肆章 キョンシーパニック!

 

「さあっ、来いっ!」

 おいらが声をかけると、チビのキョンシーのポンは不機嫌そうに唸り声を上げた。おいらが邪魔するのが気にくわないらしい。キョンシーのくせに、怒りやがって。 

 ガリガリのっぽのチーも、ポンと一緒にこちらに襲いかかってきそうな気配を見せている。
 おいらは、二体のキョンシーの攻撃に備えて身構えた。

 左足1本で立ち、右半身を正面に向けて右膝を立てる。右腕はほとんど正面に伸ばし、左腕は上に伸ばして肘で曲げ、正面に向ける。
 もちろん、両手とも拳で固めているのは言うまでも無い。

 この構えはとっさに大きな動きは出来ないが、両腕と片足を自由に動かすことが出来るので、相手の人数が多い時には有効だ。

 ポンはその場で一度跳ねると、次の瞬間、一気に間合いを詰めてきた。
 同時に、チーはほぼ垂直に大きくジャンプし、上から攻撃してくる。
 おいらは右足と右腕でポンの攻撃を受け、左腕で上から来たチーを払いのける。

 しかし、それは長くは続かなかった。
 単に上に跳び上がって攻撃してくるチーはともかく、ポンの攻撃は凄まじいものだった。だんだんポンの手数の多さに耐えきれなくなり、どうしても隙ができてしまう。

 そうなると、ひょんなタイミングで仕掛けてくるチーの攻撃だって馬鹿にはならない。同時に、二体のキョンシーの拳を喰らいかけた時、おいらはとっさに横に転がって避けた。

 だが、意外なことにキョンシー達はおいらを追い打ちはしては来なかった。
 攻撃目標を失ったキョンシー達は、なぜかそのまま辺りをピョンピョンと跳び続ける。

 まるで目隠しをしたまま動いているかのようなでたらめな動きに一瞬混乱したが、すぐに思い当たった。

「そうか、ウー・ロンがいなくなったせいか……!」

 意思を持たないタイプのキョンシーは、キョンシー使いの命令に愚直に従う。だが、その命令はずっと有効なわけではないらしい。
 キョンシー使いの力量やキョンシーの力によって、命令の強制力は変化すると聞いたことはある。

 どうやら、ウー・ロンの命令はいい加減なものだったのか、でなければ道士としてはたいした実力じゃなかったらしい。ついでに言うなら、ポン達はキョンシーとしても低ランクなのは間違いない。

 体も固く、単調な肉体攻撃しか出来ない連中は、第一級のキョンシーだろう。全部で八段階あるキョンシーの中では、一番の下っ端だ。
 その証拠にウー・ロンらの載った気球が離れて行くにつれて、キョンシー達は勝手な行動を取り始めた。

 今まではウー・ロンの命令でおいらの邪魔ばかりして、何度振りほどいてもむしゃぶりついてきていたのに、今はなにやら暴走してしまったようだ。

 ピンボールのボールのようにその辺を飛び跳ねては、柵に当たって跳ね返りまた別方向へと跳ねるという動作を繰り返している。動きの斜線上に人だの障害物がいなければ、こんな風に無駄に動き続けるみたいだ。
 それに気づき、おいらは声を張り上げた。

「イン・フー! 警備員に連絡して、あそこの扉を封鎖してくれ!」

「うっ、うんっ」

 パタパタと、高虎が屋上の出入り口の方へ走っていくのが見えた。あの扉さえ封鎖してしまえば、被害がこれ以上広がる心配は無い。時間をかけて、キョンシーを一体ずつ始末すればいいだけの話だ。

 そんな風に心にちょっと余裕が出来た時、屋上のど真ん中に突っ立っているデブキョンシーが目に入った。
 ポンとチーが忙しく動き回っているのに、ただ一人だけじっとしているのは、額にお札を貼られているカンだ。

 動き回る二体はもちろんだが、こいつのことも気になる。お札はあくまで応急処置なだけに、何かのハズミで札が剥がれてしまったら、再びこいつも暴れだしてしまう。

 お棺に入れて、きちんと始末した方がいいだろうか? それとも、やはりポンとチーを先にやっつけた方がいいのだろうか?
 そう悩んだ時のことだった。

「だっ、だめですってば! そっちに行かないで!」

 焦ったような声は、高虎のものだった。
 見れば、さっきの扉が大きく開き、そこから数人の若い男女がどっと入り込んできた。連中はそろいもそろってスマホを掲げ、はしゃいだ声を上げてシャッターを連射する。

「うっひょー、見ろよ、あれ! すげえなぁ、マジでウケるー」

「えー、でもゾンビの方がよくね?」

「あーん、動きが速くて上手く撮れなーい」

 そんな風に騒ぎまくる男女は、大学生ぐらいだろうか。高虎も必死になって彼らを追い返そうとしているものの、図体は大人並みに大きい彼らを推定中学生の高虎一人でなんとか出来るわけがない!

「お、おいっ、馬鹿っ、やめろっ! あんたら、すぐに逃げないと――」

 おいらの警告は、遅すぎた。
 なんと、自分からのこのこと屋上に戻ってきた大学生らは、自分達に向かってくるキョンシーに逃げる気配もなく、暢気にスマホでの撮影に夢中になっている。
 せめてもと、おいらは声を張り上げた。

「危ないっ! 横に転がれっ!」

 おいらのその忠告に従ったのは、高虎ただ一人だけだった。見物人になりきって盛り上がっている大学生らに、二体のキョンシーが飛びかかる。
 楽しげな歓声が悲鳴に取って代わったのは、その瞬間だった。

「う、うわぁあああーーっ!?」

「きゃぁあああああっ!」

 実際に襲われて初めて、彼らはキョンシーの危険さを認識したらしい。血がパッと飛び散り、凄まじい絶叫を上げながら彼らは我先と扉に逆戻りした。

「――って、逃げるのは構わないが、扉は閉めろっ!」

 慌てて叫んだが、そんなのは誰の耳にも届かなかったらしい。押し合いへし合い狭い扉に飛び込んだ彼らを、キョンシーも追っていく。

 おいらが扉まで駆け戻った時には、すでに大学生はおろか、キョンシー達でさえ見えなくなっていた。代わりに、階段の下の方から騒ぎや悲鳴が聞こえてくる。

「ど、どうしよう……!? な、なんか、すごく大変なことになってる……!」

 さすがに青ざめた顔で高虎が呟くが――そう言いたいのはおいらの方だ! まさか、本当にキョンシーが復活して暴れ出すだなんて!!
 目眩がしそうな中、国を出る前に師匠や兄弟子にキツく脅されたことを思い出す。

『いいか、ナム。絶対にキョンシーを暴走させるなよ。もしキョンシーが人間を襲ってバンバンシーが増えれば、とんでもない事態になるんだからな』

 キョンシーは、人間を襲う。
 それはただ殺すためではなく、血を吸って生気を吸い出すのが目的だ。キョンシーに血を吸われた人間は、魂が抜けてしまう。そのせいで体に魄だけが残る状態になり、結果的にキョンシーになる。

 そうやってキョンシーがどんどん数を増やせば、こんなデパートなどあっさりと全滅してしまう。いや、最悪の場合、東京そのものがキョンシーだらけになってしまう可能性だってある。

 そ……そうなったら、破門だの国際問題だのですむレベルじゃなくなるぞっ。

「……まずい! なんとかしなくちゃ!!」

 慌てて階段を駆け下り、キョンシー達を追う。差はあったものの、ジャンプしかできないキョンシーよりもおいらの方が足は速い。数階の間に距離は縮まり、キョンシー達の姿が見えてきた。

 よし、このまま一気に上から攻撃を仕掛けてやる!
 と、そう思った矢先に、キョンシー達は不意に階段を離れてとある階へと跳ねていった。

「え?」

 突然、今までとは全く違った動きを見せるキョンシーに、おいらは戸惑う。しかも、やつらは逃げ惑う人間を無視して、一方向へと向かっているようにさえ見える。
 いったい、何が目的だっていうんだ――?

「あいつら、中国展に行きたいのかな?」

 ぜいぜいと息を切らせながらのその呟きは、おいらのすぐ真後ろから聞こえてきた。

「うわっ、イン・フー!? な、なんでここにっ!?」

「なんでって、ひどいな。だって、気になるじゃん」

 苦しそうに汗を拭いつつ高虎はそう言うが――いや『気になるじゃん』じゃねえだろっ!?
 っていうか、命の危機がかかっているんだぞ、これって!

 等と、叫びたいことは山ほどあったが、今はそれを追求している時間など無い。高虎を無視しておいらはキョンシーを追うのに専念する。このまま撒いてしまいたいところだが、生憎と高虎は意外と足が速いのか、おいらにしっかりと着いてくる。

 しかも、さすがにこのデパートの支配人の息子と言うべきか、彼の言い分は当たっていた。確かにここはキョンシー展を開催している階だったし、キョンシー達は迷わずに展示場へと向かっている。

 その勢いは凄まじく、行く道を塞ぐ人間を容赦なく爪で追い払う。
 キョンシー達の動きに恐れをなしたのか、客達が自主的に逃げ出してくれるから意外に被害も少なくて済んでいるのが、せめてもの慰めか。キョンシー達も積極的に人間を襲うのではなく、キョンシー展示場に進むことを優先しているっぽい。

 だが、分からないのは目的だ。
 一体何だって、あいつらはあそこに行きたがるんだ?

 ウー・ロンに命じられたわけでもないし、そもそもウー・ロンの目的だった桜蘭玉はおいらが持っているんだ。他にあそこに宝があるわけでもないのに……あそこにあるのは、キョンシー縁の品々や、お札を貼ったキョンシーだけ――。

 それを思い出した途端、とてつもなく嫌な予感が脳裏を走った。

「まさか、ベビキョン目当てかっ!?」

 ベビキョン――それは、子供のキョンシーに対する愛称だ。
 今回のキョンシー展に運んできたキョンシーは、ずいぶんと古い時代のキョンシーだった。

 時を経たキョンシーの方が強力な場合が多いので、普通だったら近寄らない方がいい代物なんだけど、ベビキョンは見た目は可愛らしい子供なだけに、見栄えがいい。

 そこを気に入られたのか、是非にと頼み込まれて仕方が無く展示品に選ばれたと聞いた。

 しかし、見た目は可愛らしくても、キョンシーはキョンシー。
 ましてや、古い時代に自然発生したタイプのベビキョンは、相当にレベルの高いキョンシーだ。第一級のキョンシーなんかとは比べものにならない力を持っているから、くれぐれも注意しろと言いつけられたんだ。

 ま、まさかとは思うけど、もしも連中がベビキョンを目覚めさせようだなんてしているとしたら――。

「まっ、まずいっ!」

 おいらはより一層、速度を上げた。
 まずいなんてもんじゃない、第一級のキョンシー二体でさえおいらの手に余るって言うのに、それ以上の強力なキョンシーが加わったらどうなることやら!

 まっしぐらに展示会場に飛び込んでいくキョンシーらを追って、おいらもそこに走り込む。

 わざと通路を入り組ませたせいで狭い会場の中は、大混乱中だった。
 警備員のおじさん達はキョンシーに恐れをなしたのか、止めるどころか隅っこの方に引き下がって遠巻きに見ているだけだ。

 ええいっ、役に立たないっ! 早くキョンシーを止めないとえらいことになるっていうのに!!
 キョンシー達はそんな警備員に構わず、奥の特別展示場へと跳んでいく。そこには、ベビキョンが展示されているはずだ。

 もう、一刻の猶予もない、こうなったらおいら一人でも止めないと!
 だが、おいらが跳び蹴りを仕掛けようとしたその時、がしっとおいらの腰にしがみついてきた男がいた。

「ナム君っ、キョンシーを刺激しないでくれっ!! 展示品が壊れてしまうっ!!」

 やたらと必死にそう叫んだのは、見覚えのある男――っていうか、支配人ことミスター藤堂だった。

「そんなこと言ってる場合じゃないですよ! 離してくださいっ!!」

「いやぁあああっ、やめてくれぇええっ!! ここの展示品は全部が貴重な借り物なんだぁああっ、もし万が一にも破損した日には莫大な弁償金が発生してしまうぅうううっ!」

 などと、やたらと切羽詰まった様子で訴えてくる姿はどこか哀れな感じがしたけど、そんなこと言われたって。
 ベビキョンまで復活したら、手に負えなくなることは目に見えているんだ。
 そうなったら、会場を守るどころではなくなってしまう。

 なんとか振り払いところだけど、こうもがっしりと腰を掴まれるとさすがに体の自由が利かない。それに、キョンシーと違ってまさか素人相手に本気で攻撃をしかけるわけにもいかないし……と迷っていると、高虎が口を挟んできた。

「でもパパ、ここの展示品はちゃんと保険をかけておいたんでしょ?」

「あ……! そういえば」

 現金にも、支配人の手の力が緩む。
 ちょっと呆れたけど、このチャンスを逃す手はない。なんとかその手を振り払って、おいらは奥の部屋へと駆け込んだ。

「あーーっ、ナム君っ、できるだけ中の物は壊さないようにお願いしますよっ!」

 あのねー、そーゆー事態じゃないんだけど! と、支店長を思わず怒鳴りつけそうになるが、ぐっとこらえて室内に飛び込む。
 ついでに言うのなら警備員達は相変わらず何もしようとせず、見ているだけだ。

 まったくもー、案の定このざまだよ。ぜーんぶ、おいらがやんなきゃなんないのか、とほほ。

 戦う前からすでに疲れて中に飛び込んだおいらが見た物は、すでにベビキョンのすぐ側に居るポンの姿だった。

 ベビキョンは小さめの棺に横たわっているが、展示の都合上蓋はあけたまま、その代わりに一回り大きなガラスケースに収まっている。言ってしまえば、白雪姫状態とでも言おうか。

 だが、ポンとチーは器用にもそのガラスケースの蓋を外し、直接ベビキョンをのぞき込んでいる。

 ポンの手は、ベビキョンの額に張られたお札に伸ばされたところだった。 子供の顔には大きすぎるお札は、ベビキョンの小さな顔をすっぽりと覆い隠している。

「やめろぉおーーっ!」

 おいらが飛びかかろうとした時には、すでにお札は引き剥がされていた。投げ捨てられたお札がひらりと舞い、その辺に落ちる。
 だが、おいらはそのお札を見る余裕はなかった。

「……アー?」

 たどたどしくも、可愛らしい声。
 それと同時に、小さなキョンシーがひょこっと起き上がった。そのつぶらな目をパチクリさせながら、不思議そうに周囲を見回している。

「ま、まずい……!」

 まずい、っていうかヤバすぎる。ついに、ベビキョンが目覚めてしまった――!  《続く》 

 

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