『机上の戦い』

  
 

「なあ、姫さん……」

「なに、ポップ君?」

 パプニカ城の一室で。
 互いに手を伸ばせば触れ合う程近い距離を置き、レオナとポップは真剣な表情で向かい合っていた。

 ポップの目は、真剣そのものだ。
 微塵の妥協も許さないとばかりに鋭く引き締まり、一点を見つめている。それは魔王軍との戦いの最中で、敵に向けていた眼差しと同じ光がこめられていた。

「おれ……前から薄々思っていたんだけどさ……、禁術を使用して魔法力のバランスを崩して徐々に身体を壊すのと、精神力と睡眠時間を削ってジワジワとこき使われて消耗していくのって……どっちにしろ、大差ないんじゃないかなあ?」

 少しばかり掠れた声で言いながら、ポップは無意識のように手近にあるカップに手を伸ばす。だが、とっくの昔に空になっているカップは、喉の渇きを満たすのにはなんの役にも立たなかった。

「単に、自分で首吊り用のロープを用意するか、細い真綿でやんわり首を絞められるかの違いくらいのもので」

「ほほほほほほほ」

 乾いた笑いが、パプニカ王女の口から漏れる。
 彼女の目もまた、真剣そのものだ。
 しかし、レオナにせよポップにせよ、その目が見つめているのは互いの姿などではない。


「それはそれは、なかなかの卓見ねー。で、君は本当にその答えを知りたいの?」

「……いや、いいよ……」

 知ると余計後悔しそうだし、との言葉は口に出さずに心の奥に飲み込んで、ポップは一心に見つめていた書類に赤いインクで忙しく書き込みをした後、末尾に手早く署名をして目の前にいるレオナの方へと送り出す。

 17才の娘に、18才の青年。
 一室に籠もり、顔を突き合わせるように身近にいるにもかかわらず、二人の間には一向に甘い雰囲気などなかった。

 距離こそは近くとも、二人の間には豪奢な執務机と溢れんばかりに乗せられた多量の書類を挟んでいる。

 パプニカ王国の当主として、全ての決定権を握っている王女レオナは、国の最高指揮官として全ての事務処理を裁決し、承認しなければならない。

 それはいつものことだが、決算期にはその量がいきなり通常の数倍にまで膨れあがるから厄介だ。

 普段はそれぞれの執務室で仕事をしているレオナとポップだが、忙しい時期になると同じ部屋で仕事をすることが多い。さらに忙しくなると、三賢者までもがそろってレオナの執務室に籠もって作業することになるのだが、今はそこまで切羽詰まってはいない。

 次の書類に手を伸ばしかけたポップをやんわりと止め、レオナは机の端に置いてあるベルを鳴らした。

 チリンチリンと涼しげな音を立てて鳴るそのベルに反応して、すぐさまドアがノックされる音と共に侍女が訪れる。彼女にお茶の支度を申しつけてから、レオナは執務机を立った。

「少し、休んでお茶でも飲みましょう。いくら君でも、そろそろ疲れたんじゃないの?」
 

「まあね。そりゃあ疲れもするって。ここんとこ、ぶっとおしだったもんなー」

 ずっと同じ姿勢を保っていたので凝ったのか、ポップは首をコキコキとならしながら、腕や肩の辺りをしきりに動かす。

 レオナは書類を承認するために内容を確認し判を押すのが仕事だが、ポップの役割は書類に不備がないか最終確認するのが主だ。さらに言うのなら、レオナに継ぐ承認権も与えられているため、王女にわざわざ裁決を仰ぐまでもない書類はポップが承認するだけで事足りる。

 そのため、ポップが処理している書類の数はレオナ以上に多い。
 ついでにいうのなら、彼の仕事は事務官だけでは収まっていない。重要な会議には欠かさず参列し、他国との外交使節の役割さえも引き受けている。

 未だ宮廷魔道士見習いという地位にとどまっているポップだが、実質的には宰相の役割を負っているも同然だ。

「あーあ。なんで、おれってこんなことしてんのかなー」

 執務机を離れ、窓際に置かれたソファセットの方へ移動しながらポップは溜め息をつく。


「何でもなにも、決算期に言う台詞じゃないわね」

「いや、そうじゃなくってさ。姫さんはともかくとして、オレはンなことやる理由もないのによ」

 王家に生まれ、パプニカ王国の正統なる王位継承者として教育を受けたレオナなら、納得はできる。
 が、ポップは一般庶民にすぎない。

 ランカークスという片田舎のちっぽけな武器屋の息子であり、間違っても王政だの政治に関わりたいだなんて思ったことはない。
 そりゃあ冒険やら勇者に憧れたのは認めるが、魔王を倒した後でこんな政治の場の戦いにまで参入するとは、正直思いもしなかった。

 さらに言うのなら、自慢じゃないがポップはあまり勤勉な方ではない。
 やらなければならないことはきっちりやるが、そうでないならできる限りサボリたいし、楽して暮らしたいというのが偽らざる本音だ。

 そんな自分が、なぜに寝る間も惜しんで、望んでもいない職務に励んでいるのだろうか? しみじみと疑問だったのだが、レオナはかえって不思議そうにポップを見返した。

「あら? ポップ君、自分で気がついてなかったの?」

「気づくって、なにに?」

 本気でそう聞いてくる大魔道士を見て、レオナはくすりと口許に笑みを浮かべた。

「君って、ホントに自分のことには鈍いのね。それって――」

 言いかけたレオナの台詞を、慌ただしい音が遮った。
 バタバタっと元気のいい足音を響かせて、扉を破らんばかりの勢いで飛び込んできたのは、勇者だった。

「ポップ! レオナ! お疲れさまっ、お茶、持ってきたよ! お菓子とかももってきたから、いっぱい食べてね!」

 これでもかといわんばかりにお菓子やらお茶のセットを山積みにしたワゴンを、元気良く押しながら入ってきたダイを見て、ポップは眉を寄せる。

「ちょっと待て、なんでおまえが持ってくるんだよ? 今は法律の勉強の自習時間じゃなかったのか!?」

「え? あ、え、えーっと……、もう終わったし」

「本当だろうな!? 後で、ちゃんとチェックするぞ?」

「ええーっ? そんなっ、終わった勉強なんか聞かれても困るよぉー」

「アホか、おのれはーっ!? 覚えるために勉強してるんだろうが、質問に答えられなくってどうするんだよっ!?」

 ダイの頭を手で抱え込んで、こめかみにぐりぐりと拳を押しつけるポップを横目で見ながら、レオナはこっそり含み笑いを浮かべる。

(……ほんっと分かっていないわよね、ポップ君は)

 ポップがいまだにパプニカ王宮にとどまり、好きでもない政務についている理由はただ一つしかない。

 魔王軍との戦いの時と、まったく変わりはないのだ。
 勇者を守るため――それが、理由の全てだ。

 純粋な人間ではないダイが、パプニカ王宮に溶け込めるように。国々の政策が、魔物を排除する方向へと進まないように。地上を滅ぼす力を秘めた勇者を、人間達が疎んじて排斥しないように。

 全ての人が望むなら地上を去ってもいいといった勇者に、居場所を与えるために。
 そのためにこそ、ポップは政務に腐心する。
 同じ志を持つレオナの同志として、この上ない助力を注いでくれている。

 魔物を相手にする戦いではなく、我欲を秘めた人間を相手に、頭脳一つを武器にして机上での戦いを挑んだ。年若い王女や成り上がりに等しい勇者一行を軽んじる重臣達を相手に軽口混じりの舌戦を仕かけ、その度に勝利を勝ち取っている。

 大魔王バーンに対して一歩も引かなかったように、ポップは今も引き下がる気配も見せない。
 見事なまでに勇者を守り、彼の隣に立ち続けている。

(まあ、本人はまったく自覚無しの様子だけどね)

 自らの手でお茶の支度をしながら、レオナはくすくすと笑いながら二人の様子を見やった。
 やっと飼い主に会えたばかりの子犬のようにまとわりつくダイに、疲れているんだから離れろとポップは邪険に怒鳴りつけていた。

 だが、文句を言いつつも、ポップは本気でダイを突き放しはしない。そして、ダイの方もそれを察しているのだろう、手放しに嬉しそうな笑顔でポップに甘えている。

 少しばかり悔しさや疎外感を受けないでもないが、レオナは満足だった。
 これこそがレオナが望んだ光景なのだから。

(バーン……せいぜい悔しがりなさい。あなたの予想は、当たらないわ)

 かつて、大魔王バーンは宣言した。
 決して外れない運命を予言するがごとく。
 いずれ、勇者ダイは人間達から英雄の座から引きずり落とされ、追われるだろう、と。
 それに対して、ダイ自身もレオナも否定できなかった。返答に詰まり、思わず沈黙してしまった……そんな自分が、悔しくてたまらない。

 だが、あの時にポップがその場にいたのなら、どこまでも食い下がり必ずや反論しただろう。

 神の座に就く寸前の大魔王バーンを一喝し、誰もが沈み込んだ絶望の中から立ち上がり、絶対的不利を逆転させるきっかけをつくったポップ。

 レオナにはできなかったことでも、彼ならばやってのけられる。バーンの不吉な予言さえも、ポップならば打ち破ってくれるだろう。

 彼が側にいる限り、勇者は勇者のままでいられる。
 なぜなら、彼は勇者の魔法使いなのだから――。

「ダイ君、ポップ君、お茶が入ったわよ。みんなでおやつにしましょう」

 立ち昇る香気の中で、レオナは柔らかく二人に呼びかけた――。

                                    END
 


《後書き》
 ポップ宮廷魔道士見習い編の一つ。
 仕事に追われまくっているポップとレオナの話って、好きっす♪ しかし、ダイがひどい役どころですね(笑)
 

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