『優しい嘘』

  

「ポップ、遅いなぁ……」

 パプニカ王国の図書室で、ダイは退屈そうに足をブラブラさせながら入り口を気にしていた。
 ここで、この時間に会おうと約束したのはポップの方だった。

 最近、教師から出される宿題が難し過ぎるとボヤいたところ、ポップの方からそれなら明日の午後空き時間があるから、少し見てやると言ってきてくれたのだ。

 ポップからの誘いはめったにないだけに、ダイとしてはすごく嬉しかった――たとえ、大っ嫌いで苦手な勉強をしなきゃならないとしても。
 二年前、弱冠12才で世界を救った勇者様であり、王女レオナの最大の婚約者候補として認識されているダイとはいえど、まだ子供。

 現在のダイはパプニカ王宮に客人として住み込み、遅ればせながらの教育を受けている真っ最中だ。世間的には帝王学を習っていると思われがちだが、実はまだそこまでいっていない。

 彼が学んでいるのは、初歩の文字書きからごく常識的な一般知識に過ぎない。はっきりいって、そこらの初等学校の生徒のレベルと大差がない。

 その程度の勉強を教えるのに、パプニカが誇る学者達が総掛かりで教師をしているとは、はっきりいって情けない事態である。
 まあ、学者達も不本意だろうが、ダイに取っても大いに不満だった。

(……ホントは、ポップに習いたいのになあ……)

 12才の時は、ポップが戦いの合間に気紛れのように字を教えてくれたりもしたが、あいにくと今の彼にはそんな暇がない。
 時期パプニカ王国宮廷魔道士の地位を約束された若き大魔道士は、今では王女レオナの右腕とも言える実質的な政務官として活躍中である。

 本人は右腕というよりは、便利屋としていいようにこき使われているだけだとボヤいているが、彼の仕事量が質、量ともにおいて並外れたものであるのは確かだ。
 常に忙しく仕事に追われているポップが、平日にわざわざ時間を割いてくれるのは珍しい。

 だからこそ、はりきって一生懸命宿題をやり遂げたのだが……ポップは約束の時間を過ぎても、まだこなかった。

(忙しいのかな、やっぱり)

 退屈しのぎに、ダイはぐるりとそこらの本棚を眺めやる。……正直、本がたくさんある場所は、あまり好きになれないが。
 背表紙を見ているだけで頭痛がしてくるような難しい本を避け、できるだけ簡単そうな本を探して歩いていると、必然的に子供向けの本のコーナーに来ていた。

「あれ、これって……」

 見覚えのあるタイトルに、自然に手が伸びていた。ずっと前に、ポップが読んでくれた本の一つだ。
 海に住むドラゴンと、人間の男の子との物語。種族を超えて仲良くなった一人と一匹が、どこまでも終わらない冒険の旅に出る話だった。

(これ……一番好きだった話だっけ)

 懐かしさにつられて、ダイはその本を何気なく開いた――。

 

 


「悪い、悪い、遅れちまって! 会議が変に長引いちまってさ、いや、こんなに遅くなるつもりじゃなかったんだけどよ……って、ダイ?」

 慌ただしく図書室に飛び込んできたポップは、約束の場所にいないダイに首を傾げる。が、探すまでもなく目の端に見慣れた人影が飛び込んできた。
 子供用の本のコーナーの床に座り込んで、本を読んでいるダイの姿が。

「なにやってんだよ、ダイ。そんなに面白い本でも見つけたのか?」

 ダイはポップを見上げ、それからふるふると首を横に振った。

「これ……おれが昔、ポップから聞いたのと、違う」

 確かに途中までは、ポップから聞いた話の通りだった。一緒に冒険して、友情を深めて――だが、最後は……男の子は大人になり、ドラゴンの存在を信じなくなった。夢や冒険などを忘れてしまった大人は、ドラゴンと遊ぶよりも普通に生きる道を選んだ。

 二人は友達ではなくなり、ドラゴンはひとりぼっちに戻った――そんな、少し哀しい終わりだった。

「あ……、気がついちまったのかよ?」

 懐かしい記憶を思い出し、ポップは苦笑する。
 悲しい結末の童話。
 それをそのまま話さずに、ハッピーエンドに変えて話したのは他でもない、ポップ自身だった。

 自分が純粋な人間でないと知り、父親とも決別したばかりの頃の小さな勇者に、それを聞かせるのはなんだか酷な気がして……嘘をついた。

「嘘つきだなあ、ポップは」

「なんだよ、怒っているのか? 今更、時効だろ、そんなの」

 軽く手を振ってごまかそうとするポップに、ダイは本を差し出した。

「ねえ、ポップ、久しぶりに本を読んでよ」

「へ?」

「ほら、おれに勉強を教えてくれ始めたばかりの頃、よく本を読んでくれたじゃないか。いいところまで読んでおきながら、続きを聞きたければ勉強をしろって言いながらさ」

「あー、そういやよくやったなあ。おまえって、全然勉強したがらないからよ」

 苦笑しつつも、ポップはダイが手にした本を手に取った。

「ま、たまにはいいか。だいぶ待たせちまったし、今日の午後はたまたま仕事はないしさ。ちょっとぐらいはサービスしてやるよ」

 

 


「その人間の少年は、ドラゴンに向かって言いました。『約束しよう。おれ達はずっと、友達だよ』」

 そこはぽっかりと空いた、静かな空間。
 人の姿が絶え間のないパプニカ城の奥まった場所にある、空き地じみた中庭の一つ。
 日当たりのいいその庭に、ポップの朗読が静かに響く。

 柔らかい木漏れ日の降る木の下で、ポップは太い幹の根元にもたれるように座り込み、本を読んでいる。
 今のダイはもう、自分でその本を読めるけれど、今でもポップの朗読で聞いた方がはるかに面白く感じられる。

 あの頃よりも、ほんの少し声が低くなっただろうか。だが、変わらずに耳に心地好い。口調や本の内容にあわせて動く、豊かな表情も全然変わりがない。
 ポップは、ポップのままだ。

 緑の衣を着た、魔法使い。
 彼は時々嘘をつく。
 でも、それはいつだって優しい嘘だ。

 哀しい童話を幸せな話に変えてくれたり、忙しい中無理をしてまで空けてくれた時間を『たまたま』だと言ったり……。
 ポップはそうやって、いつも細やかに嘘をつく。

 怒るだなんて、有り得ない。
 童話の結末なんて、どうでもいいと言えばどうでもいい。ダイの気持ちは、今も昔も変わらないのだから。

 ただ、ポップの側にいて、その声を聞いていたいだけだ。
 緑色の絨毯のような芝生の上に寝転がって、ダイは満ち足りた笑顔でポップを見つめていた――。
 
 
                                     END


《後書き》
 目指せ、ほのぼの! …のつもりで書いてみた初のお題短編っす。ちなみに、狙ったテーマは『勉強』……って、あれ? お題からズレとるよーな気も? ついでに、この話でポップが読んでいる童話は、マジックドラゴンという英語の童謡が元になっとります。うろ覚えで定かじゃないけど。
 

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