『占い師は恋占いを望まない』 |
「メルル……本気なのかえ? 自分が何を言っているのか、分かっているのかい?」 年老いた祖母の驚きの表情を、メルルは申し訳ない気持ちで見つめ返す。 物心ついた時からずっと一緒に暮らしてきた家族であり、また尊敬に値する占いの師として様々な術を教わってきた。 その相手に逆らい、異を唱えるのはたまらなく辛い。 それが一番いい方法だと、思っていたわけではない。 波風を立てないことを望み、強い意志に押し流されてきた気弱な少女にとって、それがただ一つの処世術と言えた。 「ごめんなさい、おばあさま。でも、どうしても私……ダイさん達について行きたいんです。お願い……許してください」 両手をついて、丁寧に頭を下げる。 自分の頼みがどれほど無茶で危険なものなのか、自覚があるだけにそのお辞儀は深い物になる。 最終決戦に挑む勇者一行と共に、ごく平凡な少女が一緒について行きたいなどとは、正気の沙汰ではない。 「およしよ。おまえが行って、何になるというんだい? あたし達にゃ、ただうっすらと未来が見えるだけ……それに干渉するような能力なんぞありゃしない。行くだけ無駄だよ、危険な目に遭うだけさ」 メルルの数倍の年月を占い師として過ごしてきた祖母の言葉は、胸が痛むほど真実だった。 しかし――メルルは、ただの少女ではない。 だが同時に、メルルはただの少女でもある。 微弱な回復魔法が使えはするが、正直そんな力など勇者一行にとってはなんの助けにもならないだろう。 自分の存在が、プラスでもありマイナスでもあるのはメルルはよく承知していた。 だが、今のメルルは引き下がらなかった。 「確かに、私には何もできないかもしれなません……! でも、何かをしたいんです。少しでも何かをできるなら、それでいい――私なんかでも、ほんの少しでもお手伝いができるなら……!」 いつにない孫娘の強固な主張に、ナバラは深く溜め息をついた。 「メルル……あんたって娘はバカな子だよ、ホントに。そこまでしてあのポップという少年を追ったところで、なんになるっていうんだい?」 「……っ?!」 途端に、メルルの色白の頬が朱に染まる。 「おばあさま……知ってらしたんですか?」 「知ってるも何も、ないさね。そんなのは占いなどに頼らずとも、誰にでも見えるわさ」
黄色いバンダナを翻して笑っている少年を眺めながら、ナバラはゆっくりと首を左右に振った。 「ああ、やっぱりね。見込みはないんだよ、メルル。この魔法使いの少年には、思う娘がいる。……ああ、はっきりと写っているね。この子はその少女をとても深く、そして強く想っている――」 「……知っています、おばあさま」 哀しげな笑みが、メルルの口許に浮かぶ。 「ポップさんは、同じアバンの使徒のマァムさんが好きなんです」 口にするだけで、胸に鈍痛を感じる。 そして、ポップのその想いが、自分ではなくてマァムに向けられているものだと思うのは辛いことではある。 柔らかみを感じさせる、淡い色合いの赤毛。 生き生きとした生命力を感じさせるあの活発な少女と、自分はあまりにも違う。 マァムが太陽の下で咲き誇る大輪の花ならば、自分などは木陰でひっそりと咲く名もない花に等しい。 「そこまで分かっているなら、なんでまた……」 呆れたような祖母の言葉を聞きながら、メルルはもう一度微笑もうとして、失敗した。
言葉に詰まったのは、本心を言いたくなかったからではない。 緑衣のよく似合う、明るい魔法使い。 どんな苦しみも、哀しみも、絶望も、彼を打ちのめすことはできない。時に悩み、時に挫けながらも必ず立ち上がり、最後には打ち勝ってしまう勇気を持っている。 あの勇気に、目を奪われたのはいつからだっただろう? (ポップさん……!) 声に出さず、メルルは強く、恋した少年の名を呼んだ――。
ナバラはいつしか、水晶球ではなくメルルを見つめていた。慣れ親しんだ水晶球よりも、今のメルルの方がよほど強く、真実を写している。 口には出さずともその潤んだ瞳が、いつになく紅潮した頬が、恥じらいを含んだその態度が、全身で訴えていた。 そんな孫娘を見つめながら、ナバラの胸を遠い昔が去来する。 「……覚えがあるよ。あたしも若い頃にゃ、人並みに恋をしたもんさね。占い師ってのは辛いもんだわさ、自分の恋の望みのなさがはっきりと見えるんだから――」 あれがどのくらい前の出来事なのか、ナバラはすでに記憶していなかった。もう、相手の顔や名前すら覚えていない。 「あたしゃそんなことも、そして他人の想いに患わされるのも嫌になって、世を捨てたのさ。親しい人と距離を空けて、国を捨てて、あちこちを渡り歩いて……そんな旅におまえを付き合わせたのは、間違いだったのかもしれないねえ」 ゆっくりと手を伸ばし、ナバラは孫娘の頭に軽く触れる。いかにも若い娘に相応しい、艶のあるすんなりとした髪をひとなですると、ナバラはあっさりと手を離した。 「お行き、メルル。好きな人の元に――」 「おばあさま?」 顔を上げ、メルルは迷うように祖母を見つめる。心優しい孫娘を、ナバラは笑って追い払った。 「ああ、あたしの心配はいらないよ。おまえはおまえの思う通りにおやり。おまえのその力は、人を救うためのもの……好きな人を助けておやり」 祖母の後押しを受け、メルルはやっと笑顔を見せた。 「ありがとう、おばあさま……!」 迷いが吹っ切れたとばかりに、メルルはいそいそと旅支度にかかる。急ぎ足で部屋から出て行く孫娘を、ナバラは無言のまま見送った。 『普通』では有り得ない力を持って生まれたメルルは、そのせいかとても内気な少女だった。人から普通の子として扱われないせいか、ひどくはにかみ屋で、他人に心を解けない少女だった。 (それが、あの少年に会ってからは――) ベンガーナで偶然出会った、魔法使いの少年。正直、彼の最初の印象はかすんでいる。 伝説の竜の騎士である勇者ダイや、お忍びの身でさえ凛としたカリスマ性を隠せなかった王女レオナに比べれば、ポップは平凡な少年にすぎない。 だが、どこにでもいそうな少年でありながら、ポップは二人とはいない少年だった。 一国の王女に対しても、怪物に対しても、神の使いに対しても、同様に仲間意識を抱くことのできる希有な精神を持った少年。 (まあ、恋する娘にとっちゃ、それもかえって酷かもしれないけどねえ) 一度占ったにもかかわらず、ナバラはもう一度念を凝らして水晶球を除き込んだ。 決して見透かせない、不安定な闇。 それを承知にも関わらず、勇者一行と共について行きたいと願った孫娘を思えば、不吉な上に結果の見えない占いなどもう試したくもない。 だが、結果に変わりはない。 「……?!」 それは、ポップとメルルの強い繋がりを暗示していた。 矛盾に満ちた占いの結果に、さすがの歴戦の占い師もどう結論付けていいのか、迷いが生じる。 「これはいったい……?!」 無意識にもう一度水晶球に手を伸ばそうとして――ナバラはその手を途中で止めた。 「いや……やめておこうかね」 ナバラは、世を捨てた。 良い未来もみた。 問われれば教えはしたが、未来を回避する方法など忠告した試しも無い。 そんな自分が、いかにたった一人の孫娘を思うがゆえとはいえ、未来に干渉する資格はあるまい。 絶望的な戦力差の相手に真っ向から戦いを挑んだ、あの魔法使いの少年のように。 二人の未来を左右するのは、本人らの意志にかかっている。 《後書き》
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