないだろうか。

 敵の目を、本来の逃走経路とは正反対の方向へ向かせるために。
 エレベーターに飛び込んで、屋上と開閉ボタンを同時に押したが、扉が閉まりきる前に鷹虎も一緒に乗り込んできた。危ないからよせと言う暇も無い早業だった。

「なんでついてくるんだよっ!?」

「や、なんとなく」

 暢気に笑う顔に呆れたが、今更どこかに止めてこいつを下ろす時間も惜しい。おいらは文句を言うのを諦めて、せめてもの情報収集をすることにした。

「このデパートの屋上はどうなっている!?」

 エレベーターの昇る速度をもどかしく思いながら、おいらは鷹虎に問いかける。

「えっと、屋上なら、一般開放された休憩所になっているよ。子供向けのちょっとした乗り物とか、自動販売機とかがある程度だけどね」

 その説明が終わるか終わらないかのうちに、エレベーターは最上階である屋上へと着いた。

 そこは鷹虎の言う通り、このデパートに訪れた客達がくつろぐ休憩所だった。主に小さな子を連れた子供連れなどが、子供を乗り物に乗せたり、あるいはベンチでくつろいだりしている。 
 そんなアットホームな雰囲気の漂う屋上を一瞥して、おいらは目をむいた。

「……っ!?」

 よりによって屋上の中央、一番目立つような場所に、奴はいた。相変わらず黒のタキシード姿に、赤いマントを羽織ったド派手な姿のままで。
 何かを待つように空を見上げているそいつは、周囲には見向きもしない。

 周囲から浮きまくりのその格好のせいで、回りの客達が遠巻きとは言え注目しまくっているというのに、全く気にならないようだ。

 その視線を辿るように上空を見上げると、巨大な気球がこのデパートの屋上に近づいてくるのが見えた。そして、その気球からするするとロープが下りてくるのが見える。 

「くそっ、あれで逃げるつもりなのか……っ」

 ウー・ロンと思しき少年はじっと立ったまま、ロープに注目していた。あれが手の届く範囲まで降りてくるのを待っているのだろう。
 このまま逃がしてたまるものか。

 幸いにも、今なら奴はロープ以外、眼中にない。おいらは奴に気づかれないように、足音を消して背後へとこっそりと忍び寄る。

 そして、ロープを取ろうとしていた奴の腕を素早く掴む。そのまま一気に羽交い締めにする――予定だったのだが、おいらは思わず驚きの声を上げていた。

「おりょっ?」

 異様に細い身体付きは、妙に柔らかい。まるで女の子みたいだと思った途端、なんだか慌ててしまっておいらは一瞬手を緩めてしまった。
 と、次の瞬間、強烈な痛みが脇腹を襲う!

「なにしやがる!!」

 その声を聞くと同時に、おいらは後ろへと飛び退いた。その後で、肘鉄を喰らったのだと気がつく。

 く、くぅう〜、今のは効いたっ。
 油断したのが悪かったとは言え、まともに食らってしまった。ごほっと席を一つ吐き出しながら、おいらはウー・ロンへと向き直る。だけど、そいつと真正面から向き合って、再び驚かされた。

 さっきのもみ合いの弾みで、ふざけた蝶マスクがとれたウー・ロンは、素顔をさらけ出していた。
 予想以上に端正な顔だった。
 女と見まごうような美少年だが、その目つきも口も極めつきに悪かった。

「てめえ……悪運の強い野郎だな、まだ生きていやがったのかよ!? はんっ、とっくにくたばったかと思っていたぜ!!」

 顔の良さを帳消しにするその悪態に、おいらもムカッとして言い返す。

「うるせーっ、そっちこそよくもおいらを突き落としてくれたなっ!! このえーかっこしーがっ! 楼蘭玉を返せ!!」

「返せと言われて、返すバカがいるかっ!?」

 そう叫ぶなり、ウー・ロンはいきなりおいらに向かって攻撃を仕掛けてきた。

「シュッ、シュッ……ッ」

 奴は呼吸音に似た鋭い音を発しながら、凄まじい速度の連続攻撃を繰り出してきた。

 拳、掌底(チョップ)、肘、つま先、膝――左右のあらゆる攻撃を、予想だにしないコンビネーションで続けざまに繰り出してくる。一つ一つの攻撃はバラバラのようであり、しかし、全てが流れるように繋がっているようにも感じられる。

 それらの攻撃に、おいらは必死で食らいつく。
 一つ一つの攻撃を見切って、それぞれの攻撃に的確に対応し、受け止める。
 こっちからも攻撃を繰り出して奴の攻撃を逸らし、逆にこっちから攻撃を仕掛けることで相手の攻撃のリズムを崩そうと試みる。

「ふっ、なかなかやるな! ただの見習い霊幻道士かと思っていたが」

 奴は口元に笑いを浮かべ、言った。

「うるせぇっ! 見習いで悪かったなぁ!!」

 負けずに言い返したものの、おいらは息が上がりそうになるのを抑えるのがやっとだった。

 実際、おいらは内心焦りを感じていた。
 中国で受けてきた霊幻道士の修行には、もちろんクンフーの修行も入っている。心身共に鍛錬しなければ、立派な霊幻道士にはなれないからだ。

 その修行の成績は、自分で言うのも何だがかなりいいつもりだった。クンフーにかけては兄弟子よりも上だったし、師匠だって、おいらは霊力は低いけどクンフーには見所があるって言ってくれたし。……いや、それは霊幻道士としてはどうよって感じだけど。

 まあ、それはともかくとして、ちょっとやそっとのクンフー屋には勝つ自信だってある。
 しかし、ウー・ロンの攻撃は、おいらが今まで体験したことのない鋭さを持っていた。

「ふっ、息があがってるぜ」

 奴の整った顔に、嘲るような笑みが浮かぶ。
 そして、ウー・ロンはさらに速度を上げた攻撃を仕掛けてきた。

「ううっ!?」

 咄嗟に手を交差して受け止めたものの、その一撃はさっきまでよりも重かった。足を踏ん張ってなんとか耐えたものの、そのせいで身体の動きが一瞬とは言え完全に止まる。

 と、そこを狙い澄ましたように奴が追撃をしかけてくる。
 今度は、さっきまでのようにうまくその攻撃を裁ききれなかった。一撃、一撃の重さに、何よりも早さについて行けず、どうしても後手に回ってしまう。いつの間にか、おいらは何とか避けるだけで精一杯になっていた。

「おら、どうした、どうした!!」

 ウー・ロンの攻撃が、さらに激しくなった。
 今までの攻撃でさえ凄まじいのに、まだ全力を出し切っていたわけではなかったのか!?
 とうとう避けきれずに、奴の掌底の一撃がおいらの肩に打ち込まれる。

「う、うわぁあっ!?」

 途端に襲う突き抜けるような痛みに、おいらは思わず悲鳴を上げていた。
 とても耐えきれず、そのまま吹っ飛ばされたおいらはその場にぶっ倒れて背中を強く打った。

 普通じゃ考えられない痛烈さ――あ、そうか!
 さっき、ビルから落ちた時、無理矢理ポールを掴んだ時に肩を痛めていたんだ。よりによって、そこを叩かれるとは、なんたる不運……!

 今までは気がついていなかった負荷が倍増して襲いかかってきて、おいらは呻かずにはいられない。

 そんなおいらの目の前で、ウー・ロンはやけに優雅な気取った仕草で中国風の礼の姿勢を取ってみせる。悔しいが、その格好は歯ぎしりしたくなるぐらいに決まっていた。

「ふっ。おまえじゃ、オレには勝てねえぜ!」

 何とか起き上がったおいらに、ウー・ロンは見下すような視線を向けてくる。負けじと奴を睨み返しながら、おいらは叫んでいた。

「……きさま……本当にウー・ロンなのか!?」

 何度見ても、信じられない。
 だって、こいつはどう見てもおいらと同年齢ぐらいだ。だけど、今になってから思いだしたけど、聞いた話じゃ怪盗ウー・ロンは40年ぐらい前から活躍しているって噂だ。

 それじゃ、年齢が合わない!
 派手好きというキーワードに惑わされて、こいつがウー・ロンだと思い込んでしまったけど、よくよく考えればウー・ロンがクンフーの達人だなんて噂は、聞いたこともない。 

「噂では、ウー・ロンは派手好きな年寄りだって話だぜ!」

 びしっと指さしてそう叫ぶと、そいつはおいらに答える代わりに小さく笑みを浮かべる。

「なんじゃとぉっ! 年寄りとはなんじゃ、年寄りとわぁああっ」

 その時、背後からけたたましい声が聞こえてきた。何事かと思い、振り返ったおいらの目に映ったのは、実に珍妙なじいさんだった。
 遠巻きにしておいらとウー・ロンらしき美少年を見ているデパートの客達の中に、一際目立つ存在がいた。

 異様に頭が大きく、はげ頭のごく小柄な老人がそこにはいた。寸詰まりというのか、足が妙に短くって子供並みの身長だ。目鼻立ちと言えば、お地蔵さんを思わせる単純さなのに、生憎と言うべきか目つきが悪い。悪すぎる。

 おかげで性格の悪いお地蔵さんのように見えるそのじいさんは、客達の中に混じって立っていた。……もっとも、紛れているとは到底言いがたいんだけど。

 黒いタキシードに、裾を引きずっている赤いマント、ご丁寧にシルクハットまでかぶったその老人は、美少年とおそろいの格好をしていた。美少年には似合っていたその派手な衣装は、ちんちくりんのじいさんにはまったく似合わない。

 正直、周囲から浮きまくりだった。こんなんじゃ、たとえ仮装パーティの中にいたって十分に目立つ。
 背はずいぶんとミニサイズなこのじいさんは、態度だけはやたらとビックだった。

「人を年寄り呼ばわりするとは、無礼千万! 覚悟せいっ」

 ――な、なんなんだ、こいつは?
 おいらは、突如現れた奇妙なじいさんに戸惑いを覚えた。この台詞と、この衣装、それに年齢……もしかして、このじいさんの方こそがウー・ロンなのか? それじゃあ、いったいあいつは何者なんだ?

 こちらに迫ってくるじいさんに対して身構えながらも、おいらはさっきの美少年も油断なく見張っていた。
 あいつが何者にしろ、楼蘭玉のいた部屋に不法侵入したことだけは確かなんだ、逃がすわけにはいかない。

 しかし、どうやらその心配は無いようだった。
 美少年の方は、じいさんに絡まれるおいらの姿がおかしいのか、ニヤニヤ笑いながらこっちを見ている。――くそっ、余裕だな。

「けぇりゃぁああっ」

 怪鳥のごとき叫びをあげ、じいさんがダッシュを仕掛けてくる。が、その姿がフッと消えた。
 一瞬、じいさんの姿を見失って焦ったが、それはほんの一瞬だけだった。

 おいらのすぐ目の前、ちょうど足下付近で俯せに突っ伏しているじいさんの姿を見て、おいらは笑いがこみ上げてきた。
 このじいさんは消えたわけじゃない、単に何かにつまずいて転んだだけだった。

「おじいちゃん、大丈夫かい? お年寄りは無理しちゃいけないよ」

 少々からかうつもりで声をかけると、じいさんは思ったよりも機敏な動作で飛び起きた。

「こ、小僧め、なかなかやるなっ」

「……いや、それほどでも」

 と言うより、おいら、なんにもしてないんだけど。あきれかえりながらも、おいらはじいさんへ聞いてみた。

「おまえは何者なんだ。もしかして、おまえが本物のウー・ロンなのか?」

 じいさんはけっけっけと奇妙な笑い声を上げた。

「その通りっ、わしこそが天下の怪盗ウー・ロン様じゃっ! どうだっ、恐れ入ったかっ」

 勝ち誇ったように叫ぶじいさんを前にして、おいらはひたすら絶句する。
 か、怪盗に夢を抱いていたつもりはないけど、あの噂に高い怪盗ウー・ロンが、まさかここまでお間抜けで奇天烈な奴だったとは……!

 何やら喪失感すら感じつつ、おいらはじいさん――ウー・ロンに向かって問いかけた。

「あんたがウー・ロンなら、そいつは何者なんだよっ!?」

 未だに笑っている美少年を指さすと、ウー・ロンはフンと鼻先で笑う。

「ああ、こやつはわしの息子、リー・ロンじゃ!」

「む、むすこぉ?」
 ついつい、おいらは奴と美少年を見比べてしまった。
「……息子にしちゃ、顔が違いすぎるんじゃないか? それに、年も離れているし」

「やかましい! 見習い霊幻道士風情が人の家庭事情に口を出すなっ!! 
 ええいっ、この小生意気な小僧め、見ておれ……っ、来々(ライライ)!
 ポン、チー、カン!」

 手で何やら素早く印をきりながら、本物のウー・ロンが叫ぶ。その呪文の効果と、少なくとも噂の一部の確かさを、おいらはすぐに思い知ることになった。

 上空に浮かぶ気球がごそりと大きく揺れると、三つの人影が屋上に落り立ってきた。独特の死に装束を身に纏い。身体を直立させ、両手を前に伸ばしたままの姿勢で落下してきた人物の顔は青白い。

 その色合いは、生きている人間のそれではなかった。
 そう……気球から降りてきたのは、人間ではない――キョンシーだったんだ。しかも、三体も!

「う……っ」

 思わず怯んだおいらは、思い出していた。
 派手好きの怪盗ウー・ロンは、噂では凄腕のキョンシー使いだと聞いた。どうやら、それだけは掛け値無しの真実だったらしい。
 ウー・ロンはただでさえ細い目をより一層細めて、おいらに向かって恫喝した。

「さあ、小僧め、覚悟するがいい!!」                                  《続く》

3に続く→ 
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