『共に』

  
 

「うぅ……」

 冷や汗と共に、小さな呻きが勇者の口から漏れる。
 敵は、強大だった。

 自分の力では絶対に敵わないのではないか……ともすればそんな危惧が浮かびあがる。だが、ダイは歯を食いしばって、真っ向から立ち向かう。

 いや、立ち向かおうとした。
 しかし……あまりの圧倒的戦力の差の前に、勇者はついに膝を屈した。

「だ、ダメだぁ、やっぱり……」

 頭を抱え込んで降伏したダイに、すぐ隣に座っていたポップはべしっと彼の頭を叩いて叱咤する。

「こらっ! さっきから五分と経ってないだろうが! もう一度、よっく考えやがれ!」


「だって、もう、どこがどう分からないかも、分からないもん……」

 もはや泣きべそをかきながら、ダイは机の前に突っ伏していた。その前に広げられたのは、幼い子供のために易しく書かれた文字のテキスト。

 怪物に対してはなんの恐れも感じず、強大な敵であろうとも一歩も引かない勇者だろうとも、苦手な分野は存在するのであった。
 魔王軍との戦いの合間の、貴重な自由時間。

 なのにパプニカ城で過ごす平和なこの一時こそが、ダイにとっては今までの中で最大の戦いにも匹敵するプレッシャーを与えてくれる。

「おれ、もう字なんて読めなくても、いいよ〜。どうせ、役に立たないしー」

 臨時の家庭教師役を引き受けているポップは、ダイの目の前におかれた本をさしながら文句をつける。

「何言ってんだ、このバカは。いいわけないだろーがっ! いざって時のために、字ぐらい読めるようになっとけよ。字が読めると便利だぞ、本だって自分で読めるようになるし」


「そりゃ、ポップは本が好きだからいいかもしれないけどさぁ……」

 ダイにしてみれば読書なんて、何がそんなに面白いものなのか、さっぱりと分からない。時々、ポップが何時間も集中して本を読んでいる時があるが、ダイにしてみれば全然構ってもらえなくなるので面白くはない。そういう意味で、本はどちらかと言えば嫌いな方だ。

 が、ごく自然に読書に馴染んでいるポップにしてみれば、本を読みたくないというダイの心理こそが理解できないようだった。

「アバン先生の本だって、自分で読みたいとは思わないのか? あれには、先生の残した大切な言葉がいっぱい書かれているんだぞ」

「そりゃあ思うけど……あれ、むつかしくておれにはよく分かんないんだもん」

 先生の形見とも言える、彼の直筆の本。珠玉とも言える言葉が書き残されたその本は、アバンの使徒達にとっては心の指針といも言える貴重なものだとはダイも理解している。


 レオナやクロコダイン、果てはヒュンケルにも頼んで読んでもらったが、……正直、その結果は惨澹たる代物だった。先生の口調が感じられる基礎的な精神論などはまだしもよかったのだが、理論構成を元にしたそっけない説明文にはとてもついていけない。

 聞いているうちに訳が分からなくなり、頭がぐちゃぐちゃになるか、眠くなってしまうかのどちらかだ。

 一番分かりやすかったのは、ポップの説明だ。難しい部分は分かりやすく噛み砕いてくれ、先生から実際に聞いた余談を交えながら面白おかしく話してくれる朗読を聞いた後では、他の誰の朗読を聞いても色褪せる。

 ましてや、自分で読むなんて論外だ。

「おれが読めなくっても、ポップが読んでくれるじゃないか」

「甘えるなっつーの。おれがいなかったら、どうするんだよ? いつも一緒にいられるとは限らないんだからな」

 突き放す言葉は、正論なだけにきつい。
 そして、残酷な程に真実だった。

 戦いの最中、魔法使いの癖に最前線で戦うポップは、仲間の誰よりも命の危険に晒されている。
 実際……ほんの数日前に、ポップは一度死んだ。

 自ら自己犠牲呪文を唱えたポップが、蘇生できたのはほとんど奇跡に等しい。その時のことを思い出すと、ダイはいまだに落ち着かない気持ちにさせられる。

 一歩間違えていたら、この魔法使いとは永遠に別れたままだったかもしれないのだ――。
 しょぼんとしてへこむダイの頭に、ポンと、暖かいものが置かれる。

「……いてやるよ」

 ボソッとした言葉と同時に、ぐしゃぐしゃっと乱暴に髪の毛がかき乱される。だが、その手はちっとも痛くはなかった。

「だから、いつも、ずっと一緒にいてやるっつーの」

 その言葉と同時に、ポップは最後に強く頭を一つ叩いてから手を離す。ダイの悩みや不安をきれいさっぱりと吹き飛ばす様な勢いで。

「いつまでもつまんねーこと気にして、ンならしくもないシケた面してんじゃねえよ」

「ポップ……」

 嬉しさと、暖かさが胸の中に広がった。
 ちょっと乱暴なのに、不思議と耳に心地好い。いつだってポップの言葉が、ダイを救ってくれる。
 見上げると、ポップは満面の笑顔を浮かべて言った。

「さ、今度は計算問題やるぞ」

 ――感動をぶちこわしてくれるのも、大概はそのポップだが。

「……ポップ、そりゃあないよっ!」

「やかましい、こっちだって好きでおまえに教えてるんじゃねえ! 姫さんからきっつく言われてんだよっ!」

「レオナ、から?」

 思いがけない名前にダイはきょとんとすると同時に、すとんと納得してしまう。
 だいたい、最初から変だなとは思っていたのだ。

 兄弟子に当たるくせに、ポップにはダイを教え導いてやろうなんて意志はかけらもない。元々、最初から兄弟弟子というよりも、対等な友達感覚で付き合ってきた。

 聞いた質問にならなんでも答えてくれるし、戦いに必要な知識や特訓には進んで協力してくれるが、それは仲間としてのサポートの範囲内だ。

 弟に対してなら、時には叱ったり勉強を教えるのもありだろうが、ポップは今までそういうことはしなかった。それだけに急に勉強を教えてやると言われた時は、違和感を覚えた物だが――。

「そっ。しょうがないだろ、なにかと世話になってるし、なんせお姫様だもんな。頼みこまれたら断れないしよ」

 下手に断ると後が恐そうだし、と付け加えるあたりに本音が漏れている。

「だから、おまえが簡単な読み書きや計算を覚えてくんないと、おれはいつまでも家庭教師役から抜け出せないんだよ!」

「…………おれも……」

「ん?」

「おれも……レオナに、言われたんだ」

「なんて?」

「ポップを見張っててくれって。目を離しちゃ、ダメだって」

 勉強嫌いのダイが、おとなしく従っている最大原因はその言葉のせいだった。蘇生後、体調が不安定なしばらくの間は安静にしていたポップだが、少しよくなった途端、ふらふらと勝手にどこかに出かけてしまう。

 完全に治っているならそれでもいいのだが、時折ぶり返しが出ているのか、たまに具合が悪そうにしている時がある。

 正面きって問いただせば、本人はもうなんともないと言い張るのだが……、はっきり言ってそういう時のポップの言葉には信憑性に欠ける。

 ダイと同じく、ポップの死亡を目の当たりにしたレオナが心配するのも当たり前で、だからこそ同じ立場のダイも素直に従っていたのだが――。

「……なるほど。おれ達、どうやらそろってあの姫さんにハメられたっつーわけか。ほんと、可愛い顔して食えないお姫様だよなー」

 ポップが深々と溜め息をつく。

「……みたいだね。レオナ、頭いいなあ」

「こら、そこは感心するとこじゃねえだろ?! ちったあ怒れよ! あーあ、もうやってらんないぜ、勉強なんざヤメだ!!」

 そう怒鳴ってから、ポップはふと何かを思いついたらしい。その口許に、ニヤリとした笑みが浮かぶ。

「なあ、ダイ。町に遊びにでも行かないか?」

「え?」

 急な誘いに、ダイはきょとんとして目を見張る。

「え? でも……そんなことしたら、レオナ、怒るんじゃ…?」

「どうしてだよ? いいか、姫さんがおれに言ったのは、おまえの勉強を見ろ、だ。町で実際に買い物でもして計算の勉強を教えるんなら、文句はないだろ?」

「んー? そう……なのかなぁ?」

 あんまり頭を使うのは得意ではないダイは、ポップのその屁理屈をどう受け入れていいものやら、首をひねって考え込む。

「そーゆーことで納得しとけよ。ほら、行くぞ、ダイ」

 今すぐにでも窓から飛び出しそうなポップを見て、ダイは慌てて掴まえた。

「ダ、ダメだよ。勝手に外に行ったりしちゃ! おれまでレオナに怒られるよ!」

「へえ? 姫さんに言われたのって、おれの『見張り』じゃなかったのか?」

 面白そうにそう言ってのけるポップの目には、茶目っ気を含んで輝いている。その目に、ダイは見覚えがあった。ポップを見張っていてくれと言った時の、レオナの目にそっくりだ。

「おれから目を離さなきゃいいんだろ? だったら、おまえもついてくりゃいいじゃん。それで、どちらも姫さんとの約束を守れるんだから」

「う〜〜ん……」

 少し、ダイは考え込む。
 ポップの言った言葉は、別に間違ってはいない……と思う。確かにレオナの約束にも抵触してはいない。
 しかし、それでもレオナが怒りそうな予感が、少しするのだが……。

「で、どーすんだよ、ダイ?」

 窓枠に足をかけて誘いをかける親友に、ダイは躊躇も忘れて手を伸ばした。

「待ってよ、ポップ! おれも行くよ」

「よっしゃ、そうこなくっちゃ!」

 手を繋いで窓枠を蹴った二人の少年は、ふわりと宙に浮いて外へ飛び出していった――。

 





 

 

「……やっぱり、逃げたわね」

 開きっ放しの窓にカーテンが揺れ、さらに開いたままの本のページがパラパラとめくれている。

 無人になってしまった部屋を眺めながら、レオナは苦笑していた。
 予想していなかったと言えば、嘘になる。いくら互いに互いを見張らせ、約束で縛っておいたとしても、ダイとポップがいつまでもおとなしくしているはずもない。

 二人そろって、勉強をサボって大脱走とはいかにもやりそうなことだ。
 ぎこちない字が書かれているノートを手にして、レオナはくすくすと声を出さずに笑う。


(まあ……いいわ。二人一緒にいるなら、ね)
 
 ダイ一人だけでは、いけない。
 ポップ一人だけでも、駄目だ。

 ダイとポップ。
 彼らは二人そろってこそ、互いの力を存分に発揮できる。
 足りない部分を補い合って、互いに互いを高め合うように成長していく勇者と魔法使い。
 どんどん先に行ってしまう二人に、少しばかり羨ましさや寂しさを感じるが、レオナはそれを妨げる気はなかった。

 むしろ、見届けたいとさえ思う。
 成長の行き着く先、あの二人がどこまで辿り着くかを――。

「さて、と」

 パタンとノートを閉じ、レオナはそれを本と重ねて丁寧に机の上に置き直した。窓も閉じようと仕かけたが、二人がここから戻ってくる可能性を考えてそのままにしておく。
 二人を追いかける気など、レオナにはなかった。

 どんどん成長していくあの二人の後を追い、ただ一緒にいるだけでは、仲間として失格だ。それでは、いずれ見守ることさえできなくなる。

 転職を希望して、一行から離れて一人で修行する道を選んだマァムの気持ちが、今のレオナにはよく分かる。
 仲間として彼らの横に立ちたいのなら、レオナも成長しなければならない。

 レオナは、レオナだけにしかできないことを、成し遂げる必要があるのだ。
 最後に一度、開きっ放しの窓を振り向いてから、レオナは潔く踵を返して部屋を出て行った――。

 

                                   END



 《後書き》
 お題『勉強』〜っ! …って、またも勉強なんかしとらん気がします(笑) でもまあ、原作の間にあったかもしれないと思える、こーゆー話書くの、好きです!

 

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