『占い師は恋占いを望まない』

  
 

「メルル……本気なのかえ? 自分が何を言っているのか、分かっているのかい?」

 年老いた祖母の驚きの表情を、メルルは申し訳ない気持ちで見つめ返す。
 神秘の国テランで一番の占い師と噂に高い占者ナバラ。
 この小柄な老婆は、両親を早くに亡くしたメルルにとっては唯一の身内だ。

 物心ついた時からずっと一緒に暮らしてきた家族であり、また尊敬に値する占いの師として様々な術を教わってきた。
 最近、めっきりと老け込んで見える祖母。

 その相手に逆らい、異を唱えるのはたまらなく辛い。
 元々、メルルは他人と異なる意見を主張する程、我の強い娘ではない。強い意志など持たず、ただ流されるように自然に物事をやり過ごす。

 それが一番いい方法だと、思っていたわけではない。
 だが、メルルにはそれ以外の方法を知らなかった。

 波風を立てないことを望み、強い意志に押し流されてきた気弱な少女にとって、それがただ一つの処世術と言えた。
 だが、今は流されるわけにはいかなかった。

「ごめんなさい、おばあさま。でも、どうしても私……ダイさん達について行きたいんです。お願い……許してください」

 両手をついて、丁寧に頭を下げる。
 メルルの黒い髪がカーテンのように顔を覆い、その表情を隠した。

 自分の頼みがどれほど無茶で危険なものなのか、自覚があるだけにそのお辞儀は深い物になる。
 実際、無茶もいいところだろう。

 最終決戦に挑む勇者一行と共に、ごく平凡な少女が一緒について行きたいなどとは、正気の沙汰ではない。

「およしよ。おまえが行って、何になるというんだい? あたし達にゃ、ただうっすらと未来が見えるだけ……それに干渉するような能力なんぞありゃしない。行くだけ無駄だよ、危険な目に遭うだけさ」

 メルルの数倍の年月を占い師として過ごしてきた祖母の言葉は、胸が痛むほど真実だった。
 世界の命運を懸けた戦いの中で、たった一人の少女が何ができるというのだろう?

 しかし――メルルは、ただの少女ではない。
 占い師の家系の血を色濃く引き、全盛期の祖母を凌ぐ程の占いの才に恵まれている。未来を垣間見る予知能力が有る限り、勇者一行に有益な助言を与えられる。

 だが同時に、メルルはただの少女でもある。
 占い師としては卓越した才能を持ってはいても、メルルは戦う術どころか、護身術さえ心得ていないごく平凡な少女にすぎない。

 微弱な回復魔法が使えはするが、正直そんな力など勇者一行にとってはなんの助けにもならないだろう。
 戦力として考えるのなら、足手まといもいいところだ。

 自分の存在が、プラスでもありマイナスでもあるのはメルルはよく承知していた。
 これまでのメルルならば、プラス要素よりもマイナス要素を重視してしまい、ここで引き下がっただろう。

 だが、今のメルルは引き下がらなかった。
 顔を上げ、はっきりとした口調で訴えかける。

「確かに、私には何もできないかもしれなません……! でも、何かをしたいんです。少しでも何かをできるなら、それでいい――私なんかでも、ほんの少しでもお手伝いができるなら……!」

 いつにない孫娘の強固な主張に、ナバラは深く溜め息をついた。
 そして、皺だらけの手をつと滑らせ、布で覆っていた水晶球をむき出しにする。慈しむように球の表面を撫でながら、ナバラは独り言のように呟いた。

「メルル……あんたって娘はバカな子だよ、ホントに。そこまでしてあのポップという少年を追ったところで、なんになるっていうんだい?」

「……っ?!」

 途端に、メルルの色白の頬が朱に染まる。

「おばあさま……知ってらしたんですか?」

「知ってるも何も、ないさね。そんなのは占いなどに頼らずとも、誰にでも見えるわさ」


 少しばかり苦笑を浮かべながら、ナバラは指先に術力を込めだした。微弱な魔法力だが、占い師のみが使える魔法が水晶球の中に写し出された。
 水晶球の中に浮かぶのは、緑色の服を着た魔法使い。

 黄色いバンダナを翻して笑っている少年を眺めながら、ナバラはゆっくりと首を左右に振った。

「ああ、やっぱりね。見込みはないんだよ、メルル。この魔法使いの少年には、思う娘がいる。……ああ、はっきりと写っているね。この子はその少女をとても深く、そして強く想っている――」

「……知っています、おばあさま」

 哀しげな笑みが、メルルの口許に浮かぶ。

「ポップさんは、同じアバンの使徒のマァムさんが好きなんです」

 口にするだけで、胸に鈍痛を感じる。
 だが、それが真実。
 ポップのあの優しさも、そして死も恐れぬ勇気も、要は他人を思うがゆえに発揮されるものだ。

 そして、ポップのその想いが、自分ではなくてマァムに向けられているものだと思うのは辛いことではある。
 だが、それが真実なのだ。

 柔らかみを感じさせる、淡い色合いの赤毛。
 意志の強そうな、くっきりとした目鼻立ち。
 なによりも、正義の使徒に相応しい輝かしさと、包容力に溢れた魂を持つ少女。

 生き生きとした生命力を感じさせるあの活発な少女と、自分はあまりにも違う。
 違い過ぎるからこそ、競おうなどと思うよりも早く諦めが胸を支配する。

 マァムが太陽の下で咲き誇る大輪の花ならば、自分などは木陰でひっそりと咲く名もない花に等しい。
 マァムの輝きに魅せられたポップが、メルルに目を止めるなど有り得まい。

「そこまで分かっているなら、なんでまた……」

 呆れたような祖母の言葉を聞きながら、メルルはもう一度微笑もうとして、失敗した。


「おばあさま、それでも私は――ポップさんが……」

  言葉に詰まったのは、本心を言いたくなかったからではない。
 想いが胸に溢れ、息すら詰まりそうだったからだ。

 緑衣のよく似合う、明るい魔法使い。
 その芯の強さ、素直じゃない優しさ、ひょうきんな明るさ――ポップはそこにいるだけで、その場の雰囲気を明るくしてくれるような、そんな男の子で、いざという時はハッとする程思い切ったことをする少年だ。

 どんな苦しみも、哀しみも、絶望も、彼を打ちのめすことはできない。時に悩み、時に挫けながらも必ず立ち上がり、最後には打ち勝ってしまう勇気を持っている。

 あの勇気に、目を奪われたのはいつからだっただろう?
 あの勇気に、あの優しさに、あの魂の輝きに、どうして心動かされずにいられるだろう? 惹かれる想いを、どうしても止められない。

(ポップさん……!)

 声に出さず、メルルは強く、恋した少年の名を呼んだ――。

 


「…………」

 ナバラはいつしか、水晶球ではなくメルルを見つめていた。慣れ親しんだ水晶球よりも、今のメルルの方がよほど強く、真実を写している。

 口には出さずともその潤んだ瞳が、いつになく紅潮した頬が、恥じらいを含んだその態度が、全身で訴えていた。
 ポップが好きだ、と。

 そんな孫娘を見つめながら、ナバラの胸を遠い昔が去来する。
 胸が痛くなるような、切なくなるような、そのくせ甘さを含んだ胸のときめきと、いつまでも残る心の苦さを――。

「……覚えがあるよ。あたしも若い頃にゃ、人並みに恋をしたもんさね。占い師ってのは辛いもんだわさ、自分の恋の望みのなさがはっきりと見えるんだから――」

 あれがどのくらい前の出来事なのか、ナバラはすでに記憶していなかった。もう、相手の顔や名前すら覚えていない。
 だが、それでも恋した時の気持ちと、それを失った時の辛さだけは鮮明だった。

「あたしゃそんなことも、そして他人の想いに患わされるのも嫌になって、世を捨てたのさ。親しい人と距離を空けて、国を捨てて、あちこちを渡り歩いて……そんな旅におまえを付き合わせたのは、間違いだったのかもしれないねえ」

 ゆっくりと手を伸ばし、ナバラは孫娘の頭に軽く触れる。いかにも若い娘に相応しい、艶のあるすんなりとした髪をひとなですると、ナバラはあっさりと手を離した。

「お行き、メルル。好きな人の元に――」

「おばあさま?」

 顔を上げ、メルルは迷うように祖母を見つめる。心優しい孫娘を、ナバラは笑って追い払った。

「ああ、あたしの心配はいらないよ。おまえはおまえの思う通りにおやり。おまえのその力は、人を救うためのもの……好きな人を助けておやり」

 祖母の後押しを受け、メルルはやっと笑顔を見せた。

「ありがとう、おばあさま……!」

 迷いが吹っ切れたとばかりに、メルルはいそいそと旅支度にかかる。急ぎ足で部屋から出て行く孫娘を、ナバラは無言のまま見送った。
 ――そんな風にはしゃぐメルルを見るのは、初めてだった。

 『普通』では有り得ない力を持って生まれたメルルは、そのせいかとても内気な少女だった。人から普通の子として扱われないせいか、ひどくはにかみ屋で、他人に心を解けない少女だった。

(それが、あの少年に会ってからは――)

 ベンガーナで偶然出会った、魔法使いの少年。正直、彼の最初の印象はかすんでいる。 伝説の竜の騎士である勇者ダイや、お忍びの身でさえ凛としたカリスマ性を隠せなかった王女レオナに比べれば、ポップは平凡な少年にすぎない。

 だが、どこにでもいそうな少年でありながら、ポップは二人とはいない少年だった。
 ナバラは、水晶球をゆっくりともう一度指先で撫でる。
 思い浮かべるのは、もちろんかの魔法使い。

 一国の王女に対しても、怪物に対しても、神の使いに対しても、同様に仲間意識を抱くことのできる希有な精神を持った少年。
 特殊な能力を持ったメルルを差別することなく、対等に付き合えるのも頷ける。

(まあ、恋する娘にとっちゃ、それもかえって酷かもしれないけどねえ)

 一度占ったにもかかわらず、ナバラはもう一度念を凝らして水晶球を除き込んだ。
 占うのは、勇者一行の戦いの行く末などではない。そんなものなら、もう何度なく占った。

 決して見透かせない、不安定な闇。
 世界の命運のかかった戦いの先には、それしか見えない。

 それを承知にも関わらず、勇者一行と共について行きたいと願った孫娘を思えば、不吉な上に結果の見えない占いなどもう試したくもない。
 彼女は占うのは、ポップとメルルの未来だ。

 だが、結果に変わりはない。
 ポップはやはり、一途にマァムを想っている。側に寄り添うメルルの想いに、まるで気づきさえもしないで。
 だが、不思議な卦が水晶球に浮かびあがった。

「……?!」

 それは、ポップとメルルの強い繋がりを暗示していた。
 分かちがたく、二つの魂が重なり会う未来。
 だが、ポップのマァムを想う気持ちに、微塵の変化もない。

 矛盾に満ちた占いの結果に、さすがの歴戦の占い師もどう結論付けていいのか、迷いが生じる。
 と、その未来もまた、不安定な闇へと飲み込まれた。

「これはいったい……?!」

 無意識にもう一度水晶球に手を伸ばそうとして――ナバラはその手を途中で止めた。

「いや……やめておこうかね」

 ナバラは、世を捨てた。
 運命に関わるのをやめて、傍観者以外何者にもなるまいと思い、それゆえに様々な未来を見てきた。

 良い未来もみた。
 逆に、救いすら見当たらない暗い未来も見た。
 だが、ナバラはそれらをそのまま受け入れてきた。

 問われれば教えはしたが、未来を回避する方法など忠告した試しも無い。
 なるようにしか、なるまい。
 そう思って生きてきた。

 そんな自分が、いかにたった一人の孫娘を思うがゆえとはいえ、未来に干渉する資格はあるまい。
 未来を作れるのは、それに真正面から立ち向かう者だけだ。

 絶望的な戦力差の相手に真っ向から戦いを挑んだ、あの魔法使いの少年のように。
 そして、その魔法使いの少年を追って、自ら運命を切り開こうとするメルルのように――。

 二人の未来を左右するのは、本人らの意志にかかっている。
 ならば、世を拗ね、年老いた占い師の出る幕などあるまい。
 決して光を漏らさぬよう、ナバラは丁寧に水晶球を布で包み込んだ――。
                                     END


《後書き》
 死の大地に向かう直前の、メルルとナバラさんの会話。死地に向かう孫娘と祖母の別れのシーンが無かったのが無念で、つい捏造しちゃいました!

 

小説道場に戻る
トップに戻る

inserted by FC2 system