『騎士は姫を守り抜く』 |
「一曲、踊っていただけませんか?」 文句のつけようのない美青年だった。 「一昨日きやがれ、バカヤロー。だいたい男に踊りを申し込むなんざどこに目をつけてやがるんだ、このすっとこどっこい」 王侯貴族が集うこのパーティには似つかわしくない、乱暴な口調。 「ポップ君、ポップ君……本音が出ているよ? 気をつけてくれないと」 「ああ……アポロさん」 小さく耳打ちされ、ポップはやっと目が覚めたような顔になる。 「大変光栄でありますが、我が身は神に捧げていますゆえ、世俗の踊りには馴染みませんので」 表情は変えぬままで、全然心の籠っていない紋切り型の断りを口にするポップに、美青年は多少引きつった顔になりつつも素直に引き下がった。 (ふん、おれはてめえらと違って、遊びでやってんじゃねえんだよ!) 今度は口に出さず、ポップは文句を言う。 (ったく、どこが高尚なんだか……) 賢者としてパーティに参加すると、時々こんな不快な思いをさせられる。 眠い目をこすりながら、ポップはダンスフロアの中心あたりに目をやった。 パプニカ王女、レオナ。 そのためにポップは忙しいスケジュールをぬってまで、面白くもないパーティに参加しているのだ。 壁に軽くよりかかったまま、居眠りしたらまずいだろうななどと考えていると、アポロがまた声をかけてきた。 「ポップ君、疲れているみたいだね。少し、休んでいたらどうだい? 姫様にはしばらく私がついているし、何かあったら君を呼ぶから」 パプニカ三賢者のリーダーであり、レオナからの信頼の厚いアポロの提案に、ポップは一も二もなく頷いた。 「ああ……そんじゃ悪いけど、しばらく、テラスにいるよ」
あくびを噛み殺しつつ、ポップはテラスに向かった。人いきれから離れ、冷たい風を浴びるとホッとする。 もっとも少しでも油断してしまえば、このまま眠ってしまいそうな疲ればかりはどうしようもない。 (無理もねーか。三日ぶりの睡眠を邪魔されたんだもんな……あれ? まともに寝たのって、四日前だっけ?) 思い出そうとして、ポップはすぐに考えるのをやめた。 緊急だからとパーティのパートナーを頼み込まれて、断らなかった時点でこうなるのは分かっていたのだ。 (分かってるけど……断れねえんだよなぁ…) 王侯貴族が正式なパーティに参加する時は、必ず異性のパートナーが必要だ。 どうしても相手が必要なパーティの際、レオナが助けを求めるのは常にポップだ。 ――時間が足りなすぎる。 悔しいことに、全部を引き受けるだけの力は、ポップにはない。 結果、どれも見捨てられないポップは、自分の時間を切り捨てるしかない。 ポップの目的は、ただ一つ。 (ダイ……!) こんな時は、ひどく距離を感じてしまう。 「一曲踊っていただけませんか?」 涼やかな声が、背後からかかる。 実際、振り返った瞬間まではそのつもりだった。 「……!」 各国の王族の集うパーティに参加するにしては、その人物は若かった。 だが、その衣装を身につけているのは、面影にまだあどけなさを残す年若い娘――しかも、ポップのよく知った顔だった。 「マ…ァム……?!」 かすれた声で呟くポップに、騎士の衣装を身につけた赤毛の少女は、優しく歩みよってくる。 「マァム……ッ、おまえ、なんでここに?」 急な再会に、喜びよりも驚きの方がはるかに強かった。 離れ離れになる寂しさは感じたものの、心優しい少女が戦いから遠ざかり平和に暮らせるのをポップは心から喜んだ。 ポップが宮廷魔道士見習いとしての留学を始めた頃から、忙しくなって顔を合わせる機会もなく、もう1年以上もの間、ずっと会っていなかった。 「なぜって、正式に招待されたからに決まっているでしょう?」 ごく当たり前のように、マァムが答える。 なにせ、各国の王達が一同にそろうパーティなのだ、胡乱な者などは近付くことすらできない。 「でも、このパーティって……」 戸惑いながら、ポップは言葉を濁す。 元勇者一行の一員という肩書き程度では、参加できるかどうかさえ怪しい。 ただのパーティならばともかく、結婚相手を選ぶパーティでは血統や地位の方を重視するのが貴族というものだ。 各国に宮廷魔道士として留学したポップはかろうじて、地位と権力を認められたのか招待状がくるのだが、他のメンバーにはそんなものは一切届かない。 内心それを苦々しく思っていただけに、ポップはマァムが目の前にいるのが不思議だった。 「私は、勇者一行の武闘家マァムとして、招待されたんじゃないのよ? カール王国自治領を治める侯爵として……自由騎士マァムとしてここに招かれたの」
騎士としてリードするマァムのステップに、ポップは軽くついてくる。 「そうか? 適当だよ、必要に迫られて覚えただけだし」 そう答えるポップに、マァムは軽く微笑んだ。 お調子者のこの魔法使いは、実は訓練を繰り返して実力を養うタイプの努力家だ。 忙しい中睡眠を削り、無理に時間を空けてまでレオナのダンスパートナーを努めているポップ。 ダイがいない今、レオナを助けられるのは、ポップだけしかいないから。 彼は一度パプニカを滅ぼした人間であり、魔王軍にくみした過去があるがゆえに。 カール王国の新国王として即位した彼が、パプニカ王女に助力すればそれは他国への干渉と取られてしまう。 アポロやバダックでは臣下という身分に阻まれ、王女であるレオナを助けるには力が足りない。ましてや、人外である仲間達ではなお難しい。 生粋の人間であり、大魔道士として名を馳せたポップだけが、レオナの隣に立つ資格と実力を備えている。 それを承知しているからこそ、ポップはレオナを助けている。 賢者は、僧侶の長に立つもの……すなわち神に仕える身であり、無性であるということを意味している。 だからこそポップは賢者と呼ばれるのを嫌っているくせに、賢者の衣装で彼女の側に立つ。 男性とも女性ともつかぬ服装で男装したレオナと一番に踊り、その後も彼女の側から離れないようにしている。レオナに結婚を申し込む男を、牽制するために。 「……今まで、一人で大変だったでしょう、ポップ」 心からの労いを込めて、マァムはポップの手を、自分よりも細く感じる腰を、強く引き寄せた。 わずかに抵抗を感じるが、マァムは腕力にものを言わせて強引にそれを封じ込めてしまう。 「労いぐらいは言わせてよ。今まで……何も、手伝えなかったんだから」 行方不明のダイを、探すこと。 他のみんなが日常の生活に流されている中で、ポップは変わらない眼差しでずっとダイを探し続けている。 実際に世界を旅して回る作業は、ポップはかなり最初の頃に行った。瞬間移動呪文を駆使し、ダイの行きそうな場所を全て飛び回った。 そのやり方ではダイを見つけられないと悟ってから、ポップは大幅にやり方を変えた。 ダイが地上にはいないという仮定を立てて、ポップは竜の騎士の伝承や神々や魔界の情報を集めにかかった。 各国に伝わる秘伝の解析。 いかに王族が望んだとしても、その王国の成り立ちにもかかわる秘文は、他国の人間には見せてはもらえない。 そして、古代語で記された伝説や伝承の文献を直接調べて、ダイを捜索するための手掛かりを探す作業もまた、ポップにしかできない。 アバンやマトリフの助けも借りているとはいえ、調査の大半を行っているのはポップ自身だ。 まだ見つからないダイに心を痛める仲間達と連絡を取り合って情報を交換し合い、精神的な支えになるのも常にポップだ。 「でも、これからは私が助けてあげる」 一人で何もかも背負うなど、無理なのだ。 今まで慣れ親しんだ戦場とは違う場所で、頭脳だけを切り札に戦い始めた彼を誰も助けられない。 次第に落ち着ついていく故郷で暮らしながらも、マァムは片時もそれを忘れられなかった。 『愛や優しさだけでは、必ずしも他人を守れない時もあるのです』 悩みの果てに思い出したのは、懐かしい師の教えだった。 『正義なき力が無力であるのと同時に、力なき正義もまた無力なのですよ』 その言葉に、マァムは一つの答えを見出だした。 ただの村娘に戻り平和に暮らせればいいと、そう思ったから。 未だに行方さえ分からないダイを。 そして――みんなの中でもっともきつい道を選びながら、ダイばかりではなくみんなを助けようとしているポップを。 「私ね……実は、ポップの留学とほぼ入れ違いの形でカール王国へ行ったのよ」 内証話でも打ち明ける口調で、マァムはそっと囁いた。 「そこで先生に相談した末に、騎士になるための修行を始めたの。あの国は元々勇猛さを貴ぶ気質だし、騎士団の勢力も強い地域な上……私の父も、あの国の騎士だったから」 マァムの父、ロカはカール王国の高名な騎士の家系の出身だ。さして身分は高いとはいえないが、一応貴族位を獲得している。 あえて父親の実家の縁に縋らず、一庶民出身として各国の宮廷に乗り込んだポップと違い、マァムは父親が捨てたその家名を継ぐことから道を切り開きだした。 武闘家になった時と、同じ気持ちだった。 生まれながらにして一国の国を背負ったレオナと、同じ舞台の上にまで自力で這い登った上がったポップを助けるためには、二人に比肩する肩書きが必要なのだ。 そして、マァムが獲得できる地位の中で、最も得やすい位置にあったのが騎士だった。 入団には身分が必要だが、カール王国の騎士団は徹底した実力主義で知られる。 そして二度の魔王軍との戦いを経験した女王が統率する軍なだけに、他国と違って女性の入隊も可能だ。 「にしてもよくたった一年で騎士位を獲得できたもんだな」 感心しているとも呆れているともつかない口調で、ポップが呟く。 「見くびらないでね。誰にも文句を言わせないほどの活躍と功績を積んだんだもの、当然んでしょ?」 血を滲ませ、影で涙を流しながら獲得した苦労を押し込めて、マァムは明るく笑って見せた。 「今の私はれっきとした領主であり、女騎士よ。世界会議の場にも、招聘される権利を得たわ」 カール王国の自治領。
主君と家臣という形式を取るものの、一介の兵士のように終身変わらぬ忠誠を捧げるというわけではない。 騎士は王を貴ぶ以上に、己の騎士道に準じる存在なのだから。 騎士は自分の名誉と武力を王に捧げ、王は絶対的な権力を持って騎士に保護を与えるのが通例だ。 どちらかが盟約に反する行為を取った場合、騎士が王を見限って離反するのは当然の権利であり、また騎士道に叶う行為でもある。 あえて王国に仕えずに自由騎士と名乗る騎士達は、主君の保護を必要とせずに自分自身の正義感を強く貫く道を選んだ強者だ。 一国の王に比肩する肩書きであり、立派な対抗戦力となり得るのだ。 「今なら、ポップにもレオナにも手を貸してあげられる。……何か、私に手伝えることはある?」 マァムのその言葉に、ポップはすぐには答えなかった。 驚きのせいか、足も止めてダンスさえもやめている。
ポップは何度も生唾を飲み込みながら、ためらいがちにマァムの目を除き込む。 「マァム……、姫さんを任せても、いいのか?」 「騎士の本分を知らないの? 騎士はね、正義に従い、姫君を守る存在なのよ」 笑顔のまま、力強くマァムはその願いを快諾する。 「お姫様は騎士に任せて、あなたはあなたのすべきことをしなさい」 賢者の格好に身をやつしても、その本質は変わるまい。 勇者の傍らに立ち、その戦いを助けること。 「ああ――そうするつもりだよ」 こっくりと頷くポップに、マァムはわずかに首を傾げて尋ねる。 「それで、旅って、どのくらいの間なの?」 「んー、はっきりとは言えないけど……、2ヶ月か…3ヶ月ぐらい、かな」 「いいわ。安心して、レオナは守ってあげる……必ず。騎士の誓いに、二言はないわ」 生真面目に、マァムは誓いを口にする。続いて、彼女はポップにも誓いを迫った。 「だから、ポップも約束して。――決して、一人で無茶をしないで」 その言葉に、ポップはすぐには答えなかった。が、さして間を置かずにおどけたような調子で軽く言い返してくる。 「おいおい、いくらなんでもさすがに一人で行ったりしないよ。洞窟探索が主になるし、魔法使い一人じゃキツいからな。もう、ラーハルトに協力を頼んである」 半分魔族の血を引く、屈強の戦士である仲間の名を聞いて、マァムはいくぶんかは気が楽になるのを感じた。 「よかった……。それで、いつ、発つの?」 「ベンガーナの留学が終わり次第、出発するつもりだよ。――もうすぐだ」 多分、無意識にだろうがマァムの手を握るポップの手に力がこもる。 その間、ポップはずっとダイを捜し続けていた。各国の王達がとうに捜索を諦め、仲間達でさえ手を出しあぐねて手掛かりさえ見つけられない中、ポップだけは諦めようとしなかった。 正直、マァムにはポップの得た手掛かりがどのぐらい当てになるものか、分からない。 だが、それが確実にダイへと繋がる道であることを望む。 ダイのためだけでなく、ポップのためにも二人の再会が叶うように――祈りにも似た想いで、マァムは切に願う。 「ポップ……頑張ってね」 「ああ、マァムもな」 言葉は短かったが、それで充分だった。 《後書き》 |