玖章 再来! ベビーキョンシー!
 

 

「あっ、そ、そのっ、これって君の荷物かい?」

 女の子にじっと見つめられ、なんだか気まずくなって目をそらしたおいらは、散らばる食料品の山に目をやった。

 袋が破けた時、包装もダメになってしまった物がほとんどで、牛肉や豚肉類が散らばり、卵などは割れてぐちゃぐちゃになってしまっている。残念ながら使い物になりそうもない物ばかりだが、かえって良かったかもしれないなとおいらは考えた。

 なんとかこの場のバンバンシーは封じたが、この先も連中がどれぐらいいるのか分からない。こんな余計な荷物を抱えたままでは、逃げるに逃げられない。

 どうせ荷物は捨ててもらうつもりだったのだから、この方が諦めがつきやすいだろう。ざっと見たところ、買い込んだ荷物は本当に食料品や調理関連の品ばかりで、貴重品という物もなさそうだ……多分。
 と、その時、おいらは荷物の中からとある物を見つけた。

「この鳥って……鶏かい?」

 首を切り落とし、骨ばかりが残る鳥の胴体部分。肉をむしり取った後のそれは、一般的にはガラと呼ばれるものだ。中華系の料理では、出汁を取るのに使われるありふれた食材だ。
 それが、数匹分ぐらいゴロゴロと転がっていた。

 ただ、あまり食材に詳しくないおいらでは、それが鳥だとは分かっても種類までは分からない。これがアヒルや鴨だったら意味が無いが、もし鶏だとしたら……期待を込めて聞いてみると、ミンミンは頷いてくれた。

「はい、ニワトリアルヨ。これで、ラーメンのスープを作るネ! ウチの店自慢のトーキョー風ラーメンアルヨ」

 中国人が横浜で東京風ラーメンを作っているだなんて、なんだかおかしな話だとは思ったが、とりあえずそれはどうでもいい。
 確実に鶏の物だと保証されて、一つの考えが浮かんだからだ。

「たこ糸もある?」

 もしかしてと思って聞いてみると、ミンミンはサッと荷物の中からたこ糸を引っ張りだしてくれた。運良くミネラルウォーターもその辺に転がっているし、50枚入りのゴミ袋があるのも見えた。
 だが、まだ肝心な物が足りない。

「高虎、この近くに墨汁はあるか?」

 念のために聞いてみると、高虎はサッとスマホをいじって店内地図を確かめる。

「うん、文房具店がすぐ近くにあるよ。ちょっと待ってて!」

 そう言って、止める間もなく高虎はさっき昇ってきたエスカレーターを逆戻りする。単独行動は感心しないけど、まあ、さっき通ってきたばかりの場所なら、一人で行ってもそう危険はないだろう。
 そう思い、おいらはゴミ袋を拾い上げた。

「ごめん、ここにあるの少しもらうよ」

 一応ミンミンにそう断ってから、おいらはゴミ袋を取り出す。バンバンシーの爪でやられたのか、半分以上が破けて使い物にならなくなっていたが、なんとか無事な一枚を取り出した。

 その中においらは、ありったけの鶏ガラを放り込む。
 元々血抜きはされているし、鶏ガラになった時点でその血もにじむ程度にしか残っていないが、それでもこれだけの量があるんだ。鶏ガラを全部ビニール袋にぶちこみ、わずかな水を混ぜて思いっきりふる。

 その水が濁った血の色に変わるまで、時間はかからなかった。それを見定めてから、おいらは鶏ガラだけを全部取り出してその辺に放り投げる。
 必要なのは、でかい袋には見合わない量の血(もどき)の方だ。

「お待たせっ。はい、墨汁だよ」

「ありがとさん」

 鶏ガラから無理矢理絞り出した血の中に、それに見合った墨汁を足した。生臭さを、墨汁特有の匂いが打ち消し、ほのかに赤みの残る液体ができあがる。
 完全に混ざり合ったのを確認して、おいらはたこ糸を中に浸す。白かった糸が、見る見るうちに黒く染まっていく。

 これが、キョンシー退治に欠かせない墨ひもの作り方だ。
 液体がひもに染み渡った時、墨ひもが完成する。このひもこそが、キョンシーやバンバンシーに対して強烈な力を持つ武器となるんだ!

 ……とは言っても、見習いのおいらは作った上、材料もこんな感じじゃ威力は多分、落ちるだろうけど。

 本来なら、鶏の血を使う必要がある。それも、できれば首を落としたての生き血が望ましいと言われている。それに特殊な呪法をかけてから、使うものだ。

 ひもだってただのひもではなく、念を込めてより上げたひもが望ましい。できれば、術者の髪の毛を交えた物がベストだ。墨だってそうだ。本来なら、霊水を唐墨ですって用意するのが本式だ。

 高虎が持ってきたのは、どうやら小学生の教材用なのかひらがなで『ぼくじゅう』と書かれたちゃちいにも程がある品だった。……こんなのを使ったなんて知られたら、師匠や兄弟子にどんなに叱られることか。

 だが、今は緊急事態だ。残りのお札も少ない以上、ちょっとぐらい威力が落ちたとしても、手持ちの武器を増やしておきたい。
 とりあえず墨ひもを完成させると、おいらはまず高虎に聞いた。

「バンバンシーは、まだいそうかな? 支配人はなんて言っている?」

「今のところ、特にそれらしい人は見つけられないみたいだよ。お客さんの避難誘導もほぼ終わったと見て、従業員さんや警備員さん達もだいたい逃がしたってさ」

「ふむ……」

 おいらは、少しだけ考え込む。
 どうやら、思っていたよりは被害は少なくて済んだらしい。ただ、まだベビーキョンシー達の行方が分からないから油断はできないが。となると、問題なのはこのミンミンという女の子だ。

 さすがに連れて歩くのは問題がありすぎる、女の子だし。というか、これ以上足手まといが増えても困る!
 そう思って、おいらは高虎に言ってみた。

「じゃあ、おいらはこのままバンバンシー捜索続行するから、イン・フーはミンミンちゃんを避難させてくんないかな?」

 そうすれば彼女の安全は確保できるし、今後は高虎にも気を遣わなくて済むから一石二鳥!
 と、思ったのに、二人そろって拒否された。

「え、やだよ」

「ワタシ、逃げるの、嫌アルヨ」

「でも、ここは危険なんだよ? 一刻も早く、安全な場所に逃げた方が……」

 震えているミンミンの方がまだ説得しやすいんじゃないかと思って声をかけたが、彼女は青ざめながらも激しく首を横に振る。

「まだ、おじいさんがいるはずネ! 置いて逃げる、そんなの嫌アル!」

 そう言われてしまうと、それ以上強く言うのもためらわれた。
 確かにこの状況で身内と別れ別れになったのなら、心配しないはずがない。まして、ご年配の方なら尚更だ。納得できるだけに、それ以上強く言うのも悪いような気がしてしまう。

 震えながらも逃げたくないと訴えるミンミンのその隣で、高虎もまた、目に強い光を浮かべて言い切った。

「せっかく面白くなってきたし、こんな機会なんて一生に一度、あるかないかだもんね! 逃げるだなんて、とんでもないよ!」

「…………」

 ――こいつに関しては、うんと強く文句を言ってやってもいいんじゃないのかな。
 呆れがあまりにも強すぎて、思わず絶句してしまった時のことだった。高虎の持っていたスマホから、支配人の声が流れ出してきたのは。

「たっ、大変だっ、キョンシーがっ!」

 慌てふためいた声と同時に、後ろの方から悲鳴や何かが倒れる音が響き渡る。そして、耳が痛くなるような音が聞こえ、それっきり静まりかえってしまった。

「パパ!? パパ、どうしたんだよ!?」

 さすがの高虎も驚いたのか、焦りが見える。それでも素早くスマホをいじり、状況を確かめようとする。

「……ダメだ、通じない。多分、今のでスマホが壊れたちゃったんだ」

 つまり、連絡手段が絶たれてしまったってことか。

「支配人は管理室にいるんだよな?」

「うん、管理室に入ってすぐ、鍵をかけてバリケードも作ったはずなのに、どこからキョンシーが……」

 高虎は当惑気味だったが、おいらにはそれが何を意味しているか、すぐに分かった。

「多分、ベビキョンの仕業だ。あいつなら、バリケードなんて意味が無い」

 あのベビーキョンシーは、自分だけでなく他のキョンシーも連れてテレポートで逃げていった。ということは、逆に鍵で閉ざされた部屋の中に入り込むことだって可能ってことだ。

「高虎っ、管理室はどこだ!? 案内してくれ!」

「う、うんっ、こっちだよっ」

 走り出した高虎を、おいらは追っていく。それから少し遅れた場所から、パタパタと軽い足音が聞こえてくる。

 振り返らなくても分かる、きっとミンミンもついてきちゃっているんだ。女の子なのになかなか足が速いのか、おいら達からそれほど遅れないのがすごい。

 まずい、一度足を止めてどこかに避難するように説得するか――そう思った時、高虎が唐突に足を止めた。

「ここだよ!」

 従業員専用のスペースの奥にある、あまりきれいとは言えない年季の入った扉がそこにはあった。だが、その扉の向こうはあまりにも静かすぎた。

「本当に、ここにキョンシーがいるのか……?」

 物音一つ、聞こえない。まさか、もう中では手遅れになったのではと不吉な考えがよぎったが、高虎がきっぱりと否定する。

「ここ、防音になっているんだ、放送するための部屋だからね」

 なるほど、それなら中で騒ぎが現代進行中ってことも有りえるか。
 おいら達がその前で足を止めるのから数秒と遅れず、ミンミンもやってくる。
 さすがに疲れたのか、ハアハアと荒い息をついているけど。

 すぐに諦めるか、ついてこれなくなるだろうと放置したのが、見事に裏目に出てしまった気がするが、今更言っても仕方が無い。

「ミンミンッ、イン・フー、危ないから近寄るなよ!」

 彼女のついでに高虎にも釘を刺しつつ、おいらは管理室へ乗り込もうとした。しかし、ノブをひねると固い手応えが遮る。か、鍵がかかっているのかよっ。

「ナム、ちょっとどいて」

 高虎がどこからか出してきた鍵を、素早く鍵穴に突っ込む。
 しかし、鍵は確かに開いたはずなのに、まだ何かがドアを遮っている。だが、それはさっきの鍵と違って絶対に開けられない堅さではなく、無理にドアを動かそうとすると揺らぐ程度の緩みがあった。

 ああ、くそっ、バリケードが邪魔すぎるっ。
 焦る気持ちを抑えておいらは片手を前に突き出し、腰を落として身構えた。数度呼吸を整え、気を高める。
 全身に流れるエネルギーを意識し、それが掌に集まるように。

「はぁああああっ!」

 それから気迫を込め、掌底を扉に叩きつけた。
 攻撃を加えた壁にはダメージを与えず、だが壁の背後にだけ攻撃を与える通背拳――の型通りではあったが、さすがにおいらの未熟な腕前じゃそんな魔法のような攻撃は出来ない。

 ドアにも少なからずダメージが通り、蝶番が外れて吹っ飛ぶ。そのついでにバリケードも半分以上崩れたらしく、隙間がぽっかりと開いた。
 その途端、中から賑やかな声が聞こえだした。

「支配人、無事ですかっ!?」

 叫びながら、おいらは歪んだドアの隙間からするりと中に入り込む。
 管理室は、意外と狭かった。ただ、壁一面に何台もの薄型テレビがかけていて、二台ほどのパソコンも設置されている。後は放送に使うためなのか、マイクやらなんやらも置いてある。

 だが――人影は見当たらなかった。
 いるのは、二体のキョンシーのみだ。

 狭い部屋の中をベビーキョンシーがふわふわ飛び回りながら、しきりにTV画面を覗き込んでは、不思議そうに手で触れている。
 多分、あのTV画面は店内の監視カメラで映された物なんだろう。無人の店内を、ただ映しているだけの退屈な映像だ。

 なのにベビキョンときたら、玩具売り場を映した画面に釘付けだった。
 ぬいぐるみの山を映した映像がお気に召したのか、さっきから何度もそれを取ろうと画面に触れたり、確かめるようにTVの裏側に手を伸ばしたりしている。

 けれど、そんなことをしたって、ぬいぐるみがとれるわけがない。が、ベビキョンにそんなことが分かるはずもない。

「アー。アー、ァー?」

 可愛らしい声をあげながら、飽きることなく何度もぬいぐるみに手を伸ばす。そんなベビキョンの少し後ろで、小刻みにぴょんぴょん跳ねているのはポンだった。

 遊びに夢中で帰ろうとしない幼児を持て余している父親のごとく、ちょっとイライラした風に見える。貧乏揺すりのように小刻みな飛び跳ねのせいで、机の上に置いてある物がコロコロと転げ落ちていた。
 と、頓狂な声が背後から聞こえてきた。

「うわぁあああああああっ、その集音装置は高かったんだぁぁああっ。あっ、先週買ったばかりのマイクを壊さないでくれぇえええっ」

 き、緊張感が欠けることこの上ないな、とりあえず支店長は無事だと分かったけど。
 ちらっと後ろを見ると、ドアの前に置かれた大きなオフィス机の下に、頭を抱え込んだ支配人が潜り込んでいるのが見えた。

「何があったんですか!?」

「わ、私にも何がなんだか……。お客さんの避難が終わったから、店員達を先に逃がして、鍵をしっかり閉めてここに籠もっていたのに、あいつら、急に現れたんだ……っ」

 少し混乱している様子だったが、それでも支配人の答えはきちんとしている。

 なるほど……、何の気まぐれを起こしたのか、ベビキョンがここに飛んできたんだな。のっぽのチーの姿は見えないが、元々ベビキョンはポンを父親だと思い込んで慕っていたし、お気に入りのポンだけを連れて飛んだらしい。

 支配人には災難だったが、内部からバリケードまで作られたこの部屋にきたのでは、ポンにしてみれば閉じ込められたも同じだ。ベビキョンがまた外に出してくれる気になるまで、ああやって待つしか無かったらしい。

 そんな風にポンの注意がベビキョンに向かい、ベビキョンがTV画面に夢中だから、支配人も無事だったようだ。
 それでも、おいらは念のため、聞いてみた。

「怪我は!? キョンシーに何かされませんでしたか!?」

 わずかでも傷を負っていたら、悪化する可能性がある。だが、支配人は頭を抱え込んだまま、恨めしげにおいらを見た。

「怪我は……今の衝撃で、頭をぶつけたぐらいだよ」

 うっ。どうやら、さっきのおいらの攻撃は支配人にもダメージがいってしまったらしい。ごめん、ホントにごめんっ。
 謝らなくちゃと思ったが、その時、ポンが飛び跳ねるのをやめ、身体をぐるりと回してこちらを向いた。

 濁ったその目に、わずかな輝きが見える。
 それが獲物であるおいらを見つけた喜びのせいか、それともおいらの背後に見えるドアの隙間を見つけた喜びのせいなのかは分からない。 

 だが、分かっていることはただ一つ。ここで、再びポンを逃がしちゃいけないってことだけだ!
 攻撃の気配を見せるキョンシーを前にして、おいらは素早く身構えた――。        《続く》  

 

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