『参章 三体のキョンシー』 |
スタッ スタッ ――ズデッ スタッと意外にも軽やかな身のこなしで屋上に降り立ったのは、いかめしい顔に似合わずチビなキョンシーだった。背丈はおいらより低いぐらいだけど、方の辺りに皺の目立つぎょろ目のキョンシーは、明らかに大人の顔立ちだった。 多分、こいつが真っ先に名前を呼ばれたポンというキョンシーなんだろうなとおいらは見当をつける。 続いて屋上にスタッと着地を決めたのは、やたらとガリガリでのっぽなキョンシーだった。 そして、最後にズデッと間抜けな音を立てて転んだのは、一番の巨体のデブキョンシーのカンだ。何せ死人なだけに痛くはないだろうが、起き上がるのにもたついてもがいていやがるよ、おい。 おいらはあまりにも無様なその姿に呆れたが、後方から大きな悲鳴が上がった。 動いているキョンシーを目の当たりにした客の誰かが悲鳴を上げたのをきっかけに、連鎖的に悲鳴が響く。その声に驚いたのか、子供の泣き声まで響きだした。 まずいな、このままじゃパニックが起こる……! というか、あまりキョンシー達の注意を引くような真似をされれば、客達まで襲われかねない。ただでさえ一対三で不利だというのに、客達まで庇う余裕があるだろうか? 「はぁーいっ、皆さん、すみませんが撮影の邪魔になりますのでこの場から退去ねがいまぁす! 大きな声を出されると音声が入ってしまいますので、お静かに!」 場違いに暢気で、いっそ朗らかと言っていいほど明るい声でそう叫びながら、屋上への出入り口付近で片手を大きく振り回しているのは鷹虎だった。その手に持っているのは一見メガホンに見えるが、よく見たら紙切れを適当に丸めているだけだった。 しかし、それだけで他の客達は本気で撮影中だと解釈してしまったのだから、驚きだ。カメラすらないというのに! 「な、なんだ、映画か何かの撮影だったのか、驚いたよ」 「ありがとうございます、自主制作映画なんですよー。秋の学園祭で発表予定でして。すみませんが、ご協力願いまーす」 一転して和やかになった客達を、鷹虎は愛想よく適当なことを言いながら次々と追い払っていく。お間抜けで暢気な奴かと思っていたが、どうやら意外と機転が効くタイプらしい。 おいらは気を取り直して、ポン、チー、カンのキョンシーに向き直った。両手を前に伸ばして直立するキョンシー特有のポーズで、虚ろにおいらを見ている連中は今のところ自分達から襲ってくる気配はない。 だが、ウー・ロン達の場所に行くには明らかに邪魔な場所にいるし、近づけばさすがに攻撃してくるだろう。どうやらウー・ロン達はこいつらにおいらの相手をさせ、その隙に逃げようと考えているらしい。 彼らの背後でウー・ロンとリー・ロンが気球に乗り込もうとしているのが見える。 上空に浮いている気球は、よくよく見ればロープが垂れ下がっていた。リー・ロンがそれをたぐり寄せ、屋上に下ろす。そのゴンドラに飛び乗り、ロープを切ってしまえば脱出は簡単だろう。 リー・ロンの身のこなしならそんなの朝飯前だろうに、足を引っ張っているのはウー・ロンだった。ウー・ロンときたら、屋上に乗ったゴンドラに乗り込むことにさえ手こずっていた。 小柄なだけに、ゴンドラの縁を乗り越えるのは大変らしい。まるで逆上がりに失敗する小学生のごとく、何度も挑戦しては失敗を繰り返している。リー・ロンも手助けしようとはしているようだが、気球を押さえつけるのに精一杯のようで、逃げるに逃げられないらしい。 ……怪盗の癖して、妙に親孝行だな。いや、助かるけど。 ここは仕方がない、三体のキョンシーのどれかに突っ込んで突破し、とにかくウー・ロン達を捕まえることにしよう。 真っ先に目をついたのは、チビのポンだ。こいつが一番、ウー・ロン達に近い場所にいる。突破することが出来れば、楽にヤツらを確保できるだろう。 拳ダコの残る手といい、小柄ながら筋肉の付いた体つきといい、キョンシー特有の格好ながらもどことなく身構えているような雰囲気といい、どうやらポンは生前はクンフーの心得が見て取れる。 キョンシーの肉体能力は、生前の技能によって大きく変化する場合が多い。当然、一般人のキョンシーよりもクンフー使いのキョンシーの方が厄介なのは間違いない。 次に、おいらはチーを見た。 こいつを相手にしたら、すぐ両脇からいる二体も即座に戦闘に参加してきそうだ。 最後に、ポンに目をとめる。 カンもそれに気がついたのか、ぼんやりと反撃の態勢をより始める。が、その動きが絶望的な程に遅い! ――しめた! こいつは、マジで楽そうだ。 通常、キョンシーは独自の姿勢のままピョンピョンと跳ねるように動きながら移動する。 だが、カンは最大限の速さで動いているつもりなのか、よたよたとジャンプしながらおいらに迫ってくる。身体が重いせいか、対して高く跳べないせいで全然遅いけど。 ……こんな奴相手に道具なんか使ったら、恥だぜ。 確かにカンは簡単に突破できるが、この後、ウー・ロン達二人を捕まえることを考えれば、キョンシーどもの動きはあらかじめ封じておきたい。少なくとも、一体を減らすだけでも違ってくる。 そう思って、おいらは道具を使うことにした。 桃剣や銭剣は、本来武器ではない。金属製の剣ではないのだから、そのままでは斬ることさえできないのだ。それらの武器は霊幻道士としての修行し、念をこめる技術を習得してから、はじめて対キョンシー用の武器たり得るのだ。 ……ただし、その念のこめ方次第で、強力な武器にも全然役に立たないなまくらにもなるけど。 それに、念をこめるのも楽じゃない。念をこめるということは、霊幻道士のの精神力や集中力と引き換えになる。その武器の使用時に、体力の消耗も有りえるのだ。 そんな面倒な武器を、この鈍重なキョンシーに対して使用するのもアホくさい。それだったら、数に限りはあるけど貼るだけで確実に効果が得られるお札を使った方がいい。 ――いや、決して、おいらが念をこめるのが苦手だとか、お札は師匠が作ってくれたから効果確実で安心だからとではなく! 霊幻道士として、この状況を冷静に判断し、決断したってことだから! とにかく、おいらがそう考えてすばやくお札を手にする。頭の中ではあれこれ考えていたが、実際には時間などほとんど経っていない。 実戦はスピード重視が第一だ、三体のキョンシーが降ってきてからおいらがお札を手に身構えるまで、ほんの数秒とかかっては居ないだろう。 カンはどうやら、その体重でおいらを押しつぶそうと考えているようだ。まるで闘牛のごとく……というか、太りすぎの牛のようにカンは何も考えずに突進してくる。――ま、キョンシーが何かを考えるとも、思えないけど。 こんな立つにお札を貼り付けるのは、造作もないことだった。ただ、お札を持って腕を伸ばして待つだけでよかった。 アホなことに、カンは本当にまっすぐにお札に突進し、おいらに何のダメージを与えることもなく、ピタリと動きが止まる。キョンシーは、額にお札を貼られることで眠りにつく。展示してあるキョンシー同様、何の危険もなくなるのだ。 カンを封じた時、ポンもチーもまだおいらに攻撃を仕掛けられる間合いには入ってなかった。だからおいらは素早くカンの身体を盾にするように走り、奴らに迫る。 ウー・ロンはすでに気球に乗り込んでいるのか、そこにはもうリー・ロンしかいなかった。まだロープを手にしているリー・ロンに、おいらは飛びかかる。 だが、それは一歩、遅かった。 このままじゃ、気球ごと逃げられてしまう! 「何をするっ! 離せっ、離さんかっ!!」 ゴンドラから顔を出して、ウー・ロンが怒鳴りつけてくる。どうやら、あちらからはこのロープを外せないらしい。 しかし、問題はキョンシー達だった。 だが、とにかくやるっきゃない。おいらはロープを力一杯引っ張りつつ、近寄ってきたキョンシーに蹴りを入れる。両手が塞がっているので、それで精一杯だ。 「なーにをしとる、キョンシーども! 早いところその霊幻道士を始末せんかい!」 おいらがロープを離さないので、ウー・ロンの怒りは手下のキョンシー達に向かう。重ねての命令を受けて、キョンシー達の攻撃もさらに激しいものに変わる。 思っていたとおり、ポンの攻撃はクンフー使いらしく的確に急所を狙ってくるし、ガリガリのチーは意外にも身軽で高いジャンプ力を持っている。その二体の攻撃を躱しながら、浮力の大きい気球を引きずり下ろすのはかなり無理がある。 「はぁ……はぁ……くそっ」 息が切れる。体力は自信のあるつもりだったが、この状況はかなり辛い。 くそー、考えたらだんだん腹が立ってきた。 「ナムッ、手伝うよ!」 その声と共に、手の中のロープがふいに軽くなる。と言うより、後ろから引っ張る力が加わり、おいらの負担が軽くなったと言うべきか。 カンを蹴飛ばしながらちらっと後ろを見やると、そこには高虎がいた。気球から垂れ下がったロープはかなり長く、おいらはその半分ほどの場所を握っていたのだが、高虎はその端を掴んでいた。 キョンシー達からもそう離れてはいない場所なのでぎょっとしたが、ウー・ロンの命令は「霊幻道士を倒せ」だったせいか、高虎は攻撃対象と思われていないらしい。 力を込めるためか、腰の後ろにロープを回すようにして踏ん張ってくれている。そのせいか、明らかに気球は下降してきている。 「イン・フー、タイミングを合わせてくれっ!」 そう叫んでから、おいらも力を込めるために担ぐようにロープを肩に回す。 「どりゃぁあーっ」 気合い一閃、おいらは全力を振り絞って引っ張った。その勢いには、高虎の力も混じっている。気球との綱引きは、おいら達に軍配が上がった。 「えっ!? ワわッ、ちょっと、一人じゃ無理だよ!?」 焦ったように高虎が悲鳴を上げるが、この際、やむなしっ! 「悪いっ、少しの間でいいから踏ん張っててくれよ!!」 そう言いながら、おいらは浮き上がりかけたゴンドラに向かってジャンプし、今度こそその縁を掴む。 「う、うわ……っ、ひ、ひっぱられる……っ」 後ろの方からは、高虎の悲鳴じみた声が聞こえてくる。どうやら高虎の力では一人で気球を引っ張り続けるのは難しいらしい。ジワジワとだが、高度が上がり始めた。 この状況ははっきり言って、まずい! 足がしっかりと地についているのなら踏ん張ることもできるが、この状況じゃどうにもならない。それに、これってよくよく考えたら、キョンシーからはいい攻撃の的では? 内心パニックものだったが、それ以上に焦りを見せたのはリー・ロンの方だった。 「わっ、な、なんだよ、おまえはっ!? 離せ、このやろっ!」 そう言いながらおいらの手をはずそうとするが、そうは問屋が卸さない。ここまで苦労して、やっとここまで来たんだ、簡単に離してたまるか! 「誰が離すか! 離して欲しかったら、桜蘭玉を返せ!」 足を思いっきりばたつかせながら、おいらはそう叫ぶ。なんか、今、キョンシーかなにかを蹴飛ばした感覚があったけど、それを確かめる余裕もない。 「なんじゃ、それは。そうしたら離すというのなら、返してやればいいではないか」 突然、ゴンドラの中からウー・ロンの無頓着な声が聞こえる。だが、姿は見えないのは、もちろんその背が低いからだ。 「何を言ってるんだよ、父ちゃん!?」 と、叫ぶリー・ロンの驚きっぷりに、図らずもおいらも同感してしまう。 おいらの混乱や実の息子の驚きにも構わず、ゴンドラの縁から手だけが現れるのが見えた。 「こいつが、そのなんとかと玉じゃな。ほれ、返してやるから手を離せ」 そう言ったかと思うと、実に無造作に桃色の宝石玉が投げ出される。誇張でも何でもなく、それこそゴミでも捨てるかのように。 「うわっ!?」 あまりに意外すぎる行動に驚きながらも、おいらはとっさに桜蘭玉に手を伸ばす。そのせいでゴンドラを離してしまったが、今は桜蘭玉が優先だ! 両手で包み込むように受け取りながら、すぐ下にいたチーの真上に落ちるように着地する。思ったほど高くなかったのと、キョンシーのクッションのおかげで怪我一つしなかったが、それより気になるのは桜蘭玉だ。 そっと開いた掌の中で、桜蘭玉は控えめな美を誇るかのようにきらめいている。紛れもなく、本物だ。 「それを返せっ!」 叫ぶなり、リー・ロンはゴンドラから飛び降りようとしたが、その瞬間ゴンドラがグンと一気に跳ね上がる。 「はぁ、もう限界〜」 と、高虎が疲れ切ったようにその場にへたり込むのが見えた。 その急上昇で姿勢を崩したリー・ロンは、飛び降りるタイミングを逸したらしい。再びゴンドラから身を乗り出した時は、もうゴンドラは屋上から離れた場所に流されていたし、飛び降りるにしても高すぎる位置まで昇ってしまっていた。 ……なんなんだ。せっかく苦労して盗んだものを、こんなところで放り出すだなんて……。おいらはそれを疑問に思ったが、それはすぐに氷解した。 「こぉんの、クソ親父ぃいっ!! なんてことをするんだっ、今日の目的はあの宝石だったのにっ! 何をしくさりやがるんだっ、このボケジジイッ!」 おわっ、口悪っ。 「何っ!? そうじゃったのか?」 驚いたようなウー・ロンの声に、こっちがびっくりだ。あの頭身が限りなく低いボケジジイは、本気でここに盗みに来た目的さえも忘れていたらしい。アホか、本当に。 「こちゃ、そこの見習い霊幻道士! 今のは冗談じゃ、そのなんとか玉を返せぇえっ!」 などと、ゴンドラの中でピョンピョン跳ねながら叫んでいるが、呆れるしかない。もちろん、おいらが何をするまでもなく、気球はどんどん遠ざかっている。 二人とも操縦している様子がないのだが、風で流されているのだろうか。いずれにせよ、こちらに戻ってくるのはできないらしくウー・ロンは悔しげに叫ぶ。 「くそーっ! また盗みに来るからなーっ!!」 ウー・ロンはよく考えてみるとアホな捨て台詞を残し、去って行った。 「危ないっ!!」 「え……おっとっ!」 キョンシーの腕が向かってくるのを、なんとか避ける。置き去りにされたキョンシー達は、状況などお構いなしに相変わらずおいらに向かってくる。 |