『パプニカ王国の宰相』 |
「……ひっ、…姫さん……! おれ……もう、限界…な……んだけど…っ……」 息を乱しながら訴えるポップに対して、レオナは普段は色白の頬を紅潮させながら激しく叱咤する。 「なによ、だらしないわね! 男でしょ、もう少し頑張りなさいっ!」 「いや……男女は関係ないだろ、これは……」 震える手を、ポップはやっとのようにレオナに向かって伸ばす。 「やった、終わったわ! アポロ、後はよろしく!!」 「はいっ、すぐに手配致します!」 書類を束ねつつ待ち構えていたアポロは、レオナが言い終わるよりも早く最後の書類を受け取ると、怪物に追われているような足取りで走りさった。 「ふっふっふ……、今回もなんとか…乗り切ったわね……!」 「…………紙一重だったけどな」 もはや顔を上げる気力すらなく、執務机に突っ伏したままポップがボヤく。誇張ではなく、目の前がかすんで見える。 怒濤のごとく仕事の詰まった決算期を乗り切るためとはいえ、すでに三日近くまともに眠っていない。 いっそ、このまま寝入りたい――そう思ったポップだったが、レオナの方はまだ余力があるようだった。 「あーあ、締め切り開放後は何をさておいてもやっぱお風呂よね。エイミ〜ッ、ローズヒップオイル入りのお風呂を用意してくれる?」 (タフすぎだよ、姫さん……) ポップのツッコみは、言葉にはならなかった――。
「とにかく、だ! こんな無茶な綱渡りはもう、これっきりにしようぜ! こんな寿命が縮むような真似いつまでもやってたら身体がもたねーよ、実際!」 レオナの執務机に手を突き、ポップが待遇改善を申し立てたのは恐怖の決算日より二日後のこと。 「いい加減、人事を見直そうぜ。もうそろそろ、改革を考えてもいい時期だろ?」 身分から言えば、ポップがそんな要求をするのは僣越と言える。 ましてやまだ見習いならば、知識を追求するために勉強や研究を重ねるのが最大の役目というものだろう。 まだ少女でありながら国を実際に動かしているレオナ姫を助けるために、ポップが政務の補佐に加わったのはダイが帰還してからすぐ後の頃だ。 驚く程わずかの間にコツを飲み込んだポップは、今や歴戦の政務補佐官以上の役割をこなしている。 外交にせよ事務管理にせよ、一手に背負っているとは言えなくとも、ポップは大半を超える確率でその作業に関わっている。 いまだに名目は宮廷魔道士見習いとは言え、その実質的な仕事内容はほとんど宰相に匹敵していると言えよう。 「姫さんさー、いい加減、正式に大臣連中の罷免やら入れ替えする気ねーの?」 ぼやく口調で、ポップは具体的要求を口にする。 先代の王に忠実に仕え、実直にパプニカ王国を支え続けた重臣達は、もはや存在していない。 今、パプニカ王国に集まった重臣の多くは、魔王軍の戦いの最中はどこかに姿を潜め、平和を確信できた頃になってから、呼びもしないのに城に戻ってきた厚顔無恥な貴族階級の臣下達だ。 自分の欲を満たすことしか考えない味方は、レオナにとってはある意味では大魔王以上に厄介な敵でもある。年若いから、女性だからとことごとくレオナを侮り、隙あらば彼女を懐柔して取って代わろうとする重臣のいかに多いことか。 正直、彼らが信用できないからこそ、雑多な仕事までをも王女直々が処理しなければならないという悪循環が発生してしまっている。 見るに見兼ねて手伝っているポップだが、そのせいで彼自身もその重労働に巻き込まれしまっているのだ。 実際、ポップは今まで何度となくレオナに同じ提案をし続けている。 「駄目よ、まだ早すぎるわ」 いかに王といえども、軽々しい理由で重臣を罷免することはできない。それは独裁と呼ばれる物であり、民が望む王の姿勢とはかけ離れているからだ。 もし、レオナが無理にそれを押し通せば、重臣だけでなく民衆だけでなく他国の人間までもが、彼女の独裁を非難し排斥しようとするやもしれない。 世界を救った勇者とその片腕である大魔道士を手中に収めているレオナは、この世に存在するどの国よりも強力な武力行使を行える。 世間がどう思おうと、レオナは決して勇者と大魔道士を最強兵器などにはしたくはないのだから。 だからこそレオナは正攻法の道を選び、徐々に人材を増やしていくという、長期的で緩やかな改革を狙っている。 「ポップ君にだって、分かっているでしょ? こういうことには、時間が必要なんだから」 「う……っ」 そう言われると、ポップも沈黙せざるを得ない。元々、レオナのその考えに賛成したからこそ、協力をしているのだ。 「それに……ダイ君はああだし」 「……そりゃ、あいつにゃ向かないよな」 二人は同時に同じ人物を思い浮かべて、溜め息をつく。 地上最強の強さを持ってはいるが、脳味噌の発達ぶりはスライムとタメを張っているというのがポップの意見だ。 「でも、だからこそ、せめて補佐役ぐらいしっかりとつけないとこの先辛いだろ?」 「そりゃあ、私だって信頼のおける人間を宰相の地位につけたいわ。でも、三賢者だって、まだまだ経験も足りないし若すぎるもの」 ポップとレオナの方が実はさらに若く経験もないのだが、二人の頭脳の切れと決断力の高さは飛び抜けている。 「あぁあああっ、やっぱりその結論っきゃないのかよっ!?」 頭をかきむしりながらぼやくポップに、レオナはもう話は終わったとばかりのお茶の支度を始める。 「……あーあ、せめて宰相だけでもいればなあ」 到底叶わない願いを口にする口調で、ポップが呟く。 せめてそれからだけでも開放されたいと願っているだけに、言葉には切実な思いが宿る。 「宰相? ちゃんといるわよ」 「へ?」 きょとんと、ポップはレオナを見返した。 にも拘わらず、自国の宰相とだけは顔を合わせたことはない。おまけに、ポップが現在やっている仕事こそが、宰相のなすべきことである。 「そりゃ初耳だな。いったい、誰だよ?」 「テムジンよ」 それを聞いた途端、ポップは飲んでいた紅茶を思いっきり吹き出す。 「やあね、レディーの前で」 「いや、それどころじゃないだろっ!? テムジンって、もしかしてあのテムジンか? 実権を握るために姫さんを殺そうとした阿呆だろっ!?」 興奮するポップとは対照的に、レオナの方は落ち着き払ったものだった。 「あらー、よく知ってるわね。ポップ君は知らないと思っていたわ。だって、君、会ったことないでしょ?」 「ねえけど、ずっと前にダイから聞いたよっ。なんでそんな奴を、いまだに宰相の位のままにしてんだよっ!?」 「いやあね、どうせ宰相になりたがるような人間は、権力のためなら汚い手も使うと相場が決まっているじゃないの」 いっそ朗らかな口調でコロコロと笑いつつ、たおやかな姫は言い切った。 「だったら、あれぐらい単純でお間抜けな悪巧みをする人間のを側近にして置いておいた方が、いっそ気楽だわ。しょせんは操り人形みたいに、糸を引かれないと悪巧みもできない程行動力もない小悪党だもの」 見た目のしおらしさを裏切る、この清濁併せ飲む度量の大きさ。 「こちらに尻尾を掴ませてもくれない腹黒い大臣連中よりも、よっぽど信頼できるわよ? それに彼が望んだのよ。地位と家督相続さえ保証してもらえるなら、どんな仕事でもするし給与もいらないって」 瞳をきらきらと輝かせ、王女は祈るがごとく両手を組み合わせる。 「ありがたい申し出よね〜、なんといってもパプニカではまだまだ人手が足りないんですもの! 色々とやってもらう仕事は尽きないのよね、町内会の臨時司会役とか、ゴミ掃除の責任者当番とか」 「……パプニカの宰相って、そんな仕事してんのかよ?」 借りにも一国の宰相に対して、あまりに酷な扱いではないかと、ポップの顔には一筋の汗が伝う。 王女の暗殺を企んだ以上、本来なら本人は死罪となり家系とりつぶしになってもおかしくはない。それを思えばレオナの処置は確かに寛大と言えるが――弱みに付け込んでこき使っているとしか思えない。 本人の望みを叶えてあげただけよと微笑むその笑顔の裏に、どす黒いオーラが見えるのはポップの気のせいだろうか? 「あら、宰相自らが気さくに町内会レベルの問題にもこまめに参加してくれるって、一般市民からの評判は上がっているわよ?」 「でもさあ。いくらなんでも、そりゃ気の毒じゃねえの? いっそ退職させてやった方がまだ幸せなんじゃ……」 同情心からのポップの提案に、レオナは以前から考え抜いていたかのようなゆとりをにじませて、華やかな笑みを浮かべる。 「そうねえ。君が正式に宰相を引き受けてくれるなら、彼を追放してもいいわよ」 「…………………………」 身も知らぬ名ばかりの宰相への同情と、我が身に確実に降り懸かるであろう、就任と共に押し寄せる重責を秤に掛け……ポップは貝よりも堅く沈黙した――。
「なあ、ダイ。テムジンって奴を、覚えているか?」 昼休み。 「テムジン?」 馴染みはないが、確実にどこかで聞いた名前にダイは考え込む。古い記憶を掘り起こしてから、ダイはぽんと手を打った。 「ああ! ずっと前にレオナにひどいことした、悪い奴のこと?」 「ああー、まあ、そうなのかもな」 (今は、レオナにひどいことされているけどな……) 心の中でこっそりと呟きながら、ポップはいまだ顔も知らぬパプニカ王国宰相に同情を禁じ得ない。 僅かばかりの名誉だけを与えられ、雑用やどうでもいい仕事を押しつけられている名ばかりの宰相と。 そのどちらが、よりレオナの犠牲になっていると言えるのか……だが、まあ、……多分、気がつかない方が幸せなのだろう――。
《後書き》
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