拾章 ポンとの決着 |
おいらは桃剣を抜くと、迫ってくるポンを前に身構えた。 剣は左手に持ち、切っ先をポンに向けて伸ばす。 が、右腕は敢えて力を抜き、だらりと下げたままにする。とはいえ、左手だけで切り下げることができなければ、すぐに添え垂れるように心がけている。西洋のフェンシングにも似た構えだ。 そして、意識を眉間に集中する。 集中した意識は左腕に流すように誘導してやり、腕から桃剣へと流し込む――これが、桃剣に念を込めるプロセスだ。 念が剣に流れ込む手応えを感じた時には、刀身が光を放ち始める。……とは言ってもおいら程度の見習いじゃ、よくよく見ればそうかもしれない、って程度の淡い光しか光らせられないけど。 だが、光以外の変化の方が顕著だ。 しかし、念を込めた状態になると鋭さを増し、刀身も鋭さを増す。まるで研ぎ澄ました刀のように、切れ味が増すのだ。 そしてこの剣は、キョンシーには威力が倍増する。 問題は、動きの素早いポンに攻撃を成功させることができるかどうか、だが――。 「――ッ!!」 声になりきってない叫びを上げ、ポンがおいらへ突っ込んでくる。キョンシーステップを踏むその動きは、驚くほど速かった。だが、おいらは慌てることなく一旦腕を曲げて剣を戻し、ポンの動きに合わせて剣を突き出した! タイミングはぴったりだった。 「ベビキョンか!!」 ベビキョンは超能力がおいらに通じないと思ったのか、ポンの方を動かすことにしたらしい。元々動きの速かったポンの身体が、それまで以上の速度で高く浮き上がる。通常のジャンプでは有り得ない、空中で軌道変化するその動きのせいで、おいらは頭上を取られてしまった。 ポンの身体が、おいらの真上に浮かぶ。と、思った瞬間、それは猛烈な勢いで落下してきた! この落下も、通常以上の速度がある。 キョンシーの体重は生前以上に重い、もろに踏み潰されたらたまったものじゃない。 「くうっ」 おいらは痛みをこらえつつ、その場で後ろにジャンプしてもう一度間合いを開く。 だが、今度はポンも黙ってはいなかった。 今度こそ、攻撃を成功させてやる! とは言え、言うのは簡単だが、実行は難しいんだけど。ベビキョンの超能力は間合いもへったくれもなく、遠くからでも効くんだから。しかもベビキョンは、飛びながらポンの隣へと並んできた。 「バーバッ!」 小さいながら、いっちょ前に父親を守るつもりなのか――そう思った時のことだった。 「ギャーッ」 甲高い声を上げ、ベビキョンが後ろにすっ飛んだ。 「きさま……っ、なにをするんだよっ!?」 とっさに、怒りがこみ上げる。 自分に懐いていた子供だというのに、戦いの邪魔だと思っただろうか。 突進してくるヤツの動きに合わせ、おいらは伸ばしていた腕を上げ、日本の剣で言う片手上段の構えに変えた。 その瞬間、桃剣は殺気以上に強い輝きを放ち、ポンの右肩から腹部にかけて深く食い込んだ。 剣から、ヤツの身体がブルブル震えているのが伝わってくる。おいらは、さらに念を剣に流し込む! それと同時に、くらりと目眩を感じた。 慌てて身を引いた瞬間、念も途切れてしまったのかポンも後ろへと飛ぶ。その時、桃剣もそのまま持っていかれてしまった。まだ腹に刺さったままだが、念が込められていない桃剣などただの木の枝も同然だ。 死者であるキョンシーは痛みも感じないし、気にする様子もない。再び襲いかかってこようとするポンを見ながら、おいらは素早く墨ひもを取り出し、両端を手にくるくるっと巻き付ける。 さっき作ったばかりの墨ひもはまだ湿っていて気持ち悪かったが、この際、そんなのはどうでもいい! 両手の間に糸をピンと張り、ポンの突進に備える。 馬鹿正直に突っ込んできたポンは、細いたこ糸に触れて弾かれた。 鶏の血が薄いのがダメなのか、お子様墨汁がダメだったのか、あるいは見習い霊幻道士であるおいらの術が未熟だったのか、はたまたその全部か――とにかく、一度吹っ飛ばされたポンはすぐさま元気よく起き上がり、また突っ込んでくる。 ポンの攻撃は、キョンシー特有の前に突き出た腕による手刀攻撃だった。それを軽く避け、おいらはその突き出した手に墨ひもを巻き付ける。 「ぐぉっ!?」 初めて、ポンが声を上げた。 それを嫌ってか、ポンは腕を振り回したり、ジャンプしたりしてそれをはずそうとするが、キツく巻き付けたひもがそんなことで外せるはずがない。ますます、深く食い込むだけだ。 ポンの苦痛の叫びはどんどん大きくなり、暴れ方も激しくなったが、細い糸は不思議なぐらい頑丈だった。キョンシーの怪力にビクともせず、かえってきつくしまっていく。 「ぐぉぉおおおおぉおおぉお」 不服そうに唸るポンは、もうほとんど動けなくなっていた。思ったよりも効き目があった墨ひもに感謝しながら、おいらは懐から一枚のお札を取り出す。 「これで終わりだ」 そう言って、ヤツの額にぺたりと貼り付ける。すると、ポンは完全に動きを止めた。 ポンをやっつければ、後はベビキョンだけ。おいらはくるりと後ろの方を振り向いた。 かすかに、もうこのまま大人しくなってくれないかなーと期待はしていたが、思いっきり壁に叩きつけられたはずのベビキョンは、やっぱり無事だったようだ。 しばらくの間、動きを止めていたのは、単にダメージで一時的に動けなくなっていたのか、それとも父親と信じていたポンに乱暴にされたのがショックだったのか――。 どちらにせよ、もうベビキョンの超能力は復活していた。 ……今度はこいつが相手かとうんざりしたが、ベビキョンの目はおいらなんか見てはいなかった。 「……アー? ァー……バーバ?」 ひどく頼りなげな声でそう呼びかけながら、ベビキョンは周囲を見回す。両手を前に突き出すその姿勢は、キョンシー特有の物なのに、今のベビキョンはまるで抱っこをねだっているかのように見えた。 「バーバッ!」 飛ぶのをやめ、ぴょんぴょんと床を跳びはねながらポンの足下にすがりつく。が――当然のことながら、ポンがそれに反応することは無かった。当たり前だ、師匠がくれた中で一番強い札で念を入れて動きを封じたんだ、絶対に動けるわけがない。 札を剥がしてしまえば別だが、幸いと言うべきか、ベビキョンにはお札を剥がすという概念がないらしかった。足下にすがりついたり、超能力で跳び上がって胸元を軽く叩いたりしているが、そんなことは全くの無駄だ。 しばらくそうやってから、とうとうベビキョンはポンがもう動かないと悟ったらしい。 「バーバ! バーバ! ビェーン、エンエンエンエーン!」 いきなり、火がついたように泣き出した! その小さな身体からは信じられないような大きな声で、もう、うるせーのなんの。鼓膜が破れるかと思った。 「え、ええ〜?」 正直、おいらはどうしていいか、分からなかった。 つい、辺りを見回したが、未だバリケードの下に潜り込んだままの支店長は頼りになりっこない、知っていたけど。 仕方なく、こわごわとベビキョンに手を伸ばしてみた。そっとお札でも貼ろうと思ったんだが、泣くのに夢中なのかベビキョンは抵抗一つしない。それどころか、わんわん泣きながらおいらの身体にすがりついてきた。 「え!?」 あまりにも意外すぎて、おいらはついついそのままベビキョンを抱きかかえてしまった。そうなると、ベビキョンはそここそが自分の場所とばかりにしっかりとしがみついてきて、甘えるようにさらに泣き出した。 「あばばばばー……、ちょめちょめちょめ……」 抱っこしたベビキョンを軽く揺すったり、気がそれるように面白い顔をしてやったりと、一生懸命あやしながら支配人に目配せする。今のうちに逃げろと伝えたつもりだが、支配人ときたら腰でも抜かしているのか、単にビビってるだけか、ピクリとも動かない。 その代わりに、中が静かになって安全と見た高虎がミンミンと力を合わせてせっせと瓦礫をどかし、中に入り込んできた。親子なのに、なんでこうも行動力が違うんだよ? その頃にはベビキョンも落ち着いたのか泣き止み、嬉しそうに「ジェジェ! ジェジェッ!」なんて言いながら、おいらに抱きついてきた。 「へー、なんだかずいぶん懐いちゃったみたいだね、その子。なんて言ってるの?」 高虎の質問は、おいらにとっては嬉しくないものだったから無視しようとしたけど、この場には運悪くミンミンがいた。 「お姉さん……そう言ってるネ。この子、ナムのことを実のお姉さんって思ってるアルヨ」 まさに、その通りっぽい。くそー、おいら、男なんだけどなー。 まあ、本当に姉がいたかどうかなんて、資料には詳しく載っていなかったから、良くは分からないけど。 おいらが知っている話では、この子は百年以上前、まだおいらの国が封建時代だった頃の子だ。貧しい両親が働きに出かけ、一人残されたこの子は寂しくなったのか親を探して外に出てしまい、崖から足を踏み外して死んだとか……。 ベビキョンの人なつっこい笑顔を見て、おいらはそんなことを思い出した。 「ジェジェ、ジェジェーっ」 可愛らしい声で呼びかけながら、ギュッとしがみついてくるその身体には体温は感じられない。だけど、小さな手の感触はやけに健気に感じられる。 ――おいらはため息をついて、握りしめていたままだった札をしまい込んだ。そして、抱きついているベビキョンを軽く持ち上げ、肩車してやることにする。普通だったらこんな小さい子に肩車なんて危ないが、相手は超能力を持ったベビキョンだ。 「ほら、しっかりつかまっていろよ。落ちたら危ないからな」 一応そう声はかけたけど、空を飛べるベビキョンなら別に落ちても問題は無いんじゃないかって、後で思った。けれど、ベビキョンはそれを聞いてやけにご機嫌になった。 「アーッ、アッ!」 分かったとでも言いたげに、ベビキョンはギュッとおいらの髪を掴む。ちょっぴり痛いが、そこは我慢! ずっと抱っこしているよりは、まだこの方がマシなんだから。 「ナ、ナム君? その子は……その、お札とかで眠らせないのかい?」 高虎に引っ張られてやっと出てきた支配人が、おどおどと声をかけてきたが、おいらはゆっくり首を横に振った。 本当は、早めに眠らせた方がいいのは分かっている。お師匠様からも、キョンシーが目覚めたらすぐに札を貼り直して眠らせろ、と厳命された。けど――自分でも甘いと思うけど、ほだされちゃったんだからどうしようもない。 いずれ眠らせなければいけないにせよ、少しの間だけでもこの可哀相なベビーキョンシーの未練に付き合ってやりたくなったのだ。 この子は多分、もっと親に甘えたかったし、遊んで欲しかっただけだ。そこに悪意はない。 無害なキョンシーをうまく説得するのも、優秀な霊幻道士に鳴るための条件なのだ。自分にそう言い聞かせながら、おいらはできる限り堂々と言い切った。 「この子は、こっちからちょっかいをかけない限り暴れません。このまま保護します」 「だ、大丈夫かね? まあ、君がそう言うのなら……」 心配そうながらも、支配人は頷いてくれた。本音をぶっちゃければ、おいらだって心配なんだけど……まあ、なんとかなるだろ。おいらは肩に乗っているベビキョンの足を、親しみを込めてポンポンと叩いた。 《続く》 |