『優しい嘘』 |
「ポップ、遅いなぁ……」 パプニカ王国の図書室で、ダイは退屈そうに足をブラブラさせながら入り口を気にしていた。 最近、教師から出される宿題が難し過ぎるとボヤいたところ、ポップの方からそれなら明日の午後空き時間があるから、少し見てやると言ってきてくれたのだ。 ポップからの誘いはめったにないだけに、ダイとしてはすごく嬉しかった――たとえ、大っ嫌いで苦手な勉強をしなきゃならないとしても。 現在のダイはパプニカ王宮に客人として住み込み、遅ればせながらの教育を受けている真っ最中だ。世間的には帝王学を習っていると思われがちだが、実はまだそこまでいっていない。 彼が学んでいるのは、初歩の文字書きからごく常識的な一般知識に過ぎない。はっきりいって、そこらの初等学校の生徒のレベルと大差がない。 その程度の勉強を教えるのに、パプニカが誇る学者達が総掛かりで教師をしているとは、はっきりいって情けない事態である。 (……ホントは、ポップに習いたいのになあ……) 12才の時は、ポップが戦いの合間に気紛れのように字を教えてくれたりもしたが、あいにくと今の彼にはそんな暇がない。 本人は右腕というよりは、便利屋としていいようにこき使われているだけだとボヤいているが、彼の仕事量が質、量ともにおいて並外れたものであるのは確かだ。 だからこそ、はりきって一生懸命宿題をやり遂げたのだが……ポップは約束の時間を過ぎても、まだこなかった。 (忙しいのかな、やっぱり) 退屈しのぎに、ダイはぐるりとそこらの本棚を眺めやる。……正直、本がたくさんある場所は、あまり好きになれないが。 「あれ、これって……」 見覚えのあるタイトルに、自然に手が伸びていた。ずっと前に、ポップが読んでくれた本の一つだ。 (これ……一番好きだった話だっけ) 懐かしさにつられて、ダイはその本を何気なく開いた――。
慌ただしく図書室に飛び込んできたポップは、約束の場所にいないダイに首を傾げる。が、探すまでもなく目の端に見慣れた人影が飛び込んできた。 「なにやってんだよ、ダイ。そんなに面白い本でも見つけたのか?」 ダイはポップを見上げ、それからふるふると首を横に振った。 「これ……おれが昔、ポップから聞いたのと、違う」 確かに途中までは、ポップから聞いた話の通りだった。一緒に冒険して、友情を深めて――だが、最後は……男の子は大人になり、ドラゴンの存在を信じなくなった。夢や冒険などを忘れてしまった大人は、ドラゴンと遊ぶよりも普通に生きる道を選んだ。 二人は友達ではなくなり、ドラゴンはひとりぼっちに戻った――そんな、少し哀しい終わりだった。 「あ……、気がついちまったのかよ?」 懐かしい記憶を思い出し、ポップは苦笑する。 自分が純粋な人間でないと知り、父親とも決別したばかりの頃の小さな勇者に、それを聞かせるのはなんだか酷な気がして……嘘をついた。 「嘘つきだなあ、ポップは」 「なんだよ、怒っているのか? 今更、時効だろ、そんなの」 軽く手を振ってごまかそうとするポップに、ダイは本を差し出した。 「ねえ、ポップ、久しぶりに本を読んでよ」 「へ?」 「ほら、おれに勉強を教えてくれ始めたばかりの頃、よく本を読んでくれたじゃないか。いいところまで読んでおきながら、続きを聞きたければ勉強をしろって言いながらさ」 「あー、そういやよくやったなあ。おまえって、全然勉強したがらないからよ」 苦笑しつつも、ポップはダイが手にした本を手に取った。 「ま、たまにはいいか。だいぶ待たせちまったし、今日の午後はたまたま仕事はないしさ。ちょっとぐらいはサービスしてやるよ」
そこはぽっかりと空いた、静かな空間。 柔らかい木漏れ日の降る木の下で、ポップは太い幹の根元にもたれるように座り込み、本を読んでいる。 あの頃よりも、ほんの少し声が低くなっただろうか。だが、変わらずに耳に心地好い。口調や本の内容にあわせて動く、豊かな表情も全然変わりがない。 緑の衣を着た、魔法使い。 哀しい童話を幸せな話に変えてくれたり、忙しい中無理をしてまで空けてくれた時間を『たまたま』だと言ったり……。 怒るだなんて、有り得ない。 ただ、ポップの側にいて、その声を聞いていたいだけだ。 《後書き》 |